痕跡と掃除と教育
村の皆が順番に宿に来ては声を掛けてくれる。皆、無事でよかったと喜んでくれた。顔には出ていないと思うが、正直嬉しかったな。私が無事であんなに喜んでくれるとは。
一通り村の皆と挨拶したので嬉しい気持ちを押さえつつ部屋に戻った。
部屋に入ると、木の香りが鼻を通り抜ける。毎日清掃や換気をしてくれたのだろう。汚れやほこりもないし、ベッドのシーツなんかも綺麗なものだ。
上着を脱いでハンガーにかけた後、ベッドの上に転がった。大きく深呼吸をしてから、天井を見る。なんというか、自然と顔がにやけてしまうな。
皆は私を見ると笑顔になり喜んでくれた。心配してくれていたのだろう。心配していたのは、私が村へ利益と言うか恩恵をもたらしているから、という理由かもしれない。私に何かあれば恩恵が無くなる可能性があるからな。
でも、例えそうでも構わない。理由はともかく、心配してくれていたという事実がうれしい。体中がくすぐったい感じだ。
ベッドの上でゴロゴロする。子供っぽいかもしれないが、たまにはいいだろう。
……はて? なんとなく違和感がある。部屋の中が何かおかしい。
そうだ、扉がない。魔王様が使っていた部屋への扉が無くなっている。
ベッドから立ち上がり、扉のあった場所を手で触った。
壁に使われている木と変わりはない。つなぎ目はないし、扉があったようには思えない。もしかすると、魔王様が勝手に扉を作っていた? それが無くなったという事だろうか。
魔王様が扉から出てくるところは見たことがある。部屋の中を詳しくのぞいたことは無かったが、何らかの空間があったように見えた。
でも、よく考えたらこの部屋は二階の一番奥だ。さらに奥側の壁に部屋があったら建物を突き破っていることになる。こんなことに気付かないとは……認識阻害とかされていたのかもしれないな。うん、そういう事にしておこう。
一応、アビスに調べてもらった方がいいだろうか。あと、ニアかロンにも確認しておくべきだな。
「アビス、ちょっといいか?」
魔王様の小手を使ってアビスに連絡する。するとすぐに反応があった。
『フェル様、どうかされましたか?』
「実は森の妖精亭にある私の部屋に魔王様が使われていた部屋があったんだが、その部屋へ繋がる扉が無くなっているんだ。魔王様がなにかされていた可能性が高い。今は何もない状態なのだが、調べたりすることはできるか?」
『なるほど。それでしたらそちらへ向かいます。何かしらの痕跡があるかもしれませんから調べてみましょう』
「よろしく頼む」
アビスが来るまでの間に、念のため扉の事を確認しておこう。
食堂へ戻り、ニアとロンに部屋の事を聞いてみると、そんな部屋はない、との回答をもらえた。そもそもそんな部屋があったらもっとお金を貰っていたとのことだ。そりゃそうだ。
やはりあの扉は魔王様が用意されたものなのだろう。
ちょうど宿の入り口からアビスが入って来たので一緒に部屋へ戻った。
アビスを部屋に入れて、扉があった場所を指す。
「ここに扉があった。今は何もないのだが、なにか分かるか?」
「お待ちください……ここでゲートを開いた痕跡がありますね」
アビスが壁に手を当ててからそんな事を言った。
「ゲート? ゲートってなんだ?」
「転移門と言えば分かりやすいでしょうか。空間と空間を繋ぐ技術です。この場所とどこかを繋いでいたようですね。もしかすると、フェル様が言う魔王様がその場所にいるかもしれません」
「本当か!?」
「落ち着いてください。可能性の話です。それに痕跡から場所まで調べるには時間が掛かるでしょう。すぐに判明するようなものではありません」
「やるとしたらどれくらいかかる?」
「一ヶ月は掛かると思います。それに場所が判明しても実際にそこへ空間を繋ぐことができるかどうかは分かりません」
そうなのか……いや、でも場所が分かれば、転移しなくても直接そこへ行けばいいのではないだろうか。
「それでも調べてくれないか? 従魔達に遺跡を調べてもらってはいるが、可能性があるならどんなことでもしておきたい」
「分かりました。調査しましょう。しばらく痕跡の情報を収集するので二時間ほどこの部屋に籠りますが、大丈夫ですか? それ以降の調査はここでなくても構いませんので」
「情報の収集だけで二時間掛かるんだな? 分かった。調べてくれ。私は邪魔しないようにまた食堂の方へ戻っている」
アビスは頷くとすぐに壁に向かって何かを始めた。
魔王様の手がかりがあるかもしれない。気付いて良かった。ベッドの上でゴロゴロ転がるのも悪くないな。
調査しているアビスの邪魔をしないように食堂へ戻ってきた。
ニアが私に気付いてこちらへ寄ってくる。
「あれ、フェルちゃん、どうしたんだい? また何か聞きたいのかい?」
「いや、それは解決した。今、アビスが部屋で調査していてな。邪魔にならないように戻って来たんだ」
「えっと、何を調べているんだい? あの部屋に特別なものはないはずだよ?」
「もちろんだ。調査と言うのは個人的な事だから気にしないでくれ。そういえば、掃除しておいてくれたんだな。ありがとう。綺麗な状態だったから嬉しくなった」
「そうかい? まあ、どの部屋も毎日綺麗にしているからお礼を言われるようなことじゃないよ」
そうだな。私専用の部屋ではあるが、宿の一室でしかないからな。
そんな話をしていたらロンが通りかかった。そしてニヤリと笑う。
「かみさんはそう言っているけどな。あの部屋だけ掃除の時間が長いんだぞ? どの部屋よりも丁寧に掃除しているってことだな!」
ニアの方を見ると、そっぽを向いていた。
「そうなのか?」
「アンタねぇ、そう言うのは本人に言うもんじゃないんだよ。恥ずかしいじゃないか」
ニアがロンに文句を言っている。ロンの方はしてやったりという感じだが、ニアの方はちょっと照れている感じだ。珍しいというかなんというか。
「そうだったのか。感謝してる」
ニアは照れくさそうに手を横に振った。
「なーに、フェルちゃんはお得意さんだからね。これくらいの贔屓は何の問題もないよ。だから、これからも宿へお金を落としていってくれよ?」
「ああ、もちろんだ。ここで食事するのはもっとも有意義なお金の使い方だと思っているからな」
そうだ。宴での料理を依頼しておくか。残念ながら今回は食材が何もないけど。
「村長と相談してからなのだが、また宴をしようと思ってる。お金は払うから料理をお願いしてもいいか?」
「何言ってんだい、当たり前じゃないか。大体、この村で私以外に宴料理を作らせる気かい?」
「いや、まったくそんな気はない。問題がないならお願いする」
「ああ、任せな。腕によりをかけて作ってあげるからね!」
ニアが右腕を曲げて力こぶを見せるようにした。頼もしいな。
その後、ニアとロンはそれぞれ仕事に戻ったようだ。仕事中だから邪魔しないようにしないとな。
さて、部屋でのんびりするつもりだったが、今はアビスが調査中だ。食堂でのんびりするしかない。
昼食の時間も終わったし、今は食堂に誰もいない。ポツンとテーブルに座っているのは寂しいが、夕食の時間になれば人は増えるだろう。
それまではここで本でも読むかな。旧世界関係の本も何冊か持ってきていた気がする。それを読んでみよう。
本を亜空間から取り出そうとしたら、リエルが入り口から入ってきた。
「おー、フェル。休憩中か?」
「そうだな、休んでいるところだ。リエルはどうしたんだ?」
「俺は子供達のことをお願いしたいから村を色々と回ってんだ。ここにはニアにお願いしに来た」
詳しく話を聞くと、子供達は一般教養的なことしか教えてもらっていなかったらしい。生活するための知識がほとんどないそうだ。
そのため、一人でも生活できるように色んな人に教えを乞う必要があるとリエルは考えた。そこで、村の住人に先生になってもらおうとしているそうだ。
「俺が育てるって引き取ったからな。それなりに教育してやらねぇと。俺も治癒魔法なら教えられるんだけど、それ以外は全然だしな。この村には優秀な奴が多いし、何かを教わるには最高の村だろ?」
「そうだな。みんな、一芸秀でているというか、優秀だよな。ニアにお願いしに来たってことは料理か?」
「おう、掃除でも給仕でもいいから、働く代わりに料理を教えてやってくれって頼むつもりなんだ」
掃除や給仕か。すでにヤトとメノウがいるけど、これ以上必要があるかな? あの二人がいるだけで十分と言うか、過剰だと思うんだけど。
「それじゃちょっとニアと話をしてくるぜ」
「そうか、ニアなら厨房にいるぞ」
リエルは頷いてから厨房の方へ向かった。
何となくは知っていたけど、リエルは真面目と言うか責任感が強いな。男好きという部分が無ければ完璧なのに。それがあるだけで、全体的にはマイナスだ。
将来、聖人教でリエルの名前って残っているかな? 男好きがバレたら聖人から降格しそうな気がする。本人は気にしないかもしれないが、個人的にはリエルの名前が残っていて欲しい。リエルに関する変な話が流れたらその都度、修正してやるか。




