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猫使いと詩人(1)

第九話です。

 

 まるく満ちた月は、黄金きんと言うより、むしろあおに近い。


 吹く夜風は心地よいけれど、少し、寒さが混じり始めた。


 その風にゆすられた稲穂が、豊かに実った頭を揺らす。こちらのほうが、月よりも、むしろ黄金色だ。


 稲穂で埋まった黄金の海原が、見渡す限り続いている。



 近隣では最大のムラ、オーヌムの共同水田である。



 明日からの刈り取りに備えて、水田の周りにはいろいろな道具が準備してある。


 日が昇ればムラから人々が集まってきて、それぞれの受け持ちを刈り取る、ムラで一番大変で重要な、刈り入れ時期の始まりだ。


 人々はそのあとにある収穫祭を楽しみに、厳しい労働に耐えるのであろう。


 と。


 水田のわき、田に水を引くためのポンプ小屋が、ぎいと音を立てた。


 粗末な木製の扉が開いて、誰かが顔を出したのだ。


 青白い月明かりに浮かび上がるのは、細面ほそおもての端正な顔立ちである。



「ああ、月が蒼い……」



 空を見上げ、感極まったようにそんなセリフを漏らしたその男は、ひょろりとした長身の身体を窮屈に折り曲げて、小屋の扉をくぐって出てくる。


 その端正な顔立ちと、すっきりと高い痩躯は、なにやら気品さえ感じさせる。



あぉうん



 小さな鳴き声のした方に男が目を取られる。


 うずくまっているのは、水田のドロに汚れているが、元は白かったのだろう、一匹の猫。


 水田に落ちてしまったのか、濡れた身体を夜風に冷やされて、プルプルと小刻みに震えている。



「ああ、落ちてしまったんだね? かわいそうに」



 男は自分の事のように悲しげな顔をすると、しかし、次の瞬間には、優しい笑みを浮かべる。


 驚かせないようにゆっくりとしゃがみ、猫の前にうずくまると、優雅と言っていい、細くてしなやかな指を差し出した。



「おいで。暖めてあげよう。濡れたままでいるには、君は少し小さすぎるようだ」



 言いながら、ゆっくりと手を伸ばす。



ふーっ!



 小さいながら、野性の厳しさを身をもって知っているのだろう。仔猫は、背中の毛を逆立てて、警戒の唸りを上げる。男は困ったような顔で、肩をすくめた。



「そうか。そうだね。そう簡単に信用できるもんじゃないだろうね。君はきっとこれまでも、その小さな身体で、たくさんの辛苦を乗り越えて生きてきたんだろうね? ああ、それはどれだけ厳しい 生き様だったろう。一人ぼっち、小さな身体で、それでも君はたくましく生きてきたんだね……ああ、なんと言う雄雄しい姿だろう」



 男は、なにやらいつの間にか、自分の言葉で感極まり、涙を流し始めていた。


 仔猫は、この、ちょっと様子のおかしな男に戸惑ったのか、警戒を解かぬまま、それでも不思議そうに小首をかしげた。


 その猫に優しく微笑みながら、男はまた、ゆっくりと手を伸ばす。



「こっちへおいで。大丈夫、僕は敵じゃないんだ」



 長い指が、仔猫に触れそうになった寸前。


 小さな勇者は今までどおり得体の知れない侵略者の魔の手から、自分を守る行動に出た。



しゅっ!



 仔猫の放った小さく鋭い爪が、男の指先を切り裂く。もっともその傷は、彼の身体に比例して、悲しくなってしまうほど浅くて薄いものだ。


 男は、あっと小さく悲鳴を上げると、痛みというより驚きで、反射的に指を引っ込めた。


 仔猫は敵を撃退したことに満足したのか、ふーっっと毛を逆立てながら、さっきより幾ぶん強気な余裕のある態度で、男を威嚇する。その姿は、か弱いながらも、いっぱしの野生動物だ。



「うーん、弱った。やっぱりわかってもらえないのかなぁ。ねえ、いいかい? 僕はね、君の敵じゃないんだ。いや、もちろんそれを証明することは、今は出来ないけれど、しばらく一緒に過ごしてもらえれば、君にも、きっとわかってもらえると思うんだよ。僕は詩が好きで、歌が好きな、いたって穏やかな男なんだから」



 そう立て続けに訴えながら、男はもう一度仔猫に手を伸ばす。


 しかし、仔猫は警戒の唸りを上げるばかりで、一向に仲良くする気はないようだ。


 その様子に、瞳をかげらせて、男は悲しそうに眉を寄せる。


 と。



「自然事象にさえ干渉できるおまえの魔法語句タームも、猫には伝わらないか」



 くっくっく、と押し殺した笑い声とともに、ポンプ小屋の影から男が現れた。



 猫にちょっかいをかけていた男と比べると身長は低いが、その胴周りや腕周りは、彼のゆうに倍はあるだろうか。小柄だがたくましい体躯を、重力を無視した軽やかさで操り、男は足音ひとつ立てず、彼と仔猫のあいだに立った。


 そのまま仔猫のほうを向くと、るうるうと不思議な声を上げる。


 そう、現れたのは、自由の名を持つ孤高の猫使い。


 黒魔導師ストリークと死闘を演じた、猫使いフリーである。


 フリーは低く穏やかな、透明感さえ感じさせる声をあげつつ、じっと仔猫の瞳を見つめている。



 毛を逆立てていた仔猫は、不思議そうに彼の声を聴いていた。


 と、その隙を突いて、フリーが仔猫をひょいとつまみあげ、まるで紙くずでも丸めるかのように、くしゃくしゃと手の中で丸めてしまった。


 しかし、見ていた長身の男は驚くでもなく、肩をすくめて眺めている。


 フリーの手の中で少しだけ暴れた仔猫は、しかし、すぐに大人しくなる。


 そのままゴロゴロとのどを鳴らして丸まってしまった。


 フリーはにっこりと微笑み、ちいさく「もう大丈夫だよ」と優しい声をかけた。そして、ほころびだらけのGジャンの胸元に、その小さな身体をそうっと入れると、ノド元をくすぐる。


 仔猫は幸せそうに、あおんと鳴いた。



 すっかり警戒を解いてなついてしまった仔猫の様子を見て、長身の男はため息をつく。



「ちぇ。そんなゴツくて乱暴な男の方がいいのかい? まったく、趣味が悪いなぁ。いいかい、その男はね。乱暴で、気が短くて、本当にひどい男なんだよ? そう、アレはいつだったかな。僕とこの男が、むかし一緒に旅をしているときにね、あ、旅と言っても僕が望んだわけじゃないんだよ。この男に騙されて……」


「ストップ。そこまでだ。おまえにしゃべらせておいたら、夜が明けてしまう」



 苦笑しながら大声でそう言ったフリーに、男はほほを膨らませる。



「相変わらず、人を傷つけることばかり言うね、フリー。君にはさ、もう少し誰かの気持ちを思いやることが必要だと思うんだよ。猫とばかり仲良くなっても、いや、動物と仲良くなることも大切だけれど、でも、やっぱり君は人なんだから、人のことを嫌うばかりじゃなく、もう少し心を開いて……」


「ストップだってば」



 両手を広げて前にかざし、おしゃべりを制してから、フリーはおもむろに苦笑交じりで話し始めた。



「まったく、相変わらずおしゃべりだな、ノイジー」


「ノイジーって呼ぶのはやめてほしいな。僕には、サイレンスって言う、立派な名前があるんだ」



 フリーは肩をすくめると、にやりと笑った。



「たぶん、誰もその名前を呼びたがらないと思うぞ? いくらなんでも、おまえの名前がサイレンスなんて、冗談が過ぎる。いや、おまえの両親に文句を言うわけじゃないがね」



 フリーの言い草にぷうっとほほを膨らませた、詩人のノイジーことサイレンスは、それでも生来、黙っていられないのだろう、フリーに向かって口を開く。



「それで? 君のような物騒な男が、この平和なムラに何の用だい?」


「手伝って欲しいことがあるんだ」



 

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