34.私室訪問 2
何やら評判がひどかったので、他者視点の話を投稿するのはやめにします。
また、感想を返す時間を確保するのが難しくなってきたため、質問などについてはまとめて活動報告の方で答えさせていただいております。
また、私は間違えた。
蹴り飛ばされ、転がる彼を見た。
立ち上がり、黒っぽい何かを煙らせながら、ありありと殺気を迸らせる彼を見た。
横やりを入れられ、倒れ伏した彼を見た。
血を吐きながらも目の前の敵を睨みつけるのをやめない彼を見た。
怪我は治ったはずなのに、苦悶の表情を浮かべて眠る彼を見た。
私は、何をしていたのだろう。
私は、何を間違えたのだろう。
私は、何時から間違えていたのだろう。
召喚された時から? 彼が無能力だと分かった時から? 資料館のそばで見かけて、彼を見てしまった時から? あるいはもっと前から?
分からない。
分かったのはこんなにもひどい間違いを犯した私の顔なんて、彼は見たくないだろうということだけだった。
その答えすらも、彼と対面することを恐れ、逃げるための言い訳なのかもしれないけれど。
◆◆◆
「そんじゃあひとまず、疑問の解決に行きますか」
チファが持ってきてくれた朝食をさっと平らげ、行動を起こす。
信じると決めたはいいが、坂上と浅野の話にあった齟齬がなくなったわけではない。
まずは正確な現状把握が大切だ。
「チファ、ちょっと行きたいところがあるんだけど。案内してくれる?」
―――
先ほど浅野の部屋に行くために歩いたからだろうか。それともチファを探して走ったためだろうか。いくらか体が軽い。
人の気配を避けながら、俺たちは日野さんの部屋へ向かった。
浅野の部屋へ向かった時よりも時間をかけずに目当ての場所にたどり着くことができた。
今まで訪れようと思ったけれど場所を知らずに訪れることがなかった部屋の扉を前にする。
扉をノックする。
待つこと十秒ほど。やがて扉が開いた。
「……チファ? 何かよ――――う!?」
そしてすぐに閉まった。ズバンと蝶番が外れてしまいそうな勢いだった。
浅野のように魔力の反応でチファが来たと思ったのだろうか。
ノックをしたのは俺だが、俺は魔力がない。浅野の時とは違いチファの魔力の気配があったからノックしたのがチファだと勘違いしたということか。
なんて、分析をしてみたがこのままでは話が聞けない。まさか浅野ですら話を聞かせてくれたのに、助けてくれたらしい日野さんに門前払いされるとは思っていなかった。
いっそドアを蹴り破るか、それとも昼食の時間を待ってドアが開いた瞬間に突撃するか。
でも乱入しても魔法で追い返されたら意味ないか、などと考えていると、再び小さくドアが開いた。
「……村山くん?」
「おはよう日野さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
言葉は疑問形。けれど今度はドアを閉じられないよう隙間に足を挟みこんで拒否することを許さない構え。
「……うん。わかった」
どこかおどおどしているのが気になったが、退くつもりはない。
俺は、悪質な新聞勧誘のような手口で日野さんの部屋に上がり込んだ。
―――
日野さんの部屋は、散らかっていた。それも尋常じゃなく。
あちこちに本の山ができていた。崩れないよう丁寧に積まれているが、本の収集家が知ったら嘆きそうな光景だ。開いたまま潰されている本や崩れた山がないことが救いか。
部屋に上がり込んだはいいがおそろしく歩きづらい。服をひっかけただけで本の山が崩れてきそうだ。
チファは部屋に入って来ていない。
「お仕事がありますし、邪魔をするのはよくないですから」と言って、俺が日野さんの部屋に入るのを見届けて去って行った。
机を見るとノートと筆記具、読んでいたのであろう開きっぱなしの本が一冊と参考書らしきものが何冊か積んであった。
勉強中だったのだろうか。
だとしたら悪いことをした。だが、俺がここに来た理由は十中八九日野さんが作ったのだ。話くらい聞かせてもらっていいだろう。
「……どうぞ」
「どうも」
先ほどから口数が少ない日野さんに椅子を勧められる。部屋の片隅にあった椅子がひゅるりと持ち上がり、俺の後ろに置かれていた。
少し長い話になるかもしれないので遠慮なく座る。
日野さんは机の椅子に座った。
腰を落ち着かせたところで話を始める。
日野さんはひどく緊張しているような様子で何か言ってくる気配はない。もともと俺が質問に来たのだから俺が口火を切るのは当然なのだが。
「日野さんは、俺がここに来た理由、わかってるよな」
「……うん」
俺は坂上とチファ、浅野から話を聞いた。
その内容は齟齬があった。
坂上の話ではダイム先生があの場を収め、日野さんが四ノ宮をいさめたという。
浅野の話では日野さんが四ノ宮を叱り、力技で場を収めたという。ダイム先生は後始末をしていたらしい。
現状、俺は浅野の話の方が事実に近いと考えている。
お姫様も浅野で俺を懐柔できると思う可能性は低い。カマをかけてみても反応はなかった。それにチファの怪我の話は完全に事実のようだった。
坂上の話と浅野の話。どちらか一方を信じるとしたら浅野の話を信じる。
では、なぜ坂上が話を偽ったのか。その理由が俺にはひとつしか思い浮かばなかった。
「私への報復、だよね」
「何言ってんの日野さん」
つらつらと考えていると日野さんがまるっきり見当違いなことを言った。
俺は思いっきり変な顔をしていたのだろう。日野さんもきょとんとした表情を浮かべる。
「……違うのかな?」
「違う。むしろどんな思考を辿ればそんな結論に至るんだよ」
「だって、私は征也の姉みたいなものだ。弟分の征也があれだけのことをして、村山くんが怒っていないとは思っていないよ」
目を伏せて震える声で言う。
「本当に申し訳なかった。遅くなったし、謝ってすむことじゃないのもわかってる。けれど、せめて頭くらいは下げるべきだ。許してくれ、なんて言わない。村山くんの気が済むようにしてくれて構わない」
日野さんは立ち上がり、深々と頭を下げた。
しろと言えば土下座くらい余裕でしそうな勢いだ。
どう反応していいか分からずに黙っていても日野さんが頭を上げる気配はない。
「……顔、上げてよ。あのさ、坂上といい日野さんといい、なんで謝んの? 日野さんたちは土壇場で俺を助けてくれたんだよな。助けてやったんだ感謝しろ、とか胸を張ってもいいと思うんだけど」
どうにも思いつめている様子だったので、努めておどけた口調で言う。
坂上の話でも浅野の話でも、四ノ宮は聖剣で俺を斬ろうとした。
それはゴルドルさんが止めてくれたらしいが、もしも四ノ宮が暴走して魔法を乱射したとしたら。
ゴルドルさんなら魔法が発動する前に止められたかもしれない。けれど、四ノ宮がバカみたいな量の魔力を込めたなら、ひと言の詠唱で使えるような魔法でも人を殺すに余りある。
もしも日野さんや坂上の助けがなかったら、俺はゴルドルさんを巻き込んで死んでいた可能性だってあるのだ。責めるつもりは毛頭ない。
「……っ、そんなこと、恥ってものを知っていたら言えるはずがないじゃないか」
それなのに、顔を上げた日野さんの表情は歪んでいた。
「ねえ村山くん、村山くんがまともな食事も与えられない中でも必死に訓練していた時に、私が何をしていたと思う?」
唐突に質問を投げかけられる。
まあ、こちらも質問しに来たのだし、相手にも質問されたら答えるのが筋か。
「……魔法の勉強?」
「違う」
もう一度部屋の様子を見て、思った通りに答えると即座に否定された。
にべもない口調に少しだけむっとして日野さんに向き直る。
日野さんは引きつったような、自嘲と自己嫌悪をないまぜにしたような顔で、答えを告げる。
「私はね、遊んでいたんだよ」
もともと俺の答えを聞きたかったのではなく、話の先触れとして質問をしたのだろう。
日野さんは一気呵成に語り出した。
「こちらに来たその日。私は、身を守るために魔法を身に付けるつもりだと言ったよね。あれは嘘じゃない。けど、すぐに本当の理由でもなくなった。私には魔力があった。魔法の理論だって理解できた。そうするとね、できることが目に見えて増えていったんだ」
想像がつく。
俺が夜に活動しようと思ったらランプを持って、油を注いで、火をともす必要がある。
けれど魔法が使えたら。明かりくらい魔法でどうにでもなるだろう。
もしかしたら生身で空を飛んだり、少年マンガのように大爆発を巻き起こしたりできるのかもしれない。
「ダイム先生に基礎を学び、本を読み漁って、またダイム先生に理論の応用を教わって。深夜になると荒野まで飛んで行って、魔法の実験をした。その気になれば天候だって操ることもできそうだった。まるで神様にでもなったような気分だったよ。……全能感とでも言うのかな。正直、ものすごい充実感だった」
同じ城で知り合いが虐げられていることにも気付かないくせにね――日野さんは、こんどははっきりと自嘲した。
「村山くんが苦境にいる時に、私は楽しんでいたんだよ。征也と変わらない。思いがけず手に入れた力に浮かれていたのは、私も同じだった」
そう締めくくって、日野さんは力なく椅子に座りうつむいてしまった。
俺としては、そんな話をされても困るだけだ。
本人がそう言うのなら、確かに日野さんは遊んでいたのだろう。神様気分で楽しんでいたのだろう。
けれど、日野さんの気持ちが分からないでもないのだ。
俺だって自分に魔力があって、好き放題に魔法が使えたら。
お姫様の頼みもあっさり聞き入れて、四ノ宮と戦うこともなく、日野さんのように魔法にハマっていたかもしれない。
そんな『もしも』を容易に想像できる俺には日野さんを責める言葉はない。
何より間一髪のところで助けてくれたらしいのだ。むしろ感謝するべきだろう。
とはいえ、今の日野さんの様子を見るに正直な話をしても押し問答になりそうな気がする。
ここはいったん話を本題に戻そう。
「その話は置いとくとして、俺は日野さんに聞きたいことがある。別に謝る必要はないからさ、答えてくれると助かる」
置いとくと言ったことに納得いかなそうな表情をしたが、こくりと小さく頷いてくれた。
これでようやく本題に入れそうだ。
「日野さんはなんで、坂上に嘘をつかせたんだ?」
「っ!?」
質問をすると、さっきまで伏せられていた目が大きく見開かれた。
浅野の話を聞いて、坂上の話との相違を知った。
チファの傷の件もあり、俺は浅野の話はおおむね正しいだろうと思っている。
その一方で、坂上だってあの状況で俺に嘘をついてもバレた時に不信感を持たれるだけだと分からないはずがない。
すると、坂上が嘘をついた理由は何なのか。
坂上の話では得をするのはダイム先生だ。だがダイム先生が坂上に無理を言ってまで俺に恩を売ろうとする光景は想像できなかった。
洗脳の線が消えた今、他に考えついた理由は日野さんが坂上やチファに嘘を言うように頼んだ、というものだけだった。それにしたって動機は不明瞭だが。
「浅野に聞いた。日野さんがお姫様に啖呵を切って、俺を助けてくれたって」
「……そっか、夏輝か。確かに夏輝は口止めをしていなかったよ」
半ばカマかけのつもりで嘘をつかせたと断じたが、日野さんは否定しなかった。
やはり坂上が嘘をつき、チファが訂正しなかった理由は日野さんだったようだ。
「なんでそんなすぐばれるような嘘をつかせたんだ? それが分からない」
改めて問うと、日野さんは観念したようにため息をついた。
「ねえ村山くん。夏輝から私が村山くんを助けたって聞いた時、どう思った?」
こちらを見る日野さんの目を見返して答える。
「坂上の話と違うなーって思った」
「そうだろう。何を今さらと思っただろう。征也の姉貴分の私に助けられるなんて屈辱だと――今なんて言った?」
「や、だから坂上の話と違うって思っただけなんだけど」
「……本当に? それだけ?」
「うん。あ、坂上と浅野で話の内容が違うことに若干の不信感は抱いた」
どこか日野さんとの会話は噛み合わず、温度差があると思っていた。
その理由がわかった。
日野さんは、俺が日野さんに助けられたと知って、それについても怒っていると考えていたのだ。
「どうして日野さんは、俺が助けられたことにも怒ってると思ったんだ?」
「……村山くんは、私たちを頼ってこなかったから」
ぽつりとつぶやいて、日野さんは椅子の上で膝を抱えた。
「召喚初日にいくらか話して、私が村山くんに好意的なのは伝わっていたと思う。内容は詳しく聞いていないけれど、詩穂とも話したんだよね。なら、村山くんが苦境を脱するためには勇者という肩書を持つ私たちを使うのが一番早くて確実だったはずだ」
確かにその通りだ。
リンチの一件があるので確実とは言えないが、坂上なり日野さんなりの庇護下に入っていればお姫様といえど変なちょっかいはかけづらくなっただろう。
俺だって他にどうしようもなくなったら二人を頼るつもりでいた。
「村山くんは試着室で、頼らなかった理由を男の子としての意地だと言っていたじゃないか。もしも私が何かしたと知ったら、意地や尊厳を踏みにじられたと怒るんじゃないかと思ったんだ」
……嘘をつかせた理由は俺にあったらしい。。
頼らなかった理由をオトコノコとしての意地だと言いはしたが、冗談のつもりだったのに。
基本的には無茶してまで張る意地はないし、ぶっちゃけ命の危機ならプライドとかゴミのように捨てる自信がある。
「そんなことじゃあ怒らないって。むしろ助けてもらったのにお礼も言ってなかったっけ。――ありがとう。おかげで生きてるよ」
おおかた疑問も氷解した。
日野さんが坂上に嘘をつかせた理由は、俺のプライドを傷つけないため。
守ろうとしてくれたプライドはないものだったので、ただの取り越し苦労になったが。
どういたしまして、とでも言ってくれると思ったのだが、日野さんは応えてくれなかった。
膝を抱えたまま、微妙にくぐもった声で問われる。
「……私は、村山くんのために何かできた?」
「何かどころか、命を救ってくれたと思うけど」
「私は、村山くんの尊厳を傷付けた?」
「いや別に。意地はあるけど命と同じ秤にかけられるほど重くないし」
「私は、いつ、どこから間違えていたのかな」
「それは知らない。日野さんにしか分からないことだろ、それ」
そっけなく返すといじけたようにじっとりとした目で見られた。
「ここは優しく『間違ってなんかいないよ』と言ってくれてもよかったと思う」
「今、言ったじゃん。俺には日野さんが間違えたかどうかなんて分からないって。日野さんがいつ、どこで何をしていたかなんて詳しく知らないんだからさ。自分で決めればいいんじゃない?」
俺が考えたって分かることじゃない。
たとえ俺が考えて答えを出したとしても日野さんは納得できないと思う。
日野さんは膝の間に頭を埋めた。
鬱屈とした雰囲気はない。
俺は黙ってその様子を見ている。
そう長く待たせることもなく日野さんは顔を上げ、
「私は、間違えた」
いっそ堂々と宣言した。
「征也にもっと自分の頭で考えるように言っておくべきだった。引きこもる前に村山くんの周囲を把握しておくべきだった。アルスティアをもっと警戒しておくべきだった。村山くんの気持ちだって読み違えていた。……他にも、たくさん間違えている」
きっと、口に出さなかった間違いもあるのだろう。
だが、仕方のないことだ。
スペックがどれだけ高かろうと日野さんだって人間だ。
偉そうなことを言える身じゃないけれど、間違えて当然だと思う。
「けれど、あの時に割り込んだのは間違ってなかった。……と、思う」
最後だけ自信なさげに言って、ちらりとこちらを見た。
その様子がおかしくて、思わず吹き出してしまった。
「な、なんで笑う!?」
「……笑ってない」
吹いただけだ。
「……それで、どうなのかな」
「どうって、何が」
「私が征也との試合に割り込んだのは、間違っていたのか。間違っていなかったのか。あの場にいたんだから、村山くんにだって分かるだろう」
じっと頼りない視線を向けられる。
きっとまだ自己嫌悪でも引きずっているのだろう。自己否定は自信満々にできても、自己肯定までは難しいようだ。
俺の答えなんて、言うまでもないのに。
「さっき言った通りだ。おかげで助かった。ありがとう」
目を見て言うと、日野さんの瞳が大きく揺れたように見えた。
揺らいで見えたのは本当に一瞬だけ。すぐに収まって、いつも通りの落ち着いた様子を取り戻す。
「……うん。どういたしまして」
そう言って、日野さんは息をついた。




