第六章 付けられた烙印⑤
三人そろって帰って行く姿を、桑井は暗い顔をして、窓越しに眺めていた。
事務所のドアが開き、桑井が振り返る。
「お、来たか」
晟也が無造作に中へ入って行く。
「お疲れ。わざわざ寄ってもらって悪かったね」
桑井に椅子を引かれたが、晟也は立ったままだった。
「もうすぐだろ?」
柏木が仕草を見せながら聞く。
「年明けになると思います」
晟也の言葉を聞いて、桑井と柏木が同時に、顔を見合わせる。
それもそのはず。試合は10月と聞かされていたのだ。それもつい最近の話だった。
「調整がうまくいかなくって」
二人の表情を読ん出の答えだった。
「もしかして」
桑井の視線が自ずと、晟也の腕へ行く。
「すいません。練習があるので」
「ああすまんすまん。また近くなったら教えてください」
晟也が頭を下げ、事務所を出て行く。
再び。桑井と柏木は顔を見合わせる。
二人が考えていることは同じだった。
少し前から、晟也は自転車で通勤していない。
表へ出た晟也は、軽く拳を固める。
その手には、少し痺れが残っていた。
このことは、ジムのトレーナーにしか知らない話である。
晟也は頭を振る。
瞼の裏に、彩夢の涙顔がこびり付いてしまっていた。
知られると、面倒なことになる。それだけは避けたい晟也だった。
「ご一緒させてもらっちゃって、本当に良いのかしら?」
不意に飛び込んできたその声に、晟也は目を瞠る。
坂東が嬉しそうに車へ乗る所だった。
「全然かまいません。立食パーティなのでご気軽にどうぞ」
「こんな服装だけど」
「そう畏まった集まりではありませんので」
「なら。彩夢ちゃん、誘ってもらって悪いわね」
青ざめた彩夢が向うに立っているのが見え、晟也は気が付くと歩を進めていた。
「良かったら、そちらのお二人さんも如何です」
こうなることぐらい、心のどこかで予測していたはず。彩夢は自分を責める。
「さぁ遠慮なさらず」
行くに行けないまま、彩夢を待っていた保科たちへ祥希は話し掛けていた。
「十三丘様、何の真似ですの?」
彩夢の声が、震える。
「お忘れですか? 僕の友人たちにぜひあなたを紹介させてほしいと言ったではありませんか?」
「そのお話なら」
そう、今さっき解決したはずだった。
「彩夢さん、急ぎましょう。僕たちのために集まってくれているお客様です」
躊躇いもなく、祥希が彩夢の手を取る。
「ちょっと待ってください。この子、嫌がっているじゃありませんか」
保科の反撃に、祥希が余裕の笑みを浮かべる。
「彩夢さん、そんなことありませんよね」
祥希の手に力が籠められる。その痛さに、彩夢はギョッとさせられてしまっていた。
「お疲れっす」
彩夢は耳を疑った。
「比嘉、あんた調度良いところに来た」
保科に言われ、晟也が彩夢の方を見てくる。
「何ですか」
こんな時に限って……。
彩夢は晟也の目から逃れようと、顔を背ける。
「彩夢、この際だからはっきり言ってやりな」
強気に出る保科に、祥希の口元が緩む。
「威勢の良い方ですね彩夢さん」
祥希の指が手首に食い込む。
「おい」
「何をするんです?」
苦しげに言う祥希の手を、晟也は容赦なくひねり上げる。
「それはこっちのセリフだ。お前も嫌なら嫌ってはっきり言えよ」
「彩夢」
祥希の手から解放された彩夢は、保科の方へ行きかけようとした、その時だった。
「彩夢さん。本当にそれで良いのですか?」
祥希のたった一言に、彩夢は身動きが取れなくなる。
「行くぞ」
「困るのは、あなたの方では」
晟也に手を握られ、このまま行ってしまいたい。だが……。足が訛りのように重く、動こうとはしてくれなかった。
「どうしたのみんな。早く行きましょうよ」
能天気に叫ぶ坂東を、保科が睨む。
「彩夢さん。わがままが過ぎると、流石の僕も怒りますよ」
「あんたもしっつこいね。坂ちゃんさっさと降りな。うちらは行かないよ」
「今度こんな真似をしたら、警察を呼ぶからね」
岡部の言葉に、祥希がフッと鼻で笑う。
「僕は全然構いませんよ。困るのはどっちか、彩夢さんならわかりますよね」
祥希が、晟也に捻られた手首を摩る。
「どうした彩夢?」
保科が彩夢の顔を覗き込む。
「……どうしたらいいのか、分からないんです」
「どういうこと?」
祥希が口元が緩む。
「大変申し訳ない。彼女、どうやらマリッジブルーになってしまったらしくって、お騒がせしました。これも一時的なもの。美味しいものを食べれば、気も晴れるでしょう。どうぞ車へお乗りください」
「マリッジブルーって、綾ちゃん結婚するの?
いつの間にか、坂東が車を降りて来ていた。
「さ、ご遠慮なくどうぞ」
彩夢は祥希に抵抗する気力が、なくなってしまっていた。
「おう。何してんだこんな所で」
「柏木さん、この方、彩夢ちゃんのフィアンセですって」
何も知らずに通りかかった柏木に、答えたのは坂東だった。
驚く柏木に、祥希がにこやかない挨拶をする。
「ばからしい」
そう呟き、晟也は行ってしまう。
彩夢は泣きそうになるのを、必死で堪える。
「彩夢さん。これ以上、僕に恥をかかせないでください。さぁみなさんもお乗りください」
「俺は婆さんに叱られるから、失礼させてもらうわ」
「それは残念です」
「あたしもいいや。柏木さん、一緒に帰ろう」
「おかっち待って。あたしも」
彩夢は必死の思いで、保科の手を掴む。
「どうやら彩夢さんは、あなたには参加して欲しいようですね。僕らの婚約のお披露目も兼ねています。是非祝福してやってください」
「早く乗りなさいって、断ったらお気の毒よ」
ちゃっかり乗り込んでいる坂東が、保科は憎らしかった。
「分かりました。だったら会場を教えてください」
「なぜです?」
「この子を一番かわいがっているのは、うちの所長です。そんな大切な席に、所長を呼んであげなかったら、可愛そうだから」
「そういうことでしたら、喜んで」
この時初めて、彩夢は祥希を怖いと思う。
揺さぶりをかけてくる祥希に、動揺しきってしまう彩夢だった。




