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19.その日の昼食

 どうやら地味な嫌がらせは他にもあるようで、今まで食事をしていた時間がヒマになった。

 今まで食事をしていた時間が、食堂へ入れなくなったせいで空いたのだ。

 チファが休憩時間に昼食を作ってくれる。食事の時間には仕事を入れられているらしい。

 俺も食事の時間は食堂から追い出され、休憩時間を使って食事を用意、食べて、片づけまでしなければならない。


 直接ダメージを負うことはないが地味にきつい。

 時間が取れないから食事は早く用意できるものだけ。短い休憩時間を使って片づけをするには手早く食べなければならない。

 休憩時間が実質なくなるせいで食べ物が腹に詰まった状態で授業なり訓練なりを受けなければならない。眠くなるし腹も痛くなる。

 幸い……と言うつもりにはなれないが、満腹になるほど食べ物がないぶん食べ過ぎる心配はないけど。


「はあ」

「……ごめんなさい」


 溜め息をつくと目の前のチファに謝られた。

 テーブルにはチファの手料理が並んでいる。

 自分の用意した食事を見て溜め息をついたと思われてしまったのか。


「や、ごはんに文句があるとかじゃなくて、休憩時間と食事の時間が入れ替わるだけでこうもいろいろ面倒くさくなるんだなと思って」


 慌ててフォローするが、チファの表情は沈んだままだ。

 かえってすぐにフォローしようとしたのがよくなかったのかもしれない。思わず漏れた本音を隠すために急いだと思われかねない。

 むう、論より証拠を見せるべきか。

 献立は硬い黒麦のパンと野菜くずのごった煮。余っていたスープに野菜の切れ端を入れて調味料を入れただけのシンプルなもの。

 スープを飲む。先ほどの二の舞にならないよう、努めて丁寧な動作で。

 ……しょっぺえ。野菜の水分が出ることを前提に塩を足したのかもしれないが、明らかに多過ぎだ。

 しかし、正直な感想を顔に出してはいけない。

 がんばれ俺の表情筋。


「うん、うまいよ」


 その言葉が嘘じゃないことを証明すべく、俺は二口目に取り掛かる。

 ただし今度はパンをスープに浸して、だ。

 堅い黒パンはよく汁物に浸して食べられる。不自然なことはないはずだ。

 うん、それでもしょっぱい。黒パンの塩気と酸味が強くなって、さらにクセが強くなった。

 ……慣れれば病み付きになる可能性がないわけではないかもしれない。ただし高血圧には要注意。


「ほら、チファも食べなよ」

「は、はい。でも本当にいいのでしょうか」

「俺が構わないって言ってんだからいいんだよ」


 チファはメイドに過ぎない自分が国賓である俺と食事のテーブルを共にしていいのか、と言っていた。

 もちろん俺としては何の問題もない。

 国賓(笑)だし。本当に国賓としてもてなされているなら嫌がらせなんて受けるはずがない。

 むしろ一緒に食べることを推奨したい。味気ない食事もチファの顔を見ながらなら少しは美味しくなる。


「逆に訊くけどさ、俺が駄目だって言ったらチファはどうすんのさ。食べて片づける時間がさらに減るぞ?」

「それならわたしがお昼ごはんを食べなければいいのです」

「え、夕飯までしんどくない?」

「大丈夫ですよ。村では一日二食が基本でしたし。不作の年はその二食も水と塩になりますし」

「……さすが異世界」


 悪い意味で異世界情緒を感じてしまった。

 日本でも昔はそんなだったのかもしれないけど、飽食の時代と呼ばれる現代日本で育った俺には食糧難が想像できない。

 腹が減ったことはあるけど飢え死にするような切羽詰ったものではなく、成長期の体が栄養を欲する、前向きな空腹だ。


「ここの使用人は朝が早いので起きてすぐに軽く何かをつまみます。ほとんど食べられない朝の代わりに、遅い朝食として昼食もあるのです」

「なるほど、それで朝はあんなにちょっとだったのか」


 今朝のあれは嫌がらせじゃなかったのか。

 やっぱり被害妄想はよくない。

 でもそうなるとこっちに来た翌日の朝食がちゃんとしていたのは何故?


「夕食を食べなかったタカヒサ様に気を遣って、夕食を一人分とっておいたんです。……マールさんが」


 まだこちらに来て間もないのにマールさんのお世話になりっぱなしな気がする。

 この分だと気付いてないところでも助けられていそうで怖い。そのうち菓子折り持ってあいさつに行こう。


「そっか。次に会ったらお礼言っとかないとな。……ほれ、チファも早く食いねえ。時間なくなるぞ。食器洗いとか手伝うからさ、さっさと食っちまおう」

「はいっ!」


 チファは勢いこんでスープとパンを口にした。

 せき込んだ。


「……あの、タカヒサ様、嘘をつきましたね?」

「……なんのことかな?」

「とぼけないでください! このスープすごくしょっぱいじゃないですか!」

「いやあ、嘘はついていないぞ? この味付けがチファの標準なのかなーと疑問には思ったけど。塩をふんだんに使うのがおもてなしかなー、とか」

「余計な気は使わないでいいですよぅ……」


 声がだんだん小さくなる。余計とか言っちゃうあたり、チファも俺を適当に扱ってくれるつもりになったのかもしれない。

 いい傾向だ。俺への態度がいい加減になるほど周りとの差が減っていく。いっそ嫌がらせに加担してくれた方が憂いなくチファを切ってやれるんだけど。


「……ごめんなさい、わたし、また失敗してしまいました」

「いいよ、こんくらい。食べられないほどでもないし」

「でも、失敗は失敗です」


 そう言ってチファはうつむいてしまう。

 やめてほしい。せめてチファが笑っていてくれれば俺は美味しく飯を食える。

 辛気臭い顔を前に食う飯は不味い。


「……わたしは、やっぱり駄目です。家を出てもまだみそっかす。お仕事も覚えられてない」


 出てもまだ、ね。

 その辺については何も言うまい。言いたくなったらいくらでも聞くけど、あんまり深く踏み込むことじゃない。まだそこまでの仲じゃない。

 いつか話してもらえるくらい仲良くなれたら嬉しいけど。その時は真剣に聞こう。

 ま、あれだ。泣きそうな顔は見ていて気持ちのいいもんじゃない。

 辛いことばっかり思い出す独白なんて、するだけ後ろ向きになるだけだ。


「チファ、俺相手にならいくら失敗してもいいよ。俺は偉くもなんともない一般人で、付き人なんているはずもなかったんだから」


 軽い調子を作って声をかける。チファはうつむけていた顔を上げた。


「なんてったってハズレの勇者サマだ。むしろ俺を困らせるほどお姫様の覚えもめでたくなるかもしんないぞ?」


 冗談めかして言う。

 だが、これはおそらく事実だ。侍従長とかいう奴らもそう考えたから俺に嫌がらせをする。

 お姫様自身、俺の待遇だけを悪くしているのだから嫌がらせをする意思がないなんてありえない。

 それなのに、チファは目を伏せて言うのだ。


「わたしは、失敗したくないです。タカヒサ様を困らせたりしません。……少なくとも、困らせようと思って困らせたり、しないです」

「そっか。それは助かるな」


 本当は嫌がらせに加担してくれた方が楽だ。チファを不要と切り捨てて、あとは最悪日野さんあたりに泣き付けばなんとかなりそうな気がする。

 それとは別にチファがお姫様から評価をもらうチャンスを捨ててまで俺の世話をしてくれるというのは単純に嬉しいとも思う。


「なあチファ――」


 だからだろうか。気が緩んで口が滑った。


 俺がチファに嫌われて、チファが俺の敵に回るのが最善。


「一緒に頑張ってみようか」


 それがわかっていたのに、俺の口からこぼれたのはそんな言葉だった。

 やっちまった――と思った。

 俺は間違えたのかもしれない。

 少なくとも今言うべき台詞ではなかった。

 嫌われないまでも、チファがいつでも罪悪感なく俺を切れるように、好感度はニュートラル未満な状態を保つべきだ。

 こんなふうに連帯感を抱かせるような言葉が不適切だったことは間違いないだろう。

 なのに、口をついてしまった。


 ぐるぐると二つの思考が頭の中でせめぎ合う。

 俺はもっと酷い言葉でチファを切り捨てるべきだ。

 そうすることこそが最終的にチファを傷つけない道なのだから。

 けれどその選択肢を選ぶことは、実行と同時にチファを傷つけることだ。

 何も悪くない、仕事を覚えるために日夜頑張っている女の子を傷つけるなんて間違っている。


 チファのためを騙ってチファを傷つけることが正しいとは思えなかった。

 俺は、チファが傷つかない方法でチファを切り離すべきだ。


 そう考える一方で、チファを傷つけて悪者になるのが嫌なだけじゃないかとささやく自分もいる。

 否定はできない。無辜の女の子に酷い言葉を吐いて泣かれでもしたら当分は嫌な夢を見続けることになるだろうから。


 自分のためか、チファのためなのか。本当はどちらなのかわからない。

 本当はどちらでもないのかもしれないし、どちらも正しいのかもしれない。

 確かなのは、どういう意図であれチファを傷つけたくないと思ったことだけ。


「はいっ!」


 チファは一瞬だけ目を見開き、それから俺の言葉に屈託なく笑って応えてくれた。

 これだけで俺は自分が正しいことをしたと思えた。

 少なくとも今、チファは笑っているのだから。


「じゃあ急いで片づけるか。もう休憩時間終わっちまう」

「あっと、そうでした。急がないと」


 まだ先行きが明るくなったわけではない。いいとこ夜明けが近づいた程度の薄暗さだろう。

 それでも、決して不快ではない。

 すぐに明けると思えるからかもしれない。


 俺たちは塩辛いスープとパンをかきこんだ。

 二人してむせて、顔を見合わせて笑った。

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