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30.疑心暗鬼

 その日も俺は怠惰な時間を過ごしていた。

 治ったはずの傷はいまだに痛む。特に左腕の痛みがひどく、ときたま動かすことも難しくなる。

 そういう時は深呼吸をする。

 体が持った熱を全身に循環させるイメージ。熱が回った箇所は不思議と痛みが和らぐことに気付いた。


 何か特殊能力に目覚めたのだろうか。

 それにしたって地味だ。四ノ宮戦の最後らへんで身体能力が上がった感じがあったが、四ノ宮がとっさに対応できる程度の上がり具合。

 回復能力だと声高に言うなら傷も痛みも即座に完全回復してほしい。何もないよりはマシだけど。


 目を閉じていると体温とは違った熱が体を巡っているのが感じられた。

 四ノ宮と戦った時に感じたものと似ているが、熱量は断然小さい。

 強く意識するとよりはっきり熱を感じた。

 全身に流れるイメージを強く描くと体が少し軽くなった気がした。

 傷口に熱を流すと痛みが和らぐことに気付いたのはこの時だ。


 熱はある程度恣意的に動かせた。集中させるほどその部分の痛みは和らぎ、力が湧く。

 眼が冴えている時は全身に流れる熱を操ってあちこちに偏らせる。

 手慰みにそんなことをしていた翌日のことだ。


―――


 朝。夢を見ていた。ここ数日、頭から離れてくれない夢。

 四ノ宮と戦い、負け、何度も何度も殴られ、周りの観衆に嘲笑される。彼らはみじめに蹂躙される俺を見て歓声を上げる。夢の中で耳を塞ごうと頭の中に直接鳴り響いて離れない。

 誰も味方はおらず、ぼろきれのようになって、最後は暗くて何もないどこかに放り捨てられ、落ちていく。


 夢だというのに、痛かった。

 何度見ても、怖かった。

 全身に熱が走り、内側から焼き尽くされてしまうほど熱かった。

 ずっとずっと、どこまでもどこまでも落ちていくような虚無感があった。


 何度寝てもこの夢を見る。

 自分がうなされる声がうるさくて目が覚める。

 チファがいる間は気を張って起きているが、睡眠不足のせいでチファが退出すると同時に寝てしまう。

 また寝れば夢が始まり、うなされて起きる。

 たった二日で何度繰り返したか分からない。

 気が変になりそうだった。


 この日の朝は違った。

 左腕に暖かいものを感じる。焼き尽くすような熱さではなく、冬のココアのような暖かさ。そこから全身の痛みが薄れていく。

 右手を熱いものが触れる。じめっとしていて、とても熱い。意識があったら振り払っていたかもしれない。

 けれど、不思議と不快ではなかった。熱くて仕方ないが、触れた場所から伝わる振動が、そのリズムが心地よく耳に響く。

 頭の中から暴力的な歓声が薄れ、ささやかなリズムが満ちた。


 暖かさと熱が体の中に入ってくる。

 空虚な中への落下が止まった。

 肌に何か触れているのがわかる。


 これは、なんなのだろう。

 この目で見て、今度はこの手で、こちらから掴んでみたい。

 けれど駄目だ。瞼が落ちて、全身から力が抜けていく。

 数日ぶりに。俺はやすらかな闇に身をゆだねた。


―――


 やたらと息苦しくて目が覚めた。

 せっかく久しぶりに熟睡できていたのに、いったいなんだという。


 起き上がるとすぐ横に俺の右手を握る少女がいた。

 左側に、俺の腹に頭を乗せる少女がいた。


「……おはようございます、タカヒサ様」


 目をしぱしぱさせながら右手を握っていたチファが声をかけてくる。思わず目を逸らした。

 いったい何をしていたのか。さっきまでの夢と合わせるとなんとなくわかるが、気恥ずかしくて認めたくない。


 もうひとりは突っ伏しているため顔は見えないが、個人の判別はできる。

 彼女が早朝にここにいる理由は分からないけれど。


「起きろ、坂上」


 肩を叩く。右手は握られて塞がっているので、左手で。

 一度では目を覚まさなかったが、二度三度と叩いているうちに反応が現れてくる。

 「ん……」とか「むぅ」とか言いながら身を起こす寝ぼけ眼の坂上。

 意識がさえてきたのかその目に知性の光が宿っていく。


「目ぇ覚めた?」


 声をかけると坂上はびくんと背筋を伸ばした。


「おっ、おはよう、ございます。村山先輩」


 チファと同じように挨拶をしてくる。

 俺もおはようと返した方がいいのかもしれないが、意識の一部がまどろんでいるようでとっさに言葉が出てこない。


「……二人そろって何をしてるんだ?」


 何か言わなくては、と思っていたら、口から出たのは疑問だった。

 ここは挨拶を返すべきだろうが、黙りこくっているよりはましだろう。


「えっと、村山先輩は最近気が立っているとのことだったので、寝ているうちに回復力強化の魔法をかけていました。……いつの間にか寝ちゃってましたけど」

「このところ夜になると熱を出しているようだったので、看病に」


 おそらく左腕に触れていた暖かいものが坂上の回復魔法なのだろう。

 予想はできたが、確信すると気恥ずかしさが倍増する。


「ええと、ありがとう?」

「い、いえ、当然のことをしているだけですから」


 なんとか言葉をひねり出すと坂上もそわそわし始めた。

 何か言いたげだが、言い出せないでいるように。

 やがて腹をくくったのか体の正面をこちらに向け、


「本当に、申し訳ありませんでした!」


 ベッドに頭突きをするような勢いで頭を下げた。腰は九十度以上曲がっている。

 いきなり頭を下げられても何について謝られているかよく分からない。


 おそらく昨日までの俺なら意味がわからない、さっさと出てけ、とか言ったと思う。

 けれど、熟睡したおかげか心はずいぶんと穏やかになっていた。

 今なら話を聞くくらいできる気分だ。


 頭を下げたまま上げない坂上に問う。


「坂上は何について謝っているんだ? 顔上げて、説明して」


 久しぶりに自分のものと認識できる声が出た。


「先輩への嫌がらせに気付かないでずっと放置していたことや征也くんを説得できなかったことと――」


 坂上が顔を上げて早口にまくしたてる。

 正直、何を言っているのか寝起きでぼんやりした頭ではほとんど理解できない。かろうじて聞き取れたのは最初だけだ。

 けれど、わかることもある。


「それって坂上が謝るようなことか?」


 坂上の謝罪が的外れだということだ。

 俺を殴ったのは四ノ宮が悪い。俺への嫌がらせは仕掛けてきた連中が悪い。お姫様は元凶だから悪い。

 俺に害を与えた連中が謝るならわかる。許さないけど。

 坂上は俺の味方ではなかった。

 でも、敵でもなかった。

 それどころか嫌がらせを解決するために動いてくれるつもりだったらしい。

 少なくとも俺は坂上に直接何かされた覚えはない。

 嫌がらせに気付かなかったと言うが、俺だってお披露目前まで相談もしなかった。謝られる覚えがないのだ。

 予想していた反応と違ったのだろうか。坂上はぽかんとしている。


「とりあえず、謝るのはいいからさ。状況の説明をしてもらえる? ここはどこなのかとか、俺がどうしてここで寝ているのか、とか」


 聞くべきことはいくらでもある。

 どうして四ノ宮を殺そうとした俺がベッドで寝ているのか。手当されているのか。

 そもそも、どうして生きているのか、とか。


 小難しいことを考えるのをやめて暴走したことは覚えているが、俺は勇者を殺そうとしたのだ。

 幽閉くらいされていても不思議はない。


「タカヒサ様はどこまで記憶がありますか?」


 坂上が謝り始めてから今まで黙っていたチファが口を開いた。

 四ノ宮に殴り倒されて、蹴り飛ばされて。

 殺されるくらいなら殺してやると思って立ち上がって。

 全力で首に食らいついて、お姫様に魔法で引きはがされて。


「……四ノ宮の木剣が鳩尾に入ったところまでは覚えてる」

「そうですか。では、その後のことからですね。サカガミ様、お願いします」

「はい、わかりました」


 俺が四ノ宮の木剣を食らって気絶した直後。

 四ノ宮は聖剣を抜き、倒れた俺を斬ろうとした。

 それをゴルドルさんが止めて、ウェズリーとシュラットが俺を回収。

 膠着状態に陥ったところで、嫌がらせについて調べていた坂上と日野さんが、たまたま話をしていたダイム先生を連れて現れた。

 坂上が俺の治療をして、日野さんが四ノ宮をいさめて、ダイム先生が場を治めた。

 そのあと目を覚まさない俺をマールさんとチファが介抱してくれた。

 要約するとそんな話だった。


「……嘘くせえ。あんだけ盛大なお披露目で、あれだけ集まってた連中が余興の内容を知ってたんだ。そんなふうに都合よく助けてくれるなら、あらかじめ教えてくれてよかっただろ」

「っ! チファたち先輩に味方しそうな人には伝わらないように仕組まれていたんです!」

「ゴルドルさんやウェズ、シュラ、ダイム様にマールさんも。ただのお披露目としか伝えられていなかったみたいなんです。城に住み込みで働いていますし、このところ忙しくて城下のお触れを見ることがなかったそうです。他の兵士や使用人にはタカヒサ様の口車に乗せられて操られているから伝えるな、というような命令が出されていました」


 この世界にメディアリテラシーなんてない。あるとしても商人や貴族だけだろう。

 なぜなら、必要なほど発信される情報が多くないから。

 まして封建制だ。疑問を持ったとしても下手なことを言えば処罰されかねない。

 兵士ならなおさら。おそらくこの茶番を仕組んだのはお姫様だ。王族からの命令ともなれば逆らえまい。


「……わかったよ」


 そう言うと二人はあからさまに安堵した。

 二人の言い分はわかった。

 騙そうとしている嫌な感じはしない。

 信じたいとも思う。


「けど、信用はできない」


 安堵の表情が一変。疑問と驚愕に表情が歪む。


「どうして信用できないのか、聞いてもいいですか?」

「根拠がない」


 問うチファに即答する。


「今の話が本当だとしても、それを信じるための根拠がない。都合よく話を作っているのかもしれない。もしかしたらこうして優しくすることで俺を懐柔するつもりかもしれない。また不満のはけ口に使うつもりなのかもしれない。そう思うと、信用なんかできない」


 今朝、俺を悪夢から引き揚げてくれたのはこの二人なのだろう。

 おそらく坂上が回復魔法をかけて、チファが手を握っていてくれた。

 話を信じるとすると、俺にも味方がいる。

 チファに坂上、日野さんとゴルドルさん、ウェズリー、シュラット、マールさんにダイム先生は俺の味方ということになる。


 おもわず縋りつきたくなるほど嬉しかった。

 けれど、そうするわけにはいかない。

 どれだけ優しかろうと。どれだけ高潔な人格者だろうと。

 その言動が演技でないと目に見える形で保証することは誰にもできないのだから。

 信じたいが信じるための確たる証拠がないのだ。


 邪推しようと思えばいくらでもできる。

 また同じことをされる可能性がある。

 そう考えてしまうと、自分に都合のいい言葉でも――都合のいい言葉だからこそ、信じるわけにはいかなかった。


「でもチファは――!」

「サカガミ様!」


 何事か言おうとした坂上をチファが一喝した。

 あまりの剣幕に驚く俺を尻目にチファが口を開く。


「せっかくタカヒサ様が落ち着いてきたんです。ゆっくりさせてあげましょう」

「でも今、先輩をひとりにするのはよくないです! あんなにうなされていたんですよ!?」


 くるりとこちらに背を向けるチファ。

 坂上はその場を動こうとしない。


「……悪い、坂上。出て行ってくれ」

「村山、先輩……っ」

「考えを整理する時間が欲しいんだよ。いろいろ話を聞いたけど、まだちゃんと考えられていない。さっきの話を信じるかどうかも改めて考えたい。だから今は一人でゆっくり考えさせてほしい」

「……わかりました。でも、またすぐに来ますから。治療も途中ですし」


 そう言って坂上も部屋を出る。

 治療が途中もなにも、骨は繋がり傷はふさがっている。

 おそらくときたま体を走る痛みは心因性のものだ。

 あの夢を見て、殴られたことを思い出すと一緒に痛みが蘇ってくる、といったところか。

 退室する二人の背中を、俺は黙って見送った。


―――


 自分以外誰もいなくなった部屋で考える。

 そういえばここ数日は悲観するばかりで何も考えていなかった。


 坂上たちの話が本当だったとしよう。

 それはいい。とても嬉しい。

 周り全てが敵ではなく、味方がいる。

 もしそうなら、どれだけ救われるか。


 一方で縋りそうになる自分を抑える自分もいる。

 嘘でない保証がどこにある。

 お姫様の差し金かもしれない。

 懐柔して、また不満のはけ口にでもするつもりなのかもしれない。

 あるいはこのまま死なれたら外聞が悪いから治療しただけかもしれない。

 坂上も帰る方法を盾に脅されているのかもしれない。

 チファはあれだけやられる俺を見て怖くなったのかもしれない。

 疑おうと思えばいくらでも疑える。


 けれど、話が嘘だという根拠もない。

 けれど、話が本当だという保証もない。


 ぐるぐるぐるぐる。思考は同じ部分をループする。

 起きたのは早朝だったはずなのに、いつの間にか日が暮れていた。


「ああクソ、考えるにも材料が少なすぎる」


 至った結論は情報が少なすぎるということだった。

 血糖値が低いのかと思ってチファが運んできた昼食もかきこんだが結論は変わらない。


 仮に俺を懐柔しようと考えた場合。

 俺でもやっぱりチファのような、ある程度俺と関わりがあって、俺が好意を寄せていた相手を使うだろう。

 懐柔を疑うならチファたちの話を鵜呑みにすることはできない。


「……他の人からも話を聞いてみるか」


 信用できる人物。俺を懐柔しようとしない、あるいは懐柔できないような人物。


 心当たりがある。

 魔力感知に集中して、周囲の魔力を捕捉する。勇者のバカでかい魔力がひっかかった。

 大きさから絞り込んで、居場所の検討をつける。

 いくつか候補はあるがそこは勘で。


 何日も寝込んでいたせいだろう。立ち上がってもうまく歩けない。

 俺は壁によりかかり、体を引きずるようにしながら部屋を出た。他の人にすれ違わないよう注意して。

 ある意味では信用できるその人のもとへ向かうために。


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