冬
ソドゴラに何度目かの冬がやって来た。
いや、ソドゴラの名前はもう使われていない。今やここは迷宮都市と呼ばれている。
迷宮都市とは通称であるが、そちらの方が有名になってしまった。アビスという一攫千金が狙える迷宮がある都市ということらしい。ソドゴラという名称で呼ぶ者はもういないだろう。
久しぶりに歩く迷宮都市は活気に満ち溢れている。私の気分とは真逆だ。周りがどんなに活気づいていても、私の気分が晴れることはないだろう。
大きく息を吐いた。白い吐息が口から吐き出される。空を見上げると一面灰色の雲に覆われていた。もしかしたら雪が降るかもしれないな。
まあいい。早く用件を済ませよう。今日は珍しく予定が多いからな。
目的地である妖精王国へ着いた。食堂は冒険者達で溢れかえっている。
機嫌が良さそうに酒を飲んでいる者、カップルのような男女、戦利品を分配している冒険者達、多くの人がいるが、その大半は笑顔だ。でも、そこに私の知り合いはいない。
「いらっしゃいませー。ご案内しますねー」
ここで働くウェイトレスだろう。席に案内してくれるようだ。だが、私にはいつもの席がある。
「すまないが、座る席は決めてるんだ。勝手に座らせてもらうぞ」
「そうでしたかー。空いている席でしたらどこでも大丈夫ですよー。では、ごゆっくりー」
随分と語尾を伸ばす人族だが、以前も見かけた気がする。でも、以前来たのは相当前だ。言葉遣いとは裏腹に、ウェイトレス歴が長いベテランなのだろう。
いつものテーブルに座ろうとしたら、そこには先客がいた。知らない奴らだ。おそらく冒険者なのだろう。
仕方ない。退いてくれと言う訳にもいかないので、端っこの方にあるテーブルを使う事にした。そして、ウェイトレスにリンゴジュースを頼む。
今日、ミトルと会う約束がある。リンゴを持ってくるとのことだが、珍しい事だ。いつもなら別のエルフが持ってきてくれる。なぜ今回に限ってミトルが持ってきてくれるのだろう?
もしかしたらリンゴのこと以外にも話があるのだろうか。普段はアビスの中でリンゴを受け取るのだが、妖精王国へ来てくれと言われた。アビスの中でも話はできるはずだが、ここへ呼んだということはアビスに聞かれたくないのかもしれない。
リンゴジュースを半分ほど飲んだところで、入り口にミトルが現れた。どうやら一人のようだ。
ミトルは私がいつも座っているテーブルの方を見て首を傾げた。私がそこにいると思ったのだろう。これは呼ばないとダメだな。
「ミトル、こっちだ」
右手を上げてミトルを呼ぶ。ミトルはこちらに気付くと笑顔で近づいてきた。
「よう、今日はこっちなんだな」
「あっちのテーブルは先に取られていたんでな。まあ、たまにはこういうのもいい。座ってくれ」
ミトルは私の正面に座ってから、ウェイトレスに簡単な食事と水を頼んだ。そして私の方に笑いかけてきた。
「久しぶりだな。フェルは元気だったか?」
「ああ、久しぶり。まあ、元気だぞ。元々病気になってもすぐに治るほうだからな」
「そっちの話じゃねーんだけど……まあいいか。それよりも悪いな、急に呼びつけちまって」
「別に構わない。ところで何か私に用なのか? ミトルがリンゴを持ってくるのは珍しいよな? もしかしてリンゴ以外の用事があるのか?」
「用事って言うかなんというか。とりあえず、先にリンゴを渡すよ」
ミトルはヴァイアの作った空間魔法が付与されている魔道具からリンゴを取り出してテーブルに置いた。
「フェル、今回でリンゴは最後だ。フェルから貰った装飾品や置物をリンゴや千年樹の木材で払い終わったことになる」
「そうだったのか――ああ、だからミトルが来たのか?」
リンゴの取引をしたのはミトルが最初だった。最初にミトルと契約したようなものだから、最後の締めをミトルがやってくれたのかもしれない。
「それもある。だが、別の話もあってさ。それを言いに来たんだ。皆が俺が言う方がいいって言ったからよ」
「別の話か。どんな話だ?」
なにか欲しい物があるとか、新しい契約をしたいとかいう話なのかもしれない。リンゴはこの食堂でも買えるけど、定期的に貰えるならそっちの方がいいからな。どんな内容にもよるが、できれば叶えてやろう。
ミトルが真面目な顔をして私を見つめた。
「フェル、エルフの村に住まないか?」
「……それは」
「気を悪くしないでほしーんだけどよ。ほら、フェルは――」
「止めてくれ。私はここにいる。他のどこへも行くつもりはない」
ミトルはため息をついてから首を横に振った。そしていつものへらへらした顔になる。
「分かってたけどさ、どーしても言いたかったんだよ。俺達ならまだ大丈夫だからさ。他の皆も歓迎するって言ってたし」
「そうか。心配してくれるのはありがたいと思う。だが、私はここを離れることはない。私が住む場所はここだ。すまないな、気を使わせて」
「いや、いいんだよ。さっきも言ったけど、分かってたからさ。でも、たまには森に遊びに来てくれよ。皆、会いたがってたぜ」
「そうだな。今度土産でも持って訪ねよう……話はそれだけか?」
「それだけだ。でも、一緒に昼飯ぐらいどーよ? 奢るぜ?」
「……今日は止めておく。実はヴァイアに呼ばれたんでな。これからオリン国のエルリガまで行く予定なんだ」
ミトルが目を見開いた。そして脱力する。椅子の背もたれに体を預けるような座り方になった。
「そっか、ヴァイアちゃんも……それは邪魔できねーな。早く行ってやった方がいいぜ?」
「ああ、リンゴの土産ができたからな。ミトルからと言って渡しておいてやる」
「そうして貰えるとありがたいぜ……俺がよろしく言ってたことも伝えておいてくれよ」
「分かった。それじゃ早速向かう。またな」
「……ああ、またな。その、頑張れよ」
ミトルの言葉に頷くだけで応えた。
アビスの中からエルリガへ転移門を開こう。ヴァイアが自宅で待っているはずだ。急がないとな。
転移門を開き、エルリガ近くの高台へ転移した。すぐ近くにはヴァイアの家がある。さっそく向かおう。
今日の朝、ヴァイアから会いたいと念話で連絡があった。
用件は何となく分かってる。何度も同じことをした。今回も同じだろう。できれば想像していない形で私を裏切って欲しい。
一歩一歩、ヴァイアの家に向かって歩いているが、その足が鉛のように重い。地面を踏む音が異様に大きく聞こえる。
時間が掛かったのか掛かっていないのか分からないが、いつの間にかに家の玄関に着いてしまった。意を決して扉をノックする。
『どちら様でしょうか?』
知らない女性の声が聞こえた。随分と若い。
「フェルと言う者だ。ヴァイアに来るように言われたのだが」
『お、お待ちください!』
ガタガタと音がして扉が開いた。そこには一人のメイドが立っている。
話を聞くと、ヴァイアの身の回りの世話をしているらしい。メイドギルドから派遣されているようだ。
「ヴァイア様からお話は伺っております。ご案内するように仰せつかっていますので、どうぞこちらへ」
メイドの案内で家へ招かれた。何度かここへは来たことがあるが、随分と久しぶりだ。結構時間は経ったはずだけど、記憶と差異がないな。そのおかげで、どこへ向かっているのか分かった。どうやら寝室に向かっているようだ。
寝室の扉の前で、メイドがノックをする。
「ヴァイア様、フェル様がお見えになりました」
「入って貰って」
メイドが扉を開けて、私に入る様に促した。
部屋へ足を踏み入れると、メイドが「何かありましたらお呼びください」と言って扉を閉めてしまった。
ヴァイアはベッドの上で横になっていたようだ。私を確認すると、ゆっくりと上半身を起こした。
「フェルちゃん、来てくれたんだね」
「ヴァイアの頼みを聞かないわけがないだろ。ミトルとの約束もあったから午後になってしまったけどな。ああ、ミトルがよろしく言ってたぞ」
「ミトルさんか。懐かしいな。もう一度くらい会いたかったけど、もしかしたら遠慮してくれたのかな」
「多分な」
もう一度くらい会いたかった、か。やっぱりそう言う事なのか。
「ヴァイア、私を呼んだ理由を教えてくれ」
ヴァイアは儚げに笑った。分かっているでしょ、という意味を込めたんだと思う。でも、本人からちゃんと聞くまでは自分の考えを否定したいんだ。
そんな私の気持ちに気付いたのか、ヴァイアが、しょうがないなぁ、みたいな顔をした。
「私もそろそろお迎えが来そうだから、最後にフェルちゃんに会っておきたかったんだ。呼びつけたのは、もう歩くのも大変な歳になっちゃったからだね。でも、百歳にしては元気な方なんだよ?」
ヴァイアは皺だらけの顔で嬉しそうにそんなことを言った。




