70.その一か月②
少し遅れました。
ごめんなさい。m(_ _)m
貴久が訓練を始めて十日が経った。
最初の頃は一方的に斬られ、覚えた攻撃から必死に逃げるだけだった貴久にも変化が現れていた。
体勢を崩しても大げさに逃げていたのが、だんだんと小さい動きで回避するようになってきたのだ。
ざくざくヨギに斬られていることに変わりがないとはいえ、その頻度も減っていた。
とはいえ減り方も控えめなのだが。貴久の動きがよくなるにつれてヨギも剣速を上げているせいである。
詩穂が治療院から帰ったころにはまだ訓練を続けている。夕方、帰りに訓練場に寄って治療に不備がないか確認するのが日課となりつつあった。
普段ならヨギも詩穂の確認が終わるのを待っているのだが、今日は用事があるとのことですでに訓練場から姿を消していた。これからも夕方、訓練が終わるなりヨギが帰ることが増えた。
十日目も詩穂は貴久の体を検査する。初日に比べて攻撃をかわせるようになったからか。それとも痛みに慣れてしまったのか。いくぶん顔色がよくなっていた。体には近付いて目を凝らしてようやく認識できるかどうか、といった程度の傷跡がところどころ残っていた。
時間をかけて回復魔法を使えば、よほどの怪我でなければ傷跡を消すこともできる。
しかし斬ると同時に治すヨギの訓練でそんな時間はない。そのためだろう。
「……それにしても、細いのにけっこう硬いんだ。なのに弾力もある不思議」
傷跡があると思ってじっくり見てようやく気付く程度の傷跡。気にするほどのものでもない。本人が消したいと言った時に消せばいいだろう。
検査のついでにちょいちょい筋肉をつついてみると、貴久はこそばゆそうに身をよじった。
貴久の検査も終えた詩穂は自分の部屋に戻る。
怪我人の治療というのは魔力だけでなく体力も使う。
見落としがないように細心の注意をしながら体を調べ、怪我をしたせいで弱気になって大げさに言う患者をあしらって、いざ大怪我があれば細胞ひとつひとつを結び合わせるような精密作業。単純な傷なら簡単な回復魔法で治せるが、獣に食いちぎられたような複雑な傷だとそうはいかない。
それだけ神経を使って疲れないはずがない。最近では中庭に出て魔法の練習をすることも減った。
まるっきりやらないわけではないが、きちんと休まないと翌日の治療に障るのだ。
「あら、シホ様。ご機嫌麗しゅう」
夕食を食べたら今日身に付けた技術を復習して寝よう。
そう考えていた詩穂に声をかけたのはアルスティアだった。
詩穂の部屋はアルスティアの部屋に近い。自然と生活圏の一部が重なる。
どちらかが接触を避けているならともかく、そうでなければ顔を合わせることもある。
「ティア様も、ご機嫌がいいようでなによりですね」
「ええ、魔族との戦線は優位。ムラヤマ様に負けたことが悔しかったのか、ユキヤ様も訓練に熱が入っておりますの。王都の魔法陣の使用許可申請もそろそろ届いたころ。いろいろなことが上手く回っているのですから、気分もよくなりますわ」
アルスティアは鼻歌でも歌いだしそうな様子だった。
戦線が崩壊したところに勇者を投入した方が演出としてはいいのだろうが、演出のためだけにフォルトを、アストリアスを、ひいては自分を危険にさらすつもりはない。魔族の砦を落とす時に活躍してもらえれば名声は十分のはず。
いずれ自分のものとなる予定の征也の性能が上がるのは歓迎すべきこと。
送還のための準備を進めるための申請を出しておけば貴久と祀子への面目も立つ。
アルスティアは送還魔法を使うために王都にある土地の魔法を使うための魔法陣の使用許可を申請していた。
フォルトは魔族との防衛を念頭において造られた街。そのための設備として街に巨大な魔法陣が仕込まれている。
その効力は土地の魔力を留めることと、膨大な魔力を使うことによって生じる負担を肩代わりすること。
日常生活に使うような魔法ならともかく、大量の魔力を使う魔法には反動がある。
素の人間が一度に運用できる魔力は千が限度。魔石などを用いて千の魔力を用意したところで無理に使えば魔法の反動に耐えられず、魔力中枢を壊すだけに終わってしまう。
当然、勇者召喚に用いた五千万なんて魔力を無反動に使えるはずがない。独力で使おうとすれば廃人コースまっしぐらである。そもそも魔法を発動させることすらできやしない。
フォルトの魔法陣は膨大な土地の魔力をストックすると同時にそれを運用するための魔法陣でもあるのだ。勇者召喚でストックできていた魔力の大半を使い果たした上に、巨大な反動を引き受けたせいでガタがきているが。
アストリアス王都にもよく似た魔法陣が設置されている。
都市としての重要度が高く、フォルトより後の時代に造られた街のため、魔法陣はより大きく性能が高い。
土地柄も申し分ないため魔力のストックも十分あるはず。王都の魔法陣の使用許可が下りればすぐに送還することができるだろう。
許可が下りれば、の話だが。
「……ところでシホ様。お伺いしたいことがあるのですが」
「わたしに、ですか? なんでしょう」
「ムラヤマ様のことですの。シホ様は訓練のあとにムラヤマ様の体を検査しておられるのでしょう? どのような具合か、お聞きしたくて」
「ああ、そのことですか。訓練は順調みたいで、斬られる回数が減っている気がします。検査してみても後遺症もなさそうですし、体の方も問題ないかと思います」
「……そうですか」
ほう、とアルスティアは息をついた。
どうやら心配していたようで、頬が安堵に緩んでいる。
「ありがとうございます。では、また」
「……あ、ティア様、ちょっといいですか?」
詩穂は立ち去ろうとするアルスティアを留めた。
こちらを向いてきょとんとするアルスティア。
無邪気とすら言えそうな表情を見て詩穂は無性に苦々しい気分になる。
詩穂と貴久ではアルスティアに対する所感が違う。
召喚されてからの扱いが違うし、私刑の一件だって実際に被害に遭ったのは貴久だけ。詩穂もアルスティアに不信感を持っているが、憎んでいるとまでは言えない。
何より、アルスティアを見ていると思うところがあった。
「周りの人がいつでも都合よく動いてくれると思っていると、いつかしっぺ返しが来ますよ」
つい、警告めいたことを言ってしまった。
貴久の邪魔をする気はないが、気を使って言いたいことも言わないでいるつもりはない。
「……ご忠告、ありがとうございますわ。ところで、その教訓はシホ様の実体験から得たものでしょうか?」
「そんなようなものです。言いたいことはこれだけ。引き留めちゃってごめんなさい」
「とんでもない。また機会がありましたらお話したいですわ。お茶会などいかがでしょう」
「そうですね。機会があれば」
詩穂とアルスティアはそろって見る者を骨抜きにするような華やかな笑みをかわし、互いに背を向けた。
―――
貴久が訓練を始めて二十日目。しばらくぶりに祀子は貴久の訓練を覗いてみた。
詩穂が過酷な訓練を始めたと聞いて心配になって一度見に来たのだが、その時に服がズタボロになって半裸になった貴久をばっちり見てしまった。それ以来なんとなく気まずくて来ることはなかったのだが、詩穂に最近はそれほどでもないと聞いて改めて見学に来たのだった。
「……確かに。確かに前よりは露出度低いけどさ……!」
正午手前。訓練を覗いた祀子は、顔を赤くして蚊の鳴くような声を絞り出した。
前に見学した時の全裸に超ショートパンツだけみたいな状態に比べれば布面積が大きい。
しかし、しかしだ。
「相変わらず、ほぼ半裸じゃないか……っ!」
度重なるヨギの斬撃。貴久はその大部分をしのげるようになっていた。
だがヨギだってまだまだ本気を出していない。貴久の対応速度が上がればヨギの速度も上がる。
結果として、服は以前のようにバラバラにはならないが、剣をかすめた拍子に切り刻まれて、ただのぼろ布になる。
今日は上半身裸。ズボンがズタボロといった程度。比較的ましな恰好だった。
「まあ、誰得って感じだよな」
耳まで真っ赤な顔を伏せる祀子の言葉を、あまり気にした様子もなく貴久は答えた。
口には出さないが、どうせなら自分と祀子の性別が逆だったらサービスシーンなんだろうけど、とか思っていた。
最近ではどうせ破れるんだから初めから上半身は服を着ないでもいいのでは、などと危険思想に目覚めつつある貴久。祀子に半裸を見られたことに対してはほとんど反応を示さなかった。
「それで、日野さんはどうして訓練場に? 何か変わったことでもあった?」
非常にフラットな口調でごく自然に話しかけられる。
祀子はつい顔を上げるがそこに立っているのは半裸の同級生である。慌てて顔を逸らした。
そんな祀子を見てようやく貴久は用意しておいた服を着る。
「い、いや。別に。最近はあまり話す機会もなかったから元気かな、と思って」
「そういえばそうか。俺は訓練ばっかりだし、勇者会議もしてないもんな」
「仕方ないよ。村山くんもそうだけど、詩穂だって治療院で働いているし、私もたまに外に出ているから。……あ、そういえばまだ征也たちを誘ってから一度も会議をしていないね」
「そのうち歓迎会みたいなこともした方がいいかな」
そんな雑談をしていると貴久の腹がぐうと鳴った。
時間はちょうど正午。激しく運動し続けていたのだから空腹も当然である。
祀子は可笑しそうに笑う。服を着たのでようやく貴久の方を見て話せるようになっていた。
「悪いね、もうお昼なのに話しこんじゃって」
「いや、大丈夫。よかったら日野さんも一緒に飯食わない?」
「せっかくのお誘いだけど、今日はごめん。予定が入っているんだ。今からそっちに向かうところ」
「そっか。こっちこそ長々話しちゃって悪かったな」
「問題ないよ。どうせすぐに行けるから」
そう言って祀子は魔法を使う。
風が蠢き、ふわりと祀子の体が宙に浮いた。
飛行の魔法だ。魔力の消耗が激しくあまり使い勝手のいい魔法ではないが、祀子にとってはさしたる消耗ではない。移動時には重宝していた。
「それもやっぱり物理法則を無視してるよな。風は吹いてるけど人ひとり持ち上げられるほどの風速はなさそうだし」
「……魔法だからね。そもそも魔法という存在が物理法則に喧嘩を売っているようなものだから。風で体を浮かしているというより空気の手で自分を持ち運んでいるようなイメージかな。飛ぶのはなかなか面白いよ」
飛行の魔法は大まかに姿勢制御、方向決定、空気操作の三つの術式でできている。祀子は周りの空気で自分の体を持ち上げ、魔力で方向などの指示を出すものと捉えている。
「そっか。自力で飛べるってのは面白そうだな。……錬気じゃ飛行はできないっぽいし」
「今度、お互い時間ができたら空を飛んでみようか。景色がいいし、空気も綺麗だから胸がすっとするよ。気分転換にちょうどいいんだ」
「楽しみにしてる」
「うん。それじゃあ私はこれで失礼するよ」
「ん。外は危ないこともあるだろうから、気を付けて」
うっすらと貴久は笑い、訓練場から飛び立つ祀子を見送った。
―――
貴久、訓練開始から二十五日目。
祀子が立ち寄った村ではぐれ魔族を捕獲してくるなどちょっとした騒動はあったが、フォルトはおおむね平和である。
がんぎんと訓練所に金属がぶつかり合う音が響く。
この日、訓練場には普段姿を現さない人間の姿があった。
「……あれが、村山なのか?」
「他の誰に見えるっていうの、征也くん」
「で、でも、速すぎない? これだけ離れてみないと目で追いきれないんだけど」
四ノ宮征也と浅野夏輝である。
二人も貴久が訓練を始めたことは聞いていたが、これまで見に来ることはなかった。
勉強すべきことは多く、自分たちの訓練だってある。他人の訓練を見ているどころではなかった。
今日になって時間が空き、稽古をつけているヨギが最高峰の剣士であると聞いたため、一目見に来たのだった。
そしてその異常な様子に絶句した。
貴久はヨギと互角に切り結んでいた。二十五日前には貴久よりも征也の方が剣技も上手だったのだから、驚くのも無理はない。
訓練初日にはヨギに斬られるばかりだった貴久は、およそひと月の苦行の結果、ヨギの攻撃のほとんどをかわし、防げるようになっていた。
始めは一本の真剣すら持て余し気味だったが、今では長短二本の剣を同時に使いこなしている。剣一本ではヨギの攻撃を防ぐには手数が足りなかったのだ。
ここ数日で斬られる回数が激減した。服もところどころ破れているが、ヨギの剣がかすっただけ。体に届くほどには斬られていない。
それどころかヨギが剣を振り切った隙を見て反撃をしかけたり、自分から攻め込む場面も増えていた。
征也も夏輝もこれまでヨギが戦う場面を見たことがない。なので彼女の実力はわからない。
けれど、それでも。
貴久が異常なまでに早く成長していることは理解できた。
征也たちに稽古をつけているのは主にバスクだ。そのバスクの動きは近くでもよく見える。バスクがきちんと見えるように加減しているからだが。
しかし貴久とヨギは集中して見ないと見逃してしまいそうな速度で動き回っている。
これで自分たちとの差が分からないほどふたりは馬鹿じゃない。
「それにしても、いったいどんな訓練をしたらこれほど早く成長できるんだ? 見たところただ戦っているだけだけど」
「バスクはあたしたちに才能があるって言ってたけど、やる気にさせるための嘘だったのかな」
「……そう、かもしれないな。もしかしたら村山の方がずっと――」
征也は歯噛みした。
およそひと月前。真っ向から試合をしたにも関わらず自分は貴久に敗北した。貴久も自分と同じ期間しか訓練を受けていないのに、だ。
バスクが言うには負けた理由は征也が冷静さを欠き、貴久が対征也を想定して準備をしていたから。
しかし、目の前の光景と今の自分の実力を照らし合わせたら、そうではないと思えてきた。
自分には戦う才能がないのではないか。
そうでないにしても、貴久の方がよほど才能があるのではないか。
「才能じゃないよ」
悔しそうにわずかにうつむいた征也に声をかけたのは詩穂。ヨギと切り結ぶ貴久を見ながら呟いていた。
「でも、才能がなければ一か月であれほど動けるようにはならないはずだ」
「先輩に才能がないとは言わないけど、全てが才能ってことは絶対にないよ。それだけひどい訓練を受けてきたんだから」
「……ひどい訓練って、あいつはどんな訓練を受けてたのよ?」
「先輩は……あ」
「「!?」」
ちょうどその時、貴久の体をヨギの剣が通りぬけた。
左肩から右のわき腹まで袈裟がけにばっさりといった。傷跡はないが、その証拠にシャツが上下に裂かれている。
「……今」
「……斬った、わよね?」
「そう。それが先輩が受けている訓練」
詩穂は淡々と貴久がヨギから受けている稽古について説明した。
といっても内容はシンプルだ。斬っても治す魔法をかけた剣で、寸止めなしの実戦続き。午前は昼食まで、午後は日が落ちるまでという時間制限はあるものの、それ以外でははるか格上のヨギを相手に錬気が切れるか痛みに気を失うまで続く。
内容を聞いた征也は頬をひきつらせ、想像してしまった夏輝は顔を青くした。
「最初の頃はもっとたくさん斬られてたんだよ。ひどい時には数秒に一回くらい。すぐに治っても痛みが消えるわけでもないのに」
「どうして」
「それでもやめないで……征也くん?」
「どうして、そんなにできるんだよ。絶対に痛いだろ、斬られたら。なのに、なんで」
「わかんない?」
「………………」
「先輩、嫌な予感がするって言ってた。何が起こるか分からないし、いつ起こるのかも分からない。確実に何か起こるっていう確証があるわけでもないけど、起きてしまった時に生き残れるようにって」
「……あいつには、俺たちの魔力やスキルみたいなアドバンテージがないせいか?」
「どうかな。わたしにもわかんないや。先輩がわたしたちみたいな能力を持っていたとしても訓練していた気もするし、能力で遊んでしたような気もするから」
「そうか」
征也は踵を返し、訓練場から出て行った。夏輝もそれに続く。
「がんばれ、征也くん。夏輝ちゃん」
貴久と理由は違っても、詩穂も征也たちには強くなってもらいたかった。
単純な話。死んでほしくないからだ。強くなれば、少なくとも弱いままよりは死ににくいはず。征也たちを強くするために貴久が何か企んでいるなら、それには労力を惜しまず協力する。
「さて、そろそろお昼の休憩も終わるし、治療院に戻りますか」
治療院にはいつ人が来るか知れない。来る人の怪我がどれほどのものかも分からない。ゆえに営業時間中は治療できる人を必ず残しておく必要があるため、休憩時間は人によってばらばらだ。
いつもより早めの時間に当たったため、昼の訓練の様子を眺めに来ていた。
「……この調子なら、わたしが診る必要もないかな?」
ヨギの回復魔法は確かだ。今まで治療に不備があったことはない。
貴久の技量が増していることもある。
もう自分がいちいち確認しなくてもいいかな。
そんなことを考えていたら正午の鐘が鳴った。休憩時間がそろそろ終わる頃合いだ。
いけない、と呟いて詩穂は足早に駆けていった。
そのせいで、
「よし、いい調子ね。午後からあたしも軽く本気を出すから覚悟しなさいね!」
午前の訓練の終わり。ヨギが言い放った言葉を聞きそびれてしまった。
夕方。最後の確認をする詩穂に対して、貴久はほとんど反応を示さなかった。




