聖母
妖精王国で食事をしてからアビスと一緒に外へ出た。
ハーミアを一人残していくのは少々心配だが、これから向かうローズガーデンはすぐ近くだし、本人も「大丈夫です!」と力強く言っていたから少しの時間なら問題ないだろう。
それはそれとして、アビスに言っておきたいことがある。
「アビスは食事をとる必要がないよな? なんで食べた?」
「特に食事をする必要はありませんが、あれは私に提供された食事ですよね? なんでと言われたら、召し上がってくださいと言われたからです。怒ってるんですか?」
「怒ってない。ただ、二人分食べようと心に決めていたのに、アビスに食べられたからちょっとモヤっとしただけだ」
アビスは呆れた顔をしている。
「私に料理の良し悪しは分かりません。ですが、食べていた時のフェル様の顔を見た限り、とても美味しかったようですね。終始笑顔でしたから……だから怒ってるんですよね?」
「だから怒ってない。でも、確かに美味しかった。私の記憶にあるニアの料理よりは相当劣るだろう。だが、懐かしいと思えるだけの味だった。どちらかと言うとヤトの料理に似ていたかも。これからもっと料理の勉強をすれば、いずれニアと同じだけの味を再現できるかもしれないな」
その日が待ち遠しい。それともハーミアの母親ならもっとニアの料理を再現できるのだろうか。体調が良くなったらお願いしてみよう。
「ハーミア様にそれを言ったら喜んでましたね。いつかフェルさんの記憶にあるご先祖様の味を再現して見せます、と張り切っておいででした」
「ニアの料理を完全に再現する必要はないけどな。でも、ハーミアも色々ストレスが溜まっていた感じだったから、料理でストレスを発散できるならいいと思う。それに魔眼でスキルを見たわけじゃないが、ニアの料理をあそこまで再現できるなら、それなりの料理スキルを持っているはず。これからは頻繁に通わないとな」
不老不死の私は食事をしなくても死ぬことはない。お腹は減るが、魔力で体が維持されるので、アビスと同じように食事をする必要はないんだ。でも、美味しい料理を食べたいと思う。三百年以上食べてなかったからな。それを取り返すだけ食べてもいいはずだ。
ハーミアがニアの料理を再現できなくてもいい。ニアの料理はニアにしか作れない。ヤトがニアの教えから独自の料理を派生させたように、ハーミアも独自の料理を作り上げて欲しいものだ。
それはこれからのお楽しみと言う事で今後に期待しよう。
今は今でやることをやらないとな。私の楽しみのためにもシシュティ商会と不死教団には潰れて貰わないと。
そんなことを考えていたら、リエルの建てた孤児院、ローズガーデンに着いた。というか宿とニャントリオンの間だけど。
ここもあの頃と変わっていないな。
当時、ここの出身者は優秀であるということが知れ渡って、孤児でもないのにここへ預けたいという奴らも多かった。
一時期は貴族から第四子とか第五子を預けたいとか言ってきたそうだが、当然リエルは承知しなかった。「父親か母親が健在な子供の親にはならねぇ」とか言って追い返していたな。
だが、それほどの場所も今は中傷されているらしい。孤児院というよりもリエルが色々と悪く言われているそうだ。
アビスから聞いた話では、人界中で聖人教が良くない宗教だという話が出回っているらしい。
聖人教の聖人には序列がある。それは信仰されている信者の数に影響されるのだが、序列第一位は聖母リエルだ。そのリエルが何やらいわれなきことで中傷されていて、それが影響して聖人教がダメな宗教だと言われている。
どうやら不死教団がやっているらしいが、それ以外にも聖人教内部で派閥争いとか色々とあるそうで、徐々に聖人教は衰退しているとのことだ。
聖人教自体も色々と手を入れないといけないようだが、まずはローズガーデンからだな。ここは聖母リエルの派閥にとって聖地とも言うべき場所だ。まずはそこを守ろう。
入り口からローズガーデンへ入った。
そこそこ大きなエントランスで、正面にはリエルの肖像画がある。確か絵のタイトルは「祈り」だった。でも、あれは寝ている時の姿だ。アイツは亡くなった後も私にツッコミを入れさせる……まったく、困った奴だ。
そんなことを考えていたら、奥にある扉から五人の男達が出てきた。
そして最後にシスターが出てくる。見た感じ怒っているようだが、なにかあったのだろうか。
シスターは男達に向かって手で追い払うようにしている。
「とっととお帰りください。ここは聖母様が建てた孤児院。私達の聖域です。不死教団とかいう輩が足を踏み入れていい場所ではありません」
「やれやれシスターも強情だ。何度も言いますが、人を信仰するなど、神への冒涜です。悔い改めなさい。そうしなければ不幸な事が起きるかもしれませんよ?」
不死教団? あの五人の男達は不死教団なのか?
「それは脅しですか? そのような脅しに屈することはないとだけ言っておきます」
「その強気がいつまで続くか見ものですね」
「お前達のその強気もいつまで続くのか見ものだな」
なんとなく介入した方がいいと思って割り込んだ。シスターも五人の男達も私の方を胡散臭そうに見ている。
「魔族? 魔族の方がここへ何の用でしょうか? 用がないならお帰りください」
「シシュティ商会に誰か依頼したのか? 今日の護衛は不要と伝えていたはずだが」
シスターからは敵意を感じる。そして男達からは仲間の様に思われているようだ。魔族はシシュティ商会に従っていると思われているのだろう。そこから否定しないとダメだな。
「私はシシュティ商会とは関係がない。ここには個人的な理由で来ただけだ」
シスターは首を横に振った。
「シシュティ商会に関係のない魔族なんていません。あの商会も不死教団と繋がっているのでしょう? なら、貴方もここへ足を踏み入れる資格はありません。とっとと出て行ってください」
取り付く島もないとは、まさにこのこと。魔族という事で目の敵にされている感じが懐かしいな。
でも、どうするか。どうにかして味方だと思わせたいのだが……そうだ。あれが亜空間にある。
シスターに近寄って、亜空間から取り出した手紙を見せた。
「なんですか……? こ、これは……!」
シスターが手紙を読んで震えだした。手紙を顔に近づけて、穴が開きそうなほど見ている。
「昔、リエルから貰った手紙だ。署名もあるだろ。正真正銘リエルの手紙だ」
「わ、分かります! こ、この筆跡は間違いなくリエル様の……! なら、貴方は聖母様の真の親友であられるフェル様ですか! ああ、聖母様は私達に救世主を遣わしてくださったのですね!」
真の親友はまだいいとしても救世主ときた。そういうのは勇者に付ける称号じゃないのか。
「別にリエルに遣わされたわけじゃないが、色々と困っていると聞いたからな」
「なんとありがたい! これも聖母様のおかげですね!」
リエルは関係ないんだけど……いや、関係あるのか? 一応、親友としてここに来ている訳だし……でも、なんとなく微妙な気分だ。
「貴方がフェル様でしたか。お噂は聞いております」
不死教団の一人がお辞儀をした。意外に礼儀正しいな。でも噂ってなんだ?
「どんな噂だ?」
「我らの神から不老不死の祝福を与えられた唯一の魔族だそうですね? 貴方は本来、我々の側でしょう? さあ、我らの教団へいらしてください。神も、それに教皇様もそれを望んでおります」
不老不死を与えられた魔族、か。それは正しいが、これは間違っても祝福ではない。
「不老不死は祝福じゃない。呪いだ。それに神だと? アイツは神をかたっているだけの偽物だ。お前達はそんな偽物の神を信仰しているのか?」
私も魔神という名前を持っているが、神として振る舞っているわけじゃない。これは称号みたいなものだ。
「人を不老不死にする、そんなことをできるのが神でなくてなんだというのですか? そして貴方が不老不死であることが、イブ様が神である証明。さあ、教団へいらしてください。イブ様が降臨されるその日までフェル様が我々を導くことが正しい事なのです」
「なるほど、不死教団の神の名前はイブで間違いないようだな。アイツがお前達を操っているのか……ならお前達は間違いなく私の敵だ。不老不死などという呪いをかけた奴の教団を私が導く訳がない」
「なぜ不老不死を呪いなどと言うのです? 不老不死こそが死を持つ生物達全員の夢ではありませんか」
「不老不死が夢? そんなわけがあるか。死が訪れるから人は懸命に生きる。死なないだけでいいなら、アンデッドにでもなってろ。それにお前は想像したことがないのか? 自分を残して皆が亡くなっていくのを見るのがどれほど辛いものだと思ってる。知り合いが一人一人いなくなるのが、どれほど心を壊していくのか分からないのか?」
「そう、そこですよ」
男が意を得たとばかりに微笑んでいる。なにが、そこ、なんだ?
「フェル様は一人で不老不死だから辛いのです。ですが、全員が不老不死ならどうでしょうか? 親しい人と永遠に暮らしていけるのですよ? それは素晴らしいと思いませんか? 我々不死教団が目指すのはそういう理想郷なのです」
全員が不老不死? なるほど、誰も死なずに永遠に幸せのまま暮らしていけると言う事か……だが、その末路を私は知っている。
「残念だが永遠の幸せなんてない。魔界の事を知っているか? あの場所は不老不死の者達が住む場所だった。でも今は誰もいない。一人を残して全滅したからな。全員が不老不死だったとしてもいつかは滅びるんだ、いや、不老不死を実現したから滅びたんだと思う」
その事実を知らなかったのだろうか。男達は動揺しているようだ。
「不老不死を求めるな。お前達にも大事にしたい人がいるだろう? こんなことをしている暇があったら、その人とできるだけ一緒にいた方が有意義だぞ。人生は短い。時間を無駄にできるほど、お前達には余裕があるのか?」
「……今日のところは引き下がりましょう。ですが、貴方を諦めた訳ではありません。すべてはイブ様の御心のままに」
一人がそう言うと、男達も「すべてはイブ様の御心のままに」と唱和した。
そして男達は孤児院を後にした。
アイツらの心に響いてくれたかどうかは分からない。だけど今はこの程度でいいか。
「あんな奴らボコボコにしてくださっても良かったのに」
「シスターなのに過激だな」
「聖母様が、『やられたらやり返す。徹底的に。禍根は残さない』という言葉をお好きだったようで、私達もそれにならっております。大体ですね、アイツらは聖母様の事をなんて言ったと思います!?」
シスターがいきなりエキサイトしている。どうしたのだろう。
「なんて言ったんだ?」
「聖母様を裸エプロンで誰にでも求婚するようなはしたない女だと、そう言ったんですよ! 一体何を考えているのでしょうか! 聖母様は、お優しく、純粋で、まるで古典に出てくる天使様のような女性だと言うのに!」
「あー……」
「フェルさんもひどいと思いませんか!」
「……思うぞ。すごく思う。まったくひどい話だな――アビス、そんな目で見るな。言いたいことがあるなら後で聞くから」
「いえ、特に言いたいことはありません。私もひどい話だと思います」
良かった。アビスも私と同じように空気を読んでくれた。
でも、リエルの評価ってなんでこんなことになっているんだろうか。おそらく、周囲が都合よく解釈しているんだろう。悪く思われているよりは遥かにマシだけど、地面を掘ってそこに大声でぶちまけたい気分になる。
「まあ、それはもういいです。フェルさん、良かったら聖母様の事を子供達に聞かせてあげてくれませんか。もちろん私も聞きたいです。ちなみにこの手紙は聖母様の聖遺物として展示していいですか?」
「話をするのはいいが、手紙は返してくれ。私宛の手紙だし、私にとっても大事な物だからな」
「残念です……」
「そう言いながら懐にしまうんじゃない。返せ」
その後、子供達にリエルの話をしてやった。夢を壊したくないので色々と脚色したけど、大まかには合っているはずだ。リエルは色々と残念なところがあったが、それを上回るほどのいいところが多かったからな。
ちょっと盛り過ぎた気もするけど、まあいいか。




