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プロローグ①

 昼下がりのテラスに出来た陽だまり。何処にでもあるような景色。ただあなたと肩を並べて歩きたい。ただそれだけなのに。庭に咲くひなげしを風が揺らす。どうしてすれ違ってしまうのだろう。

 昼下がりのラウンジで友人たちと有意義なひと時を過ごす西園寺彩夢さいおんじあやめは、腰を深々と折る男を見て、顔を顰める。

 前触れもなくこの男が現れるということが、どんなに理不尽で喜ばしくないことなのか、ここに集まっている人へ伝えるには、あまりに時間が足りなすぎる。

 退座することを近くにいた友人に伝えた彩夢は、一呼吸置き、梶山平治かじやまへいじの元へと歩み寄って行く。

 会話がないまま、用意された車へ乗り込んだ彩夢は心配げに見ている友人へ会釈すると、軽く目を閉じる。

 若槻わかつきではなく梶山が来たということは、祖父、源次郎の命だということは明白である。

 問答無用に引き戻されるのは癪だが、彩夢は流れる景色へ目を見遣る。

 予定が早まっただけ。

 そう自分に言い聞かせるものの、不愛想な中年男の顔を見ているうち嫌の一つも言ってやらないと気が済まない。彩夢はそう思い始めていた。

 子供じみている。そう言われても構わない。怒りの表現方法なんてどうでも良いのだ。不愉快が伝わればほぼほぼ成功である。勧められた機内食に自分が手を付けなければ、面として座る梶山も食事を摂れまい。そう呼んだ彩夢だったが、何をしても一枚上を行くこの男を、彩夢は大嫌いである。

 鼻を鳴らしそっぽを向く彩夢に、なぜ食べないのかと何度も訪ねては、周りを巻き込みうまいうまいを連呼する梶山だった。

 この性格の悪さは、源次郎と匹敵する。

 きっとこの男だから、あの偏屈極まりない源次郎のもとで三十年以上も勤まって来たのだろう。 

 気を緩めると腹の虫が鳴きだしそうで、彩夢は固く目を閉じ横を向く。

 西園寺家に生まれた以上、何をすべきかどう生きるべきかくらいは、承知している。だが、こんな形で強制されるのは憤慨である。

 彩夢の不機嫌は日本へ着いてからも続いていた。

 タラップの上、スカートの裾が揺れる。

 ここで降りてしまえば、何もかもが源次郎の思う壺。そう思うと彩夢はその一歩踏み出す気になれずにいた。

 「お嬢様、お急ぎくださいませ」

 睨み返す彩夢を意図とも思わず、梶山は平然と先を急がせる。

 髪を押さえ彩夢はたっぷり時間をかけ、階段を降りて行く。

 ささやかでも抵抗することに、意味がある。そう教えてくれたのは運転手の椎野木しいのきだった。

 待たせることなく車が回され、彩夢は眉根を寄せる。

 本来なら、そこには椎野木の笑顔があったはず。

 彩夢のとりとめない話に付き合い、笑みを絶やさない、そんな優しい時間が旅の疲れを癒してくれたはず。

 「梶山、これはおじいさまの差し金ですわね。こんな大袈裟な真似までなさって、何の御用かしら?」

 ようやく口を開いた彩夢に、快くした梶山が畏まって答える。

 「申し訳ございません。わたくしは何も聞かされておりません。ただ彩夢お嬢様をお連れするようにと言付かっただけでございます」

 「そう言うと思ったわ。相変わらず、お口がお堅いですこと。ねぇ梶山、わたくしがこの世で一番苦手にしているものって、何かご存知かしら?」

 「さぁ何でございましょう?」

 「特別お教えしますわ。はっきりしていらっしゃる方と、のんびりしていらっしゃる方よ」

 「また両極端な」

 口角を僅かに上げ言う梶山に、彩夢は無性に腹が立った。

 敵う相手ではない。 


 外環道で軽い渋滞に巻き込まれたが、順調に車は広尾の邸宅へ向かっていた。

 「お嬢様、御目覚めを」

 いつの間にか眠りに就いてしまっていた彩夢は、梶山に起こされ、ゆっくり瞼を開ける。

 現実を認めたくなかった。

 外灯に映し出された庭園は、いつ見ても見事なものである。

 石畳が続く庭を一望した彩夢は、ふと梶山を顧みる。

 「ね梶山、この庭、キャロルたちが見たら何て仰るかしら? きっとお喜びになるわね」

 笑みで迎いに出る家族。そんなものをこの二年間目の当たりにしてきた彩夢にとって、このお屋敷で待つ者たちへの嫌悪感は、壮大なものである。

 「さようでございますね」

 あたり障りのない答えを介され、彩夢は踵を返す。

 これが観光であったなら、客人として招き入れられたのなら、どんなに気楽で楽しいものだったろう。

 薄明りに和装の影を見つけた彩夢は、笑みを張り付ける。

 「彩夢、お帰り」

 品よく笑って言う清江が、幼少期の彩夢にとってどんなに近寄りがたいものであったか。

 その理由の一つは、両親の結婚にあった。

 学生時代に知り合った二人は、卒業と同時に源次郎たちの反対を押し切って、結婚した。その時、母、和歌子のお腹の中にいたのが、彩夢だった。

 跡継ぎのため認められた結婚。だが運命とは皮肉なもので、二子目を授かることはなかった。

 「清江おばあさま。お待ちいただいていたのね。大変うれしゅうございますわ。ありがとうございます。ただいま戻りました」

 「随分健康的になられて、嘆かわしい」

 眉を顰め言う清江に、彩夢は極上の笑みを向ける。

 「清江おばあさまこそ、少し白すぎではありませんこと?」

 「バカをおっしゃい。女性にとって肌がどれだけ大事か、あなたはお分かりになられていないようですわね。女は慎ましく美しくなければなりません。この西園寺家の人間である以上、身の振る舞いにお気を付けあそばせ」

 毅然と言い振る舞う清江に、気落ちさせられそうになる彩夢を救ったのは、梶山の一言だった。

 「奥様。もうよろしいでしょうか」

 眉を顰め清江が道を開ける。

 「おじいさまは離れでお待ちです。彩夢、心してお行きなさい」

 靴をそろえる彩夢に、清江の冷淡な声が重く圧し掛かってくる。

 「分かりましたわおばあ様。ご忠告ありがとうございます」

 にこやかに言う彩夢に、梶山が深く腰を折る。

 それは、第一秘書である梶山すら立ち入れない要件を、示唆している。


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