第六章 付けられた烙印②
「ったく。どうなってんだ?」
晟也は去って行く彩夢を眺めながら、舌打ちをする。
「俺は何も」
彩夢はスカートを強く握っていた。
優しくしたつもりも、するつもりもない。ただ、晟也は後ろを振り返り、肩を竦めてみせる。
保科たちが煩いのだ。ただそれだけの理由だった。
「ちょっと待てよ」
咄嗟的に、晟也は彩夢の手を掴んでいた。
「放して」
キッと睨む彩夢の目から、涙があふれ出ていた。
正直、晟也は参ってしまっていた。
晟也は髪を掻き毟る。
いつ見ても彩夢は、泣いているか笑っているかのどちらかなのだ。
俺には関係ねぇし。心で呟き、晟也は踵を返す。
気にすることはない。
倉庫脇にできている日陰へ入り、晟也はゲームをし出す。
「何があった?」
煙たそうに見上げる晟也に、桑井が汗を拭き拭き、水を差し出してくる。
「別に何もないっす。それよりあいつ、何かあったんすかね」
「五十嵐さんのことが、気にかかりますか?」
桑井にそんなことを聞かれるとは思わなかった晟也は、一瞬黙ってしまう。
「図星ですか。五十嵐さん、気が強いところはありますがね、きれいなお方だし、惹かれるのも無理もないか」
「いやいや。て言うか所長までそんなこと言いだして、どうしちゃったんですか?」
晟也に突っ込まれ、桑井が眉を下げる。
「若者は、良いなって思いましてね」
「でも俺は違いますから。ただ、ちょっと気になっただけです」
「気になるって、何をです」
「目です」
「目ですか?」
晟也は頷く。
「何を考えているか分からない奴だけど、一度も俺から目を離して、話したことがなかったから」
「そうでしたか」
そんな会話がなされているとは、微塵も思わない彩夢は、肩で息を吐く。
なる様にしかならないのだ。だったら……。幼いと笑いたいなら笑えば良い。足掻けるだけ足掻いてみよう。綾夢はそう決心すると、スッと気持ちが楽になる。
思い詰めた顔をした綾夢が事務所へ入って来るのを見て、桑井は慌ててしまう。
「どうされたんです」
「所長、お願いがあります」
真剣な面持ちで言う綾夢に、桑井は生唾を飲み込む。
彩夢は祥希と会わずに済むよう、口実を作るのに、必死だった。
まだだいぶ暑いが、気が付けばカレンダーは9月になっていた。
「また俺のことで揉めたりした?」
しばらく顔を出していなかった木庭がひょっこり顔を出し、一言も話しをしない岡部と彩夢を見て、嬉しそうに目を細める。
「あれー無視されちゃった」
自分でパイプ椅子を引っ張り出してきた木庭は、例のごとく彩夢の隣を陣取り、頬杖を突きおふざけの愛嬌をふりまく。
だが、彩夢の目に木庭は映っていなかった。
机を指でノックする木庭に、やっと気が付いた彩夢が顔を上げた途端だった。その風貌に、慌てたように岡部を見る。
何があった。と、目で聞く木庭に、岡部は、さぁと肩を竦めて見せる。
「彩夢ちゃん」
行き成り額に手を置く木庭に、彩夢は露骨に嫌がる。
「何ですの」
今までされたことも、するとは思わない彩夢の行動に、木庭は正直戸惑ってしまっていたが、すぐに気を取り直し、ニッと歯を見せると、胸の前で手でハートを作って見せる。
「ラブ注入しようかなって、彩夢ちゃん知っているこういうの」
木庭は期待に満ちた目を、彩夢に向けていた。今までなら、嫌ですわ。木庭さんたら。と、そう言ってケタケタ笑って受け流してくれていたのだ。
しかし彩夢は、険しい顔をするばかりで、にこりともせず、事務仕事に戻ってしまっていた。
「おい無反応かい。こういうやつだよ彩夢ちゃん。知らんの?」
「そんな冗談ばかり仰っていないで、お仕事されてはいかがですの?」
顔を上げずに言う彩夢に、流石の木庭も心穏やかに居られず、つい声を荒げそうになってしまうのを、グッと堪え、笑みを作る。
「彩夢ちゃんまで、岡ちゃんみたいなこと言うようになっちまったのかよ。ぼかぁ悲しい。あれほど染まらないでって、願っていたのに」
「仰っている意味が分かりかねますわ。それにお生憎様。わたくしは誰の指示は受けませんことよ」
「フー言うね。それは誰に対してもって、とって良いのかな?」
無理やり顔を覗き込んで来る木庭に聞かれ、彩夢は言い淀む。
「何を仰っているのか」
「女が変わるときは、いや基。人が変わるときって言うのは大概、恋愛感情が関わっている、と、ぼかぁ思うんだが」
「そういった固定概念はどうかと」
相変わらず顔を上げようとしない彩夢を無理矢理、自分の方へ向かせた木庭が、目尻に沢山皺を寄せ言う。
「彩夢ちゃん。まじめに聞くけど、どっちと付き合うつもりなんだ」
瞳を揺らがす彩夢に、木庭は真顔になっていた。
「俺としては、残念だが、彩夢ちゃんが誰と付き合おうが、勝手だと思う。だけど」
間を置いた木庭が、彩夢の肩を強く掴む。
「あの男だけは薦められない」
岡部も手を休め、ジッと彩夢を見ていた。
「木庭さん、その手をお放しになって、痛いですわ」
「彩夢ちゃん。俺、知っているんだ。いや正確には、見てしまったというべきか」
岡部に聞かれないように、木庭が耳元で囁く言葉が、彩夢を大きく揺らがす。
言葉にならず、見つめ返す彩夢に、木庭は目尻を下げる。
「彩夢ちゃん、高級ブランドじゃなく、俺を愛してよ」
聞こえない二人の会話が気になって仕方がない岡部が、わずかに躰を動かす。
木庭にフワッと頭に手を置かれ、彩夢の瞳がジンワリ滲む。
それ以上、木庭は何も聞かなかった。
岡部に問いただされ、木庭は話しをはぐらかせ、管理室を出て行く。
彩夢は金縛りにでもかかったように、動けなくなってしまっていた。




