49.彼女の事情
ある夜。俺はベッドから起き上がり、水差しとカップを持って部屋を出た。
魔力感知の訓練をしているうちに気付いたのだが、空気中にはうっすらと魔力、というか幻素が漂っている。
錬気についてゴルドルさんと話している時に出てきた幻素というもの。それについてダイム先生に尋ねると、簡単に説明してくれた。
幻素は言うなれば魔法の元だ。普段は空気中を漂っているが、生命力と結合し命令を与えることで物理的に在り得ない現象を引き起こす。
感知や魔力視で認識しているのはこの幻素であるらしい。
いわゆる魔力というのは生命力と結びついた幻素のこと。
魔力量とは、幻素への干渉力と生命力の大きさ、生命力と結びついた幻素を貯めておく器……体の容量のうち、最も小さいもののことを言う。
干渉力がなければ器に幻素を留めておけない。生命力がなければ幻素を使用可能な状態に持っていけない。器がなければ幻素を生命力と練り合わせ、蓄えることができない。
このように、三者は揃って初めて意味を持つので、一番低い値=実際に魔法を使う上での目安になる。
ちなみに幻素は自然の生命力と結びつくこともあるそうな。自然に生じた魔力に指向性が与えられると自然現象ならぬ超自然現象が起きるとか。
閑話休題。
幻素は均等に空気に溶け込んでいるので、感知の範囲を狭めれば幻素の分布から通路の形おおまかに把握できる。
よく使う部屋の場所はだいたい覚えた。感知しながら手探りの移動となるため遅くはなるが、階段だって下れる。
俺は目的の部屋――食堂にたどり着いた。
立ち入る前に様子を伺うとほのかに灯りが点されているのが見える。
その灯りは、ゆらゆら揺れていた。
俺はしばらくその光景を見つめてから、食堂に足を踏み入れた。
「……ムラヤマ様?」
そこにはジアさんがいた。
ジアさんがいることがわかったから食堂まで下りてきたのだけど。
―――
「隣、いいですか?」
「……どうぞ」
不思議そうな顔をしながらもジアさんは承諾してくれた。
テーブルにはビンとグラスとランプ、それからつまみらしきものが置いてある。ランプには魔法の光が灯っている。
透明でこそないが、この世界にもガラス加工技術は存在するらしい。
甘い香りとともにわずかなアルコール臭。ビンの中身は酒だろう。
持ってきたカップに水を注ぎ、水差しをビンの横に置く。
ジアさんの隣に座るが、言葉が出ない。
言いたいこと、聞きたいことはいろいろあったはずなのに、いざ伝える機会が来ると何を言おうとしていたのか思い出せなくなってしまった。
……まあいいや。久しぶりにジアさんと話したかったからここに来ただけなのだし。
俺はジアさんが食堂にいると分かったから食堂まで下りてきた。
分かった理由は簡単。魔力感知に引っかかったからだ。
ジアさんの魔力は相当多い。
勇者四人という規格外な連中を見ていると感覚がマヒしそうになるが、ジアさんだってバケモノ級……五百の手前くらいの魔力を持っている。
目の粗い感知でもこれほどの魔力なら引っかかってくれる。
「私は、謝りませんよ」
何から言おうか考えているとグラスを取ったジアさんが呟いた。
横目に見やると顔をほんのり赤くしたジアさんがグラスを両手で抱えていた。
「私は、謝りません」
もう一度同じ言葉が繰り返された。
「何をですか?」
だいたい分かるけど、あえて問う。
俺の認識と彼女の意識は絶対に違う。
ジアさんが何を考えて、何を「謝らない」と言ったのか、俺には予想することしかできない。
彼女が何を、どう捉えているかがわからないと、文字通り話にならない。
「……わかっているでしょう」
「分かりませんよ。俺はジアさんじゃないんだから。想像することしかできません」
「…………いじわる」
「心外です」
意地悪ではない。認識に齟齬が発生することを防ぐための処置だ。
そもそも俺はジアさんが何を、どこまで知っていて、どうして何も言わないという結論に至ったのかを知らない。
ならば、まずは話を聞くべきだ。
相手の考えや主張を知ろうとしなければ、会話はできない。
「姫様が、ムラヤマ様を生贄にする方針で動くのを止めなかったことを、それをムラヤマ様に伝えなかったことを、謝らないと言っているんです」
吐き捨てるように言った。
おおむね予想通りの言葉だった。
おかげでいくつかの予想が確定した。
ジアさんはお姫様の本当の目的を知らなかった。その動機についても知らない。
お姫様の表向きの目的は知っていて、企みを伝えてくれなかった。
「私は、姫様がムラヤマ様を利用して市民の不満を逸らし、シノミヤ様に箔をつけ、他国の勇者に対抗しようと企てていることを知っていました。……ムラヤマ様が犠牲になることを承知で、それを伝えなかった」
まるで懺悔するかのようにジアさんは絞り出す。
重々しいことを言っている最中に悪いが、俺はあんまりジアさんとの会話に集中していない。
ジアさんが言った通りなら、俺はジアさんに怒っていいだろう。
けれど、そんなつもりにはならなかった。それどころか腹が立ちもしなかった。
ゴルドルさんから試合前日の話は聞いた。ジアさんは当初俺を逃がすつもりでいたが、ゴルドルさんによって止められたと。
自分のした悪いことばかり告白されても露悪にしか聞こえない。自然、返す声もそっけなくなる。
「ふうん。それで?」
「それでって……なんで怒らないんですか。私が事前に伝えていれば逃げられたかもしれないのに。あんなことに加担した私を怒らないなんて、おかしいですよ!」
ジアさんは急に言葉を荒げた。
確かに言う通りだ。
俺は帰るまでにお姫様を足蹴にするつもりでいるし、四ノ宮を殺そうとすら思った。バスクだって許すつもりはない。隙があったら部屋に馬糞でも放り込んでやろうと思っている。
ジアさんが計画のことを教えてくれていたら俺は城から逃げ出していただろう。
そうすれば、少なくともあの日にリンチされることはなかった。
市民にだって生活がある。そう何度も観衆を集められず、計画は頓挫したかもしれない。
ゴルドルさんの話を聞くまでは何か言ってやろうと思っていた覚えはある。
世話になっていたけれど、こんな仕打ちはあんまりだろう、と。
けど。
「なんかジアさんは怒ってほしいみたいだし。だから怒ってやらない」
「っ!」
ジアさんの顔がはっきりと朱に染まる。
今度は酔いや灯りの色ではない。
もっと暗い、羞恥の色だ。
「なんて。本当は怒ってないから怒らないだけなんですけどね」
「……どうして」
「そんな顔されたら怒る気もなくなりますよ」
慌ててジアさんは自分の顔を両手で覆い隠す。もう遅いのに。
その様がおかしくて少し笑ってしまう。
仮に、ゴルドルさんから何も聞いていなかったとしても、俺はジアさんに怒鳴り散らしたりはしなかったと思う。
彼女が見覚えのある顔をしていたからだ。
ジアさんは涙を流していたわけではない。
分かりやすく落ち込んだ顔をしていたわけでもない。
ただ淡々と押し流すように、つまらなそうに、不味そうに酒を飲んでいただけだ。
灯りの規則的な揺れはグラスに酒を注いで、煽る動作だった。
俺を見つけてからは顔を歪めて、藁にすがるようにグラスを抱いていた。
怯える子どものような顔だった。
まるで悪さがバレて怒られた時の弟のようだった。
そのせいか、なじるつもりにはなれなかった。
「…………………………」
「謝らなくていいですよ。謝られる覚えもないし。どっちかって言ったらどうしてジアさんがお姫様を止めなかったかが気になります」
そんな顔をするくらいなら止めればよかったのに――とは言わないでおく。聞きようによっては責められているように聞こえるだろうから。
返答はない。
それでも構わない。
無理に聞き出すつもりもない。
水を煽ってカップを置く。
夜の空気に冷やされた水が喉を通り過ぎていく感覚。冷たさが心地よい。
……うん、すっきりした。そろそろ寝よう。明日に障る。
もっといろいろ話そうと思っていたはずだけど、今日は退くことにする。
何を話そうと思っていたのかどうでもよくなってしまったし。またいくらでも話す機会はある。
とりあえず、ジアさんを恨んだり怒っていないことを伝えられただけでよしとする。
「……やくそくのためです」
立ち上がろうとした頃に返答があった。
横を見るとジアさんは両手をテーブルに下ろしていた。グラスも握っていない。
「約束、ですか」
「はい。私の無二の親友であり、主だった人……ユーフォリアとの」
―――
「ユーフォリアさん、ですか」
主人だった。
名前を呼び捨てにしたことからも親しかったことが伺える。
過去形が引っかかったが、それゆえに踏み込めない。
「念のため言っておきますが、亡くなってはいませんよ」
気の回し過ぎだった。
こういう過去形に過剰反応してしまうのもマンガ脳の一種なのだろうか。
「……ある意味では亡くなったと言えますが」
「どっちだよ」
思わず素で返してしまった。
親友とまで言う人の生き死にの話だ。突っ込みづらい話題で紛らわしい言い方はしないでほしい。
声に陰りがないので存命だとは思うが。
「王家から出奔して、名前を変えて別人として生きているんですよ、彼女は」
思いのほかアグレッシブな存命の仕方だった。
確かにユーフォリアとしては亡くなったと言えるのかもしれない。
ていうか王家って。さりげなく言ったけどものすごい大事なんじゃないだろうか。
「ええ。王国が必死になって止めたほどです」
「そりゃそうでしょうよ。王家の人だったんですよね。王族が家を捨てるって言ったら大スキャンダルだってことくらい想像つきます」
「ユーフォリアはお兄様方をはるかに凌ぐ頭脳を持っていましたからね。十代にして経済的に破綻しかけていた領地を立て直し、国政においても陛下に助言することすらあったほど。国民にも賢姫ユーフォリアと呼ばれ慕われていました。王家を出た今でも、いつか戻ってきた時のために籍だけは残されています」
「実務的な意味での引き留めですか」
普通は権威のためとかじゃないのだろうか。貴族の見栄のためとか。
王族の女性が出奔したら拙い理由と言うと、すでに結んでいた婚約がどうとか、というイメージがあった。
「それもありますよ。けれどそれ以上に、万一にでも王家の女性が不用意に嫁いでしまったら大問題ですから。アストリアスの三美姫と言えば大陸にも響き渡る名声。欲しがる貴族も多いのです。籍を残しているは彼らへの牽制のためでもあります」
「ふうん……あれ、三美姫? 待って、ちょっといろいろ突っ込みたい」
「ちゃんと説明しますよ。私の本来の主……ユーフォリアは現陛下の側室の娘にして、陛下の長女。元王位継承権第二位。アルスティア様の腹違いの姉に当たります」
聞き捨てならない。ということは――
「あの腐れたお姫様が美姫ぃ? 外見がいいのは認めるけど中身は生ゴミじゃないですか」
「驚くところはそこですか」
「そんな賢い人の妹があのバカだというのも驚きですが。側室さんの遺伝子がそれだけ優秀だったってことですかね?」
「……私としては、王位継承権第二位に驚かれると思ったのですが」
「兄貴が複数いるんでしたっけ。お兄様方って言ってたし。よりふさわしい人が王様になるって制度があるなら、ちょっとだけこの国のことを見直しますけど」
俺が知る限り王政で王位を継ぐのは本妻の長男であることが多い。継承権の順位も年齢に関係なく女性より男性の方が高かった。フィクションでも歴史上でも、だ。
男尊女卑がなく王家なら本妻の子でなくても能力次第で継承権上位になれるというならかなり進んだ制度なのではないだろうか。
まあ、そうすると本妻の意味とかなくなると思うけど。純粋に能力で決めるなら平民でも王位につけるべきだ。
そのあたりは教育制度の問題もあるのだろう。いくら人気があっても政治や経済の基本すら分かっていない平民が王になったら困るのは国民だ。
議会制民主主義は国民の教育水準が一定以上でないと成り立たない。
「いえ、アストリアスでも基本的には正室の第一王子が継承権第一位になります。通常なら継承権は王女よりも王子が優先。第二王子の方が年齢も上ですし」
「じゃあなんでユーフォリアさんが王様候補二番手に?」
「ユーフォリアは優秀ですから。どこかに嫁がせてもその家の権威を拡大してしまう。王家の権勢を維持するためには嫁がせないのが一番。そう考えて継承権二位――継承権一位のスペアとしての地位を与えたのです。……もっとも、ユーフォリアの人気が高まりすぎて彼女が王位を継ぐことを願う民衆が増えすぎたために、王は出奔を止めなかったのですが」
「王様けっこうやるんだな、と思った俺の感心を返してください」
いざ実現の可能性が出てきたら慣習を破れないで娘を放り出すとか。
高度に政治的な判断とか言うのかもしれないが、王様以前に親としてどうよ。
「王家を出ること自体はユーフォリアが望んだことですから。盆暗な貴族との結婚も、王座に祭り上げられるのも願い下げだと。今は商人をしています。領地経営で出した利益から金貨一枚だけを持って出奔してから早五年……今では変わった形式で商売をして、順調に商会の規模を拡大しているようです」
放り出すことが全く問題にならなかった。
問題どころかバリバリに働いていた。
商人として活躍しているということは国内の流通に一役買っているのだろう。王家を出てからも国に利益をもたらしているのかも。
それと行った事業を逐一チェックしてるとかちょっと怖いです。株主か。
そんな具合にユーフォリアの武勇伝や現状について話し終えるとジアさんは一息に酒を煽った。
「でも、その時に……王家を捨てる時に、私を連れて行ってはくれなかった!」
ゴン! とテーブルにグラスを叩きつけるように置く。
いきなりの荒れように俺は慄く。
「幼なじみだったんです。私はユーフォリアの乳母の娘で、生まれつきユーフォリアの側で働くことが決まっていました。初めはそれが嫌だった! 王族に生まれたというだけで偉そうに振る舞う盆暗の世話を焼く人生なんて!」
もしかしたらジアさんは酒に弱い人なのかもしれない。
口調から遠慮がなくなって、堰を切ったように不満の濁流が流れ出す。
「ユーフォリアは盆暗じゃなかった。私よりずっと賢かった。けど私に、右腕になれって言ってくれた。だから必死に頑張って、知識をつけて体を鍛えて……なのに! 自分は王家を捨てるから妹を頼むなんて何様ですか!? ご主人様だって言うなら世話くらい焼かせてください従わせてくださいそばに置いて使ってください! 妹は頼りないから成長するまで見守ってやってって、ジアにしか頼めないことだって、そんなこと言われたら断れないじゃないですか! 私が断れないとわかってて言ったんですよユーフォリアは! ひどくないですか? ひどいですよね、ひどいです! 立派になるまで手助けしてくれって言うから立派になるようにいろいろ教えるのに盆暗姫は他のことに夢中だし! あれが立派になってくれれば私もすぐに辞職してユーリのところに行けるのに!」
一気呵成に怒鳴るように言った。
聞き手のことなんて何も考えていない。
たぶん、俺に向かって話したのではないのだろう。ただぶちまけたかっただけで。
今までずっと誰にも愚痴れずにため込んでいたのかもしれない。
お姫様のこと盆暗姫と言い、しまいには「あれ」呼ばわりだ。見つかったら厳罰ものだろうに大きな声で言っていたし。
よっぽど溜まっていたのだろう。
とはいえなんとなくの流れは把握できた。
ジアさんはもともと王家の長女、ユーフォリア付きのメイドで、ユーフォリアのために必死に努力をしたらユーフォリアが出奔。
妹を任されて断れずにお姫様付きとなった。
妹様が一人前になれば晴れてユーフォリアのもとへ行けるのに、肝心の妹様が勇者召喚に夢中なせいでいつまで経っても世話焼きをしなければならない、と。
そりゃ荒れるわ。
「……姫様が喚いたせいでムラヤマ様が勇者らしい力を持たないことは城中に広まりました。気付いた時には住み込みではない人たちが家で話題にして街中に広がっていて。アルスティアはこれを利用すればいいと考えました」
ハズレの勇者と公言し、メイドを虐待している悪役に仕立て上げることで市民の不満のはけ口にする。
それを四ノ宮が罰することで『聖剣の勇者』である四ノ宮の名声を高める。
ハズレでも俺が勇者だと公表することで、勇者を軽々倒した四ノ宮の強さを印象付けて安心感を与える。
それに加えて、他国の勇者を支持する動きを抑える目的があったらしい。他国の軍事力を支持しようとする動きというのは、国として抑えたいだろう。
勇者ですらも容易く倒す、真の勇者。
四ノ宮をその座に祭り上げることで人々からの支持を独占。ひいては真の勇者を引き寄せた自分の功績を誇るつもりだったとか。
本当の目的を果たすを傍らでいろいろ小難しいことを考えていたらしい。
俺がハズレだと知れ渡ったのもお姫様のせいで、その失点を取り戻すためにあの茶番を仕組んだ。
……帰る前に一発殴るくらいじゃ足りないな、やっぱり。そそっといろいろなくしてもらおう。
「不安と不満が渦巻く中で、誰かひとりに敵意を集めて犠牲にする。褒められたやり方ではありませんが、有効な手段です。ムラヤマ様に伝えようと考える前に、私はそう思ってしまった」
それはわかる。日本でも同じような話を聞いたことがある。
ダメな教師がよくやる手口だ。
いじめられっこを一人作ることでいじめを集中させて他の関係を円満にする。
短期的には効果的かもしれないが、加減を誤れば自分が大怪我をする諸刃の剣。
教師の例ならば、標的にしていた生徒が自殺でもすれば自分もただでは済まない。
実際、四ノ宮が攻撃魔法で誤爆したせいで住民の一部からの不満は高まってしまったらしい。ざまあ。
「有効な手段であると認めたから止めなかったんですか」
「いいえ。今回はムラヤマ様を痛めつければヒノ様、サカガミ様が離反することも考えられました。有効な手段ではあっても、得策とは言えません。止めようとは思いましたが、すでに姫様は動いていた」
「止められなかった、と?」
「違います。あの段階でも私が手段を選ばなければ止められたでしょう。ですが、私は結局何もしなかった。……私は、最後にはムラヤマ様の安全よりも姫様の成長を優先した。自分が考えたことを自分で実行して、その功も責も一身に受ける。そうでなければ成長はありません」
「犠牲にされたこっちはいい迷惑ですけどね」
お姫様の成長のための生贄にされるなんて冗談じゃない。
「ムラヤマ様には悪いことをしたと思っています。……けれど、姫様には必要な処置だった。今でもそう思っています。だから謝りません。誠意のない謝罪なんて、されたって不愉快でしょう?」
ジアさんはグラスに酒を注ぎ、グラスを両手で抱えながらちびちび飲み始めた。
聞きようによってはただの開き直りだ。
犠牲が必要だって言うならあんたが犠牲になれよ――とか、ジアさんと直接話す前の俺だったら言っていたかもしれない。
けれど、こうして顔を合わせて話してみるとまた別の側面が見えてくる。
「ジアさんもお姫様に不満が溜まってるんですね」
「……わかります?」
「これだけ聞いといて分からないやつの方が少数派だと思いますが。さっきからあれだの盆暗だのさんざん罵っていましたし。それに今の話と、お姫様への処置って言い回し。お姫様の計画が失敗することが前提になってますよね」
思えばジアさんが許可を出す作戦としては穴が多すぎる。
そもそも、俺が計画に気付いた時点で頓挫しかねない。ジアさんという漏洩ルートが存在していたし、ゴルドルさんが俺に情報を伝えなかったのだってたまたまだ。
四ノ宮はスキルと魔力で規格外の強さを誇るとは言っても、近接戦ではバスクにも及ばない程度。
俺を確実かつ一方的に仕留めるなら初めから魔法を使えるルールにしておくべきだった。『剣術の試合』なんて公言せずに、ただの試合にするだけでよかったのだから。
メディアリテラシーなんて言葉がない世界だけど、冷静な人くらいいるはずだ。
俺のあまりの弱さにあれが本当に勇者なのかと疑問を抱く人がいても不思議はない。
何より、坂上と日野さんは俺に対して協力的だった。
ジアさんが言及していた通り、二人が痛めつけられる俺と俺を取り囲む群衆を見てフォルトの住民に、ひいてはアストリアスという国に悪印象を持つ確率は非常に高い。
スキルと魔力を考えると、四ノ宮より日野さんの方が範囲攻撃に向いているだろう。坂上がいれば兵士の損耗率を大幅に引き下げられるはずだ。
そんな二人の離反を招くような下策、普通は実行しない。
他に目的があるか、頭のネジが緩んででもいなければ。
ジアさんの意図はお姫様にお灸をすえることではなかったのだろうか。
「ええ、その通りです。姫様はこれまで何かを間違えても周囲が結果を捻じ曲げ、正解にしてきました。このあたりで一度、大きな失敗をして学習する必要があった」
「日野さんと坂上に見捨てられる可能性があっても、ですか」
「はい。もっともムラヤマ様のおかげでそのリスクは回避できましたが。これで姫様も勇者がただの道具でないことがわかったでしょう」
そう言ってジアさんはグラスに注いであった酒を飲みほした。
ところどころ悪口が混じるあたり、よっぽどストレスが溜まっていたようだ。
当然か。お姫様に早いとこ自立してほしいから教育しようにも他のことに夢中。
早くユーフォリアのところに行きたいジアさんとしてはたまったものではないだろう。
「……ま、必要ない処置だったろうけど」
思わず言葉が漏れた。本当に小さな声だったし、ジアさんには聞こえなかったと思う。
お姫様はアホほど劣等感を抱えている。
周囲が間違いを正解に捻じ曲げてたことに当人が気付いていないなら、そうはならない。
おそらく周囲は『第二王女』に媚を売りながらも陰ではいろいろ言っていたのだろう。
陰口というのは隠しているようでいて結構本人の耳に届くものだ。
お姫様は多分、今までの自分の成功が全て他人の手によるものだと知っている。
ジアさんはちょっと、お姫様を舐めすぎだ。ユーフォリアと比べたら劣るのかもしれないが、お姫様はお姫様でいろいろ考えている。
酔いが醒めたら伝えておこう。
「なんて言ってみても、私怨でムラヤマ様を危険にさらした点では私も姫様と同じですが」
「そーですねぇ」
そう言ってジアさんは酒を煽った。味わうというより飲み下しているようだった。
ジアさんの望みの通り、お姫様の計画はおおむね失敗した。ものともしていないようだけど。
その代償に俺は痛めつけられた。
ジアさんの言うとおり、俺は怒っていいと思う。
もともと怒る理由はなかったが、話を聞いて理由ができた。
よりにもよってお姫様のための生贄にされるなんて絶対に御免だ。
だから、俺は。
「そんじゃ、貸しイチってことで」
借りを押し売りすることにした。
どうにもジアさんはがっつり罪悪感を持っているらしい。いまだに酒を飲む顔は淡々としていてつまらなそうだ。
だったら、いつか返せと先送りにしてみる。
きっとジアさんは怒られたがっている。
悪いことをしたとは思っているけど自分なりの理由があった。だから誠意を持って謝れない。
謝れない分の良心の呵責から逃れるために責めてほしがっている。
言っちゃ悪いけどめんどくさい人だ。
俺としても怒ってもいないことで怒るとか無理。怒りきれない。疲れるばかりでかえってストレス。
だから貸しというかたちにしてごまかすことにした。
ジアさん相手の貸しなら腐りそうにないし、わりといい感じの落としどころではなかろうか。
「あ、それと面倒くさいんでこの件を蒸し返すような言動もなしな方向で。そのうち貸しを返してもらうためにえげつない要求をするつもりなのでせいぜい顔を青くしているといいと思います」
「…………それだけ、ですか?」
追加で要求を口にすると、ジアさんがぽつりと呟いた。
おおかた、俺が貸しと言った理由も察しているのだろう。
どこか不安げにこちらを見ていた。
人間、経験を重ねるとあんまりリスクが小さいと逆に不安を感じることもある。俺の発言に裏があると思っているのかもしれない。
俺は返答ついでに怒っていない理由を説明する。
「それだけも何も、俺はゴルドルさんから話は聞いてるんですよ。ジアさんはゴルドルさんに情報を流して俺を助けようとしてくれてたって。それを自分が妨害したって。……ジアさんといい、露悪趣味の人が多すぎてめんどくさいですよ、ほんと」
吐き捨てるような口調になってしまったが仕方ないと思う。
ゴルドルさんの情報はそれなりに信用しているが、この件に関しては別だ。一切言い訳をしないのはいいが、責任を全て負おうとしてすらいる。
騙したり嘘をついている気配はない一方で、自分が悪くなるように情報を調整している感じはある。
リンチの一件については実行犯である四ノ宮と主犯であるお姫様に報復して、それで後腐れなく終わりにする。
それ以外の人を責めるつもりがない俺からすれば、露悪も偽悪も鬱陶しいだけ。
「おおかた、俺に情報が流れることを期待してゴルドルさんに話したんでしょう。どうにも当てが外れたみたいですが」
「ッ! そんなことは、考えていませんでした! ゴルドルのことだから、深く考えずに承諾して、あなたにも何も言わないと考えたから、話をしただけで――」
「あ、もういいです。言い訳乙です」
まくしたてるジアさんをすげない言葉で封殺する。
「お、おつ……?」
ジアさんは半端に口を開けて唖然としている。
都合のいいことにテーブルにはつまみがある。これを口に入れてやったらどんな顔をするだろう。
「もう面倒臭いんで。ゴルドルさんは俺が勝つと思って四ノ宮と戦わせた。ジアさんは俺の身を案じて情報を流した。運悪く伝わらなかったけど。
これだけでいいです。これが俺にとっての真実です。あとは聞く耳持ちません」
「~~~~~~~~はあ!?」
言いたいことを言って耳をふさぐ。
本当のことがどうかなんて知らない。いつの時点で誰が何を考えていたかなんて俺には推測することしかできない。
だから、本当のところはどうでもいい。
俺にとっての真実は、俺がそうだと思ったことだ。
今回はたとえ間違っていてもリスクを負うのは俺だけだから、それでいい。
「そんな根拠もないことを――」
「根拠ならありますよ」
「はい?」
さっきからジアさんは惚けたような顔をしている。
普段の顔が凛々しいだけに無性に可愛らしく見えてしまう。
珍しいものも見れたし気分がいい。
今ならジアさんがどれだけ自分のことを悪く言っても「露悪乙!」とか「はいはい偽悪偽悪」とか言って流せるだろう。
晴れやかな気分を全部乗っけて。俺は根拠を言い張った。
「勘です!」
―――
俺の中では恒例になりつつある回答をした。いちいち根拠や理由を説明するのが面倒くさいときには重宝する。直感スキル持ちだと知ってる相手にはそれなりに説得力があるっぽいし。
両手を腰に当てて、渾身のドヤ顔を披露する俺を見たジアさんは、数秒の硬直ののちテーブルに突っ伏した。
「なにこの子、意味わかんない……!」
呆れと脱力を混ぜたような気の抜けた声がした。
顔だけこちらに向けられる。
「ゴルドルがあなたを変なヤツって言った理由、わかった気がする」
「変とは失礼な。俺はどこにでもいる平凡な男子高校生ですよ」
「あなたが平凡だというなら、ダンシコウコウセイという生き物は全部ヘンテコよ」
ひどい言われようだ。
普通、自分が悪いんだと言い張る女の子を笑って許したら、顔を真っ赤にして「別に嬉しくなんかないんだからねっ」とか言われるのが定番じゃなかろうか。もしくは泣いて抱きつかれるとか。
ジアさんが女の子じゃないから、と言われたらそれまでだけど、たぶん二十歳前後だ。それくらいの役得を提供してくれてもいいのに。
どっか間違えたかなあ、とこっそり溜め息をつくと、身を起こしたジアさんがこちらを向いていた。
「……わかりました。今後、あの一件について蒸し返すような言動は慎みます。何かお困りでしたら、なんなりとお申し付けください」
「はい。そんな感じでお願いします」
これで決着もついた。今度こそ部屋に戻ろうとすると、目の前にグラスが差し出された。
なみなみと甘い香りがする液体が注がれている。
「……これは?」
「蜂蜜酒です。一本開けてしまったので、飲まないといけません。私はそれほど酒に強くないので、手伝ってくれませんか? 快気祝いということで」
「コルクか何かで栓をすれば……」
「ん」
相槌のような返答をしてジアさんは酒瓶を指さした。
よく見ると、注ぎ口は鋭角に切り落とされていた。
ジアさんのグラスの傍らにはコルクが嵌ったガラスの筒があった。
つまりはそういうことだろう。見える範囲に刃物すらないことがいっそう恐ろしい。
「俺、未成年なんですけど」
「そうなのですか? おいくつでしょう」
「十六です」
「この国では十五で成人です。ムラヤマ様がいた国のことは分かりませんが、こちらではもう成人ですよ。それとも女に勧められた酒が飲めませんか?」
男なら飲めと。
正直、酒はあまり好きじゃない。
以前に酔った親戚に飲まされたワインもブドウの匂いがする辛くてアルコール臭い液体としか感じなかったし、何よりその成り立ちが気に喰わない。
酒はおおむね、穀物や果実が含む糖を発酵させ、アルコールにすることで作られる。
そう。糖を、せっかくの甘味を犠牲にして、鼻にツンとくる上に中毒症状を引き起こす成分を生み出しているのだ。
ぶっちゃけありえない。いや、酒を否定するつもりはないけど、個人的にその判断はない。ワインよりブドウジュースがいい。
「酒は、ちょっと。甘党なもので」
「甘いですよ、このお酒」
「いただきます」
何はともあれ甘味である。
こっちに来てから持ち込み以外の甘い物と言ったら果物がたまに出されるくらいだ。砂糖の気配はするから果物しか甘味がないということはないだろうが、やっぱりファンタジーの定番らしく砂糖は高価なのかもしれない。
そんなわけで糖分が全く足りないが、持ち込み分は限られている。
いくら酒だろうが、糖を補給できるチャンスを逃す手はない。
ぶっちゃけ、甘いものをくれるなら神様である。上等な甘味を大量に貢がれたらお姫様も笑って許せるレベル。
……冗談だけど。うん、冗談。多分。
グラスに注がれているのは黄金色の液体だ。燭台の光にふれてきらきら輝いている。
においを嗅ぐと、確かに甘い香りがした。蜂蜜の香りだ。アルコール臭はそれほどない。
おそるおそる、グラスを口につける。
「……おいしい、かも」
ふわりと蜂蜜の甘みが口いっぱいに広がった。べたつくような甘さではなく、抜けるような甘さに脳髄が痺れる。
におい同様、あまりアルコールは感じない。口当たりは柔らかく、くどくない。
ジアさんはかなり酔っぱらっているように見えたので身構えたが、それほど度数の高い酒ではないのかもしれない。
「でしょう? それなりにいいお酒なんですよ、これ」
気付けば、俺はあっさりグラスを空けてしまった。
するとジアさんはグラスをひったくって酒を注ぎ、自分も飲む。
「本当はひとりでこっそり少しずつ飲もうと思っていたんですけどね」
「それは……悪いことをしました?」
疑問形になってしまった。
罪悪感を鈍らせるために酔おうとしていたのだろうから、ある意味原因は俺だと言える。
けれど、その元凶はお姫様なわけだし。罪悪感を持つも持たないもジアさんの勝手なわけだし。
と、心中で言い訳のようなことを言っていると再び酒の注がれたグラスを渡された。
「誰かと飲むのも、これはこれで悪くないですよ」
本格的に酔っているのか。顔を赤くしたジアさんがテーブルに肘をつきながらこちらを見ていた。
少し緩んだ笑顔。潤んだ瞳。近くでじっくり顔を見るのは初めてだが、えらく可愛い。
もしかして、アレか。普段は言葉数が少なくて冷静な表情をしているからクールに見えるだけで、顔の造作自体は可愛い系なのか、この人。
対女性の経験値が皆無に近い俺では直視していられない。
俺はジアさんからそっと目を逸らし、蜂蜜酒を口につけた。
―――
同じグラスで交互に飲んでいると、瓶が空くころにはジアさんはテーブルに突っ伏して眠ってしまっていた。
寝顔は完全に酔っ払いのそれだ。だらしなく緩んだ顔でえらく幸せそうな顔をして「ゆーりぃ……」などとうわ言を漏らしている。
「……これが合コンならお持ち帰りされちゃうんだろうな、この人」
残念ながら合コンではないし、酔い潰れた女性に手を出す度胸もない。
もしも怒らせたら俺くらいタマナシにできる程度には強そうだし。
ジアさんの部屋は分からなかったので俺の部屋まで背負ってきた。
ベッドに体を横たえて布団をかぶせる。
無防備に眠りこけている姿を見ると布団にもぐりこんでやろうかという悪戯心が鎌首をもたげてくるが、思いとどまる。
酔っぱらっていてもその行動に伴うリスクを理解できる程度には意識がはっきりしている。
中途半端に残った自制心が邪魔をして、結局何もできなかった。
この夜、俺は廊下で眠った。
無防備な美人とベッドがひとつだけの個室に二人きりとか、耐え切れない。主に俺の理性が。
ヘタレだと笑いたければ笑え。準強姦犯よりよほどマシだ。




