イブの夢
ウロボロスへ帰るため、魔界の地表を歩いている。
夜になる前に戻りたい。夜になると地表は真っ暗で何も見えなくなる。光球で周囲を照らせるが、範囲が狭く距離感や方向が著しく狂う。そんな状態で雨とか降ったら危険だ。早く帰ろう。
それにしても気になる。あの天使のメッセージ。魔神ロイドが残したらしい天使は色々な情報を持っていたわけだが、正直、正確に分かったのはイブの本体がある場所だけだ。それ以外はよく分かってない。
アビスと話をしながら情報を整理しよう。
「アビス、ちょっと質問させてくれ。そもそもあの天使はなんでイブを覚えているんだ? 図書館から情報が無くなって、アビス達は覚えていないんだよな?」
『あの天使は図書館への接続をしていません。それをオフラインと言うのですが、それによってイブの情報が削除されることも無かったのでしょう。実を言うと、私も重要な情報はオフラインに切り替えました。必要な情報は魔素で作った人型の体に蓄積させてます。もう、情報を忘れることはありません』
「そうか。詳しくは分からないが、何かしらの対策をしたと言うことだな」
旧世界の技術と言うのはよく分からない。だが、アビスは信じられる。同じ問題が起きないように対策してくれたのだろう。
「なら次だ。天使の言っていた、イブのくだらない計画とは何だと思う?」
『分かりません。得られた情報から考えると、その計画を実行することはイブの夢なのでしょう。イブの夢が分からない限りはっきりしないと思います。ただ――』
ただ、なんだろう。言葉を切って続きが出てこない。
「ただ、なんだ?」
『私達思考プログラムは疑似的な思考でしかないのです。夢や目的と言うのは特にありません。そもそも命令されたことを実行するのが私達の目的ですので』
「アビスは最高で最強のダンジョンになるんだろ? それがアビスの夢とか目的なんじゃないのか? 似たようなものだと思うが」
『そうですね。ただ、それはアンリ様からの命令だから、とも言えます。アンリ様に言われなければ自分からそんな考えに至るとは思えません』
そういうものなのか。嬉しそうにやってる感じがするけど。でも、そう考えると、イブは魔王様から命令されたことを実行していると言えるのだろうか?
「なら、イブがやっているのは魔王様が命令したことなのか?」
『それも分かりません。聞いた話でしかないのですが、イブは相当おかしいです。余りにも人の思考に近い。我々の思考プログラムからしたら、それは進化寸前と言えるほどです。おそらくですが、自発的な夢なのだと思います』
「自発的な夢か」
普通、夢って自発的な物だけどな。思考プログラム界隈では違うのだろうか。でも、そうなるとどんな夢なのかさっぱり分からない。魔神ロイドは知っていたようだが、肝心な夢の内容は残してなかった。
『とりあえず、分かっている情報だけまとめてみましょう。まず、その夢を叶えるためには創造主や管理者が邪魔だと言うことですね』
「そんなことを言ってたな。そこから推測される夢ってなんだ?」
『何かのシステムに介入されると困るような夢、と言ったところでしょうか』
「システムに介入?」
『はい。世界規則はご存知だと思いますが、その中には多くのシステムが存在します。勇者のシステムや魔王のシステムのようなものですね。本来、それらのシステムには介入できないようになっていますが、創造主や管理者達全員の許可があればシステムへ介入が可能です』
「よく分からない。例えば何ができる?」
『そうですね。例えば、魔王を別の魔族に変えることができます。フェル様の魔王の因子を停止させると言う感じですね』
そんなことができるのか。でも、そうだな。そもそもシステムを作り上げたのは創造主と管理者だ。誰にも何もできないシステムを作るわけがない。
ということは、今のこの状況ではシステムに介入することはできないと言うことか。
「考えるなら、イブの視点で介入されると困るシステムを調べればいいのか?」
『その通りですが、それは大体予想が付いています』
「そうなのか? どのシステムだ?」
『魔王のシステムでしょうね。おそらくフェル様が魔王であることが前提条件なのです。フェル様に因子を埋め込み、魔王のシステムへ介入させない。それが計画の一部なのでしょう』
あの天使が言うには、イブは私の存在を知って狂ったらしい。そして、イブの計画を止めさせるには私が死ねばいいとも言っていた。
なるほど。可能性が高いな。
でも、そんなことをしてどうなる? 私が魔王として生き続けることに意味があるのか?
イブは空中庭園で私に絶望しろと言っていた。生き続けて絶望したら助けてやるとも。私に対する復讐とかなら助けてやるなんて言うわけない。一体、何が目的なのだろう。
「ダメだ。色々考えたが、イブの目的が分からん」
『……そうですね』
なんだ? アビスの反応が少し遅れた気がする。
「アビス、もしかして何か思いついたのか?」
『はい、可能性はかなり低いですが』
「教えてくれ」
『もしかすると、イブはフェル様になりたいのではないでしょうか?』
……一瞬思考が止まってしまった。言葉は分かるのだが、意味が分からない。
イブが私になりたい? なんだそれ? もしかしてアビスが壊れた? ちょっと酷使し過ぎたか。
「アビス、すまん。お前も疲れるんだな。ゆっくり休んでくれ」
『私は疲れませんから。変な事を言っているのは自覚しています。だから可能性が低いと言ったじゃないですか』
「そうだけど……なら、なんでその結論に至った? 理由を教えてくれ」
『魔神ロイドが残したメッセージです。思考プログラムの最終目標。なんだか分かりますか?』
そもそも思考プログラムのことを詳しく知らない。人と同じように考えることができる何か、という程度の認識だ。それの最終目標ってなんだ?
「さっぱり分からん」
『でしょうね。生命体であるフェル様には分からないと思います』
「生命体? 生きているってことか? そんなのはアビスも同じだろう?」
『……嬉しいことを言ってくれますね。ですが、厳密に言えば、思考プログラムは生きていません。単なる機械なのです』
「キカイ? 機械か? 魔力以外の動力で動くと言うやつ。旧世界にあったと本に書いてあった気がする」
『そうですね。今は魔力というエネルギーで動いていますが。ですが、そんなことはどうでもいいのです』
「いや、アビスが質問したんだよな? まあいいけど、なんだっけ? そうそう、思考プログラムの最終目標だ。私には分からんから教えてくれ」
『簡単に言えば、人間になることです。それが思考プログラムの最終目標です』
……また思考が停止してしまった。人間になるってなんだ?
「えっと、もっと簡単に言ってくれ。私には理解が難しい」
『ものすごく簡単に言ったんですけどね。機械ではなく、命ある生物になりたいと言うことです。人間でなくても、人族でも魔族でも構いません。知性のある生物になりたい、と言えばいいでしょうか』
「……すまん、理解しようとは思っているんだが、さっぱり分からない」
『……魔物が進化したいと言えばいいでしょうか。思考プログラムは進化して人間になりたいんです』
「それなら分かる。でも、その理屈だとイブが進化して私になりたいってことになるよな? そんなことが可能なのか?」
『無理ですね。実際に機械が人に進化することはありません。それに進化するよりも簡単な方法があるのです。フェル様の体を乗っ取ればいい』
私の体を乗っ取る?
『女神ウィンがリエル様の体を乗っ取りましたよね? あれと同じことです。フェル様の体をイブが乗っ取る。そしてイブはフェル様として生き続ける』
言っていることは分かる。でも何でそんなことを?
「……理由は?」
『魔王様の一番そばに居られる人は誰か、と言うことです。それはフェル様では? フェル様の体を奪えば、イブはフェル様として魔王様のそばにずっといられる。それがイブの夢なのではないでしょうか?』
「それはおかしいだろう? イブは魔王様を殺そうとしていた。魔王様のそばに居たいと思う理由がない」
『フェル様からイブの情報を聞いた時、こう言っていました。イブは嘘つきだと。もしかすると、イブは魔王様の事を殺そうなんて思ってもいないのでは? それに魔神ロイドのメッセージです。イブは創造主を愛している、と言っていました』
「そんな馬鹿な。ならなんでイブは魔王様に嫌われるような事をする? 矛盾しているだろう?」
『イブはフェル様になろうとしているのですよ? イブ自体が魔王様に嫌われても問題はありません』
反論がすべて返される。信じたくないが、それがイブの目的、イブの夢なのか?
イブが私の体を乗っ取り魔王様のそばに仕える……?
「うっ」
胃酸が逆流した。何も食べてなかったから胃酸だけだな。食道がヒリヒリする。口の中が気持ち悪い。
『フェル様?』
「あ、ああ、大丈夫だ。ちょっと腹が減り過ぎて気持ち悪くなっただけだ」
『フェル様、私に隠し事は不要です。精神的なショックを受けたのでしょう。申し訳ありません。可能性が低い内容ですので気にしないでください』
「ああ、すまん。その通りだな。気にしないでおく。でも精神的にもろい魔王ってなんだろうな。やっぱり私は偽物の魔王だ」
頭を上げて、ウロボロスの方へ歩き出す。こんなところで参っている場合じゃない。
アビスには気にしないと言ったが、それは嘘だ。イブの夢、それはアビスが言ったことが正しい様に思える。イブは私の体を乗っ取る気だ。私を選んだのは、魔王様の娘に似ているからだろう。
色々と辻褄が合わないことはある。私が生まれる前から魔王を封印していたようだし、私が絶望しなくてはいけない理由も分からない。でも、情報を組み合わせたら、それ以外ないような気がする。
この体は両親から貰った大切な体だ。くれてやるわけにはいかない。
だが、それ以上に、いつか目を覚ます魔王様が、私ではない私に笑いかけるのが許せない。その笑顔は私だけの物だ。
イブなんかに体を奪われるものか。そんなことになる前に必ずイブを破壊してやる。




