閑話・その日の御神叢
閑話をこそっと投稿してみたりします。
いつも通りの平和な日。
しかし、何かが違っていた。
何が違うのかと訊かれたら言葉にしづらい。
空気と言うか、雰囲気というか。
そんな明確なかたちを持たない何かが違っている。
「……とは言っても特段の変化はなし、か」
昼休み。生徒会室で御神叢はひとりごちる。薄い唇から小さくため息が漏れた。
怜悧な容貌の人物だった。切れ長の目が与える鋭い印象を眼鏡が和らげ、穏やかで知的な雰囲気をまとっている。
そんな優れた容貌も今は柳眉がしかめられ、損なわれていた。
学校の空気が悪いというわけでもないのだが、虫の知らせというか、嫌な予感がした。
まるで冷えた油物を食べてしまった時のような気持ち悪さが朝からずっと続いているのだ。
授業の合間の休みを使ってその発生源を探してみたが、特に変わったところはない。
「思い過ごしならいいんだが」
調査のついでに買ったパンをかじりながら生徒会の書類に目を通す。
大した内容ではない。
そもそも、いくら私立の高校とはいえ重大な仕事をただの学生に任せるはずがない。
ごく普通に生徒会長らしく校内の風紀がどうの、学園祭に向けてどうの、といったもの。書類というよりもプリントと言った方がふさわしいように感じる。
生徒会長という立場はなかなか新鮮で面白い。
中学の時は別なことに没頭していたせいでできなかった。
未知の役割を経験するのはいつだって緊張する。
だが、それがいい。
何の緊張もなければ気が緩んでしまう。
適度な緊張を保つためには、新しい刺激を受けるのが一番だ。
「とはいえ、こういう原因も結果も分からない嫌な予感というのは面白くないが」
未知なのはいい。
だが、誰かが被害に遭うような事態を楽しむほどねじ曲がってはいないつもりでいる。
そういった可能性があれば、極力取り除かねばならない。
ホチキスで束ねられたプリントを机に放り、パンをさっさと飲み下す。
「さて、最後に校内を一周するか。それで異変が見つからないようなら思い過ごしということだろう」
何か見つかっても見つからなくてもこの一周で終わりにする。
そう決めて、ソウが立ち上がった瞬間だった。
「――――――!?」
ぎし、と何かが軋むような音がした。
それと同時に膨大な魔力を感じた。
発生源は――
「資料館の近くか!」
北棟二階にある生徒会室の窓から飛び出し、一足飛びに南棟の屋上へと上がる。
フェンスに着地し、曲芸のような動きで向かいの縁のフェンスに飛び乗った。
そこから異変の発生源を見ると、ベンチに座る一人の学生と、その前を通る知人が四人。いずれも見知った顔だった。
そこは危ない、早く逃げるようにと警告しようとするも、すでに手遅れだった。
ソウが五人の姿を認識するのとほぼ同時。
五人の足元に魔法陣が現れて、ソウの視界は光に白く染められた。
目を片手で庇い、やり過ごしたのち。ソウが見たのは誰もいなくなった資料館裏だった。
「……これはまずい。非常にまずい。いやほんとマズいちょっと待ってなんでどうしてこうなった?」
いつも被っている生徒会長としての顔が崩壊した。
ソウはそんなことに構いもしない。どうせ誰も見ていないのだ。外聞なんか気にしても仕方ない。
自分の外聞なんかよりも、問題なのは消えてしまった五人のことだ。
「……あれは、召喚魔法か。それに形式も向こうと同じものだった。見覚えのある術式だ」
認識した事実を口に出して整理していく。
一瞬のことだったが、なんとか目に捉えていた画像を詳細に思い出す。
ひっかかった記憶と照合し、答えを導き出した。
「アストリアスの異世界召喚魔法か。あんな前時代的な術式をアレンジもせずに使うか、普通」
閃光が走る直前に見た魔法陣は確かに見覚えがあった。
あれは勇者召喚の魔法陣だ。いくらか不完全な部分もあったが、四百年も前のものとほぼ同じ様子だったから、間違いない。
「……いや、そこじゃない。問題なのはあの五人を対象に召喚魔法が発動したことだ。ということは、五人とも異世界に飛ばされたということになる」
徐々に落ち着きを取り戻し、生徒会長としての冷静な顔になってゆく。
が、事実を正しく認識したことで脆くも崩れ去った。
だらだらと冷や汗と脂汗を混ぜたような嫌な汁が全身を流れる。
「やばい、ひとり完全に巻き込まれた」
頭がカッと熱くなるのに血が引いて顔は冷たい。
これまでにも緊張したこと、焦ったことは何度もあった。
けれど、それらの比ではない。
全く無関係な生徒を、命の危機すらあり得る場所に拉致されてしまった。
危機の質が違う。失敗が誰かの命に関わる場面だ。
「征也やリコ、夏輝に詩穂も自分でどうにかできるはずだ。それだけの力がある。問題は、巻き込んでしまった彼だ。……村山貴久、だったよな。うちの関係者じゃない以上、魔力を持っているとは考えづらい」
焦ってばかりでは何も解決しない。
自分に言い聞かせ努めて冷静な皮を被る。
巻き込まれてしまった彼を、何も知らないはずの四人を助けるための算段を練る。
「まずは幻素を確保。門を開けなければこちらに再召喚することができない。……くそっ、せめて半年後なら彼だけでも再召喚することができたのに」
無い物ねだりと分かっているがそう思わずにはいられない。
まだ世界間移動をできるほどの魔力は溜まっていない。
今すぐに門を開くことができれば魔力を持たない彼なら即座に呼び戻すことができるはずだが、今ある幻素では門を作ることすらおぼつかない。
どうにかして、速やかに幻素を調達しなければならない。
五人が移動してしまえば座標の特定に余計な時間と幻素を費やすことになってしまう。
「……とはいえ、できることは少ないか」
急いだところでこちらでは幻素を調達することができない。
地球は魔法の世界ではないのだ。幻素ないし幻素の代替物もない。もしもどちらかがこの世界にあったとしたら、物理法則が成り立っていない。
現状、扱える幻素はほとんど非活性状態だ。再活性を急いだところで限界がある。
ソウにできるのは召喚魔法を改良して、少しでも低コストで門を開けるようにすることくらいだが。
「魔法の改良は思いつく限りやったばかりだし、新しいアプローチを試したら余計に幻素を消耗してしまう」
できることは少ない。
だが、ないわけではない。
「まずはあそこにできた歪みを保存」
周囲に人がいないことを確認した上で魔法陣が現れた場所に飛び降りる。
門は完全に閉じ、消滅している。
しかし門が開いた痕跡は残っている。この歪みを利用すれば門を開くコストを削減できる。
「あとはご両親に説明。それから、表向きは留学ということにしておくか。それなら休学とは扱いが違う。本人が望むならそのまま進級することもできるし、留年も不名誉なものにはならないはずだ。帰ってきた時に備えて本当に留学できるようにもしておくか。留年した場合、どんな事情があってもバカなことを言うやつはいそうだからな」
今すぐ再召喚、送還させる方は手詰まりだが、その後の面倒を少しでも減らしておくべきだ。
他の四人も含めてそんな対応にすることに決める。
村山貴久は祀子と同学年。こちらに呼び戻すことができても受験スケジュールは最悪に近いものになるだろう。三年でなくてよかった、と言うほかない。
特に彼は完全に巻き込まれたのだ。どんな場合でも可能な限りのフォローは約束する。
「……だから、死んでてくれるなよ、五人とも」
ソウは手続きをするために校舎に戻る。
その際に、横目で魔法陣が展開された場所を睨み、ひとことだけ益体もない疑問を漏らした。
「なぜ、俺じゃなかったんだ」




