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84.聞かされた名前

 その日の夜。城壁に登ってフォルトの街を見回すとちらほら灯りが点いていた。いつもならもう寝静まっている時間だが、戦闘に勝ったことで盛り上がっているのかもしれない。

 とはいえ騒がしいというわけではない。戦勝ムードにひたりきれていないようだった。

 実質戦ったのは日野さんだけのようなもの。あまり浮かれられても困るが。


「……なんというか、とんでもない火力だったな」

「どうせ一回目しかできないことだからね。魔力の消耗度外視で撃たせてもらった」


 俺は魔族を焼き尽くした張本人と一杯飲んでいた。

 といっても飲んでるのは酒ではないが。普通にお茶だ。付け合せにはジャムを頂いた。


「魔力消費度外視って……どれくらい使ったの?」

「一万くらいかな」

「いち……っ!?」


 二重に驚いた。

 俺が知ってる中で最も消費魔力が多い攻撃魔法でもせいぜい千程度。一万もつぎ込んだのか、という驚きがひとつ。

 そして、あれだけやらかしてもまだ九割の魔力が残っているのか、というのがもうひとつ。


「……アレを十連打できるとか。日野さんがその気になればソロで魔族を殲滅できるんじゃないのか」

「それは無理だよ。あれ以上魔力を注いだら魔法陣が壊れてしまう」


 魔法の反動を肩代わりできる魔法陣にも限界がある。勇者召喚の時点でガタがきており、あまり酷使できない。連続使用すると自動修復が追い付かないのだ。

 使う度にインターバルが必要。一度に注げる魔力も一万が限度らしい。

 ちょうどいいかもしれない。一万であの威力だと、十万とか魔力をぶっ込んだら連鎖的に災害が発生しかねない。巨大な炎が上昇気流を巻き起こし、炎を散らす竜巻が発生とか勘弁である。


「まあ、なんにせよ心強いことには変わりないな。これからも魔族が来るたびに開幕ぶっぱで相当有利になるだろうし」

「……そう上手くいくものかな」

「ん?」

「戦場を見ることはできなくても自分が放った魔法がどうなったかは分かるんだ。ほとんどの魔法は着弾した。けれど、後半。逃げる魔族の背中に撃ったひとつはかき消された」

「かき消された?」


 相殺されたとか、防がれたなら分かる。

 あの火力を防ぐ敵がいることを信じたくはないが、理解できる。

 かき消されたという言い方は違う。同じ火力をぶつけられたり、火力を上回る防御力とぶつかったりしたのならそうは言わない。魔法そのものをキャンセルできる敵がいるのだろうか。


「私もうまく言えないのだけれど……炎に変換した魔力が散らされたような、そんな感触だったんだ」

「無効化とはちょっと違う感じか」

「うん。魔力が消えたというよりも、式の一部を塗りつぶされて魔法が成立しなくなったような」


言いながら日野さんは目を伏せた。

今の説明も俺に伝えるためではなく、考えをまとめるために言語化しただけなのだろう。


「むう……。そう言われても俺はその感覚が分かんないんだよなあ。魔法使えないし。ダイム先生に聞けば何か分かるかも」


 理論なら些少は分かるけれど、魔法を使う上での感覚の話になったらお手上げだ。理論にしたって日野さんが分からないようなことを聞かれても答えられる気がしない。

 そういった相談をするならダイム先生が最適だろう。


「それもそうだね。フォルトで一番魔法に詳しいのはダイム先生だろうから」


 ちょっと冷たい対応だったかもしれないが、日野さんはあっさり頷いた。気にした様子はまるでない。

 俺と日野さんはそれきり無言。活気があるような無いような、微妙な様子のフォルトを眺めてちびちびお茶をすする。


「……ところで日野さんは俺に用があるんじゃなかったのか?」


 変化に乏しい風景を見るのにも飽きて話を振った。

 街の様子が気になって城壁に登った俺を見つけた日野さんが話しかけてきて今に至る。

 たまたま見かけたから話しかけてきたのかも、と思ったが、俺を見つけた時に「ここにいたんだ」と言っていた。俺を探していたのだろう。


「この間話しそびれたことがあっただろう? 今のうちに話しておこうと思ったんだ」


 話しそびれたこと。

 フォルトが陥落した際にかける保険のことで相談した日か。

 確かあの日、話したいことがあると言っていた。

 それを今話そうと言うのは、魔法をかき消されたことで不安が生まれたからかもしれない。

 ……なんて、そのことを口にするつもりはない。取り越し苦労なら口に出すだけ赤っ恥。それに不安を感じているのは俺も一緒。日野さんの不安をぬぐえる言葉なんて持っていない。


「本当にただの雑談なんだけれどね。いっしょに伝えておきたいことがあったから」

「そういえば結局話を聞かず終いだったもんな。で、話したいことって?」

「村山くんは、村山貴住たかすみくんのことを知っているよね」


 耳を疑った。

 口に含んでいたお茶から味がなくなる。吹き出しこそしないものの、味わうことなく飲み下してしまった。


「……スミのこと、知ってんの?」

「あ、やっぱり彼が村山くんの弟だったんだ。この前も弟がいると聞いて、そうだろうと思っていたんだ」


 疑問が解決したからか。日野さんは笑う。

 隣の俺は俺は笑えない。

 異世界に来てまであいつの名前を聞くとは思っていなかった。


 村山貴住。村山家の次男。俺の弟。

 四ノ宮征也にに匹敵する性能を持った、俺を測る物差しのひとつだったやつ。

 こちらに来てから久しく聞いていなかった名前。

 自分で話題に出してもさほど痛まなかったからコンプレックスも克服しかけているかと思っていたが、そうではなかったらしい。

 他人の口から名前を出されただけでこれほどに心が揺れる。


「小学校六年生の頃、村山くんは英会話塾に通っていただろう? あの、一か月で中学生の特進コースに進んだところ」

「……ああ、二ヶ月くらい通ってた」

「私もあそこに通っていたんだよ。三か月ほどだったけれどね。そこで小六特進コースに飛び級してきた貴住くんと知り合ったんだ。その後も他の塾で時々会うことがあって、たまに話をしていたよ」

「……へえ」


 そういえば昔、日野さんとよく似た顔の女の子を見たことがあるような無いような。

 小六と言えば貴住に体格で追いつかれ、追い詰められた時期だ。英会話塾も必死に授業を受けていた覚えがある。他の塾生の顔なんてろくに覚えていない。

 日野さんが言った通り、一か月で一学年分飛び級して中学生のクラスに入って、その後一か月でやめた。

 一か月遅れで入塾した貴住が二学年分飛び級してきやがったからだ。どうせすぐに中学クラスに登ってくると見切りをつけた。

 名前を聞くだけでコンプレックスが蘇る。最近では感じることもなくなっていた暗い感情が、肚の内から立ち上ってくる。


「あまり顔立ちは似てないと思っていたけれど、兄弟だと思って見るとちょっと似ているね。全体的に村山くんの方が少し童顔かな」

「……かもね。見比べたことないからわかんねーや」

「同じクラスになった時、すぐに村山くんだと分かったけれど戸惑ったよ。改めて見ても、雑談の中で貴住くんが触れていた『兄さん』と、なかなか――」

「ごめん日野さん」

「結びつかな……村山くん?」


 日野さんの言葉を遮って立ち上がる。

 あっけにとられた様子で日野さんはこちらを見ていた。

 その表情を一瞥して、日野さんが魔法で作ったカップ以外の茶器を片づける。


「俺、あいつの話はあんまり聞きたくないんだ」


 茶器を運ぶ都合上、城壁から飛び降りることはできない。きちんと階段を使う必要がある。

 階段に一歩足を踏み入れた、その刹那。


「……そっか。ごめんね」


 風に乗って消え入りそうな言葉が聞こえたけれど、何に対する謝罪なのかは分からなかった。


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