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21.坂上詩穂

 俺と坂上は月明かりで照らされる城の壁にもたれかかって座っていた。

 坂上の長い髪が地面についてしまっているが、いいのだろうか。

 互いの距離は数メートル。話すのに不自由なほど遠くはないが、互いに手を伸ばしても触れ合わない程度に離れている。

 少なくとも、親しみを持っている間柄の距離感ではない。むしろ警戒されている。


 俺と坂上の周囲は気まずい沈黙が支配していた。

 坂上に警戒される心当たりはある。ありまくる。

 召喚されたその日、俺はお姫様に苛立ちをブチまけた。

 さぞ攻撃的で狭量な人間に見えたことだろう。

 親しみを持って話しかけてきた日野さんこそ例外なのだ。俺ならそんな奴を関わろうとは思わない。


 初日以来俺と坂上はほとんど接点がない。

 俺は魔法の訓練も別枠なので、傍から見ているだけ。剣術の訓練にしても俺は他の勇者とはまったく違う場所で、違う内容の訓練をこなしている。

 まともに接点がなかったため好感度が上昇することもないまま『怒鳴り散らした怖い人』という印象が根付いてしまったと思われる。


 対して俺には坂上を忌避する理由はない。

 いずれ坂上は強力な回復魔法を使えるようになるだろうし、仲良くしたい理由が山積みだ。

 実務的な打算を抜きに考えても坂上は可愛いので目の保養になる。

 けどなあ……坂上みたいに気弱そうなタイプからすれば怒鳴り散らすような人物は嫌だろう。苦手意識を持たれているだろうし。


「坂上はこんな時間に何をしていたんだ?」


 沈黙が耳に痛くなってきたので分かりきった質問をする。

 答えはわかっている。魔法の練習だ。


「魔法の練習、です」


 数秒の沈黙ののち、堅い声ではあるが返事が来た。

 よかった……。無視されてるのかと思った。

 自業自得とはいえ嫌ってない相手に無視されるのはキツい。数秒返事がないだけで泣きそうになった。


「あなたは、何をしにきたんですか?」


 驚いた。

 まさか坂上の方から会話を続けようとしてくれるとは。

 こわばった声ではあるが、それだけでも十分嬉しい。

 俺は嬉々として答える。


「俺も自主練だよ。朝の訓練が雨で中止になったからその分自主練しようと思って」

「嘘。さっきまで剣の練習なんてしていませんでした。そばで剣の練習をしていたなら、いくらわたしでも気付きます」


 にべもなく切り捨てられた。

 そりゃ確かに剣を振ってなかったけどさあ……。


「坂上が魔法の練習をしていたから魔力感知の訓練に切り替えたんだよ。こっちの練習は俺ひとりじゃできないし、できる時になるべく練習したいから」


 坂上が綺麗だったから剣を振るより見ていたかった、とは言わない。

 好感度低い相手からいきなり褒められても胡散臭いだけだろう。

 ていうかそんなタラシみたいなこと言えるか恥ずかしい。


「そうですか」


 小さく短い返事。そこで会話が途切れた。

 坂上が立ち上がる気配はない。どういうつもりだろうか。


 声をかけたら返してくれる。

 特別避けるつもりはないらしい。

 せっかくの機会だ。横やりが入る心配もないし、いろいろ話しかけてみよう。

 うまくすれば評価を上げてもらえるかもしれない。

 第一印象が最悪だったぶん、何のアクションも起こさなければ評価は下がっていく。

 ならば少しでも好感度を上げる努力をしてみるべきだ。状況はこれ以上悪くなりようがないのだし。


「坂上はなんでこんな時間に訓練をしていたんだ?」


 単純に疑問だった。

 坂上は俺とは比較にならないほどの才能を、魔力を持っている。

 感知に関しても、もはやダイム先生が教える必要もない水準に達している。

 先ほど俺に気付かなかったのは俺が魔力を持たないからだ。少しでも魔力を持っていたら中庭に入った時には気付かれていただろう。


 見たところ魔力の制御にも操作にも問題はない。

 俺が自主練をするのは才能も能力もないからだ。才能を補うには努力するしかないし、能力がなければ地力をつけるしかない。

 坂上は才能も能力も持っている。俺とは違うのだ。

 なのにどうして、こんな時間にひとりで自主練をしているのか。


「あなたは、気付いてますよね。この世界は危険だって。授業も訓練も、戦うのも遊びじゃないって」

「そりゃあね。試合で木剣持った相手に殴られれば痛いし、俺なんか魔法の流れ弾で死にかねない。……ひどいものも見た」


 訓練をしていれば攻撃が当たることだってある。

 ファンタジーな世界観に浮かされたままでいるにはあまりに生々しい痛みだった。


 それに、俺は見てしまった。

 朝の訓練をしていた時だ。血まみれの兵士が馬に乗って城に駆け込んできた。

 馬から落ちながらも彼が伝えたのは、街道を見回っていた兵士たちが魔物の襲撃を受けて壊滅したとの知らせだった。

 魔物はゴルドルさんが直々に出てすぐに討伐したらしい。

 そんな話は俺の耳を素通りした。


 衝撃だった。

 交通事故なら見たことがある。血を流して倒れ伏す人を見たのは初めてではなかった。

 なのに、落馬したその人から目を離せないほどの衝撃を受けたのだ。

 彼は片腕を失くしていた。

 流れる血と固まった血にまみれていてよく見えなかったが、肩口の傷はぐちゃぐちゃに潰れているようだった。

 なぜか分からないが、理解できてしまった。

 この人は腕を食われたんだ、と。

 吐きそうになった。吐かなかったのは吐くほど食べ物が胃に残ってなかったからだ。

 俺はこみあげるすっぱいものを必死に飲み下した。


 彼は回復魔法による治療を受けて一命を取り留めたらしいが、俺が受けた衝撃が消えることはなかった。

 もしかしたら、俺もこうなるのかもしれない。

 そう思うと訓練なんて投げ出して逃げたくなった。

 今も訓練を続けているのは、かろうじて残っていた冷静さが『投げ出したらこうなる可能性が上がるぞ』とささやいたからだ。

 もしも傷口を直視してしまったら、俺は今ごろ部屋に籠っていたことだろう。


「やっぱり、あなたも見たんですね」

「あなたもって、坂上もあの人の傷を見たのか?」

「はい。回復魔法の実践だと言われて、軽い気持ちで付いていったらあの方がいました。最近は街の治療所のお手伝いをするようになっていたんですが、かじられて傷んだ肉を見るのは初めてでした」


 少し、吐きました。

 そんな坂上の独白をバカにするつもりにはなれない。

 俺が吐かなかったのは吐くものがなかったからだ。

 坂上はおそらく、腐臭すら漂う傷を、何かにかじられたと断言できる距離で見た。

 俺なら胃液が枯れるまで吐くか、気を失っていた自信がある。


「……そっか、そりゃキツいな」


 思わずつぶやいていた。

 坂上がどんな気持ちになったかなんてわからない。

 けれど、あの傷を見てしまった俺には想像ができてしまう。

 傷を負った彼には悪いが、あれは一般人が見るようなもんじゃない。


「あなたは自分のことみたいに言うんですね」

「ん? 何を?」

「今の言葉です。征也くんは『辛かったな』ってわたしを励ましてくれました。けど、あなたは自分が見たみたいに言いました」

「……悪かったな、優しい言葉をかけれなくて」

「なんで謝るんですか」


 坂上はくすりと笑った。


「征也くんの言葉は優しかったけど、なんにも実感していないものでした。あなたの言葉は優しくないけど、実感のこもったものでした。おんなじ気持ちの人がいるだけで、けっこう楽になったりするんですよ」


 それはとても大人びた笑みだった。

 俺の小動物系という印象は外れていたのかもしれない。

 ふにゃっと頼りない笑みではあっても、弱々しくはなかった。


「あの時に分かりました。あなたは当たり前のことを言ってたんだって。この世界でも人は死んじゃいます。もしかしたら日本よりずっと命が軽いのかもしれない」

「まあ、そうだろうな。今は戦争中らしいし、きっとたくさん人が死んでる。もしかしたらあの人だって生き残れただけ運がよかったのかもしれない」

「わたしも、そう思いました。だから自分で訓練しようと思ったんです。わたしの能力は回復魔法を強くする。わたしが頑張れば、みんなが大けがしても治せるかもしれない。わたしの頑張り次第で、誰も死なずにすむかもしれない。……戦争で誰も死なないなんてありえないことはわかってます。けど、いざという時に『もっと練習しておけばよかった』なんて思うのは嫌なんです」


 坂上は俺よりずっと強いのかもしれない。

 俺ならきっとそうは思えない。どうやったら自分が助かるかばかり考えただろう。

 それが悪いことだとは思わない。まずは自分の安全を確保したいと思うのは当然だ。

 坂上は「治してあげたい」とは言わなかった。自分が後悔したくないから練習すると言った。

 きっと、坂上はすごく貪欲な人間だ。

 いつの間にか持っていた力に満足せず、目標を達成するために更なる力を求めているのだから。


「坂上は欲張りだなあ」

「えっ、わたし欲張りですか? そんなふうに思われること言いました?」

「言った言った。超欲張り。見習いたいくらいだ」

「へっ? えっ?」


 坂上は急におどおどし始めた。

 さっきまでの泰然とした様子が嘘のようだ。

 やっぱりこっちが地なんだろうか。本当に真面目な時限定でスイッチが入って、さっきの大人びた顔になるとか。


「だってさ、坂上は誰かのためじゃなくて、自分のために魔法の練習をしてたんだよな?」

「は、はい」

「誰かが死んだら嫌だから、誰も死なせないための練習なんだよな」

「そうですけど、それってそんなに欲張りですか?」

「欲張りだよ。なんにもなくしたくないってのはすごく欲張りな発想だ」

「そうですか……」


 坂上はしょんぼりとうつむいた。

 戦争なんだから人は死ぬ。

 これは前提だ。ほとんどの戦闘で、あらゆる軍隊は犠牲を最小にしようと考える。だが、死傷者が出ることは当たり前とみなされる。無血開城なんて事態は異例だからこそ教科書に載るのだ。

 なのに誰も死なせないなんて欲張りとしか言いようがない。


「けど、かっこいい欲張りだよ」


 その欲張りを口にするだけなら簡単だ。

 言うだけの奴ならどの世界にもいくらでもいるだろう。

 坂上は口だけじゃない。

 凄惨な光景を目の当たりにして、打ちひしがれるのではなく目標を設定した。

 才能に恵まれ、特別な能力を持ちながらも慢心しないで、自分の目標を果たすために努力している。

 夢だけではなく、この世界の現実を見た上での言葉だ。


 うん、坂上はかっこいい。


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