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#5

「ヴァル。俺だ」

「私は何が好きだっけ?『アルバート兄さん』」

「コーニッシュパイです。そして、私はロバート叔父さんです……ただいま、ヴァル」


 ドア越しの合言葉の応酬もほどほどにロバートを迎え入れたヴァレリアは、寒空の中をクタクタになって帰って来た叔父を見て思わず身体を寄せた。

「お疲れ様、大変だったね」

「いやいや。なあ、今日は悪かったな。仕事とは言え約束を……」

「いいよ、気にしないで」

 ヴァレリアに支えられながらロバートはテーブルチェアにどっかり身体を落とし込むと、うな垂れながら大きな溜息を漏らした。


 暖炉の火が心地良い。眠くなって来た所へ、湯気の立つコーヒーカップを両手に持ったヴァレリアが隣へやって来て、自分とロバートの前にそれを置いた。

「こないだのイタリアンコーヒーか?」

 うとうとしながらロバートが聞いた。

「ええ」

「上手く淹れるじゃないか。いい香りだ」

「ありがと……ねえ叔父さん」


 今にも深い眠りに落ちてしまいそうだったロバートがはっとして首を立てた。

「どうした?」

 寝ぼけ眼に映るヴァレリアが僅かに躊躇しながら口を開く。


「今日のお昼にね、町で新聞を買ったの。それで……私も今日の事件の中身を知ったんだけどさ……」

「ああ、もう記事になったか」

 ロバートはボーっとした頭を覚まそうとコーヒーを飲んだ。

「今までの警察人生の中で二番目に嫌なものを見たよ。まったく、どうかしてる」

「フフ。二番目、ね……。で、犯人は見つかりそう?」

 ヴァレリアの問い掛けに、目の下に隈を浮かべたロバートの顔つきが何やら鋭さを増す。

「安心しろ。捕まえて見せるさ、ヴァル」

 あら頼もしい、とヴァレリアは笑った。

 本当だぞ、とロバートも笑う。


 暖炉に焼べられた薪がパキ、と歯切れの良い音を立てた。


 ◆


 その頃。闇医者のユアン・マテオは、自宅の地下室で手渡された薄い木箱を開いて眉を潜めていた。

「フィオレンツォ。慣れていないのは分かるが、やり方があまりにも(つたな)い。これでは手術など出来ん。残念だが……」


 手術室と研究室を兼ねたその地下室は、壁と天井に幾つもの電球が取り付けられており、不気味な医療器具や薬品の入った瓶を明るく照らし出していた。

 そんな場所で木箱を手渡した男--イタリア人のフィオレンツォ・バロテッリは亡霊の様に青白い顔をしながら、小さく「すみません……先生」と呟いた。

「でも、今の僕にはこれが精一杯で……何とか、何とか先生のお力で……」

「馬鹿を言うな!!」

 怒鳴り、荒ぶったマテオが木箱を床へ叩きつけると、中から薄くて弾力のあるものが飛び出し、フィオレンツォの足元で落ち着いた。


 自らが剥ぎ取った若い女の顔に見上げられたフィオレンツォは「ひっ」と小さく息を呑んで後ずさる。

 そんな哀れな姿を見ても、マテオは容赦しなかった。


「剥ぎ取り方は教えたはずだぞ、フィオレンツォ。いいか?切断面が(あら)ければクレオにだって必要以上の負荷を掛ける。そうなれば取り返しのつかない状態にさせてしまう。分かってるのか!?」


 強くなじられたフィオレンツォが小刻みに震える。がっしりした体格と不釣り合いなその動作は、見ていて不憫になってくる。

「すみません、すみませんでした……」

 その謝罪はマテオに対するものなのか、自らが(あや)めてしまった若い女性に対するものなのか、それとも未だ救い切れぬ妹に対するものなのか……フィオレンツォ自身にも分からなかった。


 ふう、とマテオが息を整える。

「いや……まあ、良い。私も少々言い過ぎた。すまないな、フィオレンツォ」

 途端に穏やかになったその口調にホッとしたのも束の間、再び地獄の業火で焼かれた刃の様な追求が襲って来た。

「だが、警察を躍起にさせてしまったのも事実だ。何せ、あんな殺し方をしたんだからな。まったく、嫌でも耳に入って来たぞ。ほとぼりが冷めるまで動くな。もし捕まれば、貴様は間違いなく死刑だ!分かったか!!」

 フィオレンツォは小刻みに頭を振って頷いた。

 自分を睨みつける初老の男性の背後に、デスマスクが幾つも浮かび上がった気がして、太刀打ち出来ない恐怖に目が泳ぐ。


 子犬の様に縮み上がっている青年を尻目にマテオは「しかしまぁ……」と呟き、フィオレンツォの足元に張り付いた少女の顔の皮を目の前につまみ上げると、その細やかな肌の繊維を濁った青色の目で舐め回す様に見ながら、指で愛おしそうに撫でた。


「あぁ……綺麗な肌だ……」

 強烈な興奮が湧き出て見えるマテオのその様子を、フィオレンツォはおぞましく思った。

 しかし彼はマテオに逆らえない。むしろ自分を責めてさえいた。

 せっかくの綺麗な顔を妹にプレゼントする事も出来ず、それを実現してくれる恩人の好意も無にしてしまった気がした。

「フィオレンツォ」

「はい」

 顔の皮を下げて機嫌の直った笑みを浮かべるマテオに、フィオレンツォは裏返る声で返事をした。


「剥ぎ取り方はまだまだ未熟だが、君のモノを見る目は中々だな。……いいだろう。私はお前が巧く皮を剥ぎ取れるまで待ってやろう。さっき言った様にほとぼりが冷め始めたら……また頼むぞ。クレオの為に」

「もちろんです。クレオの為に……!」


 女の顔の皮を両手で持ちながら満足気に頷くマテオに、フィオレンツォは取り付く島を見つけた気分だ。

 俺はまだ見捨てられていない……。必ずクレオを幸せにするんだ。


 地下の手術室で彼は自分の意思が()(だま)した様に感じた。


 ◆


 翌朝。

 泥の様に眠りに落ちたにも関わらず、安物の置時計から鳴るベル一つでびくりと起きてしまう自分が、ロバートは時々嫌になる。


(ああ、たまには思いっきり寝過ごしてみたいもんだ……)

 しかし、そのささやかな願望もヴァレリアが作る朝食の香りに脆くも崩れ落ちる。

 ロバートは寝巻きをベッドの上に放ると、寒さから逃れる為にクローゼットからホワイトシャツとヴェストを取り出し、素早く着替えて部屋を出た。

「おはよう叔父さん」

「ああ、おはようヴァル」

 暖かなリビングの食卓。テーブルに腰掛けたロバートを見たヴァレリアは、

「今朝は早起きしたからさ。かなり手間暇かけて作ったよ」

 と弾んだ様子で言った。


 トーストにベーコン、ソーセージ、目玉焼きにビーンズ……が皿一杯に盛り付けられている。

「おお。美味そうだ」

 朝食を頬張るロバートの様子を、エプロンを着たヴァレリアが覗き込んでいる。

「どう?」

「うむ。美味い」

「本当?」

「ああ。もちろん」

 嘘くさ、とヴァレリアが笑った。


 ◆


 朝食を終えて腕時計に目をやったロバートはクローゼットから引っ張り出しておいたスーツジャケットを着て玄関へと席を立つ。

 その後をついて来たヴァレリアが、そばに掛けてあった厚手のコートをそっと彼の肩に被せた。


「はい、あとこれ。昨日忘れてたよ」

 背伸びをしたヴァレリアがロバートの頭に軽い物を乗せた。中折れ帽だ。

「お、そういえばそうだな。何しろ急に押しかけて来こられたもんだから、すっかり……」


 そう言いながら帽子を被り直している叔父の姿を見たヴァレリアは、やや得意気な表情を浮かべた。

「コートにそれ被るとさ……急に刑事って感じになるよね、叔父さん」

「え?ああ……そうか?まあ、こんなもんだろ」

 ロバートは肩をすくめながら両手を広げた。どことなく嬉しそうである。


「それじゃ。気をつけて職務に励んで、無事に帰って来てください。ロバート警部補」

 冗談交じりの敬礼をするヴァレリア。

 ロバートはそんな彼女に対して胸を張り、ピシッとコートが鳴る様な迫力ある敬礼を返した。

「もちろんさ……。行って来るよヴァル」

 踵を返して家を出た叔父の後ろ姿を見送ったヴァレリアは大きな欠伸をすると、壁に掛けた時計を見る。

(あたしも朝ごはん食べないと。それにしても……はぁ。あんなボロボロになって帰って来られたらそりゃ心配で寝らんないよ……ほんとにもう)

 静まり返った部屋の中で、ヴァレリアはふと溜息をついた。

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