猫使いと魔導師(2)
第四話です。
天地が30メートル、左右に50メートル、奥行きはゆうに100メートル。
その巨大な空間は、壊れた窓や床の隙間から這い出した、たくましい植物達によって覆われている。
そんな緑色のなかに、真っ白な白骨がゴロゴロと転がっていた。
「ひどい……」
驚愕から覚めやらぬ男は、唖然としたままそれだけをようやく口にした。
瞳からは、今にも涙がこぼれ落ちてきそうである。
ゆっくりと膝を突くと、男は足元の白骨の山から、髑髏をひとつ拾い上げた。
「ああ……」
思わず漏れたため息は、強烈な腐敗臭の漂う広大な空間に、音もなく吸い込まれてゆく。
男の手にある髑髏。
その小さな髑髏は、人間の物ではなかった。
人間よりずっと小さな生き物。
猫。
それは、そう呼ばれていた。
「こんな所に閉じ込められて、それでもおまえ達は食い合いもせず、ただ死んでいったのか……」
男の瞳から、ついにひと筋の涙が伝う。
「なんと言う、誇り高い姿だ……」
刹那。
「ははははははっ! 誇り高いだと? 相変わらずキサマら猫使いは、笑わせてくれる」
驚いて振り返った男の視線の先には。
魔導師特有の神経質さと、肋骨が浮き出しそうなほど痩せた身体をもつ、銀髪の男が立っていた。高級なスーツに身を包んでいるが、服の中で泳いでいるような滑稽さは否めない。
泣いていた男の、肉食獣のように獰猛でしなやかな身体と比して。
その矮躯は余計に、際立って見えた。
「ストリーク! キサマっ!」
「フリー。自由の名をもつ、はぐれ猫使い。久しぶりだな? 詩人は見つかったのか?」
「キサマこそはぐれの、それも黒魔導師だろうが。キサマか? キサマが猫達にこんなことを……」
怒りに双眸を燃え立たせながら、男―――フリーが魔導師をにらむ。
「俺は、猫が嫌いなんだよ。猫使いもな。閉じ込めて食い合いさせてやろうと思ったら、このバカ猫ども、にゃあにゃあ泣きながら餓死しやがった。まったく、バカな畜生どもだよ」
「バカはキサマだ……こいつらの味わった苦痛の 、何倍もの痛みを貴様に味あわせてやる。これだけの仲間を殺しておいて、逃げられるなんて甘い期待は持たない方がいいぞ?」
歯ぎしりしていたフリーは、ゆっくりと立ち上がった。
その姿をゴミでも見るように眺めながら、魔導師は嘲笑する。
「キサマも仲間のところに送ってやるよ。一緒に、にゃあにゃあ泣きつづけろ。はははは……」
「俺は……喜んでお前を殺す……地獄で俺の仲間に詫びるがいい」
フリーの瞳からは、先ほど猫達に向けた優しい色が、もはや完全に消えていた。
それは、獲物を狙う虎の目であった。
しかし、銀髪の黒魔導師ストリークは、落ち着いて、その殺気を受け流している。
フリーの全身に、力がみなぎる。たわんだバネを思わせる、巨大な力と爆発を内包した静寂が、あたりに満ち溢れる。
その様子に目を細めると、ストリークは唇の端をゆがめた。
「バカが。キサマごときチンピラ猫使いが、俺に勝てるとでも思っているのか?」
「普段、そこらで遭遇したんなら、無理だろう。それは認める」
フリーは静かにうなずいた。
「だが、今、ここでなら、話は別だ。猫使いが猫を操るだけの、単なる動物使いじゃないことを、身を持って知るがいい」
「ふんっ」
鼻を鳴らしたストリークに向かって、突如、フリーが飛んだ。
いや、跳ねた、はじけた、と言った方がいいかもしれない。
彼我の距離は、一瞬にしてゼロになる。
まったく動こうとしないまま、薄笑いを浮かべていたストリークは。
フリーの身体が己の張った結界をやすやすと越えた瞬間、驚愕の表情を浮かべた。浮かべた瞬間には、フリーの凶悪な右手が、ストリークの高級スーツを引き裂いた。
ストリークの胸に 四本の裂傷が斜めに走る。
続いて首筋に噛み付こうとするフリーのアギトを、間一髪逃れるとそのまま転がって距離を取る。
「くそっ、まるっきり獣の戦い方だ! キサマっ! 何で私の結界に……」
黒魔導師に皆まで言わせず、フリーはその矮躯に飛び掛る。
かみ殺そうとする開いたその口からは、獣の咆哮が漏れた。
「うぉぉぉぉっ!」
「ちぃっ!」
舌打ちしながらフリーの攻撃を避けると、ストリークは魔道のスペルを唱え始めた。
「T:a+~a=I足りえるユニバースにおけるT1:ICa+~a足るXをここに出現せしめたし。なんとなれば……」
スペルを唱えるストリークには構わず、フリーは、たわめた身体の力を思いっきり解放し た。
次の瞬間。
フリーは身体ごとストリークの身体を突き抜ける。
踏みとどまって振り返ると、確かにストリークはそこにいる。いぶかしみながらもう一度飛び掛るが、結果は先ほどと同じだった。
「俺の周りだけ、次元を変えさせてもらったよ。『集合Aと非Aが世界全体』という世界から、俺の周りだけ『世界全体を含む』という風にな。まあ、畜生に講義しても始まらないが」
胸に走った四本の傷に触れながら、ストリークは嫌味な笑いを浮かべていた。
フリーは歯をむき出しながら、視線で殺せるものなら殺してしまいたいとばかりに、ストリークをにらみつける。
「面倒だから、こっちの次元にしばらく留まることにしよう。俺の結界を破るとは、どうやら、キサマも単純な畜生というわけでもなさそうだからな」
「逃げるかっ! ストリーク!」
「逃げはしない。この胸の傷のお礼をしに、必ず戻るさ」
歯噛みするフリーを尻目に、ストリークの身体が段々ぼやけ始める。
と、次の瞬間には、消え去っていた。
ストリークのいた空間には、猫のなきがらの山が残るばかりである。
しばらく唖然としていたフリーは、ふと気付くと、猫の白骨の山に優しく話し掛けた。
「ココには大地がない。風がない。空がない。お前達のいるべきところではないよ。さあ帰ろう、あの大地へ」
優しく穏やかな微笑を浮かべながら。
フリーはまた、涙をひと筋流す。
顔を伏せたまま、白骨を抱いている。
幾ばくかの時が流れた。
フリーは、ゆっくりと顔を上げる。
穏やかな微笑みは消えて、猛獣の顔が出現していた。
「ストリーク……逃すものか。戻ってくるだと?……俺の方から訪ねて行ってやるよ……」
獣は白骨と化した仲間に誓った。