第五章 歪められた愛⑦
「彩夢様、お待ちしておりました」
梶山に出迎えられ、彩夢は不快を露わにしたのは、昨日のことである。
突然の源次郎から呼びだれたのだ。
綾夢はいよいよその時がきた。と、思った。
彩夢とてつ浸かって来た者ぐらいある。このまま源次郎の言いなりになる気は、毛頭ない。祥希の薄笑いを思い出し、彩夢は身震いする。
「わたくしにも、覚悟があってよ。おじい様」
独り言ち他彩夢は、そっと目を窓の外へ目を向ける。
少し疲れた顔をした自分が映っていた。
桑井には正直な話をして、電話を切る。
チャイムが鳴らされ、映し出された人物に、彩夢は眉を顰める。
予想外だった。
「西園寺彩夢さんでお間違いありませんか。梶山様からの依頼で、お迎いに上がりました」
当然迎えに来るであろう椎野木ではなく、なぜハイヤーが回されたのか、理由が全く思い当らない彩夢である。
嫌な胸騒ぎがする。考えてみると、ここ最近椎野木と連絡を取っていないことに気が付く。嫌な予感がした。哲司が入院中は、本社勤務をすると言っていたのだが、胸騒ぎがする中、彩夢は携帯電話を取り出し、掛けようとした瞬間、電話が鳴り出す。
彩夢は表示された名前を見て、顔が険しくなる。
今は話したくない相手である。そのまま電源を落とし、彩夢は外へ目を向ける。
しばしの辛抱である。慌てふためくことはない。準備は万端なのだから。
「お珍しいですね。ハイヤーなんて」
てっきり梶山の差し金だと思っていた彩夢は、目の色を変える。
「会議は10時を予定しております。それまで少しお時間がありますが、こちらで用意した資料の歩へ一度お目を通されますか」
愛想よく話す梶山に、心許す気が起きない彩夢である。
「悪いけど、若槻を呼んでいただける?」
「若槻でございますか」
言葉を濁す梶山に、彩夢は眉間を寄せる。
「何か問題でもあって」
「時期にお耳に入るかと思われますので、あえて申し上げますが、若槻は退職いたしました」
「どういうことですの」
意きりだって聞く彩夢に対し、梶山は顔色一つ変えず答える。
「一身上の都合と伺っております。詳しいことは哲司様がご存じかと」
「父が」
その時に気がつくべきだった。
哲司が不在の社長室へとされた彩夢は、そう思い知らされていた。
「なぜあなたが?」
社長席に座った祥希が悪びれることなく振り返る。
「いやぁ彩夢さん。お待ちしておりました。まぁ、こちらにお座りになって下さい。今、秘書にお茶を用意させますから」
先に寛いだ姿勢で、ソファーに座る祥希を、綾夢は睨み付ける。
「そう怖い顔をせずに、まあお掛け下さい。折角の美しい顔が台無しじゃありませんか」
程よくお茶を運んで入って来た、秘書が退室するのを待って、綾夢は口を開く。
「どういうことなのです? その案件に付きましては、もう少し先と聞かされておりましたけど」
「まぁそう熱くならず、冷めない内に、さ、どうぞ」
「結構ですわ」
祥希に愉快そうに笑われ、彩夢はいきり立つ。
「何がおかしいですの」
「やはり彩夢さん、あなたはお若い」
「何が仰りたいですの?」
「まぁそう熱くならずお聞きください。ビジネスに於いて何が大切か、一つお教え致しましょう。取り引きの場において、いかに冷静沈着でいられるかで勝敗が決まる」
意味深な笑みを浮かべ、祥希がカップを口に運ぶのを、彩夢はただ茫然と見つめるしかできずにいた。
「さ、彩夢さんもどうぞ寛いでください。このコーヒーですが、ブラジルを旅行しているときに気に入ったのを見つけましてね。彩夢さんも気に入ってくれるとうれしいのですが」
ここで負けたくない、彩夢である。平然を装い、カップを手に取る。
「とにかく、おじい様が何と仰ったのか知りませんが、わたくしは認めるわけにはいきませんわ。体調を崩している父に代わり、わたくしが最善を尽くすつもりでおりますし、その策も練ってありますわ。ですから」
一口だけコーヒーを逃し込み、彩夢は微笑んでみせる。
「やることが実にかわいらしい。うちの姪もそうやって誇らしげに、良く僕にそうして成績表を見せてくれます。彩夢さんも頑張られたのですね」
彩夢の顔色が見る見る変わって行くのを見て、祥希が足を組み変え目を細める。
「小学生と一緒にして、お気に障りましたか? これは失敬」
「それはお褒めの言葉なのかしら、それともわたくしをバカにされておりますの? 十三丘様から見ればわたくしはまだまだひよっこにすぎません。ですが西園寺を守ろうと思う気持ちは誰にも負けておりませんわ」
「そう目くじらを立てないでください。今は会社にとっても大事な時期。トップが不在のままというわけにはいきますまい。これは哲司様のご意向でもあります」
「バカを仰い。父がそのようなことを、申し上げるわけがございませんわ」
「こちらは委任状です」
信じ難い事実である。怒りに任せ立ち上がるが立ちくらみを覚え、そのまま崩れ落ちてしまう彩夢だった。




