2.
ランカ=プラッシャーは転生者である。
日本という国で社畜経験を5年ほど積み、過労で死んだ元OLだ。
そして気づけばどこかで見たことのある少女に転生していた、と。
誰かにポロリとでもこぼせば頭を打ったのかと疑われるだろう。
だからランカはその事実を両親にさえ告げずに、心の中でしまっておくことにした。
そして心の中にいる『日本で社畜をしていた頃の自分』と現在の『公爵令嬢の自分』を共存させながら暮らしていた。
誰にも転生者と気づかれぬまま、その記憶を生かして上手くやれている自信はあった。
王子であっても物腰の柔らかい婚約者との仲も悪くなかった。
いい景色の場所があるのだと、是非見せたいのだと、連れて行ってくれた花畑で作ってくれた少し歪な花冠は宝物になった。
どんなに高価な宝石よりも、何度か結び目を間違えたそれの方がずっと綺麗で、ついつい赤らんだ顔を隠してしまったほど。
転生者である自分とは精神年齢にこそ差はあれど、いい夫婦になれそうだと思っていた。
だからこそ才女と呼ばれても決して手を抜かず、常に高みをめざし続けた。
将来彼を支えられる人間になりたい、と思ってのことだった。
けれど状況はある日を境に一変した。
10歳の誕生日を迎える前夜、ランカは酷い頭痛に襲われた。
まるで頭を両手で抱え込まれて振られているのではないか、と思うそれは声を出すことも出来ないほど。
だがランカはそれに懐かしさを覚えていた。
そういえば前世での記憶の最後にはこんなことがあったな。
終電ギリギリが当たり前の50連勤で疲れていた身体と同等の疲労が溜まっていたなんて……。
「せっかく今世では幸せになれそうだったのになぁ」
ランカは誰もいない部屋で声になっていたかも怪しいそんな言葉を呟いて、意識を手放した。
目が覚めた時、彼女の頭からはすっかりと痛みが消え去っていた。
けれどその代わりにとある記憶が頭に残っていた。
それは前世でプレイしたことのある乙女ゲームの記憶だった。友人の薦めで手にした唯一の恋愛ゲームでもある。一応全てのキャラクターを攻略してみたものの、ミニゲームやステータス上げにばかり気を取られてしまい、恋愛パートにのめり込むことはなかった。恋愛パートに突入すると必ず出てくる、悪役令嬢と呼ばれる役のキャラクターがどうも苦手だったのだ。
貴族社会で公爵令嬢という地位を確立している彼女は、特別に学園への入学を許されたヒロインのことを酷く嫌っていた。
攻略対象者の一人である第一王子のルートで、王子の婚約者である彼女がいじめを繰り返すシーンは見ていてあまり気持ちいいものではなかった。友人曰く、一番のシンデレラストーリーであるそのルートは恋に破れた女の子の屍の上に成り立っていたからである。
権力を振りかざしながら嫌がらせを繰り返した彼女にも問題はあると思うが、周りにも問題がなかった訳ではないと考えてしまうのだ。
「悪役令嬢に感情移入しちゃダメだよ! その子はそういう役目なんだから」
友人はそう笑っていたが、まさか感情移入をした結果、その悪役令嬢に転生してしまうとは思いもしなかった。
どうりで見たことがある訳だ、とランカは納得してしまった。
けれどこのまま『そういう役目』の悪役令嬢で居続けるつもりはない。
なにせ悪役令嬢には必ず『断罪イベント』が待っているのだ。
ランカが前世でプレイした乙女ゲームはこの一本だけだが、どのルートでも『悪役』の役目を担ったキャラクターがいる場合、権力をカサにした数々の罪を咎められる。
ランカの場合は王子ルートで。
多くは器物破損だが、最後の最後でせっぱ詰まった彼女がやらかした殺人未遂が決め手となり、爵位剥奪や王都追放などが言い渡される。ここまでしかプレイしていないのだが、どうやらファンディスクや小説では一族からも見放された令嬢は路頭に迷っていることが明かされるらしい。いくら何でも酷すぎないだろうか。この世界はどうなっているのか、と首を傾げたものだった。
この世界で暮らして10年の知識を動員してみると、貴族のご令嬢が同じ罪を犯した場合、辺境に飛ばすか、城の牢屋に入れておくくらいが正当な判断である。
だが、それはあくまで普通の貴族の令嬢が、平民相手に罪を犯した場合だ。
ランカの立場は貴族の中でも公爵家という地位を賜っている家に産まれ、王子の婚約者でもある。その上、被害を受けたヒロインは特別な力を保有しているのだ。
彼女が持っている『癒しの力』は外傷だけでなく、心の傷や病気を治すことが出来るのだ。そのために学園入学を許された、という設定だったはず。
ようは若いうちから囲いこんで置こうという学校側ひいては国側の思惑だ。そう考えると攻略対象が身分が高い男性ばかりだったのも何か思惑があったのではないかと考えてしまう。
そんな貴重な力を持った相手を殺そうとすれば当然罪は重くなる。
自分の権力を使って誰かを貶めようとする愚かな令嬢を一人切って、特別な力に選ばれた娘が手に入るなら安いものだろう。
国のためを考えるのなら少し賢い公爵令嬢よりも特別な力を持ったヒロインと縁を結んだ方が得策。
つまり最悪、ランカは何もせずとも捨てられる可能性がある!
そんなことはないと信じたいが、ヒロインとの関係性を強固にするために使われる可能性も……。
そんなことがあったら路頭に迷う。
親族は頼れず、職や住居を確保出来るかどうかも怪しいものがある。少なくともやたら身分が高そうな訳あり女を雇ったりしない。
なら後はのたれ死ぬだけ……。
ランカの背中には冷や汗が伝う。
日本でいきなり契約を切られるどころの騒ぎではない。
なんとか回避しなければ、と頭をフル回転させる。
まず同じ末路を辿らないための必須事項は、ヒロインにいやがらせをしないこと。これ自体は問題ないからさっさと飛ばすことにする。
次にハメられそうになった場合のアリバイを常に用意しておく必要がある。それも証言する人間は簡単に裏切らない相手だと好ましい。交友関係は広い方だとは思うが、だが思い当たる顔はみな貴族なのだ。国側につくに決まっている。だからといって平民だと金で雇われたと一蹴されるだけだ。
ならいっそのこと魔法道具でも用意するか?
だが国単位でかかってこられた場合、そんな市販の品なんて宮廷魔導士に改竄されれば終わりだ。
ならば一番確実なのは、断罪イベントが阻止出来なかった場合に備えておくこと。
どこかにお金や金品を埋めておく。
国に逆らう力はなくとも匿ってくれる人を作る。
そのどちらも実行出来るのが一番だが、18歳以降ずっとそうやって暮らすのは流石に無理があるのではないか。打開策が全く浮かばないことにランカの気持ちは一気に下降する。
そもそも起きるかどうか不確かなことに対する対策を考えようというのが無理な話だったのか。
だが『備えあれば憂いなし』という。
それはランカが前世で一番好きなことわざだ。
備えていれば最悪は防げるはずだ!
過労死を防げなかった失敗を胸に、前世の記憶を総動員して糸口を探す。
――そして悩んだ末にたどり着いたのは『投資』だった。