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44.訓練再開の朝

 気怠さと共に目が覚めた。

 部屋に差しこんだ日の光が眩しい。開きかけた目を閉じる

 窓からさした陽が当たっているのか、左腕があたたかい。


 結局、昨日は訓練の方向性が決まっただけで終わった。

 言い訳をすると、俺は昨日から訓練を始めるつもりだったのだ。

 けれど、始まらなかった。

 腕と額の怪我のせいだ。

 マールさんに全力土下座をした時にも錬気は働いていたらしく、俺は普通ではありえないような勢いで床に頭突きをした。

 結果、相当な衝撃が左腕にもかかり、ダメージがあった。そのせいで幻痛がひどくなった恐れがある。

 割れた額にしても表面的には大したダメージではなくても脳が揺さぶられた可能性があるとかで、一日休みを食らった。


 せっかくやる気が出たのに、とごねるとゴルドルさんから課題が出された。

 錬気を操作して額に集めること。そして集めた状態を維持すること。

 錬気は生命力の現れ。活性化させればそれだけ自然治癒が早くなる。傷口に集めれば回復速度は目に見えて上がるそうだ。

 全身に好きに錬気を流すことができていたのでこれくらいチョロいと思っていたけれど、全然チョロくなかった。

 額に錬気を流すだけなら簡単だ。

 難しかったのは、集めた状態を維持すること。

 ある程度以上の錬気を集めると、いくらか逃げてしまうのだ。逃げた分は制御しきれていない部分らしい。

 悪戦苦闘しているうちに錬気の使い過ぎか眠くなって、そのままベッドで寝た。

 ベッドから一歩も下りなかったけれど、いちおう訓練は始まったと言っていいのかもしれない。


 錬気の操作に熱中しすぎたせいで寝るのが遅くなったせいか、気怠さは残っている。

 だが、今日から本格的な訓練が始まるのだ。いつまでも寝転がってはいられない。

 太陽が雲に隠れたのか、顔に当たっていた日光が和らぐ。

ちょうどいい。億劫ではあるけれど目を開けた。


 坂上がいた。


―――


「お、おはようございます、先輩」

「……おはよう、坂上」


 朝、目を開けると、後輩の美少女が寝顔を覗き込んでいた。

 顔に当たる日光を遮ったのは坂上だった。

 なんというリア充パターン。自分にこんな朝がやってくるとは思わなかった。

 問題なのは、俺と坂上がご近所さんでも幼なじみでも、まして恋人でもないことだ。

 なぜ坂上が俺の部屋にいるし。

 寝起きのせいで頭が回らず考えがまとまらない。


「あっ、あのですね、これは決して、先輩のホッペタやわらかそうだなー、とか思ったわけでも、ちょっとイタズラしようかなー、とか考えたわけでもなくてですね」


 あたふたとまくしたてる坂上を見ながら体を起こす。

 さっきまで俺の顔に伸びていた右手も今は坂上の膝の上にある。左手は俺の左腕を優しく掴んでいる。


「……とりあえず、坂上が俺の頬を柔らかそうだと思ってイタズラしようとしたことはわかった」

「っ! ……ごめんなさい」


 坂上が可哀そうなくらい縮こまる。

 俺はあまり寝起きがいい方ではない。起きたばかりだと喉の調子がでなくて声が低くなってしまう。響きが少しばかり厳しくなっていたかもしれない。


「いやまあ、坂上にイタズラされるのは構わないけど」

「構わないんですか!?」


 フォローを入れるとおののいたように坂上が顔を上げる。

 そんなに驚くようなことでもない。可愛い後輩にイタズラされるとか、むしろご褒美だ。

 俺は坂上が部屋にいることに驚きはしたけれど、不快に思っているわけでもない。この前会った時にも知らない間に部屋にいたし、合鍵でも持っているのだろう。


「それよりこんな朝っぱらからどうしたんだ? 何か用か?」


 尋ねると、坂上は本来の目的を思い出したのか、ハッとしたあとに真面目な表情を作った。坂上百面相。


「昨日、チファちゃんから村山先輩が復調したと聞きまして。お見舞いに来ようかと思ったのですけど、寝てしまいまして。今日は早く起きたので、治療の続きをしようと伺ったんです」

「そっか。ありがとう」


 坂上は俺が引きこもっていた数日にも、わざわざ寝ている隙を見計らって治療をしてくれていたらしい。

 そして、ようやく目を覚ましたと思ったらあの態度。


「……心配かけたかな、坂上には」

「はい、とっても」


 にっこり笑顔で断言された。

 笑いながらも目線が額の包帯にロックされている。

 せっかく治してやったのにまた怪我を増やしやがって、とか思っているのかもしれない。


「なんならわたしがどれだけ心配したか、先輩のケガの詳細と一緒に教えてあげましょうか? まずはですね、折れた肋骨が――」

「いい! 待った! 分かったからやめて! またなんか胸が痛くなってきたから!」


 途中から痛みを感じなくなるほど殴られたのだ。どんな状態になったかなんて知ったら痛みを思い出しそうで嫌だ。


 軽く言葉を交わしているうちに、ようやく眼が冴えてきた。

 ……そういえば。俺の治療は坂上がしてくれたんだった。加えて、信用できないとか言ってしまった。

 慌ててベッドの上に正座する。


「坂上には、今回本当にお世話になった。治療してくれて本当にありがとう。なのに信用できないとか言ってひどい態度を取ったことを謝らせてほしい。ごめんなさい。本当に申し訳ない」

「せ、先輩!? 頭をあげてください!」


 俺はベッドに手を突き頭を下げる。床に座った方がよかったかもしれない。

 全力でベッドに頭突きはしない。頭を上げろと言われたら素直に頭を上げる。

 マールさんの一件で学習した。


「や、だって坂上がいなかったら俺はいまでも傷だらけだっただろうし」

「でもわたし、全部は治せませんでした」

「いや治ってるから。昨日自分で付けた頭のはともかくとして、他は傷跡も残ってないじゃんか。なんなら脱いでみせようか?」

「いっ、いいです!」


 服の裾に手をかけながら冗談めかして言ってみると、全力で拒否られた。

 逸らされた顔が赤くなっていたので、照れているだけだと思いたい。

 脱ぐなんてのは当然冗談だ。本当に脱いで「貧相ですね」とか言われたら心が折れる。

 なんて不吉な想像をしていると坂上がこちらに向き直っていた。


「全部治せてないっていうのは、幻痛のことです。今でもたまに痛みますよね。あ、幻痛っていうのは魔法による治療の後遺症の一種で――」


 坂上が少しだけ表情を曇らせながら解説をしてくれる。

 幻痛とは、すでに治ったはずの傷が痛む症状のことを言う。

 傷そのものは治っているため痛み止めの魔法も効果が薄く、地道に傷があるのと同じように治療していくしかないそうだ。

 意識がない時、魔法で治療をされた場合に発症することが多いらしい。


 おそらく認識の問題だろう。

 魔法による治癒は、自然治癒よりはるかに早い。

 それこそ、不自然なほどに。

 そのため治癒の早さに認識が間に合わず、怪我が治っているのに治っていないと脳が思い込んで痛みを感じてしまうとか。多分そんな感じ。


「――ということです。何か質問はありますか?」

「大丈夫。昨日聞いた通りだし」

「はい? ……知ってたんですか?」

「うん。知ってた。昨日、ゴルドルさんに聞いた」

「~~っ! じゃあなんでもっと早く知ってるって言わないんですか!」

「痛い痛い! さらっと強化魔法を使って殴るなっ! からかったのは悪かったって!」

「やっぱり! からかってたんですね!」


 相手が知っていることを滔々と語ったことが恥ずかしいのか、右手でべしべし叩かれた。

 からかったと口を滑らせたらどかどか殴られた。

 照れ隠しかもしれないけれど、わりと本気で痛い。


「っ、とにかく、そういうことですから、治療はこれからも続けます。幻痛はわたしが不用意に治してしまったせいですしっ。ごめんなさい!」


 ひとしきり殴って落ち着いたのか、投げやり気味に謝られた。

 幻痛のリスクが高いことを知っていながら治療したことを謝っているのだろう。

当然、責めるつもりなんてない。


「何度も言ったと思うけど、謝ることじゃない。多分、坂上が治してくれなきゃ俺は死ぬか、もっとひどい後遺症が残ってたと思う。これからも治療を続けてくれるってのも本当に助かる。しつこいようだけど、ありがとう。恩に着る」


 からかうのをやめて素直に礼を述べると、坂上は毒気を抜かれたようにきょとんとした。

 その様子がおかしくて笑ってしまう。声を上げて笑ったらまた叩かれそうだったので、声は抑えた。

 俺が笑ったので、またからかわれたと思ったのか。坂上は「むぐう」と変な声を出して平手で殴ってきた。

 強化もされていなければ、さして力も入っていない。照れ隠しだと思って甘んじて受けることにした。

 笑いを引っ込めないでいると坂上が意地悪そうな顔で反撃? してきた。


「恩に着るなんて言うと、いつか恩を返せって言うかもしれませんよ」

「そうしてくれると助かる。今のところどうすれば恩返しになるか分からないからな。坂上がしてほしいことを言ってくれ」


 俺を困らせようとしているのは見え見えだったのでさらっと流してやる。肩透かしを食らった坂上は変な顔をした。

 流したとはいえ本音でもある。怪我の治療はもちろん名前で守ってもらっていることといい、坂上には借りが重なっているのだ。できれば少しずつでも返しておきたい。

 そんな内心を察したのか、坂上は冗談めかした口調で、冗談にしては真剣な表情で問いかけてきた。


「それじゃあ、いつかわたしが困っていたら、助けてくれますか?」

「お安い御用だ。坂上だったら借りがなくても助けるよ。できる範囲で」

「……最後のひとことがなければかっこよかったと思います。なんだかちょっと頼りないです」


 そう、坂上はくすくすと笑った。

 何となく悔しくなって、憎まれ口を叩いてしまう。


「ほっとけ。知っての通りハズレだからな。あんまり期待されても困るんだ」

「いえ、期待してます」


 あんまりにも気負いのない即答に、今度は俺が間抜け面をさらしてしまった。


―――


「そういえば、坂上は俺がチファをいじめてるって話を聞いたんだよな」

「はい。村山先輩が言っていた嫌がらせについて調べるために聞き込みをしましたから」

「それじゃあ教えてほしいんだけどさ、噂ってどんな具合に広がってた?」


 ふと気になっていたことを尋ねる。

 あのお姫様はいったいどれくらいまで噂を拡散したのだろう。

 勇者の庇護下にいるとはいえ、場合によっては兵士からの自発的な攻撃を警戒しなければならなくなる。


「内容は村山先輩が自分のお付きになった女の子をさんざんにいじめているっていうのと、城で権力がある人を騙して好き放題やっていた、とかですね。広がり具合は……今じゃあお城の中で知らない人はいません。あの人の集まりようからすると城下でも相当広がっていると思います」

「だよなあ……」


 やっぱりか。

 四ノ宮との試合の時に俺を囲んでいたのは兵士だけではない。大多数は街の住人だった。

 前から吹き込まれていたのかもしれないが、四ノ宮は無駄によく通る声で俺がチファを虐待していると叫んでいた。

 知らない人がいると考える方が楽観的。

 憂鬱だ。


「でも、知っていても信じていない人もいます」


 これから先を思い暗澹とした気分になっていると、なんてこともないように坂上が言った。


「だって、虐待されているはずの女の子が先輩を助けるために走ったんですよ? 信憑性なんてないです。中にはあの子が脅迫されて、なんて言ってる人もいますけど少数派です。わたしなんて初めから信じてないですもん」

「……初めから?」


 ふふん、とどこか得意げに語る坂上。

 坂上とじっくり話したのは一度しかない。第一印象は最悪に近かったはずだ。

 噂を聞いて、やっぱり本性はろくでもない人なんだと思われても仕方がない。

 チファが体をはって誤解を解いてくれたおかげで治療をしてもらえたと思っていたけど、違うのだろうか。


「はい、初めからです。わたしは村山先輩がそんなことする人じゃないって思ってますから」


 坂上はしっかりと胸を張って、いっそう得意げな顔をする。


「いやいや、どうしてそんなこと言い切れるんだよ。坂上を利用しようといい顔してただけかもしれないぞ」

「それならそれでいいですよ。村山先輩ならわたしを利用することがあっても、わたしで誰かを傷付けようとはしないでしょうから」


 疑念を抱くように言った言葉も笑って流された。

 そんなに好感度が上がるようなことを何かしただろうか。


「わたし、人が嫌いな相手にどう対応するかを見極める目には自信があるんです。村山先輩は嫌いな人がいたら、排除するんじゃなくて関係を切ろうとする人だと思ったんですけど。違いますか?」

「あー、確かにそんな感じかな。嫌なのと関わりあうのは面倒くさいし」


 どうしても関わらなければいけない相手でもなければ、嫌いな相手は基本無視だ。君子危うきに近寄らず。臭いものにも近寄らず。


 一瞬、見極める目には自信があると言った坂上の表情が翳ったように見えた。

 だがそれもほんのわずかな時間。すぐにいつものぽやっとしたゆるい表情に戻る。


 深くは突っ込まない。俺はどこかのゲームの主人公じゃない。地雷原に土足で踏み込んでお悩み解決、なんて芸当はできない。

 きっと坂上には坂上なりの判断基準があるんだろう、と納得することにした。

 信じてくれたことは素直に嬉しい。


「それじゃあ、わたしもそろそろ帰りますね。魔法もかけおわりましたし」

「魔法?」


 最後に包帯だけ、と言って坂上は足元に置いていた包帯を手に取る。

 左腕にずっと触れていた坂上の左手が離れる。同時に左手を包んでいた温みがなくなった。どうやら左腕に感じていた暖かさは坂上の回復魔法だったらしい。

 尋ねてみると俺の左腕に包帯を巻きながら簡単に答えてくれる。


「幻痛対策に、痛み止めの魔法と自然回復力を強化する魔法をかけました。骨折を治した魔法をかけちゃってもいいんですけど、怪我がないところに強力な治癒魔法をかけると体によくないんです。あ、この包帯には『保存』の魔法をかけてあって、巻いたままにしておくと腕にかけた魔法が長持ちするようになります。置いていくので、気持ち悪くなったら交換してください」


 治療だけでなくアフターケアまでばっちりだった。

 包帯を巻く手つきも危なげなく、片手間の説明も流暢だ。

 治療所で経験を積んできたというのは伊達じゃないらしい。


「……坂上には、世話になるなあ。あ、チョコ食べる?」


 何かお礼できることはないか、と考えてみても地球産のお菓子を渡すくらいしか思い浮かばない。

 物で釣るみたいでどうかと思うけど、坂上が怒らないならいろいろ分けよう。


「いいえ、今は大丈夫です。またほしくなったら言うので、その時に分けてください。それと、村山先輩がかしこまる必要なんてないんです」

「でも世話になったのは確かだし」

「わたしが好きでやったことですから。それに約束したじゃないですか」

「……約束?」

「もう、忘れちゃったんですか?」


 頬を膨らませて不満げな顔をする。

 改めて考えてみても、坂上と約束なんてした覚えがないんだけど。


「……先輩のあんぽんたん」

「……ごめんなさい」


 助けてもらっておきながら約束を忘れているとか、とても気まずい。

 坂上は呆れたようにため息をついてちょっとだけ寂しげに笑った。


「村山先輩が怪我をしたら、わたしが治すって言ったじゃないですか。……わたしが一方的に言っただけなので、忘れられても仕方ないですけど」

「あ」


 ――思い出した。

 あの夜。別れ際に、確かに言っていた。

 ……先輩、というトキメキワードのインパクトが強すぎてそっちは頭から飛んでいた、なんて言えない。

 俺の様子にちゃんと思い出したことを悟ったのか。坂上は満足げに笑った。


「それじゃあまた。どこか痛むようなら声をかけてくださいね。あ、その額の怪我も治しましょうか?」

「ああ――いや、やっぱいい」


 頼むと言いかけて、チファに世話を焼かれてやれという日野さんの言葉が蘇り遠慮する。


「また怪我が悪化したらその時はお願いする」

「はい、任せてください」


 柔らかい笑顔に芯の強さとちょっとした風格を漂わせながら、坂上は去っていった。


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