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71.三十日目

「いくらなんでも、あれはまずいと思うんです!」


 三十日目の昼。五日前と同じように早い時間に昼休憩をとった詩穂は訓練を見て、昼食中のヨギに直談判した。

 もすもすとパンをかじっていたヨギはよく噛んで飲みこみ、それからきまずそうな視線を詩穂に向けた。


「……やっぱりそう思う?」

「やっぱりって、分かってたなら止めてくださいよ! というかあの様子を見たら誰だってわかりますよね、まずいって!」


 詩穂はバンとテーブルを叩き、同じく昼食を食べていた貴久を指さした。

 貴久は何の反応も示さない。黙々と昼食を口に運んでいる。その横ではチファがかいがいしく食事を勧めている。貴久は諾々とそれに従う。

 貴久の目に生気はない。どこか遠い場所を眺めているようだった。


―――


 昨日の夜のこと。詩穂の部屋に珍しい客人があった。

 ノックをされ、扉を開けるとそこには表情を曇らせた少女がいた。


「……あれ、チファちゃん? どうしたの、何か用事?」


 そう言いながら詩穂はチファを部屋に通した。

 チファが貴久の専属メイドであることは知っている。祝勝会の時など話す機会も何度かあった。お互い知らぬ仲というわけではない。

 しかし、夜に部屋を行き来するほど親しいかと訊かれたら答えは否だ。すれ違ったら挨拶をする。お互いに暇な時に会ったら雑談をする。そんな程度の関係である。

 だからこそ詩穂には不思議だった。

 チファは幼いが、非常識には見えなかった。それなのに非常識としか言いようがない時間に自分の部屋を訪ねてきたことが。


「どうぞ」

「……ありがとうございます」


 お茶でも出そうかと思ったが時間が時間。眠れなくなったら大変だと思って水を出し、椅子を勧める。チファは申し訳なさそうにしながらもお礼を言って、椅子に座った。詩穂もその向かいに座る。


「あの、こんな時間に申し訳ありません。ご迷惑でしたよね」

「ううん、本を読んでたところだから大丈夫だよ。それより何があったの? 体調が悪いなら手当するけど……」


 チファの顔色はあまりよくなかった。怪我や病気には見えなかったが、体調が悪いのかもしれない。それなら血行をよくする魔法でもかけるところだ。副作用がない上に体が温まり、回復魔法をかけられたという実感が強いので、これだけで体調不良が治る人もいる。

 しかしチファはふるふると首を横に振った。体調不良というわけではないらしい。


「……今日は、ご相談がしたいことがあって来たんです」

「相談? 私に?」

「はい。サカガミ様に相談するのが一番いいかと思って」

「ちょっと意外。チファちゃんならまずは村山先輩かマールさんに相談するかと思った」

「えと、タカヒサ様のことをご相談したいんです。マールさんと話してみても、どうすればいいのかわからなくて……。本当は明日の朝にお話ししようと思ってたんですけど、心配で」


 ぎゅうっとチファは自分のスカートを握りしめた。話しているうちに不安が強くなったのか、目の端にはうっすらと涙が浮いている。


「泣かないで。お話、聞かせて。何ができるか分からないけど、わたしにできることがあるようなら手伝うから。ね?」

「……はい」


 詩穂はチファの横に立ち、肩に触れる。その際に自分の手の血行をよくし、手のひらを暖かくした。

 椅子を引っ張ってチファに向かい合うのではなく斜向かいに改めて座る。

 不安や弱音をこぼしたい相手には真正面から向き合うよりも寄り添うような位置にいた方がいい。治療院で学んだことだ。

 しばらくするとチファも落ち着いたのか、ぽつぽつと相談したいことを口にし始めた。


 最近、貴久がおかしいのだという。

 ヨギとの訓練が始まったころから言葉数が減り、あまり元気でない様子だった。

 大丈夫か尋ねても大丈夫と笑っていたし、ただ疲れているのだろうと思っていた。しばらくすると顔色もよくなってきたので、それほど心配はしていなかった。

 しかし、最近になって、またひどく弱った様子が見え隠れした。

 ほとんどしゃべらなくなった。声をかけても反応が鈍い。チファがそばにいることに気付くとすぐにやめるが、ぶつぶつ何か呟いていることがある。

 ただ疲れているだけと言ってしまうには様子がおかしかった。


「……なるほど」


 話を聞いた詩穂は、表には出さないものの後悔した。

 ここ最近は祀子が魔族を捕まえたり、その魔族に襲われた村に出向いて怪我人の治療をしたり、対魔族用の巨大防壁魔法の習得をしたりとドタバタしていた。そのため訓練が終わった後の貴久に会う時間を確保しそびれていた。

 ヨギの治療に問題はなかったし、それほど過保護に見ておく必要もないと思っていた。

 だが、チファの話を聞く限り貴久の弱り方は尋常ではない。詩穂としても気がかりだった。


「うん、わかった。ちょっと心当たりがあるから、明日にでも確認してみるね。今から先輩の診察に行ってもいいけど、さすがに寝てるかな?」

「最近は、夕食が出来た時にはもう寝てしまっていることがあります」

「……純粋に疲れてるっていうのもあるのかな、やっぱり。起こしちゃ悪いから、それも明日になるかな」


 疲労して寝ている人を無理に叩き起こせばかえって体調を崩すおそれがある。

 征也と戦った直後と違い起きてほしいわけではないので、今すぐ治療には行かない。


「そんな顔しないでよ、チファちゃん。わたしもちゃんと診るから。こう見えてもわたしの診察は評判がいいんだから。安心して」

「……はい」


 なんて言っても実際に貴久が元気になったところを見なければチファが安心できないことは分かっている。大事なのはきちんと相談が聞き届けられたと認識させて、心に背負った荷物を減らすこと。

 明日は早めに治療院に行って、時間を融通してもらおう。

 チファを部屋に送り返した詩穂は読書を切り上げ早目に寝た。


―――


 そして翌日。詩穂は貴久の午前の訓練を見届け、怪我の確認をした。それからチファに貴久が精神的に疲労しきっていると容体を伝えて、ヨギに直談判していた。


「さっき、訓練が終わった直後なんてぼそぼそ『刃物こわい』って繰り返してたんですよ? いったい何をどうすればあそこまで追い詰められるんですか」

「あはははははは……、いやね、あたしもちょっとやめ時を見失ってた感があるわね。ほ、ほら。タカヒサは呑み込みがいいから」

「だからってああなるまで続ける人がありますか!」

「……返す言葉もない」


 いきり立つ詩穂にヨギは終始押され気味であった。自分がやり過ぎてしまったことを自覚しているだけに強く出られないのだ。

 貴久は、ぱっと見廃人寸前くらいに弱っていた。

 ヨギが軽く本気を出して以来、貴久の被斬数は初日を越えた。フォルトの兵士では目で見ることも難しく、ゴルドルですら防ぎきれない剣の嵐が吹き荒れるのである。急造品の貴久が対応しきれるはずもない。

 それでも日を経るごとに斬られる回数が減ったのだから貴久は頑張ったと言っていいだろう。

 代償として、一か月間斬られる激痛に耐えつづけてきた貴久の精神が限界を迎えかけていたが。

 治癒によって斬られたそばから傷はふさがっていくが、斬られた瞬間は痛みがある。痛みは精神を疲弊させる。初日以来徐々に斬られる回数が減ったため耐えられていたが、二十五日目にしての被斬数急増である。さすがに限界らしい。


「ひとまず今日の訓練はお休みにした方がいいと思うんですが」

「そ、そうね。ちょっと本気を出したあたしと戦える程度には強くなったし、訓練はこれくらいでいいと思うわ」

「だそうです先輩。今日はゆっくり休んでください」

「……ん?」

「うっ……」


 声をかけられてようやく貴久は反応を示した。ここまでの話を聞いていなかったようできょとんとしている。

 貴久と目が合った詩穂は思わずのけぞった。目が木のうろのように見えてしまった。

 これは思ったより重症かもしれない。そう慄く詩穂と亡霊さながらの貴久を見て、ヨギは懐から巾着を取り出し、いくらかの貨幣を詩穂に渡す。


「シホ、これあげるから、ちょっとタカヒサを気分転換させてあげて」

「え、いいんですか、こんなに」


 渡されたのは銀貨と大銅貨を十枚ずつ。アストリアスで主に使用される貨幣は銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨の六種類。

 大銅貨二枚で大きいバゲットが買えて、普通の宿に一泊するには銀貨五枚ほどかかる。詩穂の体感では銅貨一枚十円程度。そこから貨幣のランクが上がるごとにゼロがひとつ増えていく。金貨以上は一般では使われていないのでよく分からない。

 日本とはそもそも物の価値が違うので大まかな目安にしかならないが、ヨギは日本円換算で一万一千円ほど詩穂に渡したことになる。


「そこまでやっちゃったのはあたしだからね。ケアもあたしがすべきなのかもしれないけど、自分をさんざん切り刻んだ相手と一緒にいたら気分転換なんかできないでしょ?」

「それは、まあ。そうですね。並んで歩くだけでも怖いと思います」

「でしょ? お金はむしろ少なすぎない? 部屋に戻ればもっとあるけど」

「いえ、十分すぎるくらいです。そもそもそんなにお金を使うような場所がないというか」

「あはは、そうよね。歓楽街に行きでもしなければ買い食いくらいしかすることないもの」


 フォルトには娯楽施設が少ない。日本のようにカラオケ、ゲームセンターなんてものは当然ない。ウィンドウショッピングができそうな店も服飾店くらいか。武器や防具を売っている店もあるが「刃物こわい」とうわ言のように呟く人を連れていくには不向きだろう。


「たった今お昼を食べてますし、買い食いにしても軽食をつまむ程度ですね」

「そっか。でもまあ、タカヒサはずっと城と訓練場に籠ってたのよね? 外に出るだけでも少しは気分転換になると思うわ」

「……そうですね。わかりました。というわけですので先輩、食べ終わったらちょっとお散歩に行きましょう」

「ん、ああ」


 全体的に反応が鈍い貴久は、あまり話を理解していなさそうな具合に頷いた。


―――


「というわけで先輩、デートです。どこか行きたい場所とかありますか?」

「……いや、特に」

「そうですか。じゃあ適当にぶらつきましょう。あ、でもその前に治療院に寄らせてください。今日はそれほど忙しくなかったですけど、さぼってしまうのはよくないので」


 詩穂はいまひとつ反応が鈍い貴久を引っ張って城から出る。

 チファも来たがっていたし、詩穂は連れて行こうと思っていたが、ヨギに「この子の前だと貴久は変に気を張っちゃうからやめた方がいいんじゃない?」と言われ、チファは留守番することになった。


 城は街よりやや高い場所に建てられているので、城門からしばらく坂を下ることになる。

 治療院まではさほど急ぐ必要がない。今の貴久は食事中に喋らないので食べるのが早かった。おかげで時間には余裕がある。


 詩穂は勇者のひとりであり、治療院で人目に触れることも多いため、顔が知られている。

 治療院への道中、ときたま街ゆく人に挨拶され、笑顔で返している。詩穂といることから正体を察された貴久もたまに挨拶されるが反応は鈍い。小さく会釈する程度にとどまる。

 そんな様子を見て詩穂はかすかに安心していた。


「思ったよりも先輩に対する当たりがきつくなくてよかったです」


 アルスティアによって流されていた噂のせいで、一時期『ハズレの勇者』の評判は最悪だった。試合の直後、征也を殺そうとしたことが広まり悪魔なのではないかとまことしやかに言われたほどに。

 しかし、その後に再びアルスティアが流した噂が功を奏したのか、貴久に向けられる視線は意外なほどに穏やかだった。

 一回目の試合を見に集まっていたのが住民の全てではない。貴久の顔を知らない人が多い。アルスティアによって擁護する公式見解が出されたこと、詩穂と一緒にぼんやり歩いていること、リンチを見た人にも征也がやり過ぎだと考える人がいたこと。

 これらの理由により、無闇に貴久を排斥したり怯えるような人はいなかった。


「坂上詩穂、戻りましたー」

「ああ、おかえり、シホちゃん。……その人は?」


 治療院に戻った詩穂を笑顔で迎えたのは同じく治療院に勤めているおばちゃんだった。詩穂の後ろにいる貴久を見て怪訝な顔をした。


「こちらは村山貴久先輩です。わたしと一緒に召喚されてきた……ハズレの勇者、って言った方がわかりやすいでしょうか」

「ああ、この人があの。……にしては覇気がないねえ。噂じゃこないだシノミヤ様と試合をして勝ったんだろう? もうちょっとしゃんとした人かと思ってみれば、死んで腐った魚みたいな目をしてるじゃないか」

「それは、言い過ぎ……とも言い切れないのが悲しいところですけど」


 さんざんな言われようであった。

 詩穂も弁護しようとして、言葉に詰まった。今の貴久の目はそれほどにひどいのだ。虚ろでどこか遠くばかりを見ているような、それでいて能動的に何かしようとする気力が見えないような、ひどい以外に言葉が出てこないような目つきである。

 当人がこれだけぼろっかすに言われて反論もせずにぼんやりしているからなお悪い。


「……ええと、村山先輩がこんな状態になっちゃっているので、気分転換をさせるために街に出ているんですけど、今日はお休みもらってしまって大丈夫ですか? もし駄目なようならまた後日予定を立て直しますが」

「いや、大丈夫だよ。ある意味その子も怪我人みたいなものなんだろうし。世話してやんな」

「そうですね。負った傷はどっちかというと心に多いみたいですけど」

「……いったい何があったんだい」

「実は……」


 貴久の体に傷はない。ヨギの回復魔法はそれなりに強力であり、切り口は剣で綺麗に切断されているため比較的簡単に修復できるのだ。

 問題なのは何度も斬られることで摩耗した精神なのである。それゆえヨギも気分転換をするよう勧めた。


「……なんて無茶を。無謀……とは違うんだろうけど、うん、無茶苦茶だね」

「否定はしません。止めるタイミングを逸してしまったことが悔やまれます」


 説明をするとおばちゃんは嘆息した。詩穂も同じように溜め息をつく。

 治療を受けた直後、奥で安静にしている男なんかも、初めは貴久を警戒したような目で見ていたが、話が聞こえてくると同情的な視線を向けた。

 当の貴久はぼけーっとしているだけなのだが、精神に多大なダメージを受けていると言われてから見ると痛ましく見えるのだった。


―――


「さて、では本格的に街を回ってみましょうか」


 患者が少ないことも手伝って午後は暇をもらえた詩穂。気兼ねなく貴久の気分転換に当たれるようになった。

 といっても詩穂自身、フォルトで遊び歩いたことはない。何か面白そうなものはないか手探りで歩いていく。

 それはそれで悪くない時間だった。貴久も反応が鈍いもののまったくの無反応でもない。口数も少ないが話しかければ答えてくれる。目新しさも相まってそれなりに楽しい。

 歩いているとときたま貴久が強い反応を示したり、そんな店では甘いものが売っていたり、それを食べる時だけは目に光が戻ったり。糖尿病になるくらい糖分を与えたらもとの貴久に戻るのではないかと詩穂が真面目に悩んだり。とりあえず蜂蜜を一瓶買った。

 夕方の一歩手前頃には貴久もうすぼんやり笑うようになった。いまだにぼんやりとはしているが、死んで腐った魚のような目ではない。死んだ魚のような目だ。

 完全に治すにはもう少し時間がかかるかな、と詩穂が明日以降のことを考え始めたころだった。


「お、なんだ、とびっきりの上玉じゃねえか」

「ああ、ホントだあ。ねえお嬢ちゃん、おれらと遊ばない?」


 二人のチンピラに絡まれた。くすんだ金髪の男ともじゃもじゃの茶色い髪の男である。

 それはもう、絵に描いたようなチンピラだった。チンピラという概念を具現化させたらこんなものができるのではないかと思えるような二人であった。

 しかし、ここは異世界。同じチンピラでも日本とは危険度が違う。

 二人の腰には剣が提げられている。

 当然、飾りではない。生き物を殺すために研がれた鉄の刃だ。

 それを見て詩穂は息を飲んだ。

 防御魔法を使えば簡単に防げるだろうが、それでも真剣を持った相手と対峙するのは初めて。口の中がからからに乾いていくような感覚があった。


「……行きましょう、先輩」


 詩穂は彼らと目を合わせないよう貴久の手を引いた。足早にその場を去ろうとする。

 しかし、そんな詩穂の肩が掴まれた。


「おいおい連れねえなあ。無視すんなよ」

「ぜえったい楽しいからさあ」


 げへへ、と品も何もない笑顔を浮かべた。詩穂の背筋にぞわっと寒気が走る。


「結構です。あなたたちがいなくても十分楽しいので。放してください」

「うるっせえなあ、黙ってついてくりゃいいんだよ! おれたちゃ討伐者だぞ! てめえらを守るために戦ってやるっつうんだからありがたく従えっつうの!」

「その可愛い顔に傷なんかつけたくないだろお?」


 討伐者。賞金のかかった魔物や賊を討伐する、賞金稼ぎのような職業である。彼らは職業上戦闘能力が求められる。そのため傭兵じみたことをすることも多い。

 チンピラたちは勇者が召喚されたという噂を聞きつけてフォルトに来た。勇者という戦力兼旗頭が手に入れば、奪われた領土を奪還すべく戦争が起きると考えたのだ。

 活躍すれば騎士に取り立てられることもある。討伐者は恩賞、褒賞目当てで積極的に戦争に参加する傾向にある。

 金髪のチンピラも討伐者を名乗るだけあって力が強い。詩穂では手を振りほどくことができなかった。

 周囲にいた男たちの一部がわずかに殺気を放った。

 仕方ない、と詩穂が魔法で振り払おうと指先に魔力を集めた時だった。


「……あん? なんだてめえは」

「………………」


 貴久が、詩穂の肩を掴むチンピラの手を掴んでいた。

 無言で視線がぼんやり定まらないのは変わらず。しかし、どことなく不快気な表情をしている。

 貴久は無言のまま、手に力を込めた。パキペキと不穏な音がした。


「――――ッ! てめえ!」


 チンピラは詩穂の肩を放し、貴久から距離をとった。剣の柄に手をかけ、貴久を睨みつける。もうひとりのチンピラも貴久から離れる。


「……生意気な真似すんじゃねえか。討伐者サマに喧嘩売ったらどうなるか、教えてやるよ」


 チンピラの一人が剣を抜く。周囲から小さな悲鳴が聞こえた。

 原則、討伐者だろうと街中で剣を抜くことは許されない。

 討伐者は賞金首を狙って各地を放浪することが多い。討伐者の資格を持っている人物なら街に武器を持ちこむ許可が下りることもあるが、街中で正当な理由なく剣を抜こうものなら資格剥奪の上で牢にブチ込まれる。場合によっては奴隷落ちだ。

 ばれなきゃいいと思っているのか、そこまで考えていないのか。チンピラは抜剣した。

 鈍く光るところどころ刃こぼれした剣を向けられ、貴久はぷるぷると体を震わせる。


「お? なんだ、びびったか? はっ、何なら今すぐ地面に頭こすり付けて謝んなら見逃してやらないこともねえぞ?」

「…………な」

「ああ? 聞こえねえなあ! もっとはっきり言いやがれ!」

「…………に、」

「……なあ、こいつ様子がおかしくない?」


 震える貴久を見て、チンピラ片方は笑っているが、もうひとりは怪訝な顔をした。

 恐怖に怯えているにしては腰が引けていない。声は小さく絞り出すようだが、腹の底に響くような圧力があった。

 それがどうしてなのか。気付いた時にはもう遅い。


「俺に刃物を向けるんじゃねえ――――!」


 叫ぶと同時。貴久は動いていた。

 素早く踏み込み手首に肘打ち。チンピラが取り落した剣を踏みつけて刀身をへし折り、流れるような動きで男の鳩尾にアッパーを入れる。浮いたところを強かに殴りつけ、チンピラを吹っ飛ばした。

 初動から一秒程度の早業。詩穂ももう一人のチンピラも周りにいた人々も唖然とする。


「っ、てめえよくも――!」

「お前もか」


 相方をやられたもう一人のチンピラが息をまいて剣の柄に手をかけた。

 だが、手をかけるだけで終わった。恐ろしい目つきで自分を睨む貴久に気付き、冷や汗を垂らす。

 もしもさっきと同じような速度で動かれたら対応できない。そう判断して吹っ飛ばされた相方の方を向いた。


「……さ、さいならー」


 そしてすたこらと逃げ出した。

 数秒後、それぞれ武器を持ってきた男たちによって取り押さえられた。詩穂が絡まれた瞬間から何人も動き出していたのだ。戦闘職の男相手に一対一では勝てないが、数が揃えば押し勝てる。


「せ、先輩……?」


 仲良く連行されるチンピラ二人をよそに、詩穂は貴久に目を向けた。

 ふーふー息を荒げてはいるがきちんと目に光がある。剣を向けられたショックで意識を取り戻したのかもしれない。

 だが、それでもどこか不安定に見える。意識ははっきりしているようだが、野良ネコのように周囲を警戒している様子。


「……えいっ」


 何を思ったか、詩穂は先ほど買った蜂蜜を指で掬い、貴久の口に突っ込んだ。

 貴久は指をくわえ、蜂蜜を舐めとった。


「うひぃっ!?」


 その感触に詩穂は小さく跳びあがってとっさに指を引いた。背筋をくすぐられたような奇妙な感覚を味わった。

 どうしてこんなことをしてしまったのか。詩穂は心臓が跳ねまわる胸を抑える。

 詩穂に手を出したチンピラを拿捕した男たちが殺気を放っていることは言うまでもない。

 貴久はそんな詩穂にも周囲の男たちにも構わず蜂蜜の味わいを堪能する。


「…………はっ!」


 しばらくあと。カッと貴久の目が見開かれた。

 きょろきょろと周囲を見回し、俺は何をと呟いた。どうやら記憶があいまいらしい。

 貴久は額に手を当て「ヨギさんと稽古して」「斬られて」「だんだん戦えるようになって」などとこの一か月を振り返っている。

 しかし、それがここ最近に差し掛かった辺りでぶるりと震えた。さっきチンピラに剣を向けられた時とは違い、体が縮こまった。ふるふる頭を振ってその記憶を振り払う。

 その時ようやく詩穂に気付いた。水魔法で手を洗っていた詩穂も貴久の目にきちんと光が戻っていることに気が付いた。


「先輩、気分はどうですか?」

「節々が痛むような気がするけどわりと元気。なんか体が軽いような」


 ぴょんぴょん跳ねる貴久。ぐりぐり腕を回して体をほぐす。


「うん、調子はいいな」


 そう言う貴久を見て詩穂はほぅと息をついた。

 目には光が戻り、不安定な揺れもない。ようやく貴久の意識もはっきりしたらしい。


「先輩、おかえりなさい」

「……ただいま?」


 安堵を込めて言った詩穂に、いまひとつよく分かっていない様子で貴久が応えた。


―――


 坂上から話を聞いてみると、今日は精神的にヤバそうだった俺を気分転換させるために城から連れ出してくれたのだそうだ。

 正気に戻ったのだからもう目的は果たしたのだろうが、俺も城の外に興味がないわけではない。せっかくの機会だしもう少し見て回ることにした。

 店を冷やかすくらいなら一人でも大丈夫だろうと思っていたら坂上も付き合ってくれるという。俺にこの世界一般の常識が備わっているとは思っていない。その申し出はありがたく受けることにした。可愛い後輩が隣にいるというだけで楽しさ五倍増しくらいになりそうだ。


 坂上と一緒に商店街を歩く。

 ファンタジー的な商店街というと露店があちこちに広がっているイメージがあったが、違う。きちんと店が並んでいる。商『店』街なのだから当たり前か。

 坂上に聞いてみると俺がイメージしたような露店は開ける場所が決まっているらしい。バザーのような催し物もあるとか。

 思いのほか行政がきちんと仕事をしているようだ。


「そういえば、さっきはすごかったですね、先輩」

「ん? さっき?」


 観光気分でしげしげと見て回っていると坂上がぽつりと呟いた。


「はい。変な人をぱぱっとやっつけちゃって。訓練の成果ですか?」

「……多分そうかな」

「多分、ですか?」

「いやさ、俺自身はそんなに変わった自覚がないんだよ。体が軽くて錬気が増えてる感じはあるけど、それだけ。さっきも考えて動いたっていうか剣を向けられたら勝手に体が動いた感じだし」


 肩を回しながら小首をかしげる坂上の質問に答える。我ながら曖昧な回答だ。

 きちんと答えられず申し訳ないが、本当に変わった自覚がないのだ。

 訓練期間はずっとヨギさんに食らいつくのに必死だったし、最近に至ってはほとんど記憶がない。ヨギさんとの訓練を始めてもう一か月経ったと坂上に言われても最初は信じられなかったほど。

 何があったのか思い出そうとすると寒気が走ったので思い出す努力はしないことにした。

 武器を売っている店で刃物を見た瞬間に心臓が跳ねあがったので何があったのか想像はできた。したくないけど。


「どれだけ戦えるようになったか、確認しときたいな」


 とっさにあれだけ動けたのだから訓練を受ける前よりははるかに戦う力が身に付いているだろう。

 だが、それがどの程度か把握できていなければ危なっかしくて仕方がない。力を過信してしまったらただのバカである。強くなって慢心とか死亡フラグでしかない。

 戦う力なんて発揮する機会が来ないに越したことはないが、機会が来てしまった時に活用できるようにしておかなければ。


「そういえば、この一か月で何か変わったこととかあった? いまひとつ記憶がはっきりしないんだよな」

「比較的平和ではあったと思いますけど……あ、リコさんがはぐれ魔族を捕まえてきました」

「それは平和と言えるのか」


 戦時中に敵国民が自国内にいたとなったら結構な大騒ぎではなかろうか。


「あ、でも魔族って言っても人間サイドが勝手に迫害してる可能性もあるな。実は人間たちがクズで魔族が善玉なんてある種のテンプレでもあることだし」

「少なくとも今回捕まった魔族はろくでもない……人? でしたよ。襲われた村の人たちを治療しに行きましたが、ひどいものでした」

「坂上はその魔族と話したのか?」

「はい。人を殺すのが楽しくてしかたないと言っていました」

「それは、また。お姫様の仕込みじゃないだろうな。……違うか」


 魔族=悪と俺たちが思い込むようお姫様が用意したのかもしれない。

 そう考えてすぐに打ち消した。

 お姫様が魔族を倒そうとしているのは本当だろう。国土の半分近くが奪われているという話だし、勇者召喚も戦力を確保するためという側面があった。


「仮にお姫様が魔族を用意できるとしても、内通しているか奴隷を買ったくらいだよな。坂上、奴隷でもなんでもいいから、今回捕まったヤツ以外の魔族って見たことあるか?」

「いえ、ありません。貿易みたいな交流はないみたいですし、捕虜にしたって話も聞きません。今のところ攻められているのは魔界に一番近いアストリアスだけらしいので、アストリアスに出回っていないなら魔族の奴隷もいないと思います」

「だよな。だとすると内通者に魔族の奴隷をもらったって可能性だけど……あのお姫様の目的は自分の力を認めさせることだ。国を滅ぼす手伝いをするとは考えづらい。そもそも、内通者がいるとしても魔族と勇者の敵対を煽るメリットなんてないだろうし」

「魔族の奴隷を用意できるなら魔族ですもんね。魔族の人たちがわざわざ自分たちに勇者の火力が向くように仕向けたと考えるのは不自然です」

「とするとやっぱり本当にはぐれ魔族なんだろうな」


 ふむ。ならば少し話を聞いてみたいところだ。

 魔族がどういった目的で侵攻してくるのか。俺たちが聞かされた話と魔族に聞く話でどう違うのか。

 ゴルドルさんたちが勇者を騙して戦わせるとは思っていないが、国の上層部が自分たちの負い目を隠している可能性はある。魔族ならアストリアスがひた隠しにする事実があっても敵意を煽るために聞かされているだろう。


「……よし、話を聞きに行くか」

「え、先輩? お買い物はもういいんですか?」


 城は街より高い場所にあるし、何より大きい。街に慣れない俺でも迷う心配はない。

 踵を返して城に向かおうとすると坂上が「まだお金余ってますけど」と巾着を取り出した。


「あー、買い物はまたの機会でいいや」


 年下の女の子に金を払わせて買い物とか絵面が最悪過ぎる。あんまり気が乗らない。

 そういうオトコノコのプライド的なものを分かっていないだろう坂上は「そうですか」とだけ言って後についてきた。


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