表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

#2

 暖炉がその温もりを満遍なく送る家の中。テーブルに突っ伏して居眠りをしていたヴァレリア・アベカシスは、壁に掛けられた時計が午後6時40分を指しているのを見て伯父の帰りが近い事を察した。

 

  ヴァレリアは椅子に座ったまま両手の指を組みながら、その腕を天井に向けて伸ばしながら背伸びした。

  窓の外に雪が舞っている。

(そうだ、さっきから雪が降ってたんだ。叔父さん、滑って怪我でもしなきゃいいけど)

  ヴァレリアは先ほどの時計に目を移す。


(そういえばあの時計を掛ける時も、叔父さんは脚立でバランスを崩して、肩から床に激突したっけ……やっぱり心配になってきた。帰ってくるまでに最低でも2回は転ぶんじゃないかな。あの人……)

 刑事であるにも関わらず、時折鈍重な動きを見せる叔父の身を案じた。

 

  しかし、直後に聞こえて来たドアをノックする音に、ヴァレリアは安堵した。

「ヴァル、俺だ。開けてくれ」

 ヴァレリアはクスクスと笑いながらドアに近づいて言った。

「その前にさ、私の好きな物は何?『ビリー兄さん』」

「コーニッシュパイだろ?それから俺はロバート。叔父さんだ……ご苦労さん」

  この一連のやり取りは、全て小声でなされる。心配症のロバートは自分の刑事という職業が災いして、ヴァレリアが犯罪者の復讐の対象となるのを恐れていた。ヴァレリアが自分の好物を問いかけるのも、わざとロバートの名前を間違えるのも、それを避ける為にロバート自身が考案したものであった。

 

  かくして、ヴァレリアはドアを開けて、叔父を迎え入れた。

「おかえり。叔父さん」

 中折れ帽とコートの肩に雪を乗せているロバートの満足感に浸った顔を見て、ヴァレリアは思わず吹き出す。

「叔父さん、何でそんな顔してるの?何かいい事でもあった?」

 ロバートは、

「ああ。あった。というか、もらった」

 と手に持っていた紙袋の中から紐で縛られた布袋を取り出した。

「え。もらったってそれ?……何?」

「イタリアンコーヒーだ。さっきブライトマンに分けてもらったんだ」

 袋をヴァレリアに渡すと、ロバートは中折れ帽を取って雪を払う。ヴァレリアは布袋の紐を解いた。


「トモのお店に寄って来たの……へぇー、いい香り」

「だろ?今度挽いてくれ」

「うん。分かった、また今度……。とりあえず夕食作るね……あ、もしかしてもう食べてきた?」

 ヴァレリアが長いブロンドの髪を束ねながら聞いた。

「いや、まだだ」

 ロバートはまだコートを着たままで、雪を払った中折れ帽を被り直す。

「たまにはカフェで夕食ってのはどうだ?」

「あー、なるほどね。いいよ。支度するからちょっと待ってて」

 ヴァレリアは町歩きの服を取りに、二階にある自分の部屋に向かった。


 ◆


 ディナータイムに訪れたカフェは客の数も程良く、騒々しくもなければ静か過ぎると言うわけでもない。夕食を済ませたロバートとヴァレリアの前には、食後の紅茶が一杯ずつ置かれている。

「演劇学校はどんな感じだ?」

 ロバートが口を開いた。

「今日は先生に褒められたのよ。歌も踊りもアクセントがきっちりしていて、よく出来てたって」

 ヴァレリアが弾んだ様子で言った。

「ほお、上達してるんだな。今度の発表会はいつだ?」

「さあ……。まだ分からないけど、来年になると思うわ」

「ふぅん……楽しみだ!」

「あら、そう?」

「もちろん。素人の俺から見てもお前は中々いい演技をしてるよ。欲目なしでさ」

 

  ヴァレリアは照れ臭そうに笑って紅茶を一口飲んでから、

「叔父さんはどうだった?仕事」

 と訊いた。

  ロバートは髪を後ろへ掻き上げる。

「ああ、今日は何事もなくってな。資料まとめばっかりだったよ。平和で何より」

「そっか……」

 ヴァレリアは紅茶のカップを軽く回した。

  それからしばらくの間、二人は他の客の話し声を聞いているかの様に沈黙していた。

「来年といえば……」その沈黙を破り、そう投げかけたロバートはヴァレリアに目を向けた。

「ヴァルももうすぐ20歳か……」

「え?どうしたの急に」

「いや、早いもんだなと思ってさ。だってもう10年だぞ?10年前ってばまだ……」

 ここまで言って、ロバートははっとして思わず口を噤んだ。

「……悪い」

「いいわよ、気にしないで。……うん、私はまだお母さんと暮らしてたっけ」

 ヴァレリアは何とも無いと言った風だった。


「叔父さん」

「どうした?」

「美味しかったね。ローストビーフ」

「……ああ」

 静かに、しかし懸命に話題を変えた姪に居た堪れないくなったロバートは、目の前に置いた自分の中折れ帽を、ヴァレリアの頭の上に乗せた。

  突拍子もないその行動に、ヴァレリアは軽く驚いてから、彼女には大きめのその帽子のつばを上目に見た。

「ちょっと大きいわ、これ」

「そうは言っても、似合うかなと思ってさ」

  ヴァレリアは、「叔父さん、変なの」と胸に手を当てて笑う。

  二人が座るカウンター席の後ろでは、ダーツ大会が開かれていた。その中の一人の男性客が、


「やあ!お嬢さん、素敵な帽子だね。こっちで一緒にどうだい?」とヴァレリアを誘う。

「……行ってきたらどうだ?見たところ悪い奴らじゃない」

  ヴァレリアは僅かに躊躇したものの、穏やかな伯父の表情を見て、その誘いに乗った。

  ついでに誘われたロバートはやんわりと断り、カウンターに頬杖をついて平穏な時間に浸った。

 

  ダーツが命中した音が響く。カフェに歓声が溢れた。ヴァレリアが見事にダーツボードの真ん中に矢を当てたのだった。

  中折れ帽を頭に乗せたヴァレリアは、自分に送られる歓声の中、ロバートの方に顔を向けると、丸まった背中が蒼い瞳に映る。

 その背中に、ヴァレリアは少しだけ寂しさを感じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ