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はじまりのとき2

 丘の上では風が吹いていた。風はどこからともなく、懐かしいざわめきのようなものを伝えて来る。もちろん、その音が何を意味しているのかわからない。ひょっとしたら、実際に耳で聞いているのではないのかも知れない。だが、俺は確かに風の運んだざわめきを聞き、今となっては遠い昔の光景を脳裏に浮かべた。


 今から六年前。この丘の下には、ある国立研究所が広がっていた。その大きさは一つの街とも言えるほどで、中では数千人の職員たちが勤め、そして生活をしていた。その研究所では、完全に停滞しつつある文明を何とか延命させようと、国中から生き残った最後の研究者たちが集い、様々な研究が行われていた。だが、文明のエントロピーは極限までに増大し、何も産まれず何も起きなかった。いや、正確には新技術がいくつも生み出されたが、それを活用できる企業が既に地球上から姿を消していたのだ。


「今となっては信じられないよな。あの頃はまだ、俺たちには未来があると思い込んでいた」俺は目を細めながら、丘の裾に広がる更地を見つめた。もう、ここにあの研究所は無い。


「そうですよね。あの研究所、確か誰も正式な名前を知らなくて『最後の砦』と呼んでたけど、そこで何とか世界が壊れて行くのを食い止めようとしていた。すごく大事な事をしていたのかも知れないけど、私には嫌な場所だったな・・・・・・」優恵はそう言うと、風にたなびく長い黒髪をそっと手で抑えた。


 優恵のような人々、獣のような耳と尾を持ち人並みはずれた感覚を持っている人々は、今から二十年ほど前に突然現れたらしい。不思議な事にそのような人々の両親は普通のヒトであり、この突然変異の存在が世間に広まるのを恐れた政府は、六年前まで厳重に事実を隠蔽していたのだ。そして、あの事件が起きたのである。政府によって研究所に隔離されていた優恵たちが、突如脱走したのだった。


「初めて優恵に会ったときは驚いたよ」俺は懐かしそうに笑いながら、優恵の方を向いた。すると彼女も同じように微笑む。

「そりゃそうでしょう。拓人さんがいきなり転んで大怪我したから、私だって驚きましたよ~」


 優恵たちの脱走の後、何の前触れもなく例の研究所は核爆発を起こした。未だに犯人はわからないが、政府の一組織が破壊工作を行ったと言う噂もある。しかし、事件はそれだけで終わらなかった。優恵たちが明るみに出るに連れ、人々は『ヒトを滅亡させる新しい覇者が現れた』と大騒ぎした。その結果、世界各地に散らばっていた優恵の仲間たちは、弾圧され殺されていった。そしていつの間にか、優恵たちのような人々を特殊な者たち『スペシャル』と呼ぶようになったのだ。


 俺は、心の中に様々な色の想いが交差するのを感じながら、ふと空を見上げた。青く青く、何処までも身体が落ちて行きそうに感じるほどの美しい空。まるで、無信号時のテレビモニタのような色彩。何故、青く美しい空は、こんなにも悲しいのだろうか。 


「どうしました?」優恵が俺に寄り添い、一緒に空を見上げる。俺は、そんな彼女の肩を優しく抱き寄せた。彼女の甘い香りが鼻孔をくすぐり、毛に覆われた耳が俺の頬を撫でる。


「いや、空はいつまで青いのかなって、ふと思った。色々なものが失われたように、いつかは空の青さも失われるのだろうか」


「うーん、きっとお日さまが出ている限り青いと思いますよ。そう言えば、空は海の青さがうらやましくって、一生懸命青くなったって話知ってます?」


 俺は、ふと優恵の横顔を見つめた。優恵は、なおも空を見つめながら微笑んでいる。

「さあ、初めて聞いたな?」


「昔むかし、まだ世界に大地と空と海しかなかった頃のお話なんですが、そのころ空は青くなくって、雲もなかったんです。それで、空はいつも地上を見ていたんですけど、ふとあることに気付いたそうです。『何で海には大地と言う友だちが側にいるのに、僕は独りぼっちなんだろう?』って」


「へー、そうなのか?」俺は優恵が話し始めた寓話に少なからず興味を持ち、再び彼女の方を向いた。すると彼女はこちらを向き、少しだけ表情を真剣にして、続きを話し始める。


「それで空は友だちが欲しくてたまらなくなり、海と同じ色になればきっと友だちができるだろうって思ったんです。それから幾星霜の月日を経て、ついに空は海と同じように綺麗な青になりました。だけど、まだ友だちは現れなかったんです」優恵は少し俯き、悲し気な表情を浮かべた。ただの寓話なのだが、俺も同じように淡い悲しみを感じ始めている。


「そうか、友だちがいないって淋しいもんな。で、空はどうしたんだ?」俺はいつの間にか、空と自分を重ね合わせていた。友だちが欲しい、ただそれだけの願いなのに、友だちがなかなか出来ない。俺はそんな少年時代を過ごしていたのだ。


「神様に祈りました。『どうか、僕にも友だちが出来ますように』って。だけど、どんなに祈っても友だちは出来ませんでした。悲しみに暮れ、ますます青くなって行く空。神様は、ついにそんな空を見て哀れに思い、雲と言う友だちをお与えになったんです」優恵はそこまで言うと、大きく息をついた。俺は空に友だちが出来たと知って、嬉しくなってしまった。ただの寓話なのに、心の底から暖かいものがしみ出して来る。だが、そんな俺をよそに、優恵は表情を悲しく歪める。


「だけど、雲は大地と違ってすぐに移動したり消えたりしてしまう。仲良くなっても、すぐにいなくなっちゃうんです。だから、空の青さは海の青さに比べて、悲しい色をしているんですよ」優恵は俺を見て儚気に微笑むと、再び空を凝視してから今度は視線を地に落とした。ふと、風が強くなる。風は俺たちの髪をたなびかせ、そして俺たちの想いを何処かへと流し去ろうとする。俺は風に逆らうように立ち、必死に想いが流れ出ないように願った。


「いつまでも一緒にいる。それは、俺たちが思っている以上に難しく、そして素晴らしいことなのかも知れないな・・・・・・」


 俺の言葉に反応するかのように、ふと凪が訪れる。俺は、風で乱れた髪を掻き揚げると、ポケットに入っているブルースハープと硬い小片を握りしめた。そして、硬い小片をポケットから出し、太陽にかざすようにして優恵に見せる。それは灰色の小さな小さな欠片だった。


「これは・・・・・?」優恵が目を細くして、その欠片を見つめる。俺は彼女の目の前にそれを近付けた。天高くまで昇った太陽が欠片を照らし、空の青さが欠片に滲みて行った。


「これは、『最後の砦』の欠片さ。知り合いの情報屋ラウルに頼んでおいたんだ」俺は今日のために、数週間前からラウルに研究所の瓦礫の欠片が手に入らないかと持ちかけていた。研究所の跡地と、その周囲数キロは立ち入り禁止地域になっていて、一般人は入り込むことは出来ない。未だに無人の監視装置が動作しており、侵入したら最後、軍警察の連中がやって来て逮捕される。だが、偶然にも研究所の閉鎖直後、つまり監視装置が設置される前に侵入し欠片を持ち出した奴がいたのだ。それを、俺の友人である情報屋のラウルを経由して手に入れたわけだ。


「すごい・・・・・。でも、どうしてこれを?」優恵が首を傾げながら手を延ばす。俺は、彼女の手にそっと欠片を置いた。その欠片は高熱のためガラス化し、角は全て丸まっている。


「研究所は既に解体され、その瓦礫は全て政府が押収した。今では塵さえ残っていない。あるのは立ち入り禁止の看板と、おぼろげな人々の記憶だけ。だが、その記憶ですら薄まって来ている。俺は、その記憶をしっかりと心に刻み付けたい。そのための魔法のアイテムさ」俺はそう言いながら、優恵の親友たちが核の炎と共に空へと蒸発したと言う事実を思い出した。優恵も同じことを思い浮かべたらしく、そっと目を閉じ、握りしめた欠片を額にあてながら強く祈る。


「あのとき、サキちゃんもユウくんも、赤井さんも皆みんな消えてしまった。私だけを残して」優恵が目を閉じながら、ふと一筋涙を流す。だが、その表情は穏やかだった。


「そうだな、優恵はあのとき多くのものを失った。それは優恵だけじゃない、俺の親戚も巻き込まれた。確か、あのとき研究所内にいた二千近くの人々の大半が、一瞬で消えてしまったと思う。中には運良く非番だったものや、避難勧告を受け取ることが出来て避難できたものがいたけどな」


 未だに誰が核爆弾を持ち込んだのかは、わかっていない。もしわかったところで、既にどうしようもないが、俺たちの怒りは何処へ向かえば良いのだろう?

 優恵は、何度か複雑な表情で手のひらにある欠片を見つめると、俺にそっと返した。俺はそれを受け取りポケットにしまうと、代わりにブルースハープを取り出した。


「じゃ、いつものように歌おう。日常を奪い取られ、そして消え去った人々のために。彼らの蒸発した魂を慰めるために」俺はブルースハープを加えると、単純なコードを繰り返し吹いた。それに合わせ優恵が歌い出す。


 スペシャルの間で歌われているゴスペルの一種。作曲家も作詞家も不明だが、メロディや歌詞は口伝えで広まっている。黒人たちのゴスペルとは違い、生まれが日本であるせいか民族音楽的な響きがするメロディだ。


『全てが消え失せ、全ての時が止まり、何も起こらなくなっても、あなたは風のように側にいる。私が裏切り、私が蔑み、あなたを信じなくなっても、あなたは黙って側にいる―』


 俺は、優恵の歌に従い、ブルースハープを吹き続ける。優恵の歌声は空に吸われるように、天高く昇って行った。ふと、優恵の歌声を聞きながら、さっきの空の寓話を思い出した。人々は、まさに空だ。ずっと友だちを欲しがり、そして友だちが出来ても別れを繰り返す。そう宿命付けられている。だから、優恵の歌にあるような、ずっと側にいてくれる存在には出会えないのかも知れない。信心深い者たちは、『その存在こそが神である。神は至る所にいる』などと言うのかも知れないが、俺は神がいるのなら何でこんなに辛い世の中を作ったのかと訊ねたい。


 何故、俺たちはこんな目に遭うのかと。何故、終わり行く世界にしがみつき、明日を恐れながら生きねばならないのかと。


 俺は、取り留めのない考えを頭から振り払うため、ブルースハープの演奏に没頭した。ふと空を見上げると、悲しみの青が染込んで来る。

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