72.魔族
城に戻ったが、よく考えてみれば俺は魔族の居場所を知らない。
普通に考えれば牢獄みたいな場所に閉じ込めてあるだろう。もう処分されている可能性もある。
魔力感知をしてみるが勇者のように際立った魔力は感じない。
「なあ坂上、件の魔族ってどこにいるんだ?」
実際に話したことがあるようなことを言っていた坂上に聞いてみる。
万一処刑されていても教えてくれるはず。
「城の地下に牢屋があるんですけど、きちんと申請をした方がいいと思います」
「そりゃそうか。囚人に面会するなら警察官なり獄卒なりの付き添いが要るもんな」
道理である。変なことを考えたバカが脱獄でもさせたら事だ。
別段後ろ暗いところがあるわけでもない。さっそく申請をとろうと歩き出して、すぐに止まる。
「……ところで坂上。申請ってどこにすればいいんだ?」
振り返って尋ねると、坂上は呆れたように小さくため息をついた。
―――
俺たちがいるのは城塞都市フォルトの城である。城というのは維持管理に手間がかかる建物だ。住み込みの人だけでも数十人、通いで働く人も含めれば百人ほどいるだろう。兵士を含めればもっと多い。
それだけの人が働き、飯を食い、生活をしている。加えて防衛拠点だけあって武器も所蔵している。
それらを管理する人がいて、管理を統括する人もいるわけだ。
普通ならそれぞれの部署の担当者に申請をするのだろうが、そこは勇者。坂上が文官っぽい人に頼むとすぐに許可が下りた。もう魔族が捕まって五日も経っており尋問の予定が入っていなかったこともあるだろう。
地下牢に向かう条件として兵士をひとり付けられた。けっこう強そうな人だ。監視の意味もあるのだろうが、俺が何を聞くのか興味があるとついてきた坂上の護衛としての意味合いが強いだろう。
「それにしても陰気な場所だなあ」
「陽気な地下牢なんて普通はないと思いますけど」
地下への階段を歩きながらくだらない話をする。
湿ったかび臭い空気が充満している。ここにいるだけで気分が落ちてきそうなのでそれをどうにか誤魔化したいのだ。
一度この空気を吸っただろうについてきた坂上は相当な物好きだろう。そんなに面白い話をする予定がないことは伝えてあるのに。
階段を降り切ってしばらく歩いたところに件の魔族はいた。当然、牢屋に入っている。
地下牢に幽閉されているのは魔族だけなので勘違いすることはない。ていうかそもそも外見が人間離れしている。
見た目は大男。全身を鎖で縛られ座っているので身長は分かりづらいが、身長も肩幅もゴルドルさんを上回っているのではなだろうか。
だが、特筆すべきは体格ではない。
耳近くまで裂けた口。そこからの覗く無数の犬歯。臼歯はない。口の周りは真っ赤に染まっている。
そして、紫色の肌。どういう進化を遂げればこんな肌色になるのか、皆目見当もつかない。よく見れば手の先には犬や猫のような爪が生えていた。上向きに尖った耳など、異様な特徴がいくつもある。
なんというか、すごく魔族っぽい。
「あーっと、こんにちは?」
「……あぁん?」
独房に入れられた人(?)に声をかけた経験なんてもちろんない。ひとまず普通に挨拶をしてみると睨まれた。
うん、超コワい。ゴルドルさんも大概強面だが、強面というレベルではない。人間離れした形相だ。人間じゃないから仕方ないか。
それでも体のベースは人間であるように見える。魔族というのだからもっとモンスターっぽい外見を想像していた。こいつの外見も人種の違いと言える範疇を越えている気がするが。
「なんだテメエは」
「通りすがりの一般人です」
「ハ、くだらねえ冗談だな。そこのふざけた魔力の女ァ連れてるくせに一般人か?」
ふむ、言語は通じると。きちんと会話ができるし思考力もある。思考力ゼロ、人を襲うだけのバケモノではないようだ。
……そういえばなんで魔族がアストリアスの公用語を使っているんだろう。
「まあまあそれは置いといて。ちょっとあなたにお話し聞きたいと思いまして」
「話だあ?」
「はい。場合によってはあなたを牢屋から出して街に解放することも検討します」
「なっ!?」
「先輩、何を!?」
「そんなに驚くようなことでもないだろ。俺の目的は元の世界に帰ること。魔族に媚売った方が早く帰れそうならそうするさ」
嘘である。場合によっては魔族に媚を売るというのは本当だが、坂上から聞いた話だとこいつは見境のない殺人鬼らしい。そんなものを首輪も付けずにチファやマールさんのいる街に放せるか。
顔だけ振り返って笑ってみせると坂上の顔から険が消える。分かってもらえたらしい。兵士さんは俺への警戒心を強めている。その方が解放するという話に信憑性を感じるだろうからちょうどいい。誤解は後で解けばいいだろう。
「ほおう? 面白えな。で? お前は何を聞きたい?」
「あなたたち魔族の目的です。どうしてアストリアスに侵攻しているのか。魔族側の主張を教えていただければ、と」
そこまで歴史や戦争に詳しいわけじゃないが、戦争の理由はいくつか知っている。
侵略、防衛、宗教、食糧、労働力に、そして金。
侵略とひとくちに言っても、原住民を虐殺する侵略と昔に奪われた土地を奪い返すのとでは趣が違うだろうし、宗教戦争と言っても宗教をダシにしているだけのこともありそうだ。
魔族が戦争を仕掛ける理由はいかなるものか。
もっとも、末端っぽいこいつが知っていることはただの大義名分だけかもしれないが。
「そんなことが知りたいのか? おかしなやつだな」
隠すことではないらしい。魔族はあっさりと理由を話した。
「楽しいからさ」
「は?」
「オレたち魔族がてめえら人間を殺すのは、楽しいからだ。悲鳴が耳に心地いい、血肉が旨い。だから殺すんだ」
思わず間抜けな声を出した俺に、魔族は陶然と語った。
「……それは、食糧として人間が必要ということですか? 人間を食べないと生きていけないとか」
「んなわけねえだろ。人間なんて食わなくても生きていけらあ。捕まってからオレが何を食って生きてると思ってやがる」
「じゃあ、なんで」
「決まってる。言っただろ? 楽しいんだよ。人間を殺すのはなあ、オレたち魔族にとって最ッ高の娯楽なんだよ」
にちゃあ、と喜色悪い擬音を立てそうな笑みを浮かべ、魔族は言った。
戦争の理由は宗教でも怨みですらない。目的は土地でもなければ労働力でも資源でもない。
ただの、娯楽であると。
「……つまり、お前はただの遊びのために人を殺すと?」
「そうさァ。これ以上の娯楽はねェぞ? ガキの肉の柔らかさァ、女の血の甘さァ、目の前でガキと女を殺される男の絶叫……ああ、思い出しただけでたまらねェ」
……気持ち悪い。
言っていることを何一つ理解できないし、理解したいとも思わない。
こいつは狂っている。理解できてしまったら人として終わりな気がする。
きっと、場合によっては牢屋から出してやると俺が言ったことも忘れている。こんなことを話せば解放されるはずがないと理解しているくせに。
「でも、それはお前固有の嗜好だろ? 他の魔族はどうなんだ」
これは半分願望だ。
もしも魔族全てがこいつのようにいかれた存在だとしたら、会話も交渉も成り立つ気がしない。
魔族の目的によっては坂上や日野さんにも協力を要請して魔族が望むものを差し出すことも考える。代わりに侵略をやめさせ、あわよくば帰るための魔力を確保するために。
勇者の戦力があればある程度の無茶を効かせることもできるだろうし、この世界から消えるつもりなら人間社会に喧嘩を売るリスクはないも同然。地球に戻ってしまえばしっぺ返しが来る可能性も考えなくていい。
だが。魔族が全てこいつのように狂っていたら。
こんな算段は成り立たない。
「バカだなァ、お前。食い物はある。土地も今あるだけで十分。人間共は復興に精一杯でチョッカイ出してくることもねえ。エライさんは小理屈こねてるが、オレたち兵士は人間を殺したくて集まってんだ。そうでないヤツぁ魔界に引きこもってらァ」
衝撃だった。
俺が知る限り戦争には目的がある。
資源だったり、怨恨だったり。土地そのものだったり、労働力だったり。
だが、こいつの話を信じるなら、魔族に戦争を仕掛ける必要性はない。
きっと地球での戦争にも大義名分を盾に殺人を楽しむ異常者はいただろう。少なくともフィクションでは頻繁に出没していた。
フィクションがどれだけ真に迫っているのか俺には分からないけれど、兵士や軍人の全てが殺戮嗜好の異常者ではない。
徴兵制度があったことがその証拠。その国の人間全てが殺戮を望む狂人ばかりだったなら、戦時中の軍隊なんて徴兵するまでもなく人が集ったことだろう。
驚きと信じたくない気持ち、嫌悪感が綯い交ぜになって視界が暗くなる。自分の思考に沈みそうになる。
その前にがじゃん! と金属がぶつかり合う音が耳に響き、沈みかけの意識が浮上した。
「だからよお、てめえも、そこの女も! 食わせろよォ!」
がじゃんがじゃんと何度も牢に体当たりをする。
その狂態に圧され、一歩下がる。
魔族は鎖に縛られ鉄の牢に入れられている。魔法が当然に存在する世界なんだから魔法対策だってされていないはずがない。どうせ出られやしないと分かっていても狂った生き物に殺意を向けられれば怖い。
「……帰ろう、坂上。これ以上ここにいても気分が悪くなるだけだ」
「はい、そうですね」
ずっと黙っていた坂上は当然のように頷いて、率先して出入り口に足を向けた。
これ以上こんな場所に居たくないし、あんな生き物と同じ空気を吸いたくない。
さっさと退散しようと出入り口の方を向いた瞬間。ぴりっと嫌な予感がした。
がぎゃん! と一際大きな音がするのと同時。老朽化していたらしい鉄格子が一本外れた。
その隙間に魔族は無理やり体をねじ込んで、こちらめがけて突っ込んでくる。
誰を狙っているのか分からない。
……いや、全員を狙っていて、誰も狙っていないのだろう。とにかくぶつかった相手を殺そうとする狂気に溢れていた。
どうするか考える暇もない。兵士さんはとっさに盾を構えて坂上と魔族の間に滑り込もうとするが、間に合うかどうか。
やられる、と思った瞬間。
「ぐっ、がッ!?」
魔族が吹っ飛んで再び牢屋の中に叩きこまれた。頭が揺れたのか呼吸音はかすかに聞こえるが魔族は動かなかった。
「せ、先輩!?」
「ああ、自分でもびっくりだ」
いやほんとビックリ。いきなり襲いかかってきた魔族を張り倒したのは、何を隠そう俺なのだ。
魔族が飛びかかってくるのを認識すると同時。考える前に体に錬気を巡らせ、鳩尾にアッパーを入れて浮いたところを顔面殴打。自分の体があまりにも滑らかに動いたことに驚き、拳を突き出したまま固まってしまっていた。
そういえばヨギさんとの訓練の時も攻撃を迎え撃つのにいちいちどうするかなんて考えてなかった。
ちんたら考えていたら間に合わないのだ。回避なり迎撃は考えるまでもなく勝手に体が動くまである。
いやはや、訓練受けてよかった、ほんと。詳しい内容は思い出したくないけど。
「あー、兵士さん? 俺と坂上は部屋に戻ってるから、後始末よろしく」
「お手数ですけどよろしくお願いしますね」
バクバク暴れる心音を聞きながら、盾を構えたまま呆然としていた兵士さんに言い残し、返事も聞かずに俺と坂上は地下を後にした。
誤解を解くのを忘れていたと気付いたのは部屋についてからだった。
俺も気が動転していたらしい。
「……まいっか。ああやって殴り倒したんだし、今さら解放するとは思わないだろ」
妙な疲れを感じた俺はベッドに身を投げた。