小噺その2〜痛い時は痛いと言いたい〜
4週連続で模試があり、まともな休日がやっと取れそうなこの週末。特に辛いとは感じなかったが心身ともに疲れたのだろう。軽い気胸でまた胸が痛い。今日は帰りに友達とコーラを下校しながら飲んでチャリに乗って音楽を音量MAXにして熱唱しながら帰った。そんなことができるのは田んぼだらけの田舎だからこそ。俺はこの街が大好きだ。けど、この街に残るということは考えていない。ここにいて甘えたいが何も始まらない気がした。だから俺はこの街を出て自分の夢を叶えたいと思っている。
まぁ、そんな小噺は聞きたくもないでしょう。どーでもいい人の夢の話はそこら辺に生えている雑草並みに興味がないと思うからそれと同等のどーでもいい小噺をこれから書きたいと思う。
画面の前で読んでいる方全員へ俺から指令を出そう。ピザと10回言ってみよ。ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ。と。
では、脛のすぐ上に付いている関節は?って、腐るほど聞いた10回言ってゲームを今更やっても引っかかる人などいないでしょう。そんなゲームと同じような事を日常で感じた。それは、本当の気持ちを伝えることだ。
大切なことほど上手く伝えられず、天邪鬼で終わらせてしまうことは誰にでもあることだろう。特に「好き」や「目標」、「信念」は反対の言葉で、思ってもない言葉で丸めて何処かへ投げ捨ててしまう。それで数え切れないほど後悔をして思い出す度にまた後悔をして、忘れても何か悔しくて後悔をして…。キリがない。そんな後悔を今この時間感じているのだ。それは本当の自分の塊の一部を見つけてくれた大切な人へ傷つけたであろう天邪鬼だ。それを書こうとするととても長くなるから割愛。その人とはLINEももうしてない。同じ学校へ通っているのに最近姿すら見なくなった。クラスが離れているからそれが普通ではあるが、とても悲しくなってくる。そう思っているのだが、友達の前になるとどうしても強がりな自分が出てきて聞かれたらきっと傷付くだろう。と、感じていることを本心じゃない何かが勝手に口を開き、言ってしまう。その人と距離ができてからかつてのその人は死んだようだ。なんて表現したけど本当に死んだのは俺自身だったのかもな。しかも自殺。本当に情けない。
それとピザピザが結びつくわけない。俺も今思ったが、言葉って言い続けていたら本当にそうなってしまう。だから火のない所にも煙が立ってしまう。砂ぼこりを上げて、それを火事と言ったらそうなってしまうように。ピザピザ言っていれば膝がピザになってしまうんだ。そんな風に俺が思ってもないことを言っているとそれが本当と捉えられてその人の元へ届いてしまう。あ、緩く曖昧にだがピザと結びついた。
言葉って頼りがなくて情けない存在だ。けど、生活を送る中で必要不可欠なものだ。だから痛いと思ったら痛いと叫べる人になりたい。痛いと叫びたがっているのに飲み込んで胃の中で消化されてしまう。その結果いきなり変な所で大噴火を起こしてしまうのだ。辛いな。だからこそ、痛い時は痛いと言える人になりたいのだ。