A-2.暖かい何かと凍える予感
詩穂の話、後編。
ついてこなかった理由に触れます。
それから治療院に行く時間が増え、貴久と話す機会はなくなった。
しばらくすると決闘騒ぎがあって貴久が傷だらけになったりした。
貴久は数日、部屋に引きこもっていたが、すぐに出てきた。
理不尽に虐げられた直後だったから当たり前と言えば当たり前だけれど、他人に怯える弱さがあると知った。
けれど、折れず立ち上がる強さがあることを知った。
少し、雰囲気が変わったように見えた。
貴久は訓練や勉強をし、策を練って征也を殺さずに打ち倒し、頭おかしい訓練をしたり、フォルトが万一にも陥落した時のことを考えて結界を準備したりしていた。
やがて戦争が始まった。
フクロウ魔族、ビスティが宣戦布告に来た日の夜。中庭で貴久と話をした。
戦争が始まるというのに平然としている貴久が不思議で、尋ねてみた。
怖くないのか、と。
異世界に召喚された直後に戦いの危険性を察知していた貴久が、どうして怯えずいられるのか、知りたかった。
どうして立ち向かえるのか、分からなかった。
ぽつぽつ自分の不安を語ると貴久は静かに聞いてくれた。
「先輩みたいに立ち向かおうって気概はないんです」
「立ち向かう気概なんて俺だってないよ」
「嘘。先輩は征也くんに立ち向かいました。戦争にも備えをしてるって言ったじゃないですか。全部、立ち向かうためですよね?」
「ちょっと違うな、それ。そんな高尚な感じじゃない。四ノ宮に喧嘩を売ったのはボコボコにされて腹が立ったからやり返してやろうと思っただけ。戦争にも立ち向かってない。現実感なんてないけど危険だって理屈は分かってるから、不安から逃れるために準備してるだけだ」
ふと、貴久の横顔を見る。
頼りなく笑っていた。
その言葉に既視感を覚える。
何かが引っかかった。
今まで知っていて知らないふりをしていたことが見えてきたような。
知らず知らず、知らないことにしていた何かに触れたような。
そして、貴久が言った。
「俺にあるのはささやかな想像力と、十全とは言えない知識だけ。詰めの甘い打算を巡らせて、準備に集中することで恐怖から目を逸らしているのさ、と」
照れ隠しのように、明るい調子を作ったことが見え見えの声だった。
それを聞いて思わず笑ってしまった。
言い回しが面白かったからじゃない。
自分が知らなかったことにしていたことに気付いたからだ。
自分が誰かを治療することに必死になっていた理由に気付いたからだ。
今さらになって自覚したことがあまりにも滑稽だったから。自分という人間があまりにも浅薄だったから。
自分を嘲った。
この時に詩穂は自分という人間に新たな評価を付け加えた。
坂上詩穂は、偽善者であると。
―――
戦争が始まった。
貴久がいつの間にか戦場に出て、遺体となって戻って来た時には肝が冷えた。
絶対に死なせないと思った。
死んでいるなら無理でも取り戻すと思って蘇生魔法を使い、蘇らせた。
怪我をする兵士の手当を必死にこなした。
傷口を見ても平気、とはいかなかったけれど、ある程度は慣れた。
なんとかなりそうだと思っていた。
ちょうどそのころに戦線は決壊した。
必死に治して、逃げ遅れて。
どうしようもなくなる二、三歩手前で貴久が現れた。
バカみたいな、詩穂が考え付かなかった方法をポンポン考案し、祀子の手助けもあり無事にフォルトにたどり着けた。
貴久が仕掛けた保険を使い、フォルトごと魔族たちを凍らせる。
詩穂自身もわずかに巻き込まれたのは計算外だったが、影響は時間をかければ自力でフォルトの外に行ける範囲内だった。
地下から這い出ると戦いの音が聞こえた。
金属がぶつかり合う音。硬いものが砕ける音。
この結界の中ではほとんどの生物が凍りつくはずだ。詩穂が知る限り例外は自分と貴久だけ。
詩穂は結界の影響を受けている。それでも凍らないのは結界を起動したのが詩穂だからだ。自分の魔力で動いているうちは支配権が詩穂にある。その間なら影響を免れられる。
他の生き物は魔力を持つ限り凍りつく。
貴久は凍らないのは魔力を持たないからである。貴久以外の生き物は大なり小なり魔力を持つため、結界の影響を受けるはず。
では、戦っているのは誰か。
ひとりは貴久だった。
もうひとりは、黒い鎧を身にまとった、話だけは聞いていた魔族だった。
詩穂や貴久は知らないことだが、黒鎧の魔族は結界の影響を受けづらいよう自分自身を『調整』していた。そのためヨギと戦った後、動くまでに時間がかかった。
調整が終わった後は、結界の影響こそ受けるものの、動くことができた。
詩穂が戦っている現場にたどり着いた時。貴久が叫んでいた。
「ざっ……けんな!」
「魔王がどうとか俺が知るか! 俺は、帰るんだ! 殺したかったらてめえでやれよ、お前より弱い俺にやらせようとすんな!」
「これ以上、俺を巻き込むな!」
――ああ、本当に。その通りだ。
自分たちの問題なら自分たちで解決してほしい。
勝手な都合で無関係な人を呼んだりしないでほしい。
――あなたたちが余計なことをしなければ嫌な自分に気付かずに済んだのに。
詩穂は貴久に迫る黒鎧の魔族に氷をけしかけた。
結界設置の際に祀子の魔力を使っていたため完璧とは言えないが、結界はまだ詩穂の制御下にある。冷気と氷はある程度操れた。
黒鎧の足止めに成功した詩穂は貴久に担がれて城を出た。
フォルトから出る道中、詩穂はなんとなく貴久に自分をおぶるようねだった。
担がれる姿勢が苦しかったのもあるし、寒かったのもある。
だが、おんぶされようなんて今までの自分では考えもしないことだった。
中学校の学園祭のプログラムにはダンスもあり、異性に接触することがあった。
気持ち悪かった。
二次性徴が始まって体が女性的に成長していった。
胸が膨らみ、体のラインが全体的に丸みを帯び、柔らかくなった。
服を着ていても分かるほどに。風呂の鏡で裸を見ればより顕著に。
身体が『女の子』から『女』に近付いていることが理解できた。
よりいっそう異性から気持ち悪い視線を向けられることが増えた。
ねっとりと絡みつくような、品定めされているような、不快感があった。
同級生も、小学校のころからちょっかいをかけてきたが、ちょっかいの方向性が変わってきた。露骨に性を臭わせてくることが増えた。
ダンスで触れる時、べったりした手で偶然を装って手以外にも触れようとして来ることもあった。
時にさりげなく、時に露骨にかわすことで身を守っていたが。
ただただ、気持ち悪かった。
不快だった。自分に性的な目を向けるイキモノに嫌悪感を抱くようになっていった。
体の女性的な部分に触れられるなんて考えたくもなかったし、正直に言えば指が触れあうだけでも吐き気がした。視線には慣れていたが、それでも気分が悪いことに変わりはない。
同性にやっかみで嫌がらせを受けることもあった。迷惑ではあったが、それでもあの気持ち悪さに比べればマシだった。
治療所などで必要に応じて自分から触れるのは平気だったが、触れるのは必要最低限。自分から触れようなんて思ったことはなかった。
……の、だが。
貴久に触れられるのは嫌ではなかった。
それどころか、疲れていたこともあるが、詩穂から背負うようせがんでいた。
嫌な顔ひとつせずに背負ってくれた。
平均より身長が低い人なのに、背中は広く感じた。
長らく誰かにおぶられていなかった詩穂の思い込みかもしれないけれど。
弱点について話した時に言っていた通り、貴久は詩穂を異性として見ないようにしていた。
可愛い後輩であって、魅力的な異性としての部分は意図的に無視しようとしていた。
壁というか、フィルターのようなものを作って異性としての部分が見えなくなるようにしていた。
そのことは詩穂も感じていた。
けれど、意外と隙もあって、ときどき異性を感じて、意識から外そうとしていることがあることも知っていた。
背負っている今は太ももに触れているが、指をいやらしく動かしたりしない。
最初は普通に背負っていたのに、一度背負い直した時に不自然なほど膝に近い部分に手を回し、そこから頑なに指を動かさなかった。
顔を覗き込むと何かをこらえているような表情で、体重をかけたり息が首筋に触れる距離になると耳を赤くしたり、明らかに異性としての部分を意識しているようだった。
頑張って意識しないようにしているふうだったが、そうしていることが意識している証明である。
なんでか不快に感じなかった。
むしろ、快く感じていた。
異性として見ないようにされていることが微妙に自尊心を傷つけていたのかもしれない。
可愛いと言われてからかわれたこともあったし、やり返せることが楽しかった。
一緒に旅に出ないか、と言われた時にも嬉しかった。
それも悪くないと思った。
それどころか、楽しいかもしれないと思った。
ふいに胸がとくりと鳴ったのを感じた。
「…………わたし、ちょろいのかな」
助けられて、背負われて、危険から脱したところで誘われて、暖かな何かを感じた。
我ながらちょろい。助けてもらってあっさりそういう気持ちを抱くなんて、三流の少女マンガでもそうそうない。
けれど、心地よい気持ちだと感じた。
だったらいいかな、と思った。
どういうものかはっきり言える感情ではなかったけれど。
もう少し、この暖かさに身を預けてみたいと思った。
ゆっくりと、育んでみたらどうなるだろうと、好奇心がうずいた。わくわくした。どきどきした。
だから、貴久の提案に、
「そのお誘い、受けさせてもらいたいです」
そう答えていた。
―――
その後、貴久は征也を責めた。
見ようによっては悪役のようであったが、言っていることは正しいと感じた。
だから夏輝が激昂して貴久に掴みかかった時にもやめるよう割って入った。
夏輝が貴久を放し、征也を追おうとした時。貴久が言った。
「あんなクソみたいな偽善者、いい加減見限っていい頃だと思うんだが」
憎悪すら感じる言葉だった。
背筋を冷たいものが走った。
まるで自分が言われているのではないかと感じるほど怖かった。
……でも、分からないよね。そういう部分を見せなければ大丈夫だよね。
そう思って、付いていこうという考えは変えなかった。
先ほどまでと違い、全く心地よくない動悸を感じたけれど。
甘い見通しは一時間もしないうちに打ち砕かれた。
貴久はアルスティアの心を全て見透かしているかのようだった。
アルスティアの弱い部分を知り、それを理解していて、寄り添うように刻んでいた。
貴久が負ったという傷もアルスティアが感じている痛みも詩穂には分からない。
だが、貴久が話すたびにアルスティアの顔色が悪くなり、追い詰められているのは分かった。
「無駄な努力、お疲れ様でした」
そう言われた時のアルスティアの顔は忘れられない。
ガラスの皿のようにひび割れ歪み、砕かれた。
顔からは血の気が失われ、真っ白になり、唇は紫色になった。表情が一瞬で失われた。
人の心が折れる瞬間というのを、初めて目にした。
貴久はそれを、笑って眺めていた。
怖いと思った。
貴久がアルスティアを嫌っているのは知っている。憎んで当然のことをされたとも思っている。
だから、貴久がアルスティアの心を踏みにじったことが怖いのではない。
あまりにも鮮やかな心を壊す手際に恐怖を覚えた。
強い言葉で追いこんで押し潰すのではない。
ひび割れを見抜き、そこに負荷がかかるよう誘導し、心の支柱を折り、自壊に追い込んだ。
相手の心を読めているかのようなやり口だった。
その後、話を聞いて理解した。
強者としての立場や力じゃない。
弱者としての経験で弱い人間の心を理解できる。
貴久は弱さを知り、弱さに寄り添える人だ。
踏み込まれる痛みを知っているからこそきちんと一線を引ける。
だからこそ弱い部分を見抜くことができる。
もっとも痛むよう踏みにじることができる。
そっとそばに寄り、腹を開くように弱さを詳らかにして、さらなる弱さや醜さを引きずり出せる。的確に抉ることができる。
――なら、わたしのことも。
偽善の部分も、汚い部分も見透かされてしまうかもしれない。
さっき、貴久は偽善者という言葉に格別の憎しみを込めていた。
それほど偽善者が嫌いなのかもしれない。
それを知られたら、嫌われるかもしれない。
攻撃されるかもしれない。
怖くなった。
貴久のことを知ってみたいと思った。
自分のことを知ってもらいたいと思っていた。
けれど今は自分のことを知ってほしくない。
見透かされたくない。
憎まれたくない。
嫌われたくない。
貴久は敵でもない人を無闇に傷つけたりしない。
それが分かっていても不安だった。
ふとした拍子に見透かされ、疎まれるかもしれない。
付いていきたいという気持ちが薄れていった。
ほんのり感じた暖かさを失いたくないと感じた。
だから。
「坂上、もう一回聞くけどさ、俺と一緒に来るか?」
そう聞かれた時、寒気を感じた。
迷いを、怯えを見透かされたようなタイミングだったから。
ちょうどいいのかもしれない、とも思った。
このままついていったら怖さでどうにかなってしまうかもしれない。いつか弱さを見透かされて嫌われてしまうかもしれない。
――だったら。
「先輩とは、行きません」
ここで別れたほうがいい。
暖かさを育てるなら、焦らなくていいはずだ。
今はまだ自分の醜さに折り合いが付けられていない。
けれど、いつか。折り合いをつけて、受け入れられたなら。
その時には切り込まれても大丈夫かもしれないし、切り込まれるような隙もさらさずにいられるはずだ。
先輩だってわたしのことは嫌っていないはず。
嫌いな相手だったら旅に誘ったりしないもの。
背負っている時だって、体を預けたら複雑そうな顔をしていたけれど、それだって負の感情ではなかったはず。
整理がついていない時に近付いてしまうより、一度距離を置いた方がいい。
関係が壊れてしまったらあらゆる意味でどうしようもない。
いずれ騎士団が来るのなら、旅に出るよりここに残る方が安全だから。
アルスティアがいれば帰る方法だってあるはずだから。
そんなふうに言い聞かせ、坂上詩穂はフォルトに残ることを選んだ。
いくつもの暗い感情を抑え付けた。
まだ怪我をしている人がいるなら手当をしなきゃ、と。
心を無理矢理動かした。
わずかに残っていた怪我人を手当てして回った。
それは、詩穂の基準で測るのなら、間違いなく偽善だった。
確実に「ハズレ勇者の奮闘記」に投稿する話としてはこれで最後なので改めて完結にしましたが、小説家になろうのマナー的に、完結にした後投稿するのはありなのでしょうか。
詳しい方がいたら教えてくれると助かります。