86.遭遇
「な、に」
見た瞬間に全身の血が沸騰した。
目の前の敵の危険度を測ることすら忘れた。
錬気解放。耐えられる限界近い錬気を両足に集め、全力で突撃する。
「してやがんだてめぇ――――!」
俺には魔力がない。戦場の喧騒の中では走る音で気付かれもしづらい。
黒鎧も声を聞いてようやく俺に気付き、注意がこちらに向いた。
もう遅い。振り向いた時にはすでに肉薄している。
その顔面に長剣を叩きつける。
重撃。ありったけの錬気を叩きこんだ、打撃に近い攻撃。
見た目ほどの重量がなかった黒鎧はサッカーボールのように飛んで行く。が、すぐに空中で体勢を立て直し、足から着地した。憎らしいことに鎧にはへこみひとつできていない。
「シュラット、大丈夫か!?」
「ひ、ヒサぁ? なんでお前がここに……?」
「よし、喋れる程度には大丈夫だな!」
黒鎧に注意しながら横目に見る。
シュラットの怪我は即命に関わるほどのものではなかったらしい。
剣で突かれたらしい部分は心臓よりだいぶ上。喋れるということは肺も無事なはず。
だが、傷はかなり深い。シュラットは自分で傷口を押さえているが血が流れているし、さっきから左腕が動いていない。すぐに処置しなければ危険だ。
「なら早く坂上のところへ行け。ウェズリーも、武器ならそのへんに転がってる。レナードさんは、できたら二人を送ってってくれると助かります」
「……タカヒサ、お前さんはどうするつもりだよ。その口ぶりだと自分で送ってくつもりはないんだろ」
「あの黒いのを食い止めます。レナードさんもそろそろヤバいでしょう。一旦退いた方がいいと思います」
俺は黒鎧の魔族に意識を集中する。
黒炭をシンプルな鎧に押し固めたような姿をしている。片手に長剣を提げていた。
その簡素な外見とは裏腹にウェズリーとシュラット、レナードさんが束になっても敵わない戦力を持っている。
もしも黒鎧の追撃を無防備な背中に受けたら。
三人は瞬く間に殺されるだろう。それを避けるためには誰かが黒鎧を止めなきゃいけない。
熟練兵士のレナードさんが適任かもしれないが、見たところ彼も傷だらけ。魔力もかなり消耗している。この場に限って言うなら俺が最適だ。
「ヒサ、それなら僕も――」
「悪いウェズリー。ぶっちゃけいられても邪魔」
ウェズリーは兵士の中ではそこそこ強い。シュラットと組ませればベテラン兵士とでもいい勝負をするだろう。
しかし今は駄目だ。かなりダメージを受けている上に相方のシュラットも大怪我。加えて俺は誰かと一緒に戦う訓練なんてしていない。互いの足を引っ張り合うのは目に見えている。
「……ごめん。でも危なくなったら逃げてよ」
「当たり前だ。お前らが退く時間を稼げたら即逃げる」
「…………ごめん。そいつ、いろんな武器を出して戦うよ。だんだん強くなってくから、逃げるなら余裕があるうちにした方がいいと思う」
そうアドバイスを残してウェズリーがシュラットを担ぐのを目の端に捉える。
シュラットは何か言いたげにしているが、顔が土気色。血を流し過ぎている。
「ヒ、さ――」
なのに絞り出すような声を出す。
「死ぬ、んじゃ、ねーぞ」
「……アホ。誰がこんな世界で死んでやるか。死ぬときは畳の上で大往生って決めてるんだ」
自分があんな状態のくせに他人の心配とは、剛毅なやつだ。
思わず笑ってしまう。
三人の気配がここを離れたことを確認し、全神経を黒鎧に向ける。
「ずいぶん優しいんだな。終わるまで待っててくれるなんて」
不気味に沈黙を保っていた黒鎧に話しかけて時間稼ぎを試みる。
あんなふうに言ってはみたものの、状況はかなりまずい。
目の前の黒鎧から、とんでもない脅威を感じるのだ。
師匠と同じくらいの脅威。力の鋭さでは師匠の方が上だが、こいつの方が危険な感じを受ける。
師匠と違い明確に敵だから、というだけではない気がする。
本気で来られたら勝てる気がしない。フォルト軍をひっかきまわして師匠と戦ってた魔族ってこいつなんじゃなかろうか。それなら師匠はどこへ行った。
今すぐ逃げたいが逃げるのは絶対に駄目だ。後ろからバッサリいかれるイメージしか湧かない。
さっきからものすごく嫌な予感がする。むしろ嫌な予感しかしない。
駆け出した時に感じた予感は消えた。ここにたどり着くと同時に別な悪寒が膨れ上がっていた。
とりあえずどうにかして時間を稼ぐ。
長短二本の剣を構えて黒鎧を待ち受ける。
こちらから攻撃はしない。幸い生存能力ならゴルドルさんからもお墨付きをもらえているのだ。防御と回避に集中しつつ、増援――できれば師匠が来るのを待つ。
『――――――』
黒鎧はゆっくりした動作で右手に黒い剣を構えた。
こちらも剣を構え直す。時間稼ぎにならないなら口を開く意味がない。そんなことに神経使っていたら確実に死ぬ。
黒鎧が動く。まっすぐ剣を突き出しながら迫ってきた。
「……ん?」
予想外の動きに困惑した。
遅いのだ。手を抜いていることがありありと分かるほど、遅い。目で見てから対応できる範疇の速度。
かといってこいつが弱いとは思えない。感じる魔力も脅威もめちゃくちゃ強い。
ウェズリーが言っていた「だんだん強くなる」というのは、少しずつ手抜きをやめていくということか?
短刀で突き出された剣を逸らして長剣を振りかぶる。もう一度、頭を狙って重撃を放つ。
すると黒鎧は空いていた左手に、どこからともなく取り出した黒い短剣を持っていた。短剣で重撃をあっさりと防ぐ。
くそ、どこから武器を取り出した。
重撃の反作用に逆らわず後ろに跳び、距離をとる。
現状、黒鎧はあからさまに手を抜いている。
そういう性格なのか、スロースターターなのか。
後者はないか。こいつが師匠と戦ってた魔族だとしたら、とっくにエンジンかかってるはずだ。
まあ、どっちでもいい。重要なのは今のところ本気を出していないという事実。
油断してるんだろうが舐めてるんだろうが構わない。時間稼ぎしやすいのは好都合だ。
距離を置いて次の衝突を待ち構えていると、黒鎧が構えを解いた。
両手に持っていた黒い長剣と短剣を合わせる。すると二本の剣が溶けあって黒い槍になった。
「……いろんな武器を出して戦うってのはこういうことか。やっかいだなあ」
あの黒い武器は特別製なのか。魔法か何かなのか。自由に形を変えられると思った方がよさそうだ。
敵の間合いに慣れたと思ったら武器を変えられ、その上で敵の練度は変わらないとか。悪夢だ。
黒鎧が迫る。槍のくせに今度は突きではない。下から逆袈裟に薙いできた。
後ろに跳んで間合いを外す。黒鎧は槍を振って追撃するが、俺は間合いの外にいる。どのみち当たらない。
――なんて初歩的なミスをしてくれる相手じゃないよなあ!
嫌な予感。長短二本の剣を体の前に構える。しなるように迫り、空振る直前に伸びた槍を受け止めた。
間合いも自在とかふざけてる。こんなもんどう見切れと言うんだ。
ぶつかり合った衝撃で後ろに飛ばされた。
「くそ、バカ力め……!」
瞬く間に黒鎧は距離を詰めてくる。槍をバトンのように振り回し、連撃。
変則的な動きを捉えきれない。変に考えるのをやめて、迎撃に集中する。
攻撃の速度自体は師匠の方がはるかに上。動きを先読みできればしのげるはずだ。
距離を置いたり真っ向受け止めたり、紙一重で躱して冷や汗をかいたり。流れるような攻撃をかろうじて捌いていく。
が、やばい。ウェズリーが言っていた通り黒鎧はどんどん調子を上げている。俺が攻撃を潜り抜ける度に速度も重さも増していく。
集中だ。集中しろ。
バケモノみたいな弟に負けないため、習い事に全力で集中していたころを思い出せ。
まして今は命の危機だ。脳も体も全力で協力してくれるはず。ていうかしろ。しなきゃ死ぬんだから。
再び黒鎧の武器が黒い短剣二本に変わる。
圧倒的手数。訓練の時の師匠に匹敵する速度。
打ち筋は師匠と全然違う。慣れていない分対応が難しい。
集中。もっと集中しなければ。
双剣の連撃を流し、かわし、いなし、受ける。捌ききれず追い詰められそうになったら錬気解放を使って流れを断ち切る。
気が付けば周りの音も気配も感じなくなっていた。
周りの連中なんぞにかかずらっている暇はない。ただひたすら、目の前の黒鎧に集中する。
黒鎧のギアが上がった。速度がもう一段上がる。
短剣の刃が頬をかすめた。痛みは感じない。ただ、熱い。
剣は体もかすめるが、防具が役をしてくれる。今のところ裂傷は肌が出ている部分だけ。防具と言っても所詮は服なので、かすめる度にダメージは蓄積されていくが。
どのみち無傷でしのぐのは無理だ。些少は怪我をしても、致命傷だけは避ける。
黒鎧が調子を上げているのであれば、俺は意識をより深く沈めなければならない。
没頭しろ。余分な思考はそぎ落として目の前の敵に集中しろ。
どれくらい戦っていただろうか。
ほんのわずかに打ち合っていただけの気もする。
丸一日以上戦い続けていた気もする。
分からない。
そんなことを考えている余裕がない。
黒鎧の武器は双剣から手斧、突撃槍、鞭など様々に変化した。今は長柄のメイスを持っている。
黒鎧の顔を見る。
フルフェイスの兜を着けているため表情は見えない。
だが、なんとなく視線を感じられる。
視線から動きを読むなんて達人めいた技はできないが、どこを狙っているのか推測する手掛かりにはなる。
……もっとも、今はもう推測なんて追いついていないのだが。ほぼ直感で対応している。
最初とは比べ物にならない速さで黒鎧が迫る。上段からの一撃。防げる威力ではないので、身を軽くひねってかわした。
空振ったメイスが地面に当たる。黒鎧は反動を利用して跳ねあげてくる。狙いは腹か胸。
俺はメイスが勢いに乗る前に踏みつけて、連携を封じようと考えた。
ふと、黒鎧の動きが緩んだ。
驚いているような気配。その視線は俺から外れ、背後を見ていた。
「いつまで遊んでいるのやら。厄介者は早く消していただかないと」
黒鎧につられて後ろを見ると、フクロウ魔族――ビスティがいた。
その手にはダガー。こちらに向けて突き出している。
動きは笑っちゃうくらいスロー。師匠や黒鎧に比べれば、亀どころかナメクジくらいの速さ。刺す前に喋って動きを悟られちゃうあたりどうしようもなく三流。
とはいえ刺されたら死ぬのだ。黒鎧の攻撃は、メイスの軌道上に短刀を構えて逸らすことにして、ビスティを迎撃する。
――ビスティが刺す前に口を開いたことの意図に気付いたのは半秒後。
刺される前に斬り捨ててやろうと長剣を振るう。
あれほど遅いビスティが対応できるはずもない一撃。何の抵抗もなく、俺の剣はビスティの上半身と下半身を切り分けた。
何の抵抗もなかった。
まるで、霞でも斬ったかのように。
斬られたビスティは剣風に煽られ消えた。
差し向けられたのは幻だったのだ。
余りの手ごたえのなさに俺が驚いていたのは、多分一瞬にも満たない刹那。
胸に衝撃。
視線をやると、黒鎧が振り上げたメイスが胸にブチ当たっていた。
ビスティへの攻撃が空振ったせいで、勢い余って姿勢を崩していたのだ。短刀はメイスの柄をかすめるだけで、止めることができていなかった。
あいつはこれを狙っていたのか。
黒鎧の攻撃はすべて致死の威力を持っている。そのせいで直感のアラートも鳴りっぱなしで、意識を向けきれていなかった。
肋骨が陥没して肺が潰れる。
そして、俺は。
自分の心臓が破裂する音を聞いた。




