38.お誘い 2
「さてさて、では何からお話しましょうか」
お姫様の部屋へ向かって廊下を歩く。
前を歩くお姫様の足取りは軽やか。一方、俺の足取りは軽やかとは程遠い。感知で周囲の気配を探り、お姫様の背中を穴が空くほどじっくりと見つめる。
今、この背中にナイフを突き立てられたらどれだけ気持ちがいいだろうか。そんな出来もしないことをついつい考えてしまう。
「ねえムラヤマ様。わたくしに聞きたいことはありません? 本題はお部屋についてからゆっくりとお話しようと思いますが、それ以外のことならすぐにでもお答えしますわ」
くるりと回ってこちらを向くお姫様。なびく金髪は美しい。先ほどまでの余裕ぶった笑みではなく、純粋に楽しそうに笑っている。
これが俺にリンチをしかけた相手でなければ見惚れていただろう。
今となってはひたすらに忌々しいだけだが。
「……聞きたいことは山ほどあるよ」
「では、少しずつ山を削っていきましょう。部屋に至るまでのわずかな時間も有効活用しなくてはなりませんね。質問はどんなことですか? わたくしのことですか? それともこの世界のことですか?」
「それじゃあ、まずはこれかな。……どうやって契約の穴を突くつもりなんだ?」
「はい?」
きょとんとした顔でこちらを見るお姫様。白々しい。
「日野さんとした契約の話だよ。あんたが契約を守るつもりがないことくらい分かっている。それともあれか? 契約の穴を突くんじゃなくて、契約を一方的に無効化する方法があるとか?」
「ああ、そういうことですか」
さも心外だというふうに呟いた。
お姫様はもう一度回って俺に背を向ける。
「契約は、わたくしから言い出したことですわよ? 破るつもりなんて毛頭ありません」
「はあ?」
「当たり前ではないですか。送還の約束は初めからいたしておりますし。そもそも契約をしたのだって、口約束に形を与えてあなた方を安心させるためなのですよ?」
「ああ、安心したところで足元をすくうってことな」
「……わたくしの信用のなさが伺える回答ですわね」
「信用はしているさ。どうせろくでもないことを企んでの行動だって信じてる」
「それ、信じていると言いますか?」
普通は言わない。むしろ全力で疑っている。
お姫様も当然理解しているだろうが、俺がお姫様に真っ当な信頼を寄せるはずがない。
裏切られた……とは少し違うが。そもそも信用する前から冷遇されていた。そんな相手をあっさり信用したらそれこそバカだ。
質問を黙殺すると、お姫様もしばし沈黙。それから間もなくまたお姫様はニヤニヤ笑い始めた。
「……さっきから笑ってるけど、何がそんなにおかしいんだ?」
「あら失礼。お気に障りました?」
「ああすっごく。あんたの笑顔を見ると殺意が湧く」
「堂々言ってくださいますわね。そういうの、隠した方がいいですわよ?」
「残念だけどあんたほど作り笑いが巧くないんだよ。あんたはこっちが敵意を持ってることを分かってないはずがない。今さら隠すだけ無駄だろ」
「あらまあ作り笑いだなんて。楽しいのは本当ですわよ?」
お姫様はこちらに顔だけ向ける。その顔は確かに笑っていた。
作り物のようなうそ寒さはないが、どこか嘲笑じみた笑顔。これはこれで神経を逆なでする。
「だって、可笑しいとは思いませんか?」
「……何が」
「先ほどのヒノ様の表情ですわ」
要領を得ない言葉に問い返すと、お姫様はくつくつと笑みを深める。
「ムラヤマ様は、ヒノ様に想われていますわねえ」
「はあ?」
要領を得ない言葉の次は脈絡のない言葉。
こいつ、会話するつもりがあるのか?
そんな疑心が顔に出ていたのかお姫様は補足する。
「先ほども、試合の一件のあとも。義憤かそれ以外の理由か知りませんが、わたくしと相対したヒノ様は普段の取り澄ました表情をかなぐり捨てて怒っていたのですよ? それも、ムラヤマ様を守ろうと。これが可笑しくないはずがありましょうか」
お姫様はふっと息をつき、顔を背けた。
――何も、分かっていないくせに。
小さな声だった。俺に聞かせるつもりはなかったのかもしれない。
その呟きは平坦な響きであったが、焦げ付くような毒が含まれていた。
お姫様に対して怒りや苛立ち、嫌悪や憎悪は前から抱いていたが、初めてそら恐ろしいものを感じた。
お姫様は歩くペースを落とし、俺の隣に立つ。
詰められた分の距離を空けようとしてもさらに詰められてしまう。無言で妥協点を探り合い、伸ばせば片手が届く程度の距離に落ち着いた。自室に俺を案内する都合上、お姫様がわずかに先行している。
「ムラヤマ様だって気付いておられるでしょう? ほんの少ししか話していないわたくしにだって分かるのですから。
たとえ明晰な頭脳を持っていたとしても、ヒノ様は欠陥品。殺し合う敵としては強くても、交渉相手としては怖くもない。さすがはユキヤ様の近縁者といったところでしょうか」
一瞬だけ真横に並んだ。その時に見たお姫様の横顔には、何の表情も浮かんでいなかった。
―――
しばし無言でお姫様の隣を歩き、辿り着いた部屋に入る。
天蓋つきの豪奢なベッドがあり、高級そうな机や大きな本棚、そして棚を埋め尽くすほどの本がある。
だが、それだけ。一国の姫君の私室というにはあまりに簡素な部屋だった。
花のような甘い香りがする。普段ならいい香りだと思っただろうが、お姫様の部屋だという一点が台無しにしている。変な薬じゃなかろうな。
姫様というからには大量の装飾品やら服やらを持っているかと思ったが、服が入るようなタンスはない。どこか他の部屋にまとめて置いているのだろう。
お姫様はベッドに座る。自分の隣を手で軽く叩く。
「ムラヤマ様もどうぞ?」
「絶対やだ」
素で返した。喰い気味に、お姫様が言い終わる前に言った。
表情でも嫌だと主張する。これは演技ではない。演技する必要もない。
お姫様は苦笑した。
「では、あちらの椅子でもいかがかしら。よろしければお使いになって?」
「どうも。でもお気遣いなく」
お姫様にとって俺の部屋が敵地であったのと同じように、俺にとってはお姫様の部屋なんて間違いなく敵地だ。腰を落ち着けるつもりにはなれない。
そんな俺の内心を分かっているのか……十中八九分かっているのだろう。お姫様は当然のように受け止めた。
「残念ですわ。せっかくの機会ですもの。ムラヤマ様と親睦を深めたかったのですが。気が変わったらいつでもわたくしの隣へどうぞ?」
あからさまにからかっている。今さらこの程度で動揺もないが、気分がいいものでもない。どうにかして一矢報いられないだろうか。
物理攻撃はNG。魔力視はお姫様と対面した時からずっと発動させているが、お姫様は自分の体を魔力で覆っている。おそらく防御魔法だろう。お姫様の魔力量はかなり多い。俺に破れるものとは思えない。
加えて日野さんの契約では物理攻撃をしたらお姫様の反撃が解禁されることになっているらしい。うかつに手は出せない。
……ならば。
「じゃあお言葉に甘えて」
俺はお姫様の隣に、それもかろうじて膝が触れ合わない程度の距離に座った。
お姫様は目を見開いた。
驚いている隙に右手でお姫様の左手を掴む。握りつぶしたいのをこらえて、優しく。決して攻撃と取られないよう紳士的に。
特に問題もなく触れられた。どうやら防御魔法はただ触れただけだと発動しないらしい。
身をひねりお姫様の右腿の横へ左手をつく。鼻が触れ合わないギリギリの距離までお姫様に顔を近づけ、耳を澄ます。魔力感知の範囲を部屋より少し広い程度に絞る。
部屋そのものと本棚からごく小さい魔力を感じた。本棚に視線をやると、本が並ぶ中に水晶玉のようなものがあった。魔力を放っているのはあれか。
「男を部屋に連れ込んで、女が誘ってベッドの上。そういうつもりなんだろう?」
お姫様だけに聞こえるように囁く。
我ながら気持ち悪い台詞だ。背筋がぞわっとした。けれど顔に出してはいけない。努めて嗜虐的な顔を作る。頑張れ俺の表情筋。
相手が坂上とか真っ当な女の子だったならこんなことはできなかっただろう。心臓が保たない。
幸いというか、相手はお姫様。思春期的な胸の高鳴りを感じることはない。
異世界ファンタジーにおいて貴族の貞操観念はだいたい2パターン。
身持ちが固いか、逆に尻がホコリのように軽いか。
できれば身持ちが固くて場馴れしていないと助かる。さっきからずっとお姫様にペースを握られっぱなしだ。少しくらい動揺させることができればいいが。
「……そういう言動、おそろしく似合いませんわね。本気でないことが透けて見えます」
「だよなあ……」
真顔で返された。お姫様の顔から笑みを取っ払うことには成功したが、ぜんっぜん動揺した気配はない。ものすごく冷めた目になっていた。むしろ俺の精神的ダメージがひどい。
……別にいいし。お姫様の防御魔法が単純接触だけじゃ発動しないって分かっただけで収穫だし。
お姫様の手を放し立ち上がる。
「あら、このままでもよろしいのに」
「……そりゃ光栄」
傍から見れば俺がお姫様に狼藉を働こうとしたように見えたはず。けれど物音がしなければ魔力感知にも反応はなかった。この部屋では本当に二人きりなのだろう。
嫌な予感も特にない。罠を仕掛けられてはいないようだ。
これで警戒をお姫様だけに集中できる。
大きく一歩下がり、お姫様の全身を無理なく見れる場所に立った。
「それでは、お話を始めましょうか」
お姫様が口火を切る。
「本題ってやつ? 俺からの質問タイムはもう終わり?」
「はい。そしていいえ。これから本題をお話しいたしますが、ムラヤマ様からの質問は後ほどまたお聞きいたしますわ。半日という時間制限もあることですし、まずは本題からお話しさせていただければ、と」
「なるほど、了解した」
チファやマールさんの立ち位置、城の外の様子など聞いておきたいことはある。
だが、お姫様の言う本題とやらも聞かなくてはならない。
その内容如何によって今後の立ち振る舞いが変わる。
「ありがとうございます。……とはいえ、さほどお時間はいただきません。話というより提案ですから」
「提案?」
「はい。提案ですわ」
お姫様は俺と視線の高さを合わせるようにベッドから立ち上がった。
そして、うすら寒いつくり笑顔ではない、純粋な笑みを浮かべて言った。
「ムラヤマ様、わたくしとお友達になってくださいませんか?」
「はあ?」




