33.信用と信頼
ベッドに腰掛け考える。
現状、最も信用できる話は浅野のものだ。
浅野は俺を懐柔する言葉を持ちえない。また、坂上の話との齟齬も浅野やお姫様にとって利益になるような内容ではなかった。カマをかけてもみたが、本気で心外そうに否定された。
おそらく俺は今、坂上と日野さんの庇護下にいる。
浅野の話を信じるなら、坂上たちの行動は俺を懐柔したりするためのものではない。
俺はお姫様の大事な手駒であろう四ノ宮を殺そうとした。お姫様に利用の意図がないなら幽閉されていても、処刑されていても不思議はない。
なのに今、こうしてゆっくりベッドで休んでいられる。理由はお姫様に対抗できる力を持った人の庇護下にいることくらいしか思いつかない。
となると坂上が俺に嘘をついた理由が気になる。
嘘をついた理由は予想がつくが、どうして嘘をつかせる理由が生じたのかわからない。
坂上はバカじゃない。この状況で嘘をついたら俺が不信感を募らせるだけと分からないはずがないだろう。
まあ、そのあたりは本人に聞くとしよう。
不信感がないわけではないが、坂上が嘘をつき、チファがそれを見過ごしたというならそれだけの理由があると考えている自分がいた。
むしろ、不信感よりも単なる疑念の方が強いくらいなのだ。
我ながら単純だ。
あれほど怖がっていたくせに、あれほど敵かもしれないなんて疑っていたくせに。
今ではもう悪意を疑っていない。
まあぶっちゃけ、日野さんや坂上が敵だとしたらもう詰みなので疑う意味もあんまりないのだが。
そういえば。どうして俺はチファの心配なんてしたのだろうか。
敵である可能性を疑っていた相手の安否を気にするなんてどうかしている。
頭で考えていただけで、本心からそう思っていたわけではない、ということだろうか。
……いや、走り出したあの時。敵だのなんだのなんて考えてもいなかった。
単純に、心配だった。
傷ついていてほしくなかった。
そう思ったから。それだけ。
信じるってなんだ。
相手の言ったことを疑うことなく丸呑みにすることか。
きっと違う。それは信用ではなく盲信だ。
言われたことを考えもせずに呑み込むのは、ただの思考停止だ。
信じる理由はなんだ。
根拠があるから?
……人を信じるのに確たる根拠があるのだろうか。
普段の行動がどれほど立派だろうと、それがその人の本当の姿だという保証はない。
邪推すればきりがない。
俺がしていたように。
ああくそ、考えがまとまらない。頭がごちゃごちゃする。糖が足りない、糖が。
気付けばずいぶん時間が経っていたようで夕食も腹から消えていた。ろくに噛まなかったせいで満腹感もない。
今日は特別だ。
いい加減腐っているのにも飽きてきた。ここで腐るばかりでは死んでいるのと変わらない。
ベッドから立ち上がり、机に向かう。引き出しを開けると俺が持ち込んだ品々があった。
どうやら元の部屋にあった俺の所有物はあらかたこの部屋に移動されたらしい。高価そうな服も置いてあるが、なんとなく着るつもりにはなれず着慣れた方を着ている。
引き出しには俺の菓子類も入っていた。最近の俺はチョコレートなどの摂取量が足りず、匂いに敏感になっている。間違えるはずがない。
未開封だった板チョコを解禁する。
がぶりと豪快にかぶりつくと芳しいカカオの香りが口いっぱいに広がり、鼻まで浸食してくる。
噛み砕くたびに溢れる香り。
続いて破片が口内の温度によって溶ける。ほろ苦い甘みが舌を包み込み、幸せに蹂躙する。
……はっ、意識が飛びかけた。
だが、いい調子だ。
心身ともに力が満ちてくる。
さあ考えろ。
敵は誰だ。
味方は誰だ。
俺は何をしたい。何をされたくないかではなく、何をしたいか考えろ。
とりあえず、四ノ宮は殴る。お姫様もただじゃおかない。
けれど、心の底にあるのはもっと別のものだ。
俺は、強くなりたい。
特別な誰かにすがるのではなく、自分自身が強く。
精神的な力でもいい。肉体的な力でもいい。
自分の行く末を自分で決めて、胸を張れるだけの強さが欲しい。
俺はチファに「一緒に頑張ってみるか」と言った。
あれはチファのための言葉じゃない。
自分のための言葉だ。
チファと俺はよく似ている。
家では弟の下位互換だった俺。異世界に来てもハズレだった。
自分をみそっかす呼ばわりするチファ。家を出て、城に来てもみそっかすだった。
日野さんたちを頼りたくなかった理由は簡単だ。
みそっかすでも、特別な力なんてなくっても、やっていけると信じたかったから。
誰かを信じる理由はなんだ。
そんなもの、最終的には『信じたいと思ったから』だ。
根拠なんて後押しにすぎない。疑えばいくらでも疑えるのだから、信じる理由なんてそれ以外にないだろう。
誰かを信じるのにどうしても根拠が必要だというなら。
そんなもの、直感だけで十分だ。
信じたいと思った。信じられると思った。
けれど、根拠だけがなかった。
だから疑った。
疑うことは大切だ。思考停止していない何よりの証だから。
でも、疑うばかりでどこにも進めず腐りきっては意味がない。それでは疑うことも何もしない言い訳に成り下がる。
だから俺は。信じたいと思った人を、信じられると思った相手を信じよう。
ただし、頼りはしない。頼ってはいけない。
もしも弱い俺が強い誰かを頼ったら、もたれかかって頼るばかりになる。
それはいけない。
誰かを信頼するのは、誰かに信頼されるくらいになってからだ。
だから俺は、強くなろう。
チファを信じよう。
俺を助けてくれたという坂上を。日野さんを。マールさんを。ウェズリーを。シュラットを。ゴルドルさんを。ダイム先生を。
信用してみよう。
いつか、信頼できるようになるために。
やはり寝不足だったらしい。ここまで考えて、俺の意識は闇に沈んだ。
―――
いつもの夢が始まる。
四ノ宮がいて、お姫様がいて、観衆に取り囲まれている。
四ノ宮が木剣を振るう。お姫様が魔法を放つ。観衆の声が響く。
痛い。熱い。うるさい。怖い。
体がすくみそうになる。
ずっとうずくまってされるがままになってきた。そしてやがては足場も失ってどこか何もない場所へ落ちていく。
もう、そんなのは御免だ。
右手には熱が、左腕には暖かさが残っている。
深呼吸をひとつして、俺を守ってくれたというチファを思い出す。
一方的に殴られる俺を見れば、どれほど危険かわからないはずはなかったのに。あんなに小さく細くて見るからにもろそうな女の子が、自ら飛び込んで行ったのだ。
少しはその勇気を見習わなければならない。
いつまでもすくんでいるなんて、情けないにもほどがある!
落ち着いて前を見ろ。
四ノ宮? 一度は喉元に食いついて殺しかけた相手だ。
お姫様? 他力本願で考えの足りないアホだ。
周りの観衆? 殺意を込めて睨みつければ尻込みする程度の有象無象だ。
思い切り息を吸い、全力で吠える。
「うるっせえんだよバカ共が! はっ倒すぞ!」
両足に力を入れて一歩踏み込む。足場は確かにあった。
ズン、と歓声よりも強い音が響く。
殺意を込めて睨みつけると、四ノ宮もお姫様も観衆も、霞のように消えていった。
静かで穏やかな闇だけが残る。
俺は闇に身をゆだね、眠りにつく。
落下していくような空虚さはなかった。
―――
物音に目を覚ます。
ドアが開く音だった。続いてドアが閉まる音がする。
視線をやると、チファがいた。
ずっと悪い夢を見ていた。
差し伸べられた手を振り払い、自ら全身を腐らせていく夢。
やっと醒めた。
力がみなぎる。活力が湧く。
妥協はやめだ。
弱いやつが強いやつに逆襲したって、もっとひどくやり返されるだけ。
ならば。立場を逆転させてやる。
強くなる。勇者にだって一矢報いることができるくらいに。
特別なものを持たない人間にもできることがあると、証明してやろう。
ここからこそ。本気で努力し立ち向かうのだ。
才能が足りないなら執念で補うのが凡人の流儀ってやつだ。
「おはよう。ようやく目が覚めた」
暗い場所から身を起こす。
さあ――浮上を始めよう。




