挿話.黄昏時
「さて、と。これでムラヤマ様方と対立せずに済みそうですね。ヒノ様の動きもある程度制限できた。予定とは違いますが、結果だけ見れば予想より捗っておりますし、問題ありませんわ」
村山貴久が部屋から十分離れたことを確認したのち、アルスティアは召喚の魔法書に封印をかけ直し、棚に戻しながら呟いた。
試合の際に四ノ宮征也が貴久に殺されかけたのは予想外だった。
もっと手早く片付くはずだったのに、征也が予想外に苦戦したせいで自分が直接手を下すことになった。時間がかかったために他の勇者に現場を見られてしまった。
おかげで日野祀子、坂上詩穂の両名とアルスティアの関係は致命的に悪化した。
本来ならば試合は約束組手のようなもので、貴久を殴ったのも征也の独断とするつもりだった。
事実、アルスティア自身は「村山貴久をいたぶれ」なんて言った覚えはない。助けてほしいと言ったのも侍女たちだ。
もしも祀子たちに詰め寄られたとしても、自分でも予想外だったと通せばいい。
試合のあと、貴久には強力な眠り薬を定期的に投与する手はずだった。薬ならば魔力の痕跡は残らないし、毒物と違って眠り薬には解毒魔法がない。
もとは病や怪我に苦しむ人に投与するための麻酔薬だ。服用すると非常に深い眠りに落ちるので苦痛を和らげるために使われる。
しかし、強力であるがゆえに副作用も強烈だ。
あまり投与しすぎると眠る前の記憶が混濁し、失われるケースが非常に多い。そのため、よほど重症化している場合を除いて使われることは少ない。
副作用も含め、今回用いるにはもってこいの薬品だった。
勇者を召喚しようと思ったのは自分の価値を周囲に知らしめるためだ。
召喚に成功したことで、その目的は果たされる。
しかし、勇者たちの人間性や関係を見て、新たな目的ができた。
勇者という『特別』この上ない力。
それが手の届く場所にあった。
ずっと欲してやまなかったものが、目の前に差し出された。
求めずにはいられなかった。
ひとつだけでもいい。自分だけのものにしたかった。
欲をかいたのだ。
アルスティアは全ての責を征也に負わせ、勇者の中から孤立させようと考えた。
他の勇者の怒りの矛先を征也に回すことで、自分はリスクを負わず、勇者たちとの関係は維持する。
そして、孤立した征也の心の隙間に入り込み、意のままに動かせる勇者を手に入れる。
そんな計画だった。
とはいえ思い通りにはいかないもの。
あれだけの非道を見れば浅野夏輝も征也に不信感を持つと思ったが、相変わらず。
関係が断絶したわけではないものの祀子、詩穂との関係は良好とは程遠い。
貴久は意識を取り戻し、アルスティアに敵愾心を持った。
うまくいったのは、夏輝以外の勇者を征也から切り離すことだけだった。
最悪の場合、召喚した勇者すべてが敵に回ることすら考えられた。
だが、幸いにも首の皮一枚つながった。
他ならぬ、村山貴久のおかげで。
彼のおかげでより強く祀子の動きを制限できた。
詩穂を繋ぎ留める準備にかける時間を稼げた。
夏輝は征也さえ押さえていればどうとでもなる。
貴久は確実な送還方法があればフォルト……アストリアスから逃げ出さない。
これで五人の勇者のうち四人はアルスティアの手の中に残る。
そしてもう一人も、彼のおかげでより効率的に追い詰め、つけ込むことができる。
本当に、素晴らしい勇者様だ。ハズレだなんてとんでもない。
「今はまだわたくしに不信感を持っているようですが、すぐに受け入れてくださるはず。そうなれば本当のお友達になれますわ。庇護対象でも勇者でもなく、一個人としての彼を評価しているのはわたくしだけですもの」
征也と貴久の戦いを思い返し、アルスティアは混じり気のない笑みを浮かべる。
弱くても、資質なんてなくても、資質ある特別な存在に抗い、痛めつけられてもたったひとりで立ち上がった彼。
腕を折られ、剣すら失っても一矢報いたその心力は尊敬に値する。
ようやく出会えた理解者足りうる存在。気付くのが遅れたが、貴久もずっと孤独だったはず。
少しだけ時間が経てば、貴久も自分を求めてくれる。
アルスティアはそう確信していた。
――だって彼は、わたくしと同じだから。
その表情はまるで恋する乙女のようなのに、部屋に差しこむ夕日のせいか、ひどく妖しい。
「それでは肝心の勇者様をいただきに参りましょうか」
アルスティアはとある部屋に向かう。
片手には鍵束。お飾りでも城の主だ。どの部屋の鍵でも問題なく開けられる。
靴が廊下を踏みつける音と、鍵同士がぶつかり合う音とが無機質に響く。
やがてたどり着いた部屋の鍵を外し、扉を開く。
夕日の光に満ちた部屋の片隅では四ノ宮征也が膝を抱えていた。
扉が開いた音にびくりと反応し、顔だけ扉の方へ向ける。入って来たのがアルスティアだと分かると何の反応も見せずにもとの姿勢に戻った。
ここ数日で見慣れた反応だ。アルスティアも特別感じるものはない。
――いや、嘘だ。
ほんの少しの小気味よさを感じている。
「一日ぶりですわね、ユキヤ様」
アルスティアは征也に近寄り、後ろから頭を優しく抱きしめた。
「ユキヤ様、今日もいろいろなことがありましたわ」
そして一日の報告をする。話をするのは夕方に来た時だけ。他の時間に来れた時にはただ抱きしめるだけに留める。
内容はなんでもいい。適当なことをしばらく話して反応を確かめる。
「ああ――それと、ヒノ様がムラヤマタカヒサの部屋を訪れておりましたわ」
何気ないふうを装った言葉に征也の体が大きく震えた。
予想よりは小さな反応だったが、それでも密着しているアルスティアには征也の心臓が跳ねまわっていることが分かる。
「なにやら楽しそうにお話しておりましたわ。……ムラヤマタカヒサは、ユキヤ様を殺そうとした男だというのに」
祀子は貴久の部屋に入ったのに、なぜ楽しそうに話していたなんて言えるのか。征也はそれを考えられない。
祀子が貴久の部屋を訪れていたという言葉に受けた衝撃はそれほど大きかった。
「リコ姉、が……?」
アルスティアのわずかな言葉に、自分を殺そうとした男と部屋にしけこむ姉のような女を想像させられた。
それだけで目の前が真っ暗になる。
なのに、自分で作ったイメージだけは鮮明で、目を閉じても消えてくれない。
征也の呼吸が荒くなる。
反応こそ予想より小さかったが、効果は予想以上。
そのことを確認したアルスティアは言葉を続ける。
「シホ様も毎夜、ムラヤマタカヒサの部屋に入り浸っているようですわ。ユキヤ様のところには顔も見せないくせに」
詩穂が貴久の部屋に行くのは治療のためだ。夜遅くに部屋に向かったのも、精神が不安定だった貴久の寝込みを狙って治療を拒ませないため。
征也の部屋に来ない理由は、征也が怪我をしていないから。貴久決死の噛みつきも征也の喉には届かなかった。
詩穂は軽率な行動と一方的な暴力に怒ってもいるが、ひとりで頭を冷やす時間が必要だと考えてもいる。
ゆえに自分から部屋を出るまで征也のところを再訪するつもりはない。
実のところ、詩穂は祀子とともに一度、征也の部屋を訪れた。鍵がかかっていて中には入れなかったが、扉越しに「少し頭を冷やして、よく考えてみて」と伝えた。
当の征也には届いていなかったようだが。
「……でも、それも、全部俺がしたことが原因だ。あの子だって自分から助けに入ったんだから、虐待なんてされてるとは思えない。俺は、人に濡れ衣を着せて、こ、殺そうと、まで…………」
「いいえ。弱い者を助けようとしたユキヤ様は間違っておられませんわ」
「は……?」
「あの少女が、ムラヤマタカヒサに服従の呪いをかけられていたとしたらどうでしょうか」
かけられていた、とは言わない。仮定を事実のように言う。
アルスティアは征也にとって耳ざわりがいい言葉を並べ、征也が事実を都合よく解釈するように誘導する。
「そんな、あいつには魔力が……」
「ご覧になったでしょう? 彼の体に、邪悪な力がしみこむところを」
征也が背を向けたあと、貴久は立ち上がった。
その際、貴久の体から黒いなにかが滲み、それは貴久の体の中に戻っていった。
征也も貴久に魔力がないことを知っている。普段であればアルスティアの言葉を信じることもなかっただろうが、薄気味悪い何かをまとった姿を見たせいでアルスティアの言葉に真実味を感じてしまった。
「ユキヤ様。たとえヒノ様が、シホ様が、ナツキ様があなたを裏切っても、わたくしだけはあなたを守ります。どうか、おそばに置いてくださいませ」
アルスティアは、自分だけは何があっても味方であると訴え、征也自身が認めていた間違いも捻じ曲げ正当化していく。
ここ数日、毎日繰り返している行為だ。
初めは無反応だったが、今ではこうして抱きしめ語り聞かせることで体のこわばりが抜けていくようになった。
やがて陽は沈み、部屋は暗闇に冒された。
ちょっとお姫様のヘイトを稼ぎすぎな感を持っているたいやきです。
敵役だから仕方ないとはいえ、お姫様は結構好きだったりします。
貴久の部屋に乱入する前に、こっそり耳をそば立ててタイミングを狙っていたとか言うと少しは可愛げが出るでしょうか。いらないですかそうですか。
ここでようやく、ここの話の折り返し的なところになります。
更新頻度は落ちると思いますが、そのぶん一話は長くなる予定です。
ちょっと新しい話を書く手が止まっておりますが、十月過ぎればまた書けるはず……!




