表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/25

猫使いと魔導師(1)

第三話です。

 

 短い夜が明けた。


 この頃めっきり勤勉になった太陽が、いそいそと顔を出す。


 うっそうとしげる木々と、彼らの苗床であるコンクリートの廃墟が、慈しむかのようなその光に照らされている。


 もっとも、それもほんの一時の事だ。


 季節が季節だけに、あと幾時もしないうちギラギラとあたり構わず焦がされ始めるだろう。


 この季節の太陽に、慈しみを感じる事は難しい。


 優しい太陽などと言うものは、遥か遠い昔のおとぎ話でしかないのである。



きいきい……きいきい……きいきい……



「……うん?」



 やかましくさえずり出したアサナキの声に起こされて、男は半分眠った顔でのっそりと上体を起こした。下半身は寝袋の中に突っ込んだままである。



「……あん?……どこだっけ、ここ」



 気の抜けた調子で誰にともなくつぶやく。


 もっとも、あちこち崩れたコンクリートの建物の群れの中にも、それらを包み込んで生い茂る個性豊かな植物たちの中にも、男の問いに答える者はいない。


 アサナキのきいきいという鳴き声だけが、あたりに響きわたる。


 男は頭をぼりぼりと掻きながら、のっそり寝袋からはい出した。


 小男とまではいかないが、かと言って決して大男ではない。


 はっきりとした目鼻立ちの顔は、長旅のため汗と脂で汚れている。ぼさぼさと伸びた髪は彼自身の中指ほどの長さだろうか。坊主頭から何の工夫もなく、伸びるままに任せただけなのだろう。


 粗末な黒いTシャツの上にほころびだらけのGジャンを引っ掛けている。下半身を包むのは、たっぷりとわたり幅のある、太いジーンズ。その腰からは、大ぶりのバッグを提げている。


 そのバッグからタバコを取り出すと、金属のライターで火をつけた。煙を旨そうに吸い込むと、ゆっくりと吐き出す。


 そこでようやく、アタマがハッキリしてきたようで、自嘲気味に笑うと、つぶやいた。



「ああ、そうか。火も焚かねえまんま寝ちまったんだっけ。危ねえなあ。イヌが出なくてよかった」



 つぶやきながら吐き出した煙は、低くたなびきながら渦を巻く。紫がかった煙が、コンクリートと、それに絡みつく植物によって作られる、巨大な人工の森へ吸い込まれてゆく。


 男は大きく伸びをすると、煙の消えてゆく方を眺めて目を細めた。



「どうにも、何にもなさそうなトコだな。一応ムラみてえだが……」



 男の立っているアスファルトの道路は、森の奥に向かってまっすぐ吸い込まれている。


 真後ろから差し込む朝日が、その道の上に長い影を落としている。視線の先には、何本かの煙が上がっていた。あさげの支度をしているのだろう。強烈な太陽光を避けるため、ムラはたいてい森の中に作られる。


 男は、ムラに向かってゆっくりと歩き出した。



きいきい……きいきい……



 アサナキが一層激しく鳴きだした。


 日差しが強くなるころには、しかし、彼らの声も聞こえなくなるはずである。



ひょうっ!



 男の頭の上を一羽のアサナキの雄が、かすめて飛んで行く。そのスピードは、普通の人間の目で捕らえることはできない。


 アサナキは大変好奇心が強く賢い鳥だが、それだけにまた、非常にいたずら好きだ。しかも、その尋常ならざるスピードのため、捕らえるのがかなり困難な鳥なのである。


 故に、ムラの人々には害鳥として嫌われている。



ひょうっ!



 今朝に限ってヤケにはしゃいでいたそのアサナキは、もう一度男の頭上をかすめようとした。


 刹那。



ぱしっ!



 音がした時にはすでに、お調子者のアサナキが、男の手に捕らえられていた。


 頭上をかすめて飛ぶアサナキを素手で捕らえるというのは、飛んでくる弓矢をつかむくらい難しい事である。誰よりも、捕まったアサナキ自身が信じられぬとばかりに、きいきいと泣いていた。



「おし。とりあえず朝飯にするか」



 のんきな口調でつぶやいた男は、大きなあくびをひとつ。


 あくびのために出てきた涙をぬぐう時には、不運なアサナキは首をひねられていた。男はそのままアサナキをぶら下げて、ふらふらと歩いて行く。


 小首をかしげながら 、男はのんびりと何かを捜しているようであった。


 ふと、男が立ち止まった。


 コンクリートの瓦礫の中に、何か彼にしか解らない印を見つけたのか、満足げにうなづく。男は、ひょいとアサナキのなきがらを放り投げた。


 そのまま2、3歩さがって様子を見ている。


 と。



なぁぁぁぁお



 一匹の黒猫が姿を現した。


 しなやかな体に、つやつやした黒く短い毛を持った、美しい猫である。



「へへへ、やっぱりいたか。お近づきのしるしだ、食べてくれ」



 にやにやしたまま、男は猫に話しかけた。


 美しい黒猫はしばらくの間、男とアサナキのむくろを見比べている。


 そんな黒猫の姿を、嬉しそうに目を細めて見つめながら、



るぅぅぅるうぅぅぅぅ……



 男が奇妙な声でうなり始めた。


 突然の声に、一瞬、驚いて逃げかけた黒猫は、しかし、ふと足を止める。


 それから、今度は魅入られたように男の顔を見つめた。



あぉん



 小さく鳴いた黒猫は、アサナキのむくろをくわえると、軽やかに歩き出した。


 軽快に歩く黒猫の後を、男はひょいひょいと無造作について行く。瓦礫に覆われた、道とは呼べない道を駆け抜ける黒猫の後を、体重を持たないかのように軽々とトレースしてゆく。


 その姿は、まるで大きな猫のようだ。


 黒猫は時々立ち止まると男を振り返り、男が苦もなくついてくるのを確認する。


 そして男の姿が見えると、アサナキのむくろを落とさないように気をつけながら、満足したように小さく鳴いてまた走り出す。猫が振り返るたびに男は、るぅるぅ、と不思議な声を上げながら優しい目で黒猫にうなづいて見せる。


 ランデヴーは、崩れの少ない廃墟の前で、黒猫が立ち止まるまで続いた。


 もっとも、崩れが少ないとは言え百年も前に放棄されたその建物は、もはや人が暮らしていた痕跡もほとんど留めていない。少し大きな地震が来れば、今度こそ百年の忍耐も限界に達するであろう。


 ひび割れた外壁を苗床に、幾種類もの植物がまとわりついている。


 その姿は、荘厳とさえ言えた。



「へえ、これがお前の家かい。なかなか素敵だ」



 男はにやりと笑うと、黒猫に向かって片目をつぶった。



あぉん



 アサナキをくわえたまま一声鳴いた黒猫は、男に軽く一瞥をくれる。


 と、それっきりまるで興味を失ったかのようにコンクリートの陰に消えた。



「あら、最後まで案内してくれんじゃねえんだ。冷てえなあ」



 苦笑しながらつぶやくと、男は目の前の廃墟を見上げた。



るうぅぅぅるうぅぅぅ



 またも不思議な声を上げながら、男はゆっくりと廃墟の入口に近付く。あいかわらず、足音ひとつ立てない軽い足取りである。


 やがて入口までたどり着いた男は、そこでハタと立ち止まった。


 軽い驚愕に目を見開いている。


 男の見つめる先……廃墟の入口には、ただならぬ気配が漂っていた。



「これは……」



 いや、それは気配などと言う、不鮮明なものでは断じてない。


 臭気という、はっきりとした刺激である。


 明らかな腐敗臭が、その崩れかけたコンクリートの洞窟の中から漂ってくるのである。



「お、遅かったかっ?」



 男は、コレまでの呑気な調子をかなぐり捨てると、人工の洞窟の中へ駆け出してゆく。


 瓦礫の山を、今までの数倍の速度で飛び越えながら、男は腐敗臭の元へ向かって懸命に走る。


 やがて、かつては廊下であったろう、その洞窟を抜けた瞬間、



 空間



 広大な空間が、彼の眼前に広がっていた。


 その空間には、かつて、たくさんの人が集まり、それぞれ思い思いの運動に興じていたはずなのだが、今ではその痕跡はまったく感じられない。


 男は驚愕のあまり、その場に凍り付いていた。


 男を凍りつかせたのは、しかし、その空間の広大さではない。


 彼を驚愕させたのは、あたりを埋め尽くした……



 骨、骨、骨



 白骨の山だった。



 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ