決戦(4)
第20話です。
ストリークと、詩人サイレンス・ザ・ポエットが対峙している。
黒魔導師の精神攻撃により、心の焦点を失った魔導師エデレンと、彼女を抱きしめる猫使い。
そして、その周りを囲むストリークの手下と、さらにそれを包囲する、対ストリーク組織の面々。
炎に照らされる中、忘我のエデレンと彼女を抱くフリー以外、その場の全ての視線が、ストリークと詩人の対決に注がれていた。
「ストリーク、おまえはもう終わりだよ」
詩人がつぶやくように言うと、黒魔導師は唇をゆがめて哂う。
「詩人風情が、ずいぶんと大げさな口を叩くものだ。猫使いにはクズ魔導師の鎖がついた。たった一人のキサマに、何が出来る?」
黒魔導師の言葉に、サイレンスはちらりと視線を移す。
確かに、猫使いフリーがエデレンを抱きしめている様は、鎖をつけられていると言っていいかもしれない。少なくとも片腕に女ひとりを抱えて戦えるほど、甘い相手ではない。
「だが、おまえらが包囲されていることには変わりない」
言いながらも、その事実が決して黒魔導師を縛る枷ではないことを、サイレンス自身がわかっていた。万が一のとき、黒魔導師が彼の部下を救う方向へ動くとは考えられない。
自分ひとり、別の次元に逃れてしまうだろう。
だが、今なら。
猫たちの焼かれた灰が飛び交う今なら、次元移動のようなデリケートな魔道を使うことは出来ないだろう。サイレンスはそこまで考えて、もう一度魔導師をキッと睨む。
「ストリーク、ケリをつける時が来たようだ」
饒舌な彼には珍しくそのヒトコトだけ言うと、サイレンスは天を仰いだ。
「風よ、大地を渡る自由な風よ。そして風の巫女たちよ。今このとき、ああ、まさに今このとき、汝らの安息のとき。さあ、ここで翼を休めるがいい。さあ、ここで穏やかに眠るがいい。永遠に世の界を流れゆく汝らの、今このときこの場所が、たった一つの安息の地なれば。今このときこの場所が、約束の安息の地なれば」
サイレンスの言の葉とともに、ごうごうと吹き上げていた炎が穏やかになり、炎の熱で発生していた激しい上昇気流が、ゆるりと速度を鈍らせる。
やがて。
吹き付ける風が、止まった。
いや、心を落ち着けて感じれば、止まってはいない。
風は詩人を中心に、驚くほどゆっくりと渦を巻きはじめたのだ。
「ふん、小癪な」
鼻で笑う風を装いつつも、ストリークの表情は幾分険しい。
「くそっ、さすがに猫の灰がコレだけ多いと、ボクの詩も効力が薄いか。詩も、魔道も、基本の理屈は同じだからな。しかし、なんとか風を集めた。灰はここに集まり、静かに回り続ける」
厳しい表情でそう言い放つと、サイレンスはフリーを見た。
「フリー!」
エデレンを抱きしめたまま固まっていたフリーは、その叫びに驚いて顔を上げる。
それからゆっくりとうなずくと、エデレンをその場に座らせて立ち上がった。
身体全体から、獣気がにじみ出ている。
そう、フリーは怒っていた。
黒魔導師のエデレンに対するあまりに残虐な行為に、激昂を通り越し、この南極大陸に広がる氷原のような冷たい怒りを、その腹の中に凝り固めていた。
「ストリィィィィク……」
聞かされたその場の全員の背中に、冷たい戦慄が走る。
全身に撓んだ獣気が満ちた次の瞬間。
びょうっ! と言う鋭い風切音とともにフリーが飛ぶ。
猫の灰で弱まっていたストリークの結界を難なく突破し、フリーのカギに曲げられた指先は、獣の爪となって襲い掛かる。間一髪、身を翻した黒魔導師は、額にしわを寄せて独り言ちる。
「ちぃ。また猫になりきったか。厄介な」
猫に、魔道は効かない。
ゆえにここまで猫になりきった猫使いにも、まったく効かないとまでは言わなくとも、魔道が効きづらくなる。フリーの世界で猫使いが魔導師と肩を並べるのは、そういう理由があるのだった。
すばやくスペル(呪文)を唱えると、ストリークは何もない空間を驚くほどの速度で駆け上がった。正確にはその場所と近い、別の次元にある階段か何かを登ったのである。
そのまま宙に浮いた(ように見える)黒魔導師は、今度は大きな声でスペルを唱えると、最後に叫んだ。
「生か死か。選ぶがいい」
ぎゃぁっ!
突然、あちらこちらから悲鳴が上がる。
悲鳴をあげたストリークの部下たちは、驚 く反ストリーク組織の人々に襲い掛かった。
尻に火がついたように、いや、実際に尻に火をかけられた彼らは、必死の形相で飛び掛ってくる。
ストリークが部下たちの耳元で『生き残りたければ敵を殺せ』と言う言葉を聞かせたあと、彼らの背中や尻に火をつけたのだ。
生物の根源的な恐怖をあおる火を使ったのは、それが一番効果的だからだろう。
ストリークの部下は、いまや恐怖と憎悪に駆られて、目に入る人間に片っ端から襲い掛かる。
反ストリーク組織の面々ももちろん応戦したのだが、浮き足立っている彼らと、生死をかけているストリークの部下たちでは、勢いに雲泥の差があるのは否めない。
数で数倍する彼らは、しかし、必死の男たちに追い立てられて、徐々に形勢を悪化させた。
その混乱の中、ネネが叫ぶ。
「落ち着いて! 距離を詰められる前に撃って!」
彼女の叫びに我にかえった何人かが、ゴム弾を連射する機関銃を撃ち始めた。しかし、恐怖に我を忘れる連中には、威嚇の効果はない。実際に一人一人を打ち倒してゆくしかないのだ。
銃器の怖さは、その内包する威圧感によるところが大きい。
多数の人間を少数の人間が、銃器を持つことによって制圧出来るのは、制圧される側が『充分な知識と判断力を持っている』ため、銃器の与える確実な死に対して、恐怖してしまうからだ。
つまり恐怖を持たないものが相手となれば、1対1での虱潰しを強いられる。
相手がこちらに持った戦意を失わない場合、完全な制圧はかなり困難なことになる。殺虫剤を持ったとしても、襲いくる数百の虫の群れと戦うのが難しいのと同じことだ。
「いかん、ジリ貧だ」
サイレンスが舌打ちする。
フリーは完全に猫科の猛獣となって、宙に浮かぶ黒魔導師に何とか襲い掛かろうと、むなしく飛びつき続けている。黒魔導師の目には、いまや余裕の笑みさえ浮かんでいた。
しばらくそうして辺りを睥睨した後、やがてストリークは何事か呪文を唱え始める。
「いかんっ! ヤツにスペリングさせるな」
サイレンスが叫ぶが、そのときすでにストリークの身体の半ばは、真っ黒な霧に覆われてしまっていた。液体のごとき粘度を持った霧は、どろどろと彼の身体を覆ってゆく。
ほどなくしてストリークは黒い霧の中へ、完全に消え去った。
「くそっ! 逃げる気だぞっ!」
サイレンスが焦燥の叫びを上げる。
その叫びに我に返ったフリーも、今はただ、黒い霧をにらみつけるしかない。
そんな間にも、正気を失ったストリークの部下達によって、反ストリーク組織の面々が打ち倒されてゆく。
「くそっ! 向こうもまずいな。彼らはゴム弾なのに、相手は本物の武器を持っている。このままじゃ全滅だ……フリー! 彼らを助けるんだ。ストリークは僕が絶対に逃がさない」
「冗談じゃない! 俺の知ったことか! 俺はストリークを殺るためだけに、ここにいるんだ。おまえが助けにいけっ!」
「このわからず屋めっ」
と、二人のやり取りをかき消して大音声が響き渡る。
「誰が逃げるだとっ! この大魔導師ストリーク様が、なぜ貴様らごときちんぴら猫使いやキチガイ詩人を相手に、逃げなくてはならんのだ。痴れ者がっ! うぬぼれるなっ!」
黒い霧がぱあっとまさに霧散し、中から人影が現れる。
「ストリーク!」
「猫使いに詩人よ。まったく哀れな連中だな。本来なら、私が手を下すまでもない。キサマらのごときクズは、そのまま私の部下どもに殺されるのがお似合いだ。だが、ここまで来た褒美に、私に直接殺される栄誉を与えてやろう」
黒魔導師は哄笑とともにふわりと降りてくる。
「ストリィィィク……降りてくるとはいい度胸だ。必ず殺してやるぞ」
フリーの瞳に、また炎が燃え盛る。
しかし、サイレンスは黒魔導師ばかりを見ているわけには行かなかった。
反ストリーク組織の連中が敗色濃厚だからだ。
「くそっ! このままじゃみんな殺られちまうよ。フリーはまたキれちまってるし、僕の言の葉じゃこの大人数を救うのは無理だし、あぁ、いったいどうしたらいいんだよっ!」
サイレンスが絶望の叫びを上げた瞬間。
ぱあぁぁぁん!
空気をふるわせるほどの大きな音が響いた。
一瞬、あたりの時間が止まり。
空気がぴんと張り詰める。
そして……
「大丈夫。誰も殺させない」
穏やかな、しかし、力に満ちた声が響いた。




