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68.じごくのはじまり

 ダイム先生との座学を終えた俺は長短二本の剣を持って訓練場に向かう。

 今日はちゃんと剣帯を身に付けている。侍よろしく左腰に二本とも提げようと思ったのだが、バランスが偏って歩きづらかったので二本とも背中に回すような感じにしてある。


 足取りは重い。

 軽く嫌な予感がする。真剣を持っていることとは無関係な緊張感が全身にしみる。

 ヨギさんは究極の促成栽培だと言っていた。相応の危険も伴うと。

 危険な訓練と言ったらなんだろうか。ファンタジー的に考えると時間の流れから解き放たれた精神の世界でー、とか、うんちゃらを倒すと特殊な能力がー、とかだろうか。

 まあ、考えても仕方ない。訓練場につけば否応なく分かることだ。


「あ、来たわね」


 足を引きずりながらも俺は訓練場にたどり着いた。

 そこにはヨギさんがひとり、立っていた。

 時刻は夕暮れ。この時間に訓練場を使う人はほぼいない。今日はたまたま完全に人がいない日らしく、訓練場には俺とヨギさんだけ。

 夕日を背に立つヨギさんは妙な迫力があった。


「ええと、特に設備とかはないみたいですけど、促成栽培ってこれでできるんですか?」


 沈黙を作らないように俺はヨギさんに問いかけた。

 訓練場にいるのは俺とヨギさんだけ。そのヨギさんも特別な装備を身に付けているようには見えない。魔力感知で周囲を探ってみても普段と違う点は見つからなかった。


「あたしは人を鍛えるためにこっちに来たんじゃないのよ。特別な設備がいるなら促成栽培なんてできないわ」

「……それじゃあ特別な魔法を使うとか?」

「うん……当たらずしも遠からずってところかしら」


 ヨギさんは具体的には答えない。そのことがなおさら不安感をあおる。

 嫌な予感がする。

 四ノ宮と初めて戦わされた時のものとは感じが違うが、危険の気配だ。

 ヨギさんは初めから危険があると言っていた。だから嫌な予感がすること自体は仕方ない。危険も命に関わらない程度なら覚悟の上だ。

 でも、覚悟ができていることと怖くないことは話が別。ぶっちゃけ逃げ出したい自分がいる。


「もう少しで日が暮れる。さっそく始めましょうか。あんたも抜きなさい」


 逃げたい衝動と戦っている暇なんてなかった。もう促成栽培は始まっていた。

 ヨギさんはすでに自分の剣を抜いている。右手に長剣、左手に短剣の二刀流だ。


「え、あの、そもそも今から何をするんですか?」


 まだ促成栽培というのが何をするのかも聞いていない。

 指示に従い長剣を抜きながら尋ねると、ヨギさんは思案顔。

 だがそれも一瞬のことだった。すぐにあっけらかんとした表情になる。


「やることは単純よ。ひたすらあたしと戦ってもらう」

「自分より強い相手と戦って足りない実戦経験を補うってことですか?」

「まあ、そんな感じね。準備はいい? 構える剣は一本で大丈夫?」

「大丈夫です。二刀流なんてやったことがないんで見よう見まねでやったらすっぽ抜けそうで怖いんで、一本でいいです」

「……そう」


 ちょっとさびしそうにするヨギさんをよそに短刀は腰に提げておく。長剣を取り落した時にすぐに代わりの武器を持てた方がいい。

 両手で長剣を構え、ヨギさんに相対する。

 たったそれだけで足が震えそうな圧迫感。

 殺す気はなかったと分かっても真剣で斬りかかられれば怖い。その恐怖は昨日味わったばかりで記憶に新しいせいでもある。


「じゃあ、始めるわね」

「は、い?」


 答えた直後、ヨギさんの右手がブレた。

 一拍遅れて左手首に激痛が走る。


「~~~~~~!? っ、な、何が!?」


 意味が分からない。

 一瞬斬られたのかと思ったが、左腕には傷ひとつない。

 激烈な痛みを訴えたのも一瞬の事。もう痛まない。感覚も普段通りで普通に動かせる。


 どくんどくんと心臓が強く脈打つ。

 体温が急激に上がっていくような感覚があって、全身が熱いのに背筋が冷たい。頭からざっと血が落ちていくような感覚。

 全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出しているような錯覚すら覚える。

 事実、脂汗が止まらない。

 何をされたのか、これから何が始まるのか、察してしまったから。


「もう分かったわね」

「……今、俺の手首、斬りましたよね」

「ええ、斬ったわ。そして斬ると同時に治した」


 昨日と同じだ。ヨギさんの剣には魔力がまとわりついている。あれが斬った相手を治す魔法。

 ヨギさんは言っていた。どうすれば人が死ぬか、死なないかに詳しいと。

 そりゃあ、実験結果だけでなく実体験もあるなら詳しくないはずがないよなあ。


「今からあたしはちょっと真面目にあんたと立ち会うわ。錬気も魔力も使って、あんたを切り刻む。あんたは死に物狂いでそれをしのぎなさい」

「無茶でしょう!? 俺はまだとっさに剣を動かすこともできない! あんな速さでかかってこられても対応しきれない!」

「そうでもないわ。ほら」


 再びヨギさんの右手がブレる。

 それを認識した瞬間、体が勝手に動いていた。

 地面を思い切り蹴って横に跳び、地面を転がる。

 地面に突進した以外の痛みはない。攻撃をかわせたらしい。


「人間、実際に痛い思いをするとすぐに学習するのよね。あたしもそうだったわ。これを繰り返してあらゆる角度からのあらゆる攻撃に対処できるようになれば、戦場に放り出されたって生き残れる。ひとまずは回避を叩きこんで、それから防御と攻撃も覚えさせるわ。……そうね、ひと月もあれば充分かしら」

「パブロフの犬ですか俺は……!」

「ぱぶろふ?」


 まるで条件反射を植え付けられる犬にでもなった気分だ。

 実際のところ、いろいろ違うとは思う。パブロフの犬の実験には犬に苦痛を与えるなんてものはなかったはずだし。


 この促成栽培、理屈は分かった気がする。

 普通なら反復練習で身に付けるはずの運動を、文字通り体に刻み込むのだ。

 人間、危険だと頭で理解していても怖いもの見たさで顔を出してしまうことがある。そして、実際に痛い目に遭ってようやく学習するものだと聞いたことがある。

 そりゃあ、死ぬほど痛い思いをしたら全力で逃げようとするだろうさ。限界まで集中力が高まるだろうさ。

 うん、やっぱりパブロフの犬じゃないな。調教っていうと思います、こういうの。

 くそったれファンタジー。回復魔法を悪用すんなよう。


「ばあちゃん曰く、汗を流す時間を省きたかったら血を流せ」


 怖いよ。おばあちゃん、どういう人生を経たらそんな結論に行きつくんだよ。


「安心なさい、タカヒサ。実際には血が流れる暇も与えず治療する。危険を冒しても早く強くなりたいっていうあんたの気持ちは受け取った。あたしはあんたを途中で見捨てたりしない」


 ありがたいと言っていいのかどうか真剣に迷う。

 時間をかけずに強くなれるのは歓迎だけど、場合によっては見捨ててくれたほうが負担は軽く済んだ気がしないでもない。


「あんたからも遠慮なくかかってきなさい。どういう攻撃をしたら防がれて、どう斬り殺されるか、きちんと覚えるのよ」


 防がれて斬り殺される前提なら攻撃なんてしたくないです。


「っていうのがあたしの受けた訓練なんだけど。嫌ならやめるわ。やる気ない人にやったって時間の無駄だもの。どうする? 強くなれるのは保証するけど。……ていうか強くなるまで続けるけど」


 最後、ぼそっと口が動いた気がするけれど声が小さくて聞き取れなかった。

 さあて、どうするか。

 ここが逃げ出す最後の機会。やめると言えばヨギさんも無理強いはしないだろう。


「……いいだろう。やったらあ」


 逆を言えばここが短期間で強くなる最後の機会という気がした。

 強くならねばならない理由がある。

 ならば腹をくくるしかない。

 大丈夫。考えようによってはローリスクハイリターン。ヨギさんはどうしたら人が死ぬのか熟知していると言っていた。ならきちんと殺さない程度にやってくれるはず。命の危険を冒さずに実戦経験を積めるのだから。


「……え、続けるの?」

「なんでヨギさんが意外そうな顔をするんですか」

「いや、だってやめるでしょ、普通。痛くなかったの?」

「痛かったですよ。泣きそうになりましたよ。でも、ここで強くなる最後の機会だって直感が騒いでるんです。正直逃げたいですけど、逃げちゃいけない気がするんです」

「……そう」


 意地を張って見栄をきるとヨギさんはそっと目を伏せた。

 見たところ、ヨギさんも人を斬るのが楽しくて仕方ないような狂人じゃない。まともに抵抗する力もない相手を斬るのは気が進まないのかもしれない。

 でも、俺だって死にたくない。

 ヨギさんには悪いけど、力を貸してもらおうと思う。

 きちんと剣を構えてヨギさんに向き直ると、ヨギさんも顔を上げた。


「分かった。あんたが本気ならあたしも本気でやる。姫さんもあんたを鍛えるためなら当分城に留まっていいって言ってたしね。……あたしが知る限り五人にひとりしか耐え切れなかったこの試練。乗り越えてみせなさい、タカヒサ」

「えっ」


 ちょっと今なんて言った。

 なんて問いただす間もなく激痛が首と腕と腹を走った。

 どこか遠くから、やっぱり早まったかもしれないと言う自分の声が聞こえた気がした。


ちなみに、幻痛の心配はありません。幻痛は「体はケガがあると認識しているのにケガがなくなった」場合に起こるもので、今回の場合は「怪我をしたという認識が体に定着する前に怪我がなくなっている」ので。

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