第五章 歪められた愛⑥
「ねってば」
突然肩を掴まれ、敏感に反応してしまう彩夢を岡部は訝る。
「そんな大げさに驚かないでよ」
「どうしたの? 顔色がすごく悪いよ。熱があるんじゃないの?」
俯く彩夢の顔を無理矢理上げさせた岡部が、額に手を当ててくる。
「熱はないみたいね。あのさ」
岡部が言い辛そうに彩夢を見てくる。
「あたし、腹の中でごじゃごじゃ考えているの嫌いだから訊くけど、彩夢、あんたさ、あたしに何か隠していることない?」
明らかに顔色を変える彩夢に、岡部は眉を顰める。
「隠し事なんて、ありませんわ」
消え入りそうな彩夢の声に、岡部は確信を持つ。
「隠すんだ。ムーさんが見たって言ってたわよ。この間来ていた人ってさ、いったいあんたの何なのよ」
「そう聞かれましても」
青ざめて言う彩夢に、岡部の顔が険しくなる。
「わたしゃあんたが誰を好きであろうと、全然かまわない。けどさ、比嘉に色目まで使っておきながら、高級車を乗り回すようなお相手がいましたって落ち、どうなの?」
半笑いで言う岡部に、彩夢は手を強く握りしめる。
「岡部さんが何を仰っているのか、わたくしには全く理解できなくってよ。比嘉さんに色目を使っているなんて、わたくしに対して侮辱ですわ。わたくしはただ同じ同僚として、痩せぎすの比嘉さんを心配していただけですわ」
「へぇどの口が言っているわけ? あんたって思っていた以上に強かな女だったんだね。呆れてものが言えないわ。ま、こんなことに私が熱くなる必要全然ないけどさ。一応、あんたの友達だと思っているから言わせてもらったけど、チャラい真似だけは、わたしゃ、絶対に許さないからね」
鼻を鳴らす岡部を、彩夢は真っ直ぐ見る。
「プライベートのこと、口を挟まないで頂けます」
泣くわけにはいかなかった。
「マジムカつく。もっと純真な子だと思っていたのに」
一方的に責められ、彩夢は口の中がカラカラに乾いてしまっていた。
伝票を引っ掴み、岡部が出て行くのと入れ違いに、木庭が入って来る。
「何かあった?」
聞かれた彩夢は、曖昧な笑みを浮かべるのが精いっぱいだった。
一人黙々と荷物を確認している岡部に、村上が話し掛けるが、しばらく答えようとしなかった。
「岡ちゃん、まさかと思うけど、彩夢嬢をまたいじめたりしていないよね?」
冗談ぽく聞いてくる村上を、岡部は睨む。
「ムーさん、変な言いがかりは止してよね。わたしゃただ、あんたが見た男が何者か確かめただけよ。それなのにあいつ、恍けやがって。ちょっと顔が良いからってさ。何なのよ。ああムカつく」
「岡ちゃん、口調怖い。また保科さんに叱られるよ」
「何でよ。今回はわたしゃは悪くないからね。純情ぶっちゃってさ、比嘉がかわいそうじゃん」
「確かにそうだけどさ。うちらが首を突っ込んでいいことでもあるまいしさ。比嘉君のことはさ、うちらが勝手に思っていただけで、本人の口からはっきり聞かされたわけじゃないしさ」
「そうだけどさ。なんか悔しいじゃん。ここんとこの二人、感じ良かったしさ、彩夢だってまんざらじゃない顔してたじゃん」
文句を言う岡部の目に、薄らと涙が滲む。
村上は言葉がなかった。
「もういい」
伝票を放り投げ、数分後に岡部は帰って行ってしまっていた。
一人きりになってしまった管理室へ、保科が顔を覗かせる。
「またおかっちと揉めたんだって」
村上からおおよその事情は聞かされていたが、本人の口から確かめたかった。
「よいっしょ」
岡部の席に腰を下ろした保科が、足組みをして彩夢を見る。
「お姉さんにすべて話してみな」
親しみのある笑みで言われ、彩夢の心が揺らぐ。
「つまらないことですわ」
「そうなんだ。でもおかっちってさ言葉悪いし、態度もああだけど、彩夢のことはさ、かなり本気で大事に思ってくれていると思うんだけど」
言われなくても身に染みて、彩夢がそのことを一番よく分かっていた。
「ですが、言って良いことと悪いことがありますわ」
「あんたの気持ちは分かる。だけどさおかっちはさ、あんたのことを本気で心配してたみたいだしさ、悪く取らないでやんな」
保科は言うだけ言って、彩夢の肩を叩き部屋を出て行く。
すべて打ち明けたいが、彩夢は唇を噛む。耐えるしかないのだ。