魔王覚醒
頭の中に聞いたことがない声が響いた。男なのか女なのかも分からない。
だが、そんな事よりも胸が――心臓が痛い。耳に聞こえるほど心臓が脈打っている気がする。
鎖の拘束が緩んだ。というよりも、鎖が粒子になって消えているようだ。立っていられずに、そのまま地面に倒れ込む。鎖の中からは私と一緒にラーファが出てきていた。やはり私の背後から抱き着いていたようだ。
倒れたままラーファを見ると、ラーファの口元から血が出ていた。おそらくだがラーファは自害したのだろう。私を暴走させてアンリを殺すために。
命を懸けてまでやることなのか? 一体、どうして……?
立とうとしたが体が上手く動かせずに転んでしまった。力が入らない……? いや、普段よりも体の使い勝手が違うのか?
「ガッ! アアアァ!」
体中に痛みが走った。体が作り変わっていくような感覚が全身を駆け抜けている。何とか四つん這いになったが、いまだに上手く体が動かせない。これが暴走なのか? どうする? どうすればいい?
顔だけ動かしてアンリ達の方を見る。アンリとスザンナがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
まずい、今の私は何をするか分からない。近寄らせてはダメだ。
「来るな!」
大声で叫ぶ。アンリ達はビクッとなった後、その場に留まった。アンリ達が何かを言っているが、良く聞こえない。何を言っている?
いや、そんな事よりも今の状況を何とかしなくては。聞こえた声の状況では暴走、というかリミッターが解除されるまで後五分と言っていた。そもそもリミッターと言うのがよく分からないが、おそらく暴走のことなのだろう。
くそ! 注意していたのに、こんなことで魔王の呪いが発動するなんて。なぜ魔王様はこの事を教えてくださらなかったのか……いや、今はそれどころじゃない。
『残り四分。魔王覚醒のプロセスを起動し、第一フェーズへ移行します。フェーズごとに能力の制限を解除し、意識レベルを低下させます』
なんだと?
いきなり眠気が襲ってきた。意識レベルの低下って眠くなるという事なのか? いかん、意識をちゃんと保て。寝たら終わりだ。
『お前は一体なんだ?』
頭の中で声に問いかけるが、回答は無かった。念話ではなくただのメッセージと言うことか?
まずい、何か手を考えないと……そうだ。アビスだ。アビスなら何とかできるかもしれない。後四分しかない。急がないと。
『アビス! 緊急だ! 応答してくれ!』
『フェル様? どうされました?』
『私が暴走しかかっている! どうすればいい!?』
『馬鹿な! 何をしているのです! まさかどなたかが命を落とされたのですか!?』
『違う! ラーファが私に抱き着いて自害した! 私は知らなかったが、それでも暴走するようだ! 今、頭の中に声が聞こえている! 後四分もない! どうすればいい!』
『なんてことを……! お待ちください! 考えます! それまで意識をしっかり保っていてください!』
『分かった! 頼む!』
早く、早くしてくれ。かなり眠くなってきた。おそらく意識を手放したら終わりだ。そのまま暴走してしまう。私がアンリ達をこの手で殺してしまう可能性があるんだ。それだけは――それだけはダメだ。
『残り三分。第二フェーズへ移行。全エネルギー高炉使用許可を確認。接続します』
「ぐっ!」
体に魔力があふれ出してきた。これは魔力高炉か? それが全て接続されただと? 能力制限を解除した状態で六個まで接続したことがあるが、これが全部への接続か。自分で自分が気持ち悪い。魔力酔いになりそうだ。
さらに体の痛みが激しくなった。それに耐えるように床に置いた手を握りしめたら、簡単に床を抉ってしまった。魔力の増加に伴って身体能力も上がっているようだ。くそ、この力で暴れたら、こんな城跡形もないぞ。
「フェル姉ちゃん!」
アンリの声がはっきりと聞こえた。
そちらを見ると、アンリはスザンナと一緒にこちらを心配そうに見ていた。アンリが近寄ろうとしているのをスザンナが背後から押さえているようだ。
そういえば来るなと言っただけだった。ちゃんと事情を説明しておかないと。
「アンリ! こっちには来るな! 私は今、暴走しかかってる! 急いでこの場を離れろ! 遠くに! どこでもいいから遠くに逃げるんだ!」
「そんな……!」
アンリが泣きそうになっている。そんな顔するな。今はそれどころじゃないんだ。
「スザンナ! アンリを連れて逃げろ! 他の皆もすぐに逃げるんだ!」
くそ、スザンナ、早くアンリを連れて行ってくれ! お前の水竜ならすぐに逃げられる!
『残り二分。第三フェーズへ移行。虚空領域全アクセス権の許可を確認。接続します』
「ガ、アァアア!!」
くそ! 頭に多くの情報が流れ込んで、割れそうに痛い! 魔眼で情報を見過ぎた時の比じゃない!
床に頭を叩きつけた。二回、三回。別の痛みで紛らわせただけだが、多少は効果があった。少しだけ目が覚めたし、危なくなったらまたやろう。
なんだ? 目の前が赤く染まっていく。血ではない。単に視界が赤くなっているようだ。そしてその赤い視界には訳の分からない文字や数字があちこちに見える。一体これはなんだ?
だが、そんな事よりもそろそろ限界だ。少しでも気を抜いたら意識が落ちかねない。
『アビス、まだか! 二分を切った! 急いでくれ!』
『転移門をアビスへ開けますか!? ダンジョンへ転移してください! その後は私が何とかします!』
アビスへ転移? そうか、ダンジョンの中なら被害を抑えられると言う事なのだろう。
『分かった! すぐに行く! アビスは準備をして待っていてくれ!』
今の私には無限とも言える魔力が溢れている。転移門なんていくつでも作れるだろう。だが、焦るな。術式を間違えないように丁寧に構築するんだ。それが一番早い。
「【転移門】」
痛みと眠気を堪えながら、慎重に術式を組んだ。目の前に転移門が作られる。そしてその門がゆっくりと開いた。扉の奥にはアビスのエントランスが見える。
よし! これならなんとかなるはずだ!
立ち上がれないので、地面を這うように扉へと向かう。
大丈夫、時間はある。慌てずに行動するんだ。
『残り一分。第四フェーズへ移行。思考プログラム「ティタノマキア」起動。身体の主導権を譲渡。最終フェーズへの移行と同時に意識を切断します』
何だと! か、体が……! まずい! 体が動かせない!
私の意思とは関係なく、体が勝手に立ち上がった。そしてアンリ達の方を見る。
「フェ、フェル姉ちゃん?」
くそ! 言葉を発することができない、なんとか警告しないと……そうか、念話なら! そうだ、アンリに転移門の中へふっ飛ばしてもらおう。アンリならできるはずだ。
『アンリ! 聞こえるか!』
アンリは三年前にチャンネルを閉じたが、新しいチャンネルを開いたはずだ。そっちのチャンネルなら繋がるはず。
『フェル姉ちゃん?』
通じた!
『アンリ! よく聞け! 今、私は自分で体を動かせない! 頼む! 近寄らずに私をこの転移門の中へ入れてくれ!』
『それはフェル姉ちゃんに攻撃しろと言う意味? そんなこと……!』
『私は不老不死だ! 攻撃を受けても死にはしない! 頼む! 急いでくれ! もう時間がない!』
アンリはちょっとだけ迷った顔をしたが、次の瞬間には真剣な顔つきになった。
「スザンナ姉ちゃん! 私が吹き飛ばないように後ろから支えて! これからあの魔法をフェル姉ちゃんに当てる! 早く! お願い!」
「アンリ……? 状況は分からないけど、正しい事なんだね? 分かった」
スザンナがアンリの背後からアンリの体を支えた。さらにスザンナの背後から水の触手のようなもの出て、地面に突き刺さる。
おそらくあの水の触手で、スザンナはアンリを支えているのだろう。でも何をする気だ?
「【二色解放】【赤】【緑】」
アンリの剣が赤と緑に染まる。あれは三年前に見た技か? でも、あの時はアンリが吹っ飛んだ。
……そうか、アンリが固定されているなら、剣から何かが出て私を吹き飛ばせると言う事か。
「行くよ! フェル姉ちゃん! 【炎嵐】!」
アンリの剣から炎を纏った狂暴な竜巻が私を襲った。横向きの竜巻、その渦の中心に私がいる。体が少しずつ後退しているのは分かる。そして踏ん張っていられなくなり、転移門の中へ吹き飛ばされた。
吹き飛んだ先はアビスのエントランスだ。床に叩きつけられて痛みを伴ったがそんなことを気にしている場合じゃない。
『アビス! ダンジョン中へ移動した! どうすればいい!? いや、私は体を動かせないんだ! どうにかしてくれ!』
そう言った瞬間に景色が変わった。白一面の部屋だ。ここは「何もない部屋」か?
『フェル様、申し訳ありませんが、暴走自体を止める手立てはありません。なので、暴走が落ち着くまでここで暴れていてください。ここでならいくら暴れても大丈夫です。転移はさせませんし、壁を破壊して別のフロアに行く等の行為も私が阻止します』
そうか。ここでなら誰も殺したりすることはないだろう。少しだけ安心した。
『助かる。どうやら私は暴走すると同時に意識を失うらしい。すまないが、後の事を頼む』
『はい、お任せください。暴走が終わるまで、フェル様をこの部屋に閉じ込めておきます。絶対にここから外へ出しません』
『頼んだ――』
『最終フェーズに移行。リミッター解除。魔王覚醒のプロセスは完了しました』
そう聞こえた瞬間に視界が暗転した。




