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65.試験

「……ヨギさん?」


 窓から部屋に侵入した人は、よく見れば見覚えのある女性だった。

 ヨギ。一度ゴルドルさんと掛り稽古しているのを見たが、ゴルドルさんを軽く圧倒していた人。

 今なら分かる。この人、バカ強い。隔絶した実力差が顔を合わせただけで感じられる。

 体を流れる魔力は流水のように滑らかで、血流のように全身に滞りなく張り巡らされている。錬気はよほどの出力でなければ見ることはできないが、細い体の中に膨大な錬気が詰まっているのを感じる。

 直感は、俺では戦うことすらできないと言っている。この人が俺を殺す気になったら身構える前に頭と胴体が泣き別れすることになると。

 おそらく、ゴルドルさんが言っていた錬気の達人というのはこの人のことだ。


「あら、よく覚えてたわね」

「自分がどう足掻いても勝てないと思ってる人を軽くあしらっているところを見たら嫌でも記憶に残ると思います」

「それもそうかしら」


 ヨギさんはひょいと軽い動作で窓枠から下り、滑るような動きで俺の前に立った。


「目的はきちんと定まっているみたいね。訓練を始めてから二ヶ月も経ってないのにあれだけ錬気を使えるんだから、才能はあるのかしら。そうは見えないけど」


 じっと顔を覗きこまれる。それからぺたぺたと首、肩、腕、胸、腹、足と触られる。相手が男だったら顔面に拳をめり込ませているところだ。この人ほどの相手じゃ軽く避けられて終わるだろうけど。


「体を鍛えこんでるってほどではなくても、結構長い期間運動を続けてた感じね」

「ええ、まあ。七、八年くらいスポーツはしてましたから」


 小学校低学年くらいには楽しくていろいろなスポーツをしていた。

 高学年から中学生のころには弟に負けないために体のスペックを上げようとトレーニングを欠かさなかった。

 ここ一年ほど、この世界に来るまではさぼりがちだったが、基礎体力はそれなりにある方だ。


 ヨギさんはすぽーつ? と小首を傾げながら二の腕を揉んだりしている。筋肉の質でも確かめているのだろうか。

 なすがままにされていると横から肩を指で突っつかれた。そちらを向くと困惑気味の坂上と日野さんがいた。


「……先輩、こちらの方は?」

「ああ、坂上たちは初めて会うのか。この人は――」

「ヨギよ。あなたたち二人も五人の勇者なのよね。名前、聞いてもいい?」

「あっ、はい、失礼しました。坂上詩穂といいます」

「私は日野祀子。魔法を勉強しています」

「シホとマツリコ。うん、覚えた。よろしくね」


 それっきりヨギさんはまた俺の体をまさぐる。

 こう言うとまるでエロいことをされているようだが、色気なんて欠片もない。ときたま腕関節を極めるようにひっぱたりして整体みたいなことをされている。

 日野さんと坂上もちょっと眉を下げて戸惑っているように見える。

 しばらくあちこち触った後、ヨギはよし、と言って離れた。


「筋力は、物足りないけどまあ良しとしましょう。錬気の量もこれから増やせばいい。才能はどうせあってもなくてもそんなに変わらないから問題なし、と」

「……ええと、ヨギさん、本日はどのようなご用件で?」

「ん? ゴルドルから聞いてない? あたし、あんたに錬気の使い方を教えてやってほしいってゴルドルに頼まれてるんだけど。……あれ、もしかして勇者殴り終わったからもういらない?」

「いえ。戦う力はいくらあっても足りないくらいです。錬気ももっと活用したい。教えていただけるなら、ぜひお願いしたいです」

「ん。じゃあ今どれだけ錬気を使えるか確認したいからさ。ちょっと出ましょうか」


―――


「はい、それ貸すから。殺す気でかかってきなさい」

「……はい?」


 訓練場にたどり着くなり渡されたものとヨギさんの言葉に戸惑いを隠せない。

 ひょいっと無造作に渡されたのは、鞘に収まった二本の剣だった。

 まさかと思って鞘から抜いてみると案の定。金属製の剣だった。

 刃渡り六、七十センチほどのものと、四十センチほどのもの。木剣とは異質な重さがあった。長さは違うが、どちらもずっしりと重いことは変わらない。

 使いやすい方を使えということだろうか。

 ひとまず短い方を抜いてみる。

 細身でわずかに反りがある剣だ。シルエットだけなら日本刀によく似ている……ような気がする。刀身が諸刃になっていて、柄と鍔は西洋剣のものなのであまり自信がない。そもそも実物のポン刀なんて博物館でちらっと見たきり。マンガ知識しかない。


「痛っ!?」

「……なにやってんのよ」


 剣なんて持っても現実感がなくて刀身に触れてみると、指の腹が斬れた。血が出た。

 幸い傷は浅い。錬気を集めるとすぐに治った。


「……これ真剣ですよ!?」

「いや、他のなんだと思ってたのよ」


 模造刀とかではなくガチの真剣だった。

 自分で指を斬った俺を見たヨギさんには呆れたような溜め息をつかれた。

 いやさ、異世界ファンタジーの世界に来たと言っても使っていたのはもっぱら木剣だし。

 聖剣を向けられたらしいけれどその時に俺は気絶していた。こんな間近に何かを斬るための剣を見たのは初めてなのだ。現実感なんてまるでなかった。自分の指を斬って少しは実感できたけど。


「いいからかかってきなさいって。実戦での動きも昨日の試合で見せてもらったけど、やっぱり実際に立ち会うのが一番分かりやすいのよね」

「いやでも、真剣ですよ? 急所に当たったら死んじゃいますよ?」

「あはは、自信あるのねえ。ゴルドルに手も足も出ないやつがあたしを傷付けられるつもり? むしろ間違って自分の体を斬らないように気を付けなさいよ」


 呆れ顔にちょっと青筋が寄った。イラッ、という効果音が聞こえたような気がする。

 ……確かにヨギさんの言うとおりか。こないだ全力でかかってもゴルドルさんにはあっさり負けた。そのゴルドルさんをあしらえるような人なら俺が殺せるはずもない。


 抜いていた短い剣を鞘に納める。こちらは片手用の剣なのか、柄が短くて両手で持てない。盾を使わないなら剣を両手で持てた方がいい。

 長い方を抜く。金属製の刃が鈍く輝いた。

 大きく息を吸って吐く。

 真剣を扱うのは初めてだ。言われた通り、自分を斬ってしまわないように気を付けねば。


「ん? 一本しか使わないの?」

「え、使いやすい方を使えってことじゃないんですか?」

「まあ、いいけどね。使い慣れてない武器で使い慣れていない戦い方をさせたら怪我するだけか」


 そう言うヨギさんの腰にはやはり、長短二本の剣が差さっている。

 侍よろしく補助武装に短刀を持っているのではなく、ヨギさんは二本同時に使うのだ。

 俺も二刀流できるように二本渡されたのかもしれないが、真剣での二刀流はいろんな意味でハードルが高い。


「さ、かかってきなさい」


 ヨギさんは剣を抜きすらせずにそう言った。

 構えらしい構えも見せない。力を抜いて立っているだけ。

 構えに隙がどうのなんて分からないが、無防備な姿勢であることは分かる。

 相手の方がはるかに格上の実力者とわかっていても、まるきり無防備な相手を前に真剣を持つのは嫌な緊張感がある。


 とはいえいつまでも棒立ちしていたって仕方ない。

 今使っているベルトは剣を提げられるものではない。長い方の鞘と短刀を地面に置き、剣を構える。

 木刀とは持った心地が違う。あの木刀は木剣を素人仕事で削っただけのものなので、本物とは重心が違って当たり前なのだが。

 何度か素振りをしてどれだけ違うのか確認した。とりあえずすっぽ抜けるということはないと思う。


「準備はいい? なら早いとこきなさい。そろそろ日が落ちるわ」

「……はい」


 手に変な汗をかいてきた。

 四ノ宮と戦う時にも緊張はあったが、緊張の質が違う。武器の違いによるものか、相手の違いによるものか。

 大きく息を吸って、吐いて、気を落ち着かせる。


「行きます」


 ぐっと足に力を込めて急接近。袈裟がけに斬りつける。

 それは至極あっさりとかわされた。


「……うん?」


 ヨギさんは小さく首をひねる。

 俺は追撃をしかけるが、どれもこれも掠りもしない。のらりくらり、まるでそよ風に吹かれているような気軽さでヨギさんはかわしていく。

 しばらくそんなことが続くと、ヨギさんは「ああ」と何かに納得したように息をついた。

 急にヨギさんの動きが止まった。


「な――!?」


 予想外のことに首を狙った横薙ぎを止めきれない。

 刃がヨギさんの白い首に触れた。

 その瞬間。


「やっぱり。止めようとした」


 剣が掴まれた。

 ヨギさんはむき出しの刀身を素手で鷲掴みにしていた。

 眉間にしわを寄せているものの、痛みをこらえている様子はない。完全に剣が止まるのとほぼ同時にヨギさんは剣を手放した。剣には血の一滴もついておらず、ヨギさんの手にも首にも傷一つなかった。

 ――殺してしまうかと思った。

 じとっとした視線を向けてくるヨギさんを見て安堵し、力が抜けた。剣が手からこぼれ、大きく息を吐いた。


「あんた、バカなの? なんで剣を止められて安心してるのよ」

「いや、だって、殺しちゃうかと思って」

「あたしは殺す気でやれって言ったけど? 攻撃は雑で気が入ってないうえに当たりそうになれば止めようとするとか、舐めてんの? ていうかあんなくっそ遅い剣であたしを殺せるとでも?」


 ヨギさんの呆れたような声に険がこもり始める。目に見えて苛立っていた。


「試合の時はあんだけ殺気立ってたのに、なによそのザマ。まるっきりヘタレじゃない。なに、人に剣を向けたこととか、向けられたこととかないの?」

「ありませんよ。真剣なんて今日初めて持ちましたし、少なくとも意識がある時に刃のついた剣を向けられたこともありません」

「一度も?」

「一度もです」

「……ああ、それでビビってたの。召喚される前、どんだけ平和な国にいたのよ」


 はああ、と荒っぽくため息をつくヨギさん。苛立たしげに髪をかいた。

 あまり実感はないが、この国は魔族との戦争の真っ最中らしい。そうでなくてもテンプレファンタジー的な世界観。きっと外に出れば盗賊とかもいるのだろう。

 こんな世界で剣を握って生きている人から見れば信じられないことかもしれない。


「じゃあ、どうして勇者? と戦った時にはあんだけ殺気放ってたのよ」

「……怨みがあったのと、本気でやらなきゃ危ないと思ったんで」


 あと、正気がちょっとばかり飛んでた。


「ふうん。ならこうすればいいのかしら」


 つまらなそうに言ってヨギさんは自分も剣を抜いた。

 俺がさっきまで握っていたものとほとんど同じ長さと形をした剣。切っ先はぎらりと凶悪な光を放っている。

 ヨギさんの目つきも変わっていた。

 先ほどまでは呆れや苛立ちが見えたが、今は感情が見えない。ただ、剣呑な目つき。


「避けなきゃ死ぬ。あたしを斬らなきゃ終わらない。さあどうする?」

「……は?」


 感情のこもらない声でそれだけ言って、ヨギさんは俺めがけて剣を振る。

 スローモーションに見えた。無造作に振られた剣は左下から俺の首に迫る。

 冗談だろうと思った。どうせ寸止めするんだろうとタカをくくっている自分がいた。


 しかし、直感が全力でアラートを鳴らした。

 ゆっくりと迫っていた剣が唐突に速度を増したように見えた。

 急に目の前の光景に現実感を感じることができるようになった。


「――ッ!?」


 全力で後ろに跳ぶ。

 今の今、ほんの一瞬前に自分がいた場所を白刃が通り過ぎた。

 わずかにも速度が緩まったようには見えなかった。

 おそらく、彼女は殺す気で――というか、俺が死んだらそれまでくらいの気持ちで剣を振った。さっき動きが遅く見えたのは走馬灯的なアレだろう。


 なんて、のんきに考えている間にも第二撃が来る。

 ヨギが先ほどの一振りで上がった剣を振り下ろす。肩を狙った一撃。おそらく避けそびれたら腕がなくなる。

 一撃目を全力で回避したせいでバランスが崩れている。これではまともに力も入らない。

 瞬間的に錬気解放を行う。骨も筋肉も全部ひっくるめて強化すべく足全体に錬気をぶち込んだ。もう一度後ろに跳ぶ。

 体勢が崩れていたせいで地面に力を伝えられず、飛距離も速度も使った錬気のわりには小さいが、目前の脅威からは俺を逃がしてくれた。地面を転がって体勢を立て直す。ヨギの剣は地面を撫でるだけに留まった。

 二撃目も速度が緩まる様子は見えなかった。きっと本当に、殺しても構わないくらいの心づもりでやっている。


「……おかしいだろ、これ、訓練じゃないのかよ」


 それどころか、稽古をつける前の、教えるかどうかを決めるための試験みたいなもののはず。

 なのにどうして、俺は殺されかかっているのか。


 少しでも動きを察知する助けになれば、と思って魔力視を発動する。

 ヨギの体を流れる魔力は至って平常。体中を流れてはいるが、魔力の流れに偏りはない。剣にはわずかな魔力が流れている。


 三度、直感がアラートを鳴らす。考える暇もない。

 首を狙った一薙ぎ。横っ飛びに攻撃をかわすが、完全にはよけきれなかったらしく、頬に焼けるような痛みが走った。


 ……これは、洒落にならない。

 どうすればいい。どうすれば終わる。どうすれば生き残れる?


 ヨギに視線を向けながらも必死に考える。

 考えろ、あいつはなんて言っていた――?


『あたしを斬らなきゃ終わらない』


 そんないかれた生存条件が思い出された。

 無茶にもほどがある。ゴルドルさんにも太刀打ちできない俺にこの人を斬れなんて、無理ゲー以外の何ものでもない。

 ……でも、やらなきゃ俺が斬られる。やるしかない。

 とっさに周囲に視線をやる。

 長い方の剣は俺よりヨギに近い。短い方はすぐそばにある。

 視線が逸れたことを察知したからか、ヨギは四撃目を放ってくる。

 俺は地面を這うように短刀の方に向かう。

 右手が短刀を掴んだ。左手で鞘を掴んで短刀を抜き放ち、ヨギの一撃を阻んだ。

 つばぜり合いのような状態になる。ヨギがにやりと笑った気がした。

 ヨギの左手が腰に伸びる。そこにあるのは短刀。


「まずっ……!」


 短刀を取るために転がったせいで俺はほとんど倒れる寸前のような姿勢。バランスもクソもなく、力が入らない。

 こんな状態で、剣一本止めるのに精いっぱいなのに、もう一本まで抜かれたら。

結果は考えるまでもない。


 全力で錬気を解放する。

 解放状態を止められなくなってもいい。どうせ、この攻撃をしのげなければ殺されるのだから。

 錬気を腹筋に集めて無理やり体を起こしながらヨギの目を狙って短刀の鞘を突き出す。

 ヨギは後ろに下がることで鞘をかわす。

 突き出す勢いで立ち上がり、そのまま鞘を顔めがけて投げつけた。

 どんな達人だろうと目の前に障害物があったら視界はふさがれるはず。鞘でこちらを見失った隙に一撃を、と思って飛びかかる。

 ヨギはあっさりと鞘をかわした。四ノ宮のように面食らってはくれない。それどころか剣を構えながらこちらに向かってくる。

 短刀を右手で握りしめる。狙うは首。一番狙いやすい致死性の急所。防具を身に付けているようには見えないし、錬気の鎧をまとっていても喉を潰されたらダメージはあるはずだ。

 そして、交錯する瞬間。


「何やってやがんだてめえらは!」


 俺は刃物を握る右手を大きな手に掴まれた。ヨギは闖入者の手を横に跳んで避けた。

 大声をあげながら乱入してきたのはゴルドルさんだった。


 ヨギとは反対方向に軽く投げられた俺は地面を転がり、へたり込んだ。

 集中が切れたせいか、まだ弁が壊れるまでいっていなかったのか。幸いにも解放状態は終わってくれた。

 俺はひとまず嫌な予感が消えたことに安堵し、それから全身を走った鋭い痛みに悶えることになった。

 錬気解放の反動だ。

 筋力強めるのに必死で、体の補強しそびれた……!


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