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87.それぞれの戦いと

 時は少し遡る。


「ヒノ様。魔族が射程圏内に入りました。ご準備を」

「分かった。初手は前回と同じように『火球』で構わないかな」

「はい。ですが魔族も対策していると思われます。どれほど対応されるかの確認も兼ねて、同じ魔法をお願いします。ただし魔法陣を連続使用できる範囲内で」

「承知した」


 日野祀子はフォルト城、地下の一室で魔法兵の指示を受けていた。

 フォルト全体で構築した魔法陣の中心地。最も魔法陣を運用しやすい場所だ。

 魔法陣を使い、反動を度外視した超高負担の大魔法を放つために待機している。

 そばに控えて指示を出しているのは、前線から出された合図を受け取る魔法兵だ。

 彼女が使うのは、修得には努力よりも特殊な才能が求められる『伝心』という魔法。離れた場所にいる対象と意思疎通ができる魔法である。

 有用ではあるが波長が合った相手と短距離で、しかも端的なメッセージしかやり取りできないため、使い勝手は悪い。


 『伝心』の魔法で合図を受け取った魔法兵の指示に従い、祀子は魔法を放つ。

 破壊力は初戦のまま。ただし消費魔力を半分程度に抑えて数を減らした。

 魔法陣を経由して反動を肩代わりさせる。魔法陣が軋む感触があるが、まだ破綻はしていない。

 いくつもの巨大な火球がフォルト上空に現れた。


「悪いけれど、私は魔族おまえたちよりも大事なものがあるんだ。だから、容赦はしない」


 自分の身。同じように異世界から連れてこられた四人。フォルトの周りで生活する、親切にしてくれた人。

 祀子は何度か魔族の働いた狼藉を見ている。

 勇者がハズレと分かるや手のひらを返した連中は軽蔑しているが、そういう人ばかりでないこともわかった。

 心の天秤は魔族よりも人族に傾いていた。

 魔族を殺すことにも罪悪感はない。

 魔法で殺しているから手ごたえがなく、殺している実感が薄いからかもしれないが。

 そうだと理解していても躊躇いはしない。魔族が殺しに来ているのだから、迎撃するには感傷なんて抱かない方が好都合である。


 作り出した火球に命令を与え、射程距離に入った魔王軍目がけて放つ。

 炎の塊を飛ばすだけの極めてシンプルな魔法『火球』だ。

 シンプル故に単純な火力が高く、制御もしやすい。着弾した時に散らばる炎の欠片でさえも十分な殺傷力を持たせてある。前回はこの魔法だけで魔王軍を撤退に追いやった。


「とはいえ魔族も対策を練っているはず。さて、どう防がれるか」


 祀子自身に遠く離れた戦場を見る能力はないが、自分が放った魔法の状態は認識できる。

 目を閉じ、放った火球に意識を集中させる。

 すると、地面に当たる前に硬い何かにぶつかったような感覚があった。全て完全に防がれたというわけではなさそうだが、大部分が無力化された。


「……ヒノ様。対火炎系の防御魔法を使われているようです」

「なるほど、効果は?」

「火炎系統の魔法にしか作用しない代わりに、火炎魔法に絶対といえるほどの防御力を誇る魔法です。火炎魔法に対してだけですが、通常の防御魔法よりも消耗を減らしつつ強固な防御を展開できます」


 言われて納得した。

 単純な防御魔法で今の火球を防ぐなら相応の魔力を使わなければならない。

 だが、そんな非効率なことはしていられない。ビスティが直接フォルトに出向き宣戦布告をしたのはフォルト城内の魔力を探ることも目的だったはず。となれば、フォルトに十万前後の魔力を持つ人間がいることに気付かなかったはずがない。


 初戦で大規模魔法が通ったのはビスティがフォルトの魔法陣のことを知らなかったから。

 強力な魔法にはそれだけ強い反動がある。人族の限度は消費魔力1000程度であり、普通なら一万もの魔力を消費する魔法は撃てないのだ。


 だが、撃てると分かっていれば対策できる。ビスティの狙いは単属性特化の防御魔法で初撃をしのぐこと。

 無差別な大規模魔法は乱戦に持ち込めば使えなくなる。火球を防いでいるうちに接近するつもりだろう。


「やられたね。……まだフォルト軍と魔王軍は接触していないね?」

「はい。まだ接敵はしておりません」

「ならもう一撃くれてやろう。ただの属性魔法じゃない、とびっきりの質量攻撃だ」


 祀子はもう一度、魔法陣が壊れないぎりぎりの量の魔力を通す。

 どのみち乱戦になったら祀子の出番はなくなる。その間に魔法陣を休ませておけばまた使えるようになる。

 作り出すのは膨大な水と、それら全てを氷塊に変えるだけの冷気。


「水属性と氷属性の同時使用だ。あまり効率のいい魔法ではないけれど、どちらか一方の属性に対処しただけでは防げないよ」


 フォルトの上空に巨大な氷塊が発生した。球状だった氷塊は回転を加えられたことで細長く変形し、弾丸のような形状になった。

 氷塊を作るために水属性と氷属性の魔法を併用した。使った魔力量は同じだが、先の火球ほどの規模は得られない。

 だが、ひとつの属性を防ぐことに特化した魔法では対処できない。

 氷属性だけを無効化したら大瀑布。水属性だけ無力化しても冷気の津波。

 魔族を撤退に追い込むまでには至らなくても十分な打撃を与えられる。


「さあ、どうだ」


 氷塊を魔王軍目がけて放った。

 高速で飛来するすさまじい質量。速くて硬くて重いものはそれだけで圧倒的な破壊力を持つ。

 瀑布が魔族を飲みこむか。

 冷気が戦場を凍土に変えるか。

 あるいは、氷塊着弾の衝撃で魔王軍が壊滅するか。

 もたらす結果はこのいずれか。

 そのはずだった。


「!? なんだ、氷塊が崩された!?」

「ヒノ様、黒いものに触れた途端、氷塊が消え去ったそうです!」


 氷塊は防がれた。

 今度は手段も分からない。黒いものと言っても観測していた兵士が見たものはさほど大きくなかった。あれだけの氷を一瞬で蒸発させられるとは思えない。


「炎……? いや、そんなはずはない。真っ当な力のぶつかり合いで負けたのとは感触が違った。もっと気持ち悪い……魔法の根本を揺さぶられたような感じだ。いったい何が……」


 祀子の感覚も炎に溶かされたのではないと訴えていた。

 どんな手段を使ったのか分からないが、不定形の何かに触れた瞬間に魔法が成立しなくなったような。そんな奇怪な感触だった。


「……フォルト軍と魔王軍が接触しました。範囲攻撃は、もう使えません」

「……なら私も出る。規模を抑えて、遠くから人間のいない場所を狙うぶんには問題ないはずだ」

「いけません! ヒノ様はフォルトを守るための切り札でもあるのですよ!? 万が一戦線が崩壊した場合、サカガミ様の魔法で時間を稼ぎ、兵たちが戻り次第押し返していただかなければなりません! こちらで待機なさっていてください!」

「……っ」


 そう言われれば引き下がるしかなかった。

 魔族の戦力は分からないことだらけ。遠くから魔法を撃っていても安全とは限らない。

 村山貴久がかけている保険のこともある。あれを発動するためには詩穂か祀子、最低でもどちらかが魔力を温存していなければならない。


「……分かった。少し休ませてもらう。必要になったらすぐに指示を伝えてくれ」

「はい。では、こちらへどうぞ」


 もやもやしたものを抱えながら、祀子はいったん役割を終えた。


―――


 氷塊が消された直後。黒い甲冑がフォルト軍目がけて落下した。

 隕石のようにフォルト軍のど真ん中に降ってきたそれは、戸惑う兵士たちを容易く斬り伏せた。

 兵士たちも応戦するが、近寄れば黒い槍の一薙ぎで蹴散らされ、いくら魔法を放ってもダメージを負った様子はない。

 その場の兵士たちを率いていた小隊長もあっさりと殺された。頭を失った兵士たちの動きがバラバラになる。

 黒い甲冑を中心に広がる混乱に乗じて魔王軍が接触。統率のとれていない兵士たちは次々と餌食になっていった。


「ユキヤ! 黒い魔族が暴れてる!」

「分かってる! 俺たちでなんとかするんだ!」


 最前線で強力な攻撃魔法を乱発して魔族を蹴散らしていた四ノ宮征也、浅野夏輝も兵たちの混乱に気付いた。

 戦いにおいて、敵を圧倒するために必要なのは攻撃力より防御力だ。

 攻撃力があれば敵を蹴散らせるが、遠くから狙撃されればそれで終わる。

 だが、敵が持つ攻撃の全てを上回る防御力があれば。絡め手で行動不能にされることはあれど、真っ向殺されることはない。

 黒鎧の魔族は高い攻撃力だけでなく、普通の兵士ではどう足掻いてもダメージを与えられないほどの防御力を兼ね備えていた。

 兵士がいくらいたところで無闇に犠牲者を出すだけだ。必要なのは数ではなく、黒鎧にダメージを通せるだけの攻撃力。

 征也と夏輝には黒鎧を倒しうる攻撃力があった。


「やめなさい。あんたたちじゃ勝てないから。雑魚散らしに集中して」


 黒鎧の方に駆けようとする征也と夏輝を止めたのは、同じく最前線で無数の魔族を斬り倒していた女性、ヨギだった。

 普段は二刀流のヨギだが、今は長剣一本しか抜いていない。左手で対多数用の魔法を使うためだ。


「俺たちがいかなきゃ誰が黒い魔族を倒すんですか!」

「あたしが行く。あんたたちの役目はここで魔族を減らすことよ。あいつは技量も高いし魔法もほとんど効かない。タカヒサにすら剣技で劣るあんたが行っても殺されるだけよ」

「……ッ!」


 征也に言い返す間も与えずヨギは黒鎧の方角に駆けて行った。一瞬でその背は戦場に紛れて見えなくなる。

 歯を食いしばりながらも征也はヨギを追わなかった。

 ヨギが言ったことを事実だと認めているからだ。

 征也は手加減した貴久にすら近接戦で勝てなかった。その征也が、ヨギに「強い」と言わしめる相手と戦えるはずがない。

 弱い魔族を減らす効率なら征也たちはヨギすら上回る。強力な広範囲魔法が使えることが自らの強みだと理解している。

 適材適所と言われてしまえば、認めるしかなかった。


「……くそっ!」


 理屈が分かっても、悔しさは消えない。

 征也は力任せに聖剣を振って青色の魔力を放つ。

 涼やかな見た目でも絶大な破壊力が込められた閃光は、征也の眼前にいた魔族をことごとく消し飛ばした。


―――


「ちょっとおいたが過ぎるわよ、黒いの!」


 ほんの十秒ほどで黒鎧のもとにたどり着いたヨギは、思うさま暴れていた黒鎧に向かって重撃を放った。

 風魔法も刀身にまとわせての一撃は、防がれはしたものの黒鎧の魔族を魔王軍の方向に吹っ飛ばした。

 自分も魔王軍の只中に飛び込むことになるが、ヨギは躊躇いもせず黒鎧に追撃をしかけた。

 黒鎧を追って自らも跳びあがり、速度と勢いをつけて一撃。黒鎧はこれも当然のように防ぎ、自陣の中に着地した。

 着地すると同時に黒鎧は落ちてくるヨギを迎撃する。

 黒い槍斧を構え、一閃。風魔法を使い空中でさらに加速をつけて斬りかかってきたヨギと激突する。

 衝撃。あたりにいた有象無象の魔族が弾き飛ばされた。

 いくらか踏ん張っていた魔族もいたが、


「邪魔ね。『水刃糸』」


 ヨギが左手を振るう。指先から伸びた極細の糸五本によって無数の魔族が切り刻まれた。

 水魔法『水刃糸』。その名の通り刃のように鋭い水の糸を作り出す魔法である。ヨギはこれに錬気をまとわせることで強度と鋭さを増している。雑兵が耐えきれるものではない。


 ヨギが雑兵を片づけた一瞬を隙と見た黒鎧が仕掛けた。

 黒鎧が地面を踏みつけると、黒い魔力が地面を砕きながらヨギに向かって伸びていく。

 難なく黒い魔力を避けたヨギに向かって黒鎧が槍斧を振るう。

 通常なら届かない距離だが、黒い槍斧は柄を伸ばしヨギを狙った。


「ぬるいわよ」


 ヨギが左手で腰の短剣を抜き、振るう。槍斧は容易く切断されて砕けて消えた。

 間髪入れず黒鎧は槍を消し、足元から伸ばした黒い魔力を掴んだ。

 先ほど放った黒い魔力。地面を砕き、それを取りこむことで巨大なモーニングスターを作っていた。

 鈍重極まりない巨大な武器を黒鎧は軽々と振り回す。ヨギは回避することで黒鎧を誘導。雑兵たちを巻き込んで魔族の数を減らす。黒鎧は味方を潰していることに気付いていても止まらなかった。

 黒鎧はヨギ目がけてモーニングスターを投げつけた。

 ヨギは慌てることなくそれを切り刻む。

 細切れになった残骸の陰から黒鎧が飛び出した。モーニングスターを追いかけるように接近していたのだ。

 ヨギは黒鎧目がけて剣を振るう。

 黒鎧は黒い細剣でヨギの長剣を防ぐ。ついていた勢いと重量の差でヨギが弾かれた。

 着地したヨギは間髪入れずに反撃に出る。


「錬気斬術、衝斬撃」


 ヨギの手がブレる。同時に青白い半透明の刃が無数に黒鎧目がけて飛んだ。

 衝斬撃。錬気を放つ『衝撃』と、錬気で刃を作り補強する『斬撃』の合わせ技。ただの錬気の塊を放つのではなく、錬気の刃を放つ。

 黒鎧は黒い魔力をまとわせた細剣を一振り。全ての衝斬撃をかき消した。

 ヨギはその隙に黒鎧の左側面に回り込んでいた。首めがけて刺突する。

 黒鎧は魔力をまとわせた左腕で剣の一撃を防ぐ。


「ちッ――!」


 ヨギの追撃。常人には見えないほどの速さで幾度も黒鎧を斬りつける。

 対する黒鎧も、ヨギには劣るものの常軌を逸した速度で対応する。

 ぎぎぎぎぎぎぎぎぎ、と断続的な甲高い音が響いた。

 最後に一際強い一撃をぶつけ合い、反動で二人は距離をとった。


 技量は互角。速度はヨギが上。攻撃力と防御力は黒鎧が上。

 黒鎧の攻撃はヨギに当たらない。手数重視のヨギの攻撃は黒鎧に通りづらく、力を込めた大振りの一撃は互角の技量で防がれる。

 互いに有効打を持たないため、何度戦っても相手を倒すに至らない。

 ヨギと黒鎧の魔族はこの戦場の中で頭ひとつ抜けて強い。味方が増援に来たところで邪魔にしかならない。そのため、助っ人を呼ぶこともない。


「……ゴルドルがもう少し速ければなあ」


 ぽつりと呟く。

 一撃の重さで言えばゴルドルはヨギを上回る。鎧を隙なく着込んだ相手にも有効打を与えられる。

 しかし、黒鎧の魔族はゴルドルを越える速度と、ゴルドルの防御力を上回る攻撃力を持つ。

 相性が悪いのだ。ヨギの本気の速度に対応できるほどでなければ攻撃する前に殺されてしまう。


「なんて、言ってもしかたな――いっ!?」

『ヨォォォォギィィィィィ!』


 倒しきれないと分かっていてもヨギが止めなければ黒鎧は被害を量産する。

 黒鎧こいつを抑えるのが自分の最大の役割。ヨギはそう考えている。

 戦いが終わるまで釘付けにしておく。

そう気を取り直して剣を構えた途端、文字通りの横槍が入った。

 ヨギの名を叫びながら乱入してきたのは豪奢な鎧を着こんだ騎士である。右手には巨大な盾を、左手には同じく巨大なランスを構えている。

 不意の突撃をかわしたヨギに向かって叫んだ。


『見つけたぞ、我が宿敵よ!』

「あ、あんたは――誰!?」

『なんとおっ!? 我の顔を見忘れたと言うか!』

「白骨死体の知り合いなんて面白おかしいもんはいないわよ!」


 乱入者の背格好は大柄ながら人族の範疇だが、人族でないことはひと目で分かった。

 なにせ頭が骨だけなのだ。鎧に隠れて見えないが、全身が白骨である。

 どこからどうやって声を出しているのか。筋肉なしでどうやって体を動かしているのか。魔法がある世界でも意味不明な存在だった。


「ああもう、鬱陶しい――あっ! あんた邪魔よ! 黒いのに逃げられちゃうじゃない!」

『フハハ、奴を追いたくば我を倒すことだ!』

「他に構ってる暇なんてないってのに!」


 白骨騎士が突撃を繰り返す。

 ヨギがそれをかわしているうちに黒鎧の魔族は姿を消していた。

 黒鎧を追わなければならないが、白骨騎士が的確に進路を遮ってくる。ふざけた存在のくせに手練れである。


「ッ、邪魔っ!」


 ヨギが鎧ごと叩き割ろうと強烈な一撃を叩きこむ。白骨騎士は右手の盾で防いだ。

 黒鎧とは違い、白骨騎士の鎧は外見通りの重量がある。ヨギの一撃にひるむことなくランスを突き出す。


「ああもう、仕方ない……!」


 黒鎧とヨギの実力は互角。戦う前に消耗することは避けたいが、このままでは見失ってしまう。それは再び大量の犠牲者を出すことを意味する。

 白骨騎士も強いが、ゴルドルあたりであれば対応できるはず。危険度は黒鎧の方が上。

 そう判断したヨギは錬気と強化魔法を併用し、一気に白骨騎士を抜き去ろうとした。


『逃がさん! 亡者よ!』

「!? なにこれ気持ち悪い!」


 ヨギの魔力の流れを見取った白骨騎士が叫ぶと、異様な空気がヨギの全身を絡め取った。

 速度が乗り切る前に捕まったヨギは失速。自分を絡め取ったものを振り払うも白骨騎士から逃げるには至らない。

 舌打ちしながら白骨騎士に向き直ると、背後に無数の半透明の手が蠢いていた。


『魔界で殺され幾年月……この時をどれほど待ちわびたことか。逃げられると思ってくれるなよ?』

「殺されって、生きてんじゃないのよ、あんた」

『一度は死んだのだよ。しかし我が一族は生物よりも精霊に近い存在。死体を憑代に、魂を馴染ませ、こうして再び動くことも適った。ゆえに我は貴殿と戦いに来たのだよ』


 ヨギの眉間にしわが寄る。黒鎧を追えない焦燥感に汗が頬を伝った。

 戦う白骨死体なんて奇怪な存在に覚えはないが、魔界を横断した際に何度か魔族と戦い、斬った。目の前の白骨騎士はその中の誰かなのだろう。

 魔界横断中に殺した魔族は狂ったように襲い掛かってきた連中だけなので、目の前の変に陽気な白骨死体に覚えがないことは変わらないが。


「自分の仇討ちってわけ?」

『否! そのようなことはどうでもよい! 負けた我が弱かっただけのことである』

「ならどうしてあたしと戦おうとすんのよ」

『さあ、どうであろうなあ。千年続く一族の名誉のためかもしれんし、貴殿を倒し名声を得たいのかもしれん。案外魔王に忠誠を誓っていたのかもしれんな』

「……話すつもりはないのね」

『いやいや、我にもよく分からんのだよ。死んだ拍子にあれこれ記憶を落っことしたようでな』


 ゆらゆらと白骨騎士が槍を横に振る。嘘や冗談には聞こえなかった。


『ただ、復讐などという薄暗い動機でないことは確かだ。この身が、魂が、強者と戦えと叫ぶのだよ』


 骨だけの顔がにやりと笑ったように見えた。

 白骨騎士の号令により目覚めた死霊たちが二人を囲む。どうあってもヨギを逃がさないつもりらしい。

 ヨギは白骨騎士を避けて通る選択肢を捨てた。両手に剣を構えて対峙する。

 無視して素通りするには強すぎる。気を散らして倒せる相手ではない。

 真っ向から切り捨てる。それが白骨騎士から逃れる最速の手段と悟った。


『魔王軍旗下、死霊騎士バルドゥール・ゼーレ』


 古風にも名乗りをあげた白骨騎士――バルドゥール。


「フォルト軍、雇われのヨギ。号はないわ」


 ヨギは微妙に顔をしかめながらも名乗りを返した。


『――いざ、参る』

「受けて立つ」


 二人が同時に踏み出した、次の瞬間。

 バルドゥールとヨギは激突した。


―――


「よっしゃ、次っ!」

「シュラ、ちょっと前出すぎ。下がりながら集団に加わった方がいいよ」


 槍と盾を装備したウェズリーと、剣を持ったシュラットは二人で戦っていた。

 黒鎧がフォルト軍の中に飛び込んだことで兵の一部が混乱。隊列が崩れた。

 ヨギが黒鎧を排除し、何度か号令がかかったことで冷静さを取り戻しつつあるが、混乱に乗じた魔族の攻撃を受けているため完全に立て直せてはいない。

 ウェズリーとシュラットの周りでも何人か一人で戦っている人がいる。自分たちに向かってくる敵を倒しつつ、孤立した人を助け、孤立していた人同士で組ませていった。

 二人に助けられた人は少々顔を引きつらせていた。子供に助けられて自尊心を傷つけられたらしい。ふたりは嫌なら自分でどうにかしてほしいと思った。


「……そだな。調子こいて囲まれたらあぶねー」


 ウェズリーの制止を受け、どんどん前へ切り込もうとしていたシュラットが足を止める。

 ウェズリーとシュラットはゴルドルに鍛えられた。特にシュラットは才能があったため、大人の兵士にも引けを取らない強さになった。

 けれど、強いと言っても戦場で油断できるほどではない。

 シュラットもそのことは承知しているため、おとなしくウェズリーに従った。冷静な判断力では幼なじみの方が上だと知っている。


「それに僕らじゃどうしようもない敵もいるからね」


 ゴルドルやヨギと互角に戦うような魔族が来たらまず勝てない。

 絶対に勝てない相手との接触を避けるためにも無闇に敵が多い方へ突撃すべきではない。


「……なーウェズ」

「どうしたの、シュラ」

「その、どうしようもない敵ってさ、あーゆーのか?」


 ウェズリーはシュラットが指さす方を見た。

 そこには黒い鎧がいた。

 顔全体を覆う兜に簡素な鎧。どちらも装飾はなく、黒一色。二本の黒い剣を振り回して周囲のフォルト兵を薙ぎ払っている。

 見てすぐ分かった。

 こいつは勝てない敵だと。


「よし、逃げようか」

「おー、逃げようぜ」


 二人は頷き合った。

 どう足掻いても勝てない魔族を相手に戦う必要はない。立ち向かったところで大した時間稼ぎにもならないなら、見つからないうちに逃げるに限る。

 気を引かないよう静かに逃げようとすると、


「……あ、やべ」

「……目、合ったね、今」


 剣を振り回しながら辺りを見回していた黒鎧と視線が絡んだ。兜に隠れて黒鎧の顔は見えないが、確かに目が合った。

 黒鎧の双剣が一瞬大きくなり、周囲を一閃。果敢にも、無謀にも立ち向かった兵士たちが吹き飛んだ。

 魔族も人族も黒鎧が作り出した空白には立ち入らない。

 人族からしてみれば黒鎧は死神のようなもの。近寄りたくない。

 魔族にとっても自分たちを巻き込むことを厭わず暴れる危険な存在だ。やはり近寄りたくない。

 フォルト軍からも魔族からも恐れられる黒鎧は新たに見つけた獲物に踊りかかる。

 幼いながらもそれなりの力を感じさせる二人へと。


「! シュラ!」

「おう!」


 黒鎧の双剣をウェズリーが盾で受ける。

 重い。けれど耐え切れないほどではない。

 ウェズリーが受け止めている隙にシュラットが黒鎧の背後に回り、頭を狙って剣を振るう。鎧を斬れなくても金属の塊で頭を殴られれば昏倒してくれるかもしれない。

 淡い期待を込めた一撃は後ろを見ずに振り抜かれた剣によって阻まれる。

 間髪入れずに振り返り、黒鎧が右回し蹴りを放つ。

 シュラットはとっさに錬気を左腕に集めて防いだものの、軽々と弾き飛ばされた。

 空中で受け身をとり、着地するも左腕の感覚が鈍っていた。

 慌ててウェズリーがシュラットに駆け寄る。


「シュラ!」

「大丈夫だー。それより、ウェズから見てどんな具合だ? 思ったよりは戦えてるけど」

「……やっぱり、勝てる気はしない。戦えてるのはあいつが手加減してるからだ。本気を出されたら戦いになるかどうか」

「逃げるのはどうだー?」

「無理だと思う。背中を向けた途端に斬られるんじゃないかな」

「やっぱなー……」


 ウェズリーの評価はシュラットの感想とそう変わらないものだった。

 状況はなかなか絶望的。


「けどま、おとなしく諦める気にはならないけどなー」

「……だね。粘ってれば誰か来てくれるかもしれない。油断して手を抜いてるならなんとかできるかもしれない」

「正念場ってやつだなー」


 話が終わったと見るや襲い掛かってくる黒鎧を相手に二人は一歩も退かなかった。

 徐々に速く、重くなる攻撃。真っ向から攻撃を直撃させて傷一つ付かない防御力。鍛えた時間の差による技量の差。

 どれをとっても絶望的だったが、ふたりは戦った。

 限界はすぐに訪れた。

 剣を受け止めていたウェズリーの盾が割れた。次の攻撃を防ごうと突き出した槍は簡単に折られた。

 武器を失くしたウェズリーに振り下ろされる黒鎧の剣。

 それを受け止めたシュラットの剣が、衝撃に耐えきれず、砕けた。

 続けざまに放たれた黒鎧の突きをかわし損ね、シュラットの肩口に穴が空いた。


「ウェズリー、シュラット!」


 二人を遠目に見つけて、協力しようと少しずつ近づいていた兵士、レナードが声を上げ、駆け寄った。

 レナードは兵士になる前は討伐者だった。兵士の中では相当強い部類に入る。

 シュラットの肩から抜かれた剣が振りかぶられるのとほぼ同時。レナードは黒鎧とウェズリー、シュラットの間に割って入ることができた。

 かろうじて一撃は防ぐ。しかし追撃は終わらない。再度、黒鎧が剣を構える。

 レナードはさらなる衝撃に備えて剣を構えるが、結局衝撃はやってこなかった。


「なにしてやがんだてめぇ――――!」


 鎧も着ていない少年が、黒鎧の魔族を横合いから殴りつけたから。

 長短二本の剣を構えた村山貴久が、黒鎧の魔族を吹っ飛ばした。


―――


「退くな! 背を向ければ後ろから刺されるぞ! 各々、二人一組になって確実に敵を倒せ! 敵は有象無象ばかり、お前らが勝てない相手じゃねえ!」


 巨大な軍馬に跨ったゴルドルが声を張る。

 黒鎧の魔族がもたらした混乱にいち早く対処し、逃げてきた兵も含めて周囲の兵をまとめ上げている。

 時に馬の蹄で、時に右手に持った大矛で周囲に群がる魔族を蹴散らしながら、ゴルドルは辺りを見回した。

 ヨギが黒鎧の魔族を排除してから戦線は持ち直している。

木偶人形のような魔族は弱い。脅威になるのはその数だけだ。

 そうでない魔族も、個人として強くても連携がなっていない。多対一になるよう立ち回れば兵士にとっても難敵ではない。

 もうひと踏ん張りか、と気合を入れて大矛を振るう。飛びかかってきた魔族の頭が潰れた。大矛の刃はすでに血と脂で潰れているが、鈍器として十分有効だった。

 馬に乗っている分ゴルドルは視野が広い。他の兵士よりも広い範囲に目を配っていると、見知った顔の集まりがこちらに向かっていた。


「レナード! それにウェズリーと――シュラットか!? 何があった!」

「! ゴルドルさん、ヒサが――!」


 馬を歩ませゴルドルが近寄るなり、ウェズリーがまくしたてた。慌てているせいで要領をえない。

 無理もない話である。初めて戦場に立ち、魔族を殺し、魔族に殺されかけ。昔からの親友が死にかけ、新しい友人が命がけで時間を稼いでいる。黒鎧と実際に戦ったからこそ貴久がどれだけ危険な状態にいるか理解できていて、落ち着いていられない。

 横のレナードがウェズリーをなだめ、簡潔に説明した。


「なんでタカヒサが戦場に? それに、黒鎧の魔族だと。ヨギが引き受けてんじゃなかったのか。まさかあいつが負けたなんてことはないだろうが……」


 ゴルドルが顔をしかめた。

 ヨギが殺されたとは思えないが、何もなければヨギが敵を逃がすとも考えづらい。

 となれば、他にもヨギを釘付けにできるようなやつがいて、そいつに邪魔されていると考えるのが自然。


「……なんて、考えてる場合じゃねえな。おいお前ら! おれは勇者の救援に行ってくる! 気張れよ!」

「「「「応っ!」」」」


 すでに兵たちは陣形も精神も持ち直していた。これなら大丈夫だろうとゴルドルはウェズリーたちが歩いてきた方へ馬を向ける。


「案内します。あいつを助けられた場合、救護所まで連れてく奴が要りますよね」

「ああ、頼む」


 ゴルドルは現場の指揮をとらなければならない。負傷者ひとりをいちいち救護所に送ってはいられない。

 戦線が持ち直してきたおかげで魔族の討ち漏らしもほとんどいなくなった。ウェズリーとシュラットはもう大丈夫だろうと判断し、レナードはゴルドルを先導する。



 立ち塞がる魔族を蹴散らしながら向かった先で二人が見たのは、胸を潰され地面に倒れ伏す貴久と、それを見下ろす黒鎧の魔族だった。

 黒鎧を見た瞬間、ゴルドルは総毛だった。

 実力があるからこそ正確に相手の実力を読み取れる。

 黒鎧はヨギと同等の実力者。多少、消耗した様子はあっても太刀打ちできる相手じゃない。

 ゴルドルは自分の失敗を悟る。ゴルドルはその巨体ゆえに目立ち、ヨギを除けばフォルト軍では最強に近く、兵士からの信頼も厚い。自分が死んでしまえば兵士の士気に関わると、傲慢ではなく考えていた。

 先にヨギを見つけ、ヨギを手間取らせているやつを引き受けた方がまだ希望があった。

 自分の浅はかさを思わず呪ってしまう。


 道中、レナードからかいつまんで聞いた話によると黒鎧の魔族はかなり好戦的。いつ襲い掛かってこられても対応できるよう、ゴルドルとレナードは身構えた。

 しかし、黒鎧の魔族は襲ってこなかった。何か考え込むように貴久を見下ろしている。

 ふと、黒鎧がその場にかがんだ。貴久をひっくり返して仰向けにした。

 貴久の目に生気はなかった。瞳孔も開いている。

 ゴルドルはぎっ、と歯を食いしばり、黒鎧を睨みつける。


「……まさか遺体まで弄ぶつもりか」


 勝てないと分かっていてもゴルドルは黒鎧に殺気を向ける。しかし黒鎧はゴルドルに視線を向けることすらしなかった。

 黒鎧が貴久の潰れた胸に触れる。その手が薄く輝いた。


「……治癒魔法?」


 ゴルドルは呆然と呟いた。

 さほど強力なものではないが、確かに黒鎧の魔物は貴久に治癒魔法をかけていた。

 貴久の体に変化はない。治癒魔法は生き物の傷を癒す魔法。魂が、生命力が抜けてしまった体にかけても傷は治らない。

 黒鎧が立ち上がった。何も言わず、貴久の体から視線を切った。

 上がった視線がゴルドルと合った。

 何やら治癒魔法を使っていたが、黒鎧の魔族は敵。そのことを思い出したゴルドルは改めて馬上で大矛を構えた。

 対する黒鎧の魔族は構えるどころか武器を持ちもしなかった。

 黒鎧はゴルドルを一瞥すると背を向け、去っていった。


「……なんなんだ、いったい…………?」

「……おれも、わかんねえっす。さっきは容赦なく殺しにかかってたってのに」


 ゴルドルとレナードはその背中を見送ることしかできなかった。

 背中を射ようと思えばできたが、しなかった。

 射たところで防がれるのは目に見えていた。せっかく帰ってくれるのに喧嘩を売る必要はない。

 何よりも、一瞥した直後。

 どうしてか二人には、黒鎧が溜め息をついたように見えていた。


「レナード、タカヒサを連れてってもらえるか」

「構わないっすけど……でも、あいつはもう……」

「分かってる。普通は戦場でいちいち遺体を持って帰るなんてできないってこともな。だが、こいつはおれたちの勝手でもといた世界から連れてこられただけで、兵士じゃねえ。ただの子供だ。せめて安らかに眠らせてやらないと他の勇者に顔向けできん」

「……うっす」


 レナードは言われるがまま、貴久を背負った。

 四肢には力がこもらず、ぐんにゃりしている。

 体はまだ温かいが、筋肉が固まってきている気がした。

 ……確か、タカヒサはサカガミシホって勇者と仲がいいんだよな。

 訓練や見回りで傷付いた兵士をたびたび治療してくれた少女のことを思うと、彼を見せることがひどく憂鬱だった。


 フォルトは涼しく乾燥した気候だが、今は夏。すでに戦場は異臭に満ちている。

 せめて綺麗な状態で他の勇者に引き合わせてやりたい。

 レナードは残り少ない魔力を使って『保存』の魔法を貴久にかけた。これでしばらくは遺体も傷まないはずだ。


 救護所に足を向けたレナードを、今度はゴルドルが先導する。

 近寄ってきた魔族はことごとくゴルドルの一撃で砕け散る。

 八つ当たりみたいだな、とレナードはぼんやり見ていた。

 レナードは足元に散らばった魔族の残骸を踏みしめて歩いた。


―――


 救護所はひどく混雑していた。

 怪我を回復魔法ですぐに治せると言っても場合によりけり。たとえば折れた骨をまっすぐに整えないまま魔法をかけると、歪んだ状態で治ってしまう。

 戦況が落ち着いてきたおかげで人の入りは減っていたが、処置しなければならない患者は大量にいた。おかげで貴久を背負うレナードも、怪我人を連れてきたと判断された。


「……え? 先輩? そんな、だって、え?」


 救護所のテントの外。貴久を連れ帰ったレナードは、詩穂に事情を説明し、貴久を見せていた。

 本来なら戦闘が終わってから告げるべきだろう。気が動転して治療に不備をきたしてはいけない。

 だが。詩穂は救護所に着いたウェズリーとシュラットの会話を聞いていた。

 ゴルドルに先導されて救護所に来たレナードは目立った。その背に、明らかな致命傷を負った、ハズレとはいえ勇者を乗せていたのだから、なおさら。

 周囲のざわめきを聞き取った詩穂が救護所のテントから飛び出し、レナードに背負われた貴久の遺体を目撃したのだった。


 思いのほか詩穂は冷静だった。もっと取り乱すものかと思っていたが、困惑はしているものの混乱はしていない。

 まだ現状を受け入れられていないのだ。

 詩穂はぴたぴたと貴久の頬に触れた。すでに体温は抜けていて生温い。筋肉も硬直こそしていないが、弾力は無くなっているように感じた。頬も粘土のような感触。いつぞやはむにっとつまめた頬も、今は引っ張ったら千切れてしまいそうだった。

 救護所で手当てを受けていたウェズリーとシュラットも何を言えばいいのか分からず呆然としていた。


「先輩、先輩。大丈夫ですか?」

「……シホちゃん、その人はもう…………」


 テントから飛び出した詩穂を呼び戻そうとした年かさの女性が呟く。

 大丈夫なはずがない。

 貴久の呼吸は止まっており、脈もない。それどころか脈拍を生み出す心臓が壊れてしまっている。目に光を当てても瞳孔は収縮しない。腐敗こそレナードの魔法で免れているが、死後硬直も始まっている。

 子どもにだって分かる。

 貴久はもう、とっくに死んでしまっていると。


「……おいあんた、シホちゃんとその子を落ち着ける場所に連れてってやんな」

「……うっす」


 女性の指示を受けたレナードが貴久を背負い、詩穂を救護所から離れるよう促した。

 救護所は生きた人間の手当をする場所で、そこにいるべきは怪我人と手当をする人。

 死人とそれを悼む人がいるべき場所じゃない。


「……ごめんなさい」


 詩穂もそのことは承知している。今の自分に細かな治療ができないことも自覚していた。

 せめて、と軽傷者が集められたテントに寄って、まとめて一瞬で癒していった。




 レナードと詩穂は貴久を連れ、一足先にフォルトに戻っていた。

 黒鎧がいなくなったことで魔族の勢いは削がれた。征也と夏輝が放つ魔法は遠くからでもよく見えた。大量の魔族を倒していることだろう。その輝きは二人が無事である証でもある。

 落ち着きを取り戻した兵士たちは陣形を組み、バラバラに暴れまわる魔族を確実に仕留めていく。

 開始直後とは違ってフォルト軍は優勢。おそらくこのまま戦いは進み、魔族は撤退していくだろう。


「……よし」


 フォルト内部。城門付近。聖女教団の教会内部。

 貴久は簡素な教会の簡素な一室に横たえられていた。

 顔からは完全に血の気がなくなっている。潰れた胸もそのまま。どう見ても死んでいる。


「治します」


 詩穂の顔に先ほどまでの困惑した表情はない。じっと貴久の遺体を見据えている。

 レナードは貴久を運び終えた時に戦場へ戻っていった。

 彼は貴久を治そうとする詩穂を止めなかった。死人が生き返るとは思っていないが、それで詩穂の気が済むなら好きにすればいいと思っていた。悼むにしても、一人の方がいい時もある。


「命の灯火よ、かりそめの器に力を与えなさい」


 詩穂は治癒魔法の呪文を唱える。緑色の光が目に痛いほど迸る。

 黒鎧が使った治癒魔法よりもはるかに強力なもの。注がれる魔力の量も桁が違う。

 しかし、傷口に変化はない。


「……欠片よ集え。あるべき姿を思い出せ。回帰せよ」


 今度は治癒魔法ではなく、回復魔法を使う。

 青色の光が目を焼くほどに溢れ出た。

 数秒後、光が収まると貴久の胸の傷はなくなっていた。


 得られる結果がほぼ同じなため一緒くたにされることが多いが、治癒魔法と回復魔法は違うものである。

 治癒魔法は幻素を媒介に生物の生命力に訴えかけることで自然回復力を不自然なほどに強化する魔法。

 回復魔法は怪我により欠損した部位を模倣、複製し、体に馴染ませることで機能を回復させる魔法。

 対象に生命力――魂が必要な治癒魔法は効かなくても、術者が壊れた部分を修復する回復魔法は有効だった。


「でも、ダメ……。魂がなくちゃいくら体が治っても意味がないもの。体だって、これじゃ代替品で穴埋めをしただけ。きちんと馴染んでない」


 見た目は元通りになっても貴久の体は死んでいる。本来の体と詩穂が回復させた部分が繋がりきってくれない。

 そのうえこちらの世界では実在するものと認知されている魂も抜けている。これでは完全に体を治しても空っぽのまま。蘇ることはない。


「……間に合ってるか分からないし、試したこともないけど、やるだけやらなきゃ。偽善者だからって誰かを助けようとしちゃいけない決まりはないもの」


 詩穂は自分の両頬を叩き、自分に気合いを入れる。

 大きく息を吸い、吐き出して気を落ち着かせる。

 不安定な精神状態では絶対に成功しない。

 そもそも有効条件を満たせているかも分からないが、いちいち確認のために時間をロスしたら確実に間に合わなくなる。

 今持っている力と知識のありったけを。発揮しうる限界の集中力を。

 惜しみなくつぎ込んで世界の禁忌を犯す。


「――蘇生魔法。必ず成功させる」


――――――


 その頃。村山貴久は。


「……ここ、どこ?」


 真っ白な世界にいた。

 覚えがあるような、ないような。頭が寝ぼけているようで思い出すことができない。

 うんうん唸っていると、


「こんにちは。死後の世界の一歩手前にようこそ」


 声がかけられた。

 高いけれど耳障りでない。柔らかく響く声。きっとこういうのを鈴が鳴るような声というのだろう。

 声がした方を向くと、薄い金色をした上品なドレスを身にまとう女性がいた。

 きらきらと光を反射して七色に輝く、真珠のような白い髪を足元まで伸ばしている。

 よく見ると、やや尖った耳には緑と金の中間の色をした金属質なものがついていた。

 あれは……鱗?


「初めまして――じゃないよね。二度目まして? でいいのかな」


 ふふっ、と柔和に笑う女性。

 少女のように無邪気なくせに、女性らしい色気をほんのり漂わせている。見た者すべてを骨抜きにするような笑顔。

 見たところ二十歳前後のようだが、表情が幼いせいか十代と言われても信じられる。


「約束通り、会いに来たよ」


 彼女は貴久にそっと近づき、ちょっとだけ身をかがめて視線を合わせ、得意げに笑うのだ。

 そんな彼女に、貴久は。


「……どちらさまでしょう」

「ええっ!?」


 そっけなく返した。

 貴久も彼女に見惚れていたのは確かなのだが、最後がよくなかった。

 ちょっと身をかがめたことで彼女の方が素の視線が高いと強調されてしまった。

 そこはかとなくいらっとした貴久は、意地悪を言った。

 嘘はついていない。きちんと顔を合わせたのは初めてだし、現代日本よろしくSNSで話したこともない。自己紹介すらしていないのだ。

 そんな相手は知人とすら言えないだろう。

 たとえ、どこで会ったのかぼんやり思い出していても。


「えっ、あっと、その、しばらく前にね、やっぱり真っ白い世界の夢を見たと思うんだけどね――」


 可哀そうなくらいに戸惑う女性を見ながら、貴久はぼやけている記憶の発掘に集中するのだった。


前回、感想で「死んでいきなり強くなったりしないよな」的な意見を頂戴しました。

それはないです(’ω‘)ノシ

主人公が無双するには、

現代兵器で武装する

魔力を持つことがデメリットとなる場所に行く

周囲のレベルが低い環境に行く

おれは人間をやめるぞ、チファーー!!

くらいしないと無理です。

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― 新着の感想 ―
[一言] あとがきで先の展開言っちゃうとか・・・
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