36.現状把握完了。のち襲撃
「申し訳ありませんでしたー!」
「た、タカヒサ様!?」
「へっ? えっ? む、ムラヤマ様!? ――頭をあげてください!」
日野さんに聞いた通り厨房に行くと、いた。チファも隣で作業をしている。
鍋をかき混ぜる背中に声をかけ、彼女が振り返ると同時にジャンプ。空中で両足をたたみ、着地の瞬間に床よ砕けろと額を足元に叩きつける。ごずっと鈍い音がした。
土下座である。ジャパニーズ・ジャンピング土下座である。任侠映画や時代劇で役者がしているような綺麗な姿勢ではない。車にひかれたカエルのようにべったりと這いつくばり、頭を下げる。
着地の衝撃で左腕がみしっていったけど気にしない。気にしたら泣きそうなくらい痛いからしない。
額を床につけているため見えないが、マールさんが何か慌てている気配はわかる。
「い、いきなり何なんですか!?」
「さんざん迷惑をかけておきながらひどい態度をとってしまったことを謝罪しに参りました申し訳ありません!」
「何のことを言っているんですか!? 顔を上げてくださいってば!」
本気で嫌がってるようなので顔を上げようと思うけれど、怒っていそうでやっぱり怖い。
少なくとも俺なら、介抱してあげた人にあんな態度をとられたら怒る。
「……怒ってません?」
我ながらみっともないお伺いだ。これで怒っていると言われたらどうするつもりなんだろう、俺。……土下座続行かな。
「怒ってませんよ! というか何か私が怒るようなことがあったんですか?」
声には怒っている調子がない。純粋に困惑しているようだ。
「何をって……介抱してもらってたくせに目覚めるなりひどいこと言って、あまつさえ睨みつけて。……そうだ、チファにも八つ当たりしたよな。ごめんなさい。本当に。申し訳ありませんでした」
恩知らずにも程がある。
体調が万全でないのに世話を焼いてくれていた女の子に八つ当たりをした。加えて同僚を敵に回す可能性があるにも関わらず助けてくれた人に暴言を投げつけて、心の中でとはいえ濡れ衣を着せた。
やらかした感が半端ない。
土下座続行していると、肩に手が触れ暖かな言葉をかけられた。
「それは仕方がないですよ。あんなことがあったんですし。ひどいことをされて、大けがして。気が立っていて当たり前です。私もチファも怒ってませんし、気にしていません。――だから顔を上げて。ね?」
チファも頷いている気配がする。
……やばい。余計に罪悪感が湧いてきた。
もしも今後、俺に勇者らしい力が目覚めたらチファやマールさんたち俺を守ってくれた人のために使おう。他の連中は知らん。目覚めなくてもできることがあればしよう。そうでなくてはずっと二人に頭が上がらない。
柔らかく暖かい言葉に恐怖は溶かされた。
顔を上げるとしゃがんでいたマールさんと目が合った。
いつくしむような、たとえるなら幼稚園の先生が子供を見るような目。
チファも眉をハの字にして困ったような目をしている。
――それが次第に見開かれ、顔色が青くなっていく。
「タカヒサ様、血、血が出てます! 額が割れていますよ!? どんな勢いで頭を下げたんですか!」
「床を割る勢いで。でも床の方が耐久力あったみたいですね。誤算です」
「何を冷静に分析しているんですか! 早く手当しないと……部屋に戻りましょう! ムラヤマ様のお部屋には薬が置いたままになっているはずですから。すみません、お鍋の番をお願いします!」
日野さんのところに戻る前に自分の部屋に出戻りすることになった。
―――
「タカヒサ様。わたし、言いましたよね。まだ完治していないって」
「走らないようにとも言ったつもりなんだけど、聞こえていなかった? そのうえケガを増やしているなんて」
「……はい、ごめんなさい。反省しています」
さっきから謝り通しな気がする。……気のせいじゃないか。事実か。
厨房を飛び出した俺たちは廊下から中の様子を伺っていた日野さんも引きつれて、俺の部屋になだれ込んだ。
俺は部屋に着くなりベッドに座らされ、腕を組んだ日野さんに見下ろされている。チファも同じようなポーズをとっているが、身長のせいで俺を見下ろすことはできていない。
冷たい怒りがこもった視線だ。さっきからちょっとだけぞくぞくしてきた。この年で変な扉を開いてしまいそうで怖い。
隣に座って手当をしているマールさんだけが笑っている。楽しくて、というより苦笑いだが。
薬は部屋の小さいタンスの中段に入っていた。介抱してくれている間につけてくれており、こちらにしまっておいたとのこと。包帯だけは清潔なものを毎回持ち込んでくれていたらしい。ますます頭が上がらない。
ちなみに上段には携帯電話やお菓子など日本から持ち込んできたものが入っている。
優しい手つきで傷口あたりをいじられるとなんだかソワソワする。怪我をして敏感になっている部分を触られるので妙に気になってしまう。
マールさんに意識を取られてお説教を聞き流していることがバレたのか、チファが面白くなさそうに呟く。
「これくらいなら回復魔法ですぐに治せるのに」
「これくらいだから回復魔法なんて使わないんです。回復魔法は体に負担がかかりますし、自然治癒させた方が綺麗に治りますから。チファも知っているでしょう?」
「……知ってますけど」
「それじゃあ明日はチファが包帯を変えてあげてくださいね?」
「! はいっ!」
「いや、このくらいならほっといてもいいと思うんだけど」
「(ばかっ、余計なことを言わない!)」
日野さんに小声で怒鳴られた。器用なことをする。
本当に大した怪我ではないのだ。床と額が激突する直前に思わず熱を額に集めて強化したので、表面の皮膚が破れただけ。見た目はなかなかスプラッタだが、ほっといても平気だと思う。
「(血は出たけど傷は浅いしすぐに治るよ、これくらい)」
「(そういう問題じゃなくて、チファにお世話されてあげなさいってこと! マールにしばらく世話を任せていたこと、気にしているようだから)」
「……りょうかい」
「? タカヒサ様、何かおっしゃいましたか?」
「なんでもない。明日は頼むな?」
「はい!」
元気よく返事をする姿が微笑ましい。
やっぱり仕事を任されることが嬉しいのだろう。幼かった頃の弟が重なるようだ。
―――
一通り手当が終わるとチファとマールさんは厨房に戻っていった。
お昼の献立はポトフとのこと。フランス料理どこから来た、とかもう言わない。そういうものだと納得することにした。
「……ええと、日野さんからまだ話があったんだよな。あ、よかったら椅子どうぞ」
机に備え付けの椅子を勧めると日野さんは「ありがとう」と言って魔法で椅子を引き寄せ、俺の対面に座った。
日野さんの庇護下に入ったことがほぼ確定したことに気が緩んで話の腰を折ってしまった。
あのお姫様でも直接日野さんに喧嘩を売るようなことはしないだろう。
……リンチの一件があるので確実とは言い難いが、明確に敵対したことで手を出しづらくなったとは考えていいはず。
「急ぐ話ではないけど、話しておくべきことがあるんだ」
「……何かヤクいことでもあった?」
「……うん、いいか悪いか判断に困るようなことが」
「判断に困る?」
急ぐ話ではなく、けれど話しておくべきことで、いいか悪いかの判断が困難な話。
正直、どんなものか想像がつかない。
「村山くんの容体が安定した後、私はアルスティアのところに行った」
俺が寝ているうちに日野さんはラスボスと戦ったらしい。
「そこで、アルスティアは気になることを言っていたんだ」
「気になること?」
「もう村山くんに手を出すつもりはないとか。村山くんを嫌ってはいないとか」
「……手を出すつもりがないってのはともかく、嫌ってないとか意味わかんないんだけど。どういうこと?」
「私にも分からないから良いか悪いか判断できないんだ。問い詰めてもはぐらかされるばかりで話にならなかった」
日野さんは柳眉を下げた。どんな顔をすべきかもよくわからないといった表情。
手を出すつもりがない、というのはまだわかる。日野さんたちが俺を助けたのだから、俺に手を出すことはそのまま日野さんたちに喧嘩を売る行為となる。
けれど、嫌っていないというのは分からない。お姫様は俺を嫌っていたから不満のはけ口に利用したと思っていたが、違うのだろうか。
「嘘とか適当なことを言っているんじゃないのか? 正直、あのお姫様の言うことなんて信用するに値しないと思うぞ」
もはや元の世界に戻る方法にしても、お姫様を頼ったり脅したりするよりも自分で探した方が安心安全に思える。送還するとか言ってまったく違う世界に放り出されそうな気がしてならない。
「私もそう思うよ。けれど、アルスティアは何の躊躇いもなく私と契約を結んだ」
日野さんがこちらに手の甲を向ける。そこには小さな紋章のような図形がふたつ刻まれていた。
「それは……?」
「『契約』の魔法を結んだ証だ。アルスティアの手にも刻まれている」
「ほほう、契約。して、その内容は?」
契約の魔法があることは何ら不思議ではない。
むしろ鉄板の魔法と言ってもいいだろう。異世界ファンタジーで奴隷がいれば奴隷契約は当たり前。魂を縛る契約とか言って嘘をついていない証明に使うこともある。
問題はその内容だ。とはいえ話の流れで想像はつくが。
「村山くんに直接的にも間接的にも危害を加えないことと、可能になった段階で可及的速やかに村山くんを召喚直前にいた場所に送還すること。他にもいくつか項目があるけど、村山くんに関係するのはこのふたつかな。契約書は部屋にある」
「なるほどなあ……」
直接だけでなく間接的に攻撃することも禁止する契約だ。誰か人を使って俺を攻撃することもできないだろう。帰る方法についても保障させている。
とはいえ気になることはある。
「それじゃあお姫様側からの要求は?」
契約というからにはお姫様からの要求もあるのだろう。
日野さんが呑んでいるのでそこまで一方的な条件とも思わないが。
「私と村山くんが他の国や魔王軍に寝返ったり亡命をしないこと。私たちが違約した場合、アルスティアを縛る強制力はなくなる」
「……日野さんはともかく、俺をこの国に縛っておく必要があるのか?」
「勇者に逃げられたら困るらしいよ。他の国に亡命でもされたら威信に関わるって」
なるほど、亡命か。
他の国に送還方法があるとは限らないため踏ん切りをつけるのは難しいが、選択肢には入る。
問題は他国に行くにも道中の身を守るための戦力と、路銀が必要なことか。
「それじゃあ俺が契約に従わなかったら? 自分の知らないところで結ばれた契約に縛られるとかまっぴらなんだけど」
「大丈夫。あくまでもこれは私とアルスティアの契約だから。村山くんが契約を破ったとしても、私とアルスティアの間の契約が破棄されるだけ。村山くんには何の影響もない」
当然といえば当然だ。自分が知らないところで結ばれた契約に俺が縛られる道理はない。
俺が日野さんの契約に反する行為をとったってもとの状況に戻るだけ。日野さんの契約に従わずに帰還を確約させたいなら自分で契約を結べばいい。
「その契約の強さってどれくらい? 破った場合の罰則とかはあるのか?」
ファンタジー的な契約だと破った瞬間に命を落とすなんてのは日常茶飯事。破れば奴隷に落とされ相手の命令を聞くしかなくなる、なんてこともある。
契約に違反する行為そのものができなくなるというなら安心だが、それでも契約を無効化する手段を隠し持っている可能性が出てくる。
「契約の強度は低いよ。破っても危険な罰則は特にない。相手に契約を破棄したことが伝わるだけ」
「だめじゃん」
思わず口走ってしまった。
でも仕方がないと思う。破っても問題が発生しないなら、契約なんて言っても口約束と大してレベルが変わらない。まっとうな人間関係を築いているなら口約束でも信用を担保にできるが、そもそも信用がないから契約が必要になったのだし。
あれ、でもさっきはお姫様に対して強制力があるとか言ってたような。
「……仕方ないだろう。向こうから出された条件だってあるんだ。アルスティアの方が契約魔法を使うのには慣れているだろうし、向こうが抜け道を作っている可能性がある。もしアルスティアが条件を無視できるようになった場合、こちらだけ契約に縛られるというわけにもいかない。それを警戒したら、契約を破るリスクを減らさざるを得ない」
「だからと言って強制力も罰則もない契約じゃあ結ぶ意味がないと思うんだけど」
俺の身の安全を保障する契約を結んでもらっておいてこの言いようはどうかと思うが、言わないわけにもいかない。自身の安全がかかっているのだから。
「意味はあるよ。だって、契約を破れば相手にすぐに知れるんだ。これはとても大きなメリットだと思わないかい?」
「……まさか、日野さんに契約違反を知られることが直接罰則に繋がるってこと?」
「その通り。正解だ」
スキルについても考えてみた場合、勇者の中で一番火力が高いのは日野さんだろう。その日野さんとの契約を破ったらどうなるか。少しでも想像力があればわかるはず。
契約上は罰則がなくとも実際は無罪放免とはいくまい。
「契約違反をされたらどうするつもりだよ」
「ご自慢の分厚い面の皮をあぶり焼きにするって言っておいた」
簡単に実現できそうな火力を持っているから笑えない。日野さんがその気になればこの街を更地にすることも容易いのではないだろうか。
そのことを踏まえると別な疑問ができた。
「そういえば、あのお姫様に日野さんと取引できるようなカードがあるとは思えないんだけど。やっぱり帰る手段を盾にされたとか?」
日野さんなら強力な魔法を使って脅迫することだって簡単なはず。信頼関係を結ぶのはもはや不可能と言っていいだろう。それなのにわざわざ契約を結んで向こうの要求を聞く必要性は薄い。
契約する理由なんて、送還を盾にされたくらいしか俺には思いつかない。
「……うん。そんなところ」
日野さんは少しだけ言いよどんで頷いた。
「ああ、それと、送還の契約には強制力があるんだ」
何かあったのか聞こうとするが先に日野さんが口を開いていた。
尋ねても答えてくれるつもりはなさそうだ。
無理に聞き出す必要もないだろう。話題転換に応じることにする。
「送還だけは別口の契約ってこと?」
「そう。二つ目の契約。村山くんも言っていたけれど、送還すると言われて変な場所に送られる可能性も否定はできないだろう? だから、私たちをもといた世界の、召喚直前にいた場所に送還すると契約させた。違反したら死ぬって罰則を設けてね」
「……その条件、お姫様はあっさり呑んだのか?」
「うん。こちらにも条件を出されたけど、すんなり受け入れたよ」
お姫様を縛る強制力、というのはこれか。
確かに命を懸けた契約ならそうそう破られないだろう。
しかし、すんなり受け入れたと言われるとそれはそれで怪しい。
「その契約、お姫様側から破棄する方法があったりしないの?」
「あるよ」
あっさり言われた。
「こちらは契約というか、半分くらい呪いなんだ。式は単純。私が呪いをかけるのに使ったのと同量以上の魔力を使えば解呪できる。実行は難しいと思うけれどね」
「うん、それなら安心だ」
呪いは簡単な解法を設定すると代わりに他の方法で解くのは困難になる。ドアの鍵にかける予算をゼロにして、そのぶんドアを重くするようなものだ。鍵がかかっていなくても、よほどの力がなければドアは開けない。
日野さんは契約……呪い? をかけるのに相当な魔力を使ったのだろう。仮に一千程度しか使わなかったとしても解呪は困難。仮に解呪できたとしても日野さんに伝わる仕組み。送還直前に大地の魔力を使って解こうとしても、それだけの魔力を送還と別に用意していれば気付けるはず。
「そんなわけでひとまずアルスティアから村山くんに手を出してくることはないと思う。絶対に、とは言えないけれど」
日野さんは「何か質問はあるかな」と自分の話を締めくくった。
あのお姫様のことだ。油断はしない方がいいだろう。
これで今置かれている立場がだいたいわかった。
俺を取り巻く状況は以前よりはるかに改善されている。お姫様も俺に手を出すメリットもないのだろう。こちらを攻撃しないという契約までしている。
だが、肝心なことがわかっていない。
「結局、お姫様は何がしたかったんだ?」
あのリンチの目的が不明瞭なままだ。
俺は民衆の不満のはけ口を作るためにあんなことをしたと思っていたが、よく考えると違和感がある。
お姫様は情報統制をしていた。情報を封鎖する対象には日野さんや坂上も含まれている。
ということは、日野さんたちに知られたらまずいと考えていたということだ。
なのに、日野さんたちに簡単に知れるような派手なことをした。
矛盾している。
逆に考えるべきなのだろうか。
日野さんたちに知られて止められることは問題ではなく、式典を開催することそのものが目的だったとか。
だとしたら、何のために?
ガス抜きが目的だとしても日野さんと坂上を敵に回す可能性を考慮したらリスクが大きすぎる。それならいっそ普通に五人の勇者のお披露目をして、盛大にバカ騒ぎさせた方が確実でリスクも少なかったはずだ。
「分からない。問い詰めたら『ヒノ様には分からないことですわ』と笑顔で返されたよ。脅迫しても『わたくしを殺せば元の世界に帰せなくなりますわね』、挙句の果てには冗談みたいな口調で適当なことをつらつらと言ってきた」
日野さんの額に青筋が浮いた。おそらくその笑顔を思い出したのだろう。気持ちはわかる。よくわかる。
目的は日野さんには分からないこと。式典をの結果よりも開催することが重要視される可能性が高い。四ノ宮以外の勇者を敵に回す可能性を考慮しても優先される事柄。
そんなことがあるのだろうか。
考えようによってはあの一件で一番困ることになるのは四ノ宮だ。
仮に俺が何の抵抗もできずにあのまま倒れていたとしても、日野さんにも坂上にもリンチの話が伝わらないとは考えづらい。
二人にも噂を信じさせているなら話は別だが、二人とも噂のことをそもそも知らない様子だった。その状態で四ノ宮がしたことを知ったらどんな反応を示すか。想像に難くない。
四ノ宮が孤立することになったかもしれない。現に日野さんとは対立したようだし。
お姫様にとって聖剣の勇者にまで任じた四ノ宮は切り札のはず。好き好んで追い詰めるような真似をするとは思えないが。
何度か魔力感知を使っているが、四ノ宮に動きはない。こちらに向かってくる気配もないのでスルーしていたがいつまでも無視はできない。
お姫様が四ノ宮と接触しているのはほぼ確実。お姫様の目的を探れば四ノ宮の今後の動きにも見当を付けられるはず。
「日野さん、念のために確認しておきたいんだけど。俺は今、日野さんの庇護下にいるんだよな」
「うん、そんなところ。詩穂も村山くんに味方すると公言しているから、アルスティアも城で働いてる人たちも、そうそう迂闊なことはできないはず」
勇者二人が俺を保護してくれるとなれば安全はある程度保障されていると考えてもいいだろう。
あんまり調子に乗ってはまずかろうが、聞き込みをするくらいなら平気なはず。もしヤバそうなら即撤退するつもりだ。危険なラインの判断は直感に任せることにする。
「それと、お姫様は俺に手を出さないって契約をしてるんなら、俺が一方的に殴ったりできない?」
「……ごめん、無理。送還の契約に代償を付ける条件のひとつが正当防衛の認証……村山くんが明確な害意を抱いて物理的な攻撃を加えた時には反撃するのを認めることだったんだ。反撃を認めただけだから村山くんがアルスティアを殴ることは問題にならないけれど、アルスティアも反撃してくる。魔法を使われたら突破は難しいと思う」
「まあ、そう簡単にはいかないよなあ」
もしも一方的に攻撃していいなら、復讐がてらネットやマンガで身に付けた拷問知識が火を噴くところだ。
「でもまあ、お姫様の目論見が分からないのは気持ち悪いし。調べてみるか」
報復は後に取っておくとしても相手の目的が分からないのでは警戒するのも難しい。
最低限、あんなに目立つ形で俺をリンチにした理由くらいは知っておきたい。でなければ予想も妄想に成り下がる。
「てなわけで、誰かお姫様の目的を知っていて、かつチョロそうな人っていない?」
俺が知っている人の中でお姫様の目的を知っていそうなのはジアさん、バスク、面識はないが侍従長くらいだ。
話を聞くにも引っかけるにも難しそうなラインナップ。
「そんな人がいたらもう私が問い詰めているよ」
「そりゃそうか。……とすると、誰が揺さぶりやすいか」
ジアさんは論外。試合前に会った時には様子がおかしかったのでそのうち話を聞きに行こうと思うが、もしも化かしあいになったら勝てる気がしない。
侍従長は俺の理性的な問題で無理。どんな性格か分からない上に、チファに嫌がらせをしていたという一点が俺の冷静さを奪う。顔を合わせたら抑えが利かなくなって会話ができなくなりそうだ。
「……聞きに行くならバスクかな。試合の直前も挑発に反応しなかったわけじゃないし」
バスクが俺より強いことは確定的に明らかだ。チファに危害を加えたわけではないし、殴るのも踏みとどまれるはず。揺さぶりが効かないわけでもなさそう。
「侍従長の方が簡単に聞き出せそうじゃないかな」
「まあ、ご機嫌取りに一生懸命になるようなやつだからな。まともな忠誠心があるとは思えないし……会話より脅迫が捗りそうだ」
喉元にナイフでも突きつければ自発的にさえずってくれるんじゃないだろうか。
誰に聞くか、どう聞くか。物騒な言葉も交えながら相談していると、
「それほど気になるのなら、本人に直接訊けばいいのではないでしょうか?」
横から声をかけられた。
脳が声を認識した瞬間に視界が血の色に染まる。
左腕に激痛が走り、呼吸が乱れる。心臓が全身に馬鹿げた熱量をポンプする。頭に血が上る、とはこういうことを言うのだろう。
息を整えながら努めて表情を消し、声がした方を向く。
「お邪魔しますわね」
今さらになって音もなく内側に開いていたドアをノックする。いちいちの動作が優雅なことがいっそう腹立たしい。
何度か深呼吸をすると視界がクリアに戻ってきた。逆上したままではどんな目に遭わされるか分かったものじゃない。
部屋の入り口には俺の気分を逆なでする、目障りこの上ない笑顔があった。
「ご機嫌はいかがかしら、ムラヤマ様」
最悪だ、と怒鳴りそうになるのをなんとかこらえる。
元凶にして怨敵。
アルスティア・メル・アストリデアがそこにいた。
何やら感想を見ると誤解している方が多いようなので補足しておきますが、契約の魔法はあくまでもアルスティアと日野祀子の間でかわされたものです。仮に破っても主人公には何のペナルティもありません。
祀子が不利な条件を呑んだことにも理由はありますが、詳細の話を乗っけられたらなあ、と思わないでもないです




