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#4

 三日後。

  22歳の若き騎馬警官、パーシー・グルーコックは、大ベテランのレイフ・イエイツを先頭にして、同期のジム・ハリスと共に早朝のグレーターロンドンにパトロールに出ていた。

  馬上からは見通す街並みは見通しがよく、たまに自身が警察官であることも忘れて周りの景色に見入ってしまうことがある。

「こら。ボーッとするなよ、パーシー」

  イエイツに(たしな)められて、彼は姿勢を正した。

  気にするな、と3つ年上の同期であるジムが小声で言った。

  その直後、

「おおい!お巡りさぁん!!」

  悲鳴に近い呼び声。見ると、30代位の男性が走り寄って来ていた。

「そこで止まってください。止まって!」

  騎馬隊からぴったり5メートルほどの距離でイエイツが男性に停止命令を出した。

「どうされましたか?」

  それから一転して穏やかな口調でイエイツは訊ねる。

「あっちで……女が……」

 膝に手をつき、荒い息遣いで話す男を見てイエイツは何が起きたのかを悟った。パーシーとジムも強張った顔を見合わせた。

「一体どうしたんですか?」

  イエイツはあくまでも冷静に訊ねる。

「ああ……。この先に広場があるだろ?」

「ええ。あの噴水のある広場ですよね」

「ああ……そこで女が倒れてる。ありゃ死んでるよ……それで……顔が……顔が……」

 今にも泣き出しそうな男。

「ジム。スコットランドヤードに戻って今聞いた事を伝えろ。急げ」

  ジムが全速力で馬を駆って行く。イエイツは男性に向き直る。

「すみませんが現場まで我々を案内して下さい。パーシー、乗せてやれ」

  男は同行に応じ、パーシーの後ろに乗馬した。

  パーシーは洗練されたイエイツの馬術に対し、引き離されないようにと、やっとの思いで追随した。


 ◆


 警察の乗った馬車の音に起こされたヴァレリアは、ロバートが制服を着た若い警察官と話しているのを階段の中程で見守っていた。

「え?ああ……広場ってあの噴水広場の事か……」

 寝ぼけ眼のロバートとは裏腹に、その警察官−−ドミニク・マカスキルは焦っていた。

「そうです!普段はあまり人気のない広場なんですが……」

「うむ。あそこは綺麗な場所だな……で?」

「ですから、そこで女が死んでるんですよ!あれはどう見ても殺人事件です。」

「ほぉなるほど。殺しか……殺し!?」

 それまでうなだれていたロバートの首が勢いよく立った。

「そうです。殺し!」

 ようやく目が覚めたらしいロバートを見て、マカスキルの顔に安堵の色が浮かぶ。

「しかも、その殺され方っていうのが……あ」

 言いかけたマカスキルはヴァレリアに気づき、口を噤んだ。その視線をなぞってロバートも振り返り、そしてすぐにマカスキルに向き直る。

「なあ、人手が足りないのは分かるけど、今日の俺は非番だし勘弁してくれないか?姪と約束が−−」

「あたしは別にいいよ」

「でも……ヴァル」

「ほら、叔父さん!事件だよ」

 ヴァレリアが階段の残りを駆け下りて、ロバートの背中をぽん、と叩いた。


「……ごめんな。ヴァル」

 ロバートはそう言ってヴァレリアを抱き締めると、いよいよばつが悪そうなマカスキルに伴われながら馬車に乗り現場へ向かった。

  警察が去った後の玄関。ヴァレリアはドアに背中をもたれてふとため息をついた。

 何となく横を向くと、ロバートの中折れ帽子がぽつんと壁に掛けられたままになっている。

「忘れてっちゃったよ……。もう、本当に抜けてるんだから……」

 ヴァレリアは何気なく中折れ帽を手に取り、自分の頭に被せてみた。

「フフ……やっぱりブカブカ」


 ◆


 殺人現場となってしまったその広場には、既に多数の警察官と野次馬、それからマスコミが集結していた。

「結構いい場所だったのに……台無しだ」

 馬車からから降りたロバートはそう言って大きく息を漏らした。

 何人かの制服警官が広場中央にある噴水を軸にして広範囲に規制を張っているのが目に入ると、かなり酷い殺され方をした遺体がある事が嫌でも想像できてしまい、さらに陰鬱な気分になる。

「ロバート警部補。あの……すみません」

 マカスキルが心底申し訳なさそうに謝った。

「何で君が謝るんだよ。まさか君が犯人なのか?」

「そうじゃなくてその……せっかくの姪御さんとの休日に引っ張り出してしまって」

 ちょっとした悪ふざけにも、マカスキルは大真面目に返した。

「それはもういいよ、仕方ないさ……。さ、行こう。野次馬をどけてくれ」

「了解です……。警察官が通ります!道を開けてください!」

 声を張り上げるマカスキルの後に続いて、白い板石の敷かれた広場を人だかりを割いて進んでいく。

 規制を張っていた警官がサッと体を横にずらしてロバートを規制線の内側へと入れた。

「では、警部補。私は一度スコットランドヤードへ戻ります」

 マカスキルがロバートに敬礼して、再び人の海を分けて戻って行く。その背中に向かって、「ご苦労」と言ったが独り言となってしまった様だ。


 広く張られた規制線の内側は見事に警察官でごった返していた。心なしか遠くに見える噴水の前に、刑事に囲まれた女が後頭部から血だまりを作って仰向けに倒れている。

(殺された女ってのはあれか……ひどいもんだな)

 もっと近くで様子を見よう、と慣れた足取りで遺体の方へ歩み寄っていく。

(顔が血まみれで肌が見えない……どんな殺され方をしたんだ)

 気の毒に思い始めたところで、ロバートは思わず足を止めた。


 違う。血まみれで見えないんじゃない……。


 女の顔には皮膚が無かった。

 真っ赤な筋組織がむき出しとなったその顔。

 カッ、と見開かれ二度と動くことのないその瞳が青い空を見つめたままになっていた。


「おう、ロバート。ご苦労さん」

 びくっと肩を跳ねて振り向くと、同期のアビエル・バシッチがいた。


 惨劇の場で仲間と居合わせた事に恐怖が少しばかり和らぐのを感じた。

「バシッチ、これは……」

「ああ、ひでぇもんだぜ」

 バシッチが遺体の方を顎で指した。

 見ると、腰の引けた警官があからさまに嫌そうな顔で遺体の頭を手で持ち上げていた。

「見ろよ、あの後頭部の刺し傷……うわ、小便みてえに血が出たぞ……」

 遺体を触っていた警官は「小便の様に流れた血」に腰を抜かしていた。

「あれが致命傷である事には間違いねぇんだろうが……」

「ああ。首を締められた痕があるな」

 遺体の細い首に、紫色に変色した太い線が走っている。

「まるで大蛇が巻きついたみたいだ。バシッチ、犯人はかなりの腕力だろう」

 ふむ、と腕を組むバシッチに、ロバートは続ける。

「背後から声を出す事も抵抗する事も出来ずにやられたんだろう。そしてその後、被害者の顔を……見てくれ、皮の剥ぎ方が荒い。あれは慌ててやっただけじゃない。きっと慣れてないんだ、それで……」

「おっとそこまで」

 制したバシッチの視線の先でマスコミの記者と思われる人間が数人、こちらを興味深そうに凝視しながら手帳に書き込みをしているのを見たロバートは口を噤んだ。


「……第一発見者は?」

「この近所に住む36歳の男性だ。どうやらここがお気に入りだったみたいでな。爽やかな朝の散歩の途中で惨劇に出くわしたってわけだ……気の毒にな。で、たまたま近くを通りかかった騎馬警官に泣きついて来たんだと」

 小声で話し始めた二人の刑事に、それを聞き取れない記者達は手帳に向かって断続的にペンを打ち付けながらつまらなそうな顔をしていた。


「その人からは何か情報は得られなかったのか?怪しい奴とすれ違ったとか」

「いんや、それが全く。詳しい話はスコットランドヤードでしてるのかもしれんが」

「そうか……呼び止められた騎馬警官はどうした?」

「ああ。3人いたらしいんだが、1人は真っ先にこの事態を伝えに行って、後の2人は第一発見者に案内されながらここへ来た後、刑事達と合流してからパトロールに行ったそうだ。もしかしたら、犯人がまだ近くにいたかもしれんからな……まあ、いなかったらしいが」

「なるほど……」

「あー、あと被害者の身元だが……」

「分かったのか?」

「ああ。それもまだ確定したわけじゃないが、ここらの喫茶店で働いてた19歳の女の子が昨日の夜から帰ってないらしい。でも多分、間違いないだろうな……。母親と二人暮らしって話だ」

 畜生め、とバシッチが憐れむ。


 ロバートも胸が締め付けられるのを感じて、眉を潜めた。

「うちの姪と同い年だ……。」


 顔を奪われたこの女の子は、その時どんな気持ちだったろう。

 この子の母親は変わり果てた一人娘の姿を見て、どんな気持ちになるのだろう。


 痛々しい姿の少女にもう一度目をやる。

 光を失ったその蒼い瞳はやはり、天に向かって見開かれていた。

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