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Cover White

作者: 水無飛沫

あなたが、私を望んだのだ……

私をあたためてくれると言った。




……誰かが呼んでいる。

慟哭するように紡がれる声の主を、僕は知っているような気がした。

冷たい氷の底で聞いていた声に応えようと、目を開けた。




 目を開くと、そこには幼馴染の女の子がいた。

「ゲルダ……?」

 どうやら僕は、彼女の腕に抱かれているらしい。

 見上げて少女の名前を呼ぶと、彼女は信じられないものを見るように僕の顔を覗き込んだ。僕はもう一度少女の名前を呼ぶ。

「カイ……」

 少女の口から僕の名前が漏れると、堰を切ったように少女が泣きだした。零れてくる彼女の暖かい涙は、体の芯まで冷えるような場所にあっても、凍ることはなかった。

 ゲルダが落ち着きを取り戻して笑顔になると、僕は疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

「ゲルダ、ここはどこなんだい?」

「女王の宮殿よ。カイ、あなた記憶が……」

 ゲルダの瞳に、困ったような色が浮かぶ。

「少し曖昧なんだ」

 僕は思い出すように目を閉じた。ゲルダと過ごした日々がとても懐かしく感じる。けれど、ここで過ごした日々の思い出は希薄で、一瞬のうちに過ぎてしまったようにも思える。

 ふと床を見ると、そこにはどれだけ時間をかけても決して作られることのなかった「永遠」という文字が、形作られていた。


「帰ろう?」

 そう言ってゲルダが僕の手を握り、立たせる。久しぶりに会った彼女の体は成長していて、会えなかった時間の長さを容易に想像させた。

「カイの手、冷たいね……」

 握った手を眺めて、ゲルダがつぶやく。

「ううん、手だけじゃない。足も、顔も、体も……まるで熱を感じないわ」

 言われてみれば、体の芯が異常に冷えていて、体中の感覚が麻痺しているようだった。

「カイ……」

 ゲルダが体を寄せて、頬に手を当てた。まるで彼女の熱が移ってきたように、僕の頬が熱を持つ。

 ゲルダが僕を抱きしめた。温められた心臓の送りだす熱が、体中を駆け巡る。

「帰ろう」

 耳元でゲルダが囁く。首を縦に振ると、ゲルダは嬉しそうに笑って、僕の手を取り歩き出した。

 恐ろしく広い、氷でできた部屋をいくつも抜けて、僕たちは外を目指す。

「やっと、カイと帰れるんだね」

 嬉しそうにゲルダがつぶやく。つながれた手は、かつての彼女の瑞々しくふくよかだったものと違い、カサカサと荒れていた。

「ごめん……」

 ゲルダの手を強く握ると、彼女は困ったような顔をして微笑んだ。

「別に、カイが謝るようなことじゃないわ。あなたは女王にさらわれてしまっていたのだもの」

 ゲルダに先導されて、僕たちは最後のホールにたどり着いた。簡素な氷の床と、氷の壁でできたその部屋は、外へと続いている。

「さぁ、こんな場所、早く出てしまいましょう」

 ゲルダが外に通じる大きな扉を開く。陽光を反射して輝かんばかりの雪原と、痛く染みるほどに青い空が、数年ぶりに外に出る僕を出迎えてくれている。



******************



氷の城の中心部には、凍った湖がある。

ガラスのように透き通るその湖の中央には、巨大な氷塊が雑然と積まれている。

積み重なった氷の上に置かれた玉座に、女王が座っていた。

淡い水色を基調とした薄いドレス姿には、雪花石膏のように白い肌が際立っている。

すらりとした佇まいで微動だにしない女王の瞳は、焦点を何ものにも合わせることなく、物思いに浸っているようだ。

ゲルダというカイの幼馴染が、彼を迎えに来てから、女王はずっとこの調子だった。

(別に、執着していたわけではない)

女王は心の中で、何度目になるかわからない言葉を紡いだ。

実際、女王は城を留守にすることが多かったし、帰ってきている時でもカイと接することは極端に少なかった。

(それにこれは、私の望んだ結末だ)

女王が小さく息を吐いた。彼女の口から発せられた白い吐息は、瞬時に細かい氷へと姿を変え、透明な湖面に落ちた。

その様子を見た女王の瞳が、より深い悲しみの色を帯びる。

「私では、彼の心を凍らせることしかできなかった……」

意識せずに、女王の口から言葉が漏れた。

それは他の結論を見出すことのできなかった、彼女の後悔の念だったのかもしれない。

(後悔している……だと? ありえない。私は、私のやりたいように行動し、満足のいく結果を得たではないか)

小さく湧きあがった思いをかき消すように、女王は小さく笑うと、再び彼方を眺めた。

(これで良かったのだ……。別に、執着していたわけではない)

幼馴染とともに去った少年の残影を消そうと、女王は吐息を漏らした。

(ここは静かすぎていけない。必要のないことまで考えてしまいそうだ。少し眠ろう……。時間が経てば諦めもつくだろう)

女王が静かに瞳を閉じる。微動だにしなくなった彼女は、まるで彫刻のようであった。

どれくらいの間そうしていたのだろうか。凍った空間の中で、時間を計れるものは存在しない。

けれども不意に、凍てつき決して波打つことのない湖面が揺らいだような気がして、女王は瞳を開けた。

彼女の、冬の青空を連想させる色の瞳に鋭い光が宿る。

先ほどまで漂わせていた憂いの一切を閉じ込め、女王は嘆息した。

「どうして戻ってきた」

不愉快そうに口をゆがめる女王から、細い声が漏れた。

彼女の視線の先には、幼馴染と帰っていったはずのカイがいた。

「……」

カイは何も答えずに弱々しく女王を見ていた。

彼自身もなぜ自分が踵を返してきたのか、理由がわかっていないようだった。

「おめでとう。お前は永遠を手に入れた。もう自由になるがいい」

カイを突き放すような言葉を選び、女王は少年との決別を図る。

けれどもカイは引きさがるどころか、その顔にはっきりした感情を出すようになっていった。

「あなたにはお礼を言わなきゃいけない……」

寒さに震えるカイからやっとのことで声が出た。

「お礼……? 礼を言われるようなことはしてない」

女王が冷たく言い放つ。

その言葉通り、女王がカイに対してやったことは、ソリ遊びの最中にさらい出し、寒さを感じなくなるほど感覚を麻痺させて、城の一室に幽閉したことだ。

決して礼を言われるようなことではなかったはずだ。

「あなたは僕を、助けてくれた」

確固とした表情で、カイは女王を見上げた。

湖の上に積み上げられた氷の上に鎮座する彼女は、まるで幻想的な一枚の絵画だった。

知らず、カイはその光景を胸に焼きつけるように凝視していた。

その眼差しに胸の奥をくすぐられながらも、女王は固く引きつらされた表情を緩めることはしなかった。

「私はお前を監禁した。それは礼を言われることではないはずだ」

「けど……」

カイの瞳が答えを求めて宙をさまよう。

「けど、僕はあのまま街にいたら狂ってしまっていただろう」

女王は少年の姿を目にとめたまま、小さく息を吐いた。

「お前は呪われていたのだ」

カイにかけられた悪魔の呪い。

それは対象物のみにくい部分のみを見せ、まっすぐな心を捻じ曲げる類のものであった。

そのままカイが街で暮らしていれば、周囲の人たちから孤立し、誰からも見放されることになっていただろう。

あるいは心がゆがみきって、狂い果てていたのだろうか。

いずれにせよ、そうなる前にカイは女王に出会った。

女王はカイの心がこれ以上汚染されないように凍らせて、みにくいものを見せないために一切不純物のない氷の城に閉じ込めた。

そうすることで、カイは命長らえることができていたのだ。

けれどもカイの体は、極寒の地で女王と同じように生きていけるようにはできていなかった。

彼の体は衰弱し、死が差し迫っていたのだ。

そんな彼を助けようと、女王は何年も世界中を駆け巡り、カイに施された悪魔の所業を癒す術を探していた。

「そしてお前の呪いは見事、あの幼馴染によって解かれたというわけさ」

抑揚のない声で女王がつぶやく。

世界中を探し回った結果、女王は一つの結論にたどり着いた。

それは彼女には喜ばしいことではなかったが、カイの命を天秤にかけた結果、最も委ねたくない人間に少年を委ねることにした。

「もう行きなさい。お前と話すことは何もないわ」

女王はそっけなく言い放つと、カイの姿を視界から消し去ろうと再び目を閉ざした。

けれども、少年が部屋から出ていく気配は、いつまでたってもしなかった。

それどころか氷の塊を登ってくる音が聞こえ始めた。

「来ないで!!」

ハッとして、女王は閉じていた目を開けた。

既にカイは玉座まであと数段のところまで登ってきていた。

「カイ……。馬鹿な子ね、私と居るとあなたは凍えて死んでしまうのうよ」

苦しげに女王がうめいた。

けれどカイは足を止めることなく女王のもとにたどり着くと、小さな体で彼女を抱きしめた。

痛みを堪えるような細く長い吐息が、女王の耳元に零れる。

「ほら、無理しないで……お願いだから……」

すでにカイの顔に血の気はなく、唇は紫に染まっている。

「あなたには愛してくれる人も、帰る暖かな場所もあるのよ」

女王の声はすでに絶叫に近い。彼女の体が氷でできていなければ、熱い涙を流していたことだろう。

「でも……僕をずっと守ってくれてたのは、あなただ。……ゲルダじゃない」

小さくあえぐような声でカイが告げる。

「けど死んでしまっては、なんにもならないわ」

女王が諭すように優しくカイの手を取り、突き放す。

別れの予感に、少年の瞳に涙が溜まっていた。

「こんなつまらないことで、男の子が泣くもんじゃないわ」

女王は立ちあがり、微笑みながらカイの頭を優しく撫でた。

「行きなさい。ここでのことは忘れなさい」

そっとカイの頬に手を添えて、女王は彼の唇に口づけをした。

突然のことに理解が回らず、カイが我を忘れていると、突然女王が彼を突き飛ばした。

氷塊から突き落とされたことに驚き、カイが玉座を見上げると、すでに女王の姿はそこになかった。

もう二度と女王に会えないことを理解して、カイは城を後にした。


少年が去り、時が止まったように静かになった玉座に、再び女王が姿を現す。

静やかなる湖面の玉座に座る女王もまた、透き通る氷でできているかのようだ。

欠けることなく美しい雪の結晶。それが彼女の本質であった。

女王はカイに初めて会った時のことを思い返す。

あの雪の夜、カイは女王の姿を目にして椅子から飛び落ちてしまったが、彼は確かに「女王を暖めてあげる」と言っていた。

(それは幼心から来る妄言だったのだろうけど、彼は確かに私を暖めてくれた)

カイが女王を抱きしめた時に移った熱が、彼女の心臓を暖め、たぎるように熱い涙を流させた。


-あなたの熱で溶かされるそのいつかを、私は心底望んでいたのかもしれない-



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