A-1.わたしの話、先輩の話
※読まなくても問題ない話です。今後、二章で完全版を載せる予定の話の、縮小出来合い版みたいな話です。
どうして詩穂が貴久についていかなかったのか、その理由をぼんやり書いています。
活動報告で書いていた、詩穂の話、その前編です。
ダイジェスト的な形で、部分的に詳しく書いています。
本編できちんと全部読みたいという方は、読まない方がいいかもしれません。
……二章でも全部は書かないかもしれませんが。その場合は二章で詩穂の話に触れた時、あとがきにでもここへのリンクを貼ります。
坂上詩穂は偽善者である。
少なくとも本人はそう思っている。
いくら善人みたな顔をしたところで自分勝手な本質は変わらない。
誰かのために何かをすると言ってみたところで、行動の理由は結局のところ『自分のため』。自分が救われたいだけ。あるいは流されてそう言っているだけ。
昔から少しは変化したけれど、根本的な部分では昔のまま。
傲慢極まる自分勝手な嫌なやつ。
それが坂上詩穂が自分に下している評価であり。
だからこそアルスティアを放置できなかった。
村山貴久のそばにいることができなかった。
―――
その日、詩穂は日野祀子と共に昼食をとろう二年生の教室に向かっていた。
数少ない学校で仲良くしている人物であったし、ちょうど勉強でよく分からないことがあったから質問しようと思ったのだ。
「ああ、構わないよ。ご飯を食べたら資料館に行かないかい? 借りていた本の返却期限が今日なんだ」
祀子は快諾した。
昼休みが始まってすぐにも関わらずすでに空いていた祀子の隣の席に座り、小さな弁当を開いた。
勉強の質問自体は昼食を食べながらのわずかな時間で終わってしまう程度のものだったが、その後も雑談がてら資料館に付いていくことにした。
その道中。
「リコ、ここにいたんだ」
「……こんにちは、日野先輩。詩穂も」
満面の笑みを浮かべた四ノ宮征也と、表情を曇らせた浅野夏輝が現れた。
征也は詩穂にも爽やかな笑顔で挨拶し、祀子に話しかける。
祀子はそれに適当な受け答えをしつつ詩穂との雑談を続ける。時に夏輝に話を振り、会話に加えながら。詩穂の弁当箱を片付けるために一年の教室に寄って。
ある意味この少人数のコミュニティの中心は祀子だった。
もう一人。このコミュニティには三年の御神叢が加わることがある。
彼は征也と祀子の親戚とのことで、詩穂がこの三人と関わるより前からの知り合いだった。
御神家は古くから続く名家で、歴史が古い分遠戚も多い。血縁は無いらしいが、坂上家も浅野家も親戚の一部は御神家と繋がりがあるのだとか。
とはいえ詩穂は高校に入るまで御神叢に会ったことはなかったので、あまり関係のないことだが。
会話した感想も、学校に流れるとんでもない噂のイメージに反して気さくで話しやすい人、というものだった。
そんな叢は生徒会長を務めており、楽しそうに、忙しそうに雑務をこなしている。そのため詩穂が会うことは稀だ。
祀子と恋人関係であり、休日に祀子と一緒に出掛けることもあるようだが、詩穂には不思議だった。ふたりとも恋人であるという噂を否定しないし、本人に聞いた話では婚約者ですらあるとのことなのに、全くそういった雰囲気がなかった。そもそも、叢も祀子も誰かを「異性」と見ている様子がなかった。
詩穂はそんな関係もあるのだろうと思うだけだった。正直なところ、叢と祀子が付き合っていようと婚約していようと詩穂には関係ないことだから、詮索する気もなかった。
資料館で祀子が本を返却した後。本を物色し、昼休みが終了間近となり教室に戻る。その最中、暇そうにしている征也に夏輝が一生懸命に話しかけていた。征也は夏輝の話に応じながらも祀子に話しかけ、祀子も適当に返していた。
先ほどは詩穂の弁当箱を戻すために別の道を通ったが、二年の教室への最短経路は別にある。詩穂たちは今度はそちらを通った。
その経路の途中にベンチがある。放課後は使う人もいるが、昼休みにはわざわざ教室から遠い資料館に来る人が少ない。資料館の近くにあるベンチを使う人もほぼいない。
の、だが。
ベンチを使っている人がいた。
当然、学生だ。傍らに紙パックのコーヒー牛乳と購買のパンの空き袋。片手に文庫本を持ちながら、今にも舌打ちしそうな顔で詩穂たちの方を見ていた。
見覚えがあった。祀子の隣の席の人だ。つまり先輩だ。
名前は知らない。話したこともない。詩穂が見かけるのも、昼休みが始まってすぐにどこかへ立ち去る姿だけ。この様子を見るに授業が終わったらすぐに購買へ向かって、そのままこのベンチに座っていたのだろう。
その先輩はすぐに手元の文庫を開き、視線を落とす。詩穂たちを意識から外そうとしていた。
「……ここに来ていたんだ」
ぽつりと祀子が呟いた。
祀子は先輩の方を見ていた。
珍しいな、と思った。
詩穂が知る限り祀子が誰かに興味を示すことは稀だ。同級生に話しかけられることがあっても名前すら覚えていないことが珍しくない。征也とは普通に会話をするが、それだって征也と親しいからというより、知っている人に話しかけられるから、といった様子。
その祀子が興味深そうに先輩を見ていた。
親しいのだろうか。席が隣だし、教室ではよく話すのだろうか。
ぼんやり考えながら歩いていると、急に先輩が動きを見せた。
詩穂たちが前を通ろうとした瞬間、不意に冷たい手で背筋をなぞられたようにびくりと震えたのだ。
恐ろしい手早さで文庫を閉じ、ゴミを雑に引っ掴んで立ち上がろうとする。
ちょうどその時、祀子が先輩の前を通った。
祀子は先輩を見ていた。
目が合う。
素早く動いていた先輩の動きが一瞬、止まる。
その瞬間。
詩穂たちの足元が輝きだした。
何が起きたか。考える間もなく光が爆発的に広がり、意識が体ごとどこかに飛ばされるような感覚があった。
それは一秒足らずの出来事。
光が消えた後には、誰かがいた痕跡もなくなっていた。
―――
ベンチに座っていた先輩は、村山貴久というらしい。
妙な方向に冷静な人、というのが第一印象だった。
明らかに尋常じゃない事態に直面し、直面した事実を受け入れられずに慌てるのではなく、受け入れて現状を整理しつつ困惑しているようだった。
詩穂がおとなしくしながらも内心でパニックを起こしている最中にも冷静に自分たちを召喚したというアルスティアの話を聞き、質問をし、現状把握に努めていた。
すごいな、と思っていたけれど。
「どうしても何もテンプレすぎるんだよお前らは!」
それまでの冷静な態度はどこへやら、帰る方法を詳細に聞いた直後、テーブルをバンと叩いて立ち上がり、アルスティアを怒鳴りつけた。
不満をぶちまけ、異世界の事情は自分に関係ない、自分たちに解決できない問題に直面したなら潔く滅べと。
アルスティアが黙っていると椅子を蹴り飛ばし、アルスティアに近寄っていった。
征也が止めなければそのままアルスティアを締め上げかねないくらいの剣幕だった。
止められた後、おとなしく自分の席に戻ったが、詩穂の印象は変わっていた。
冷静に情報を蓄え、顔色ひとつ変えず、唐突に怒り出す人。
気持ちは分かるけれど、浅慮で粗暴な人なのかもしれない。
そう思うと少し怖かった。
そこから貴久の態度が変化した。
従順で冷静な態度から、目に見えて否定的で反抗的な態度になった。
お前たちの言うことなんて誰が聞くか、と態度が物語っていた。
夏輝や征也に反論されても平然と強い言葉を叩きつけ、頼まれていることは殺戮だと話していた。
その視線は強く、怒気は恐ろしく、詩穂はわずかに身を縮めていた。
アルスティアが力を貸してほしいと頭を下げて頼み込むと征也が応じた。
夏輝はそれに追従した。
詩穂も、貴久の圧力から逃れるために早く話を終わらせようと、事実上頷く以外の選択肢はないのだから頷いた。
祀子とぽつぽつ話してから、貴久はいかにもしぶしぶと言った様子で「わかったよ」と言った。
―――
詩穂は防御魔法や回復系統の魔法に適性を持っていると分かった。
それを磨くために勉強をした。
征也や夏輝が習う魔法とは系統が違うらしく、ジアというクラシカルなメイド服を着た女性に習うことが多かった。
勉強に必死だったこと、貴久に好感を持っていなかったことから、召喚された日に会う以来合わなくなった貴久がどうしているかなんて、考えもしなかった。
ある程度治癒魔法と回復魔法を理解し、非常に大きな魔力を持つことから高い治癒力を持つようになった詩穂は、ある日勉強中に呼び出された。
急に重篤な怪我人が出たから治してほしいとのことだった。
ジアに頼みに来たようだったが、ジアは経験を積ませるため詩穂にやるよう言いつけた。
詩穂も、実践は大事だ、という程度の考えで従った。
そして、見た。
『重篤な怪我人』を。
片腕を失くした兵士を。
鉄臭さと生臭さと獣臭さをを漂わせる人を。
肩から先のほとんどを失い、服を赤黒く染める人を。
ジアは手袋をつけ、詩穂にもつけるよう促し、赤黒くなった服を破いた。
つんと鉄臭さが強くなる。
破いた服の奥には、ぎざぎざに千切れた腕があった。
今までに見たことも想像したこともない傷口だった。
「魔物に食いちぎられたようですね。この様子では再生は不可能です。傷口を殺菌し、治癒させてください」
何事もなく言うジアに傷口を見せられ、喉の奥からすっぱいものがこみ上げてきた。
咳き込み、少しだけ吐いた詩穂に。
「治療に携わる立場になればこういった傷を頻繁に見ることになります。もっとひどい傷を看ることもあります。……それでも、あなたは大丈夫ですか」
ジアは殺菌と止血をしながら淡々と言った。
冷たいとは思わなかった。
むしろ、今なら引き返せると言ってくれている気がした。
同時に貴久が言っていたことを理屈と感情で理解した。
この世界は危険だ。
確かに異世界から連れてこられた自分たちは強い力を持っている。
けれど、もしも気が付かないところから、こんな傷を作り出す魔物に襲われたら。
魔法を使う前に殺されてしまうかもしれない。
戦うということは自ら戦場に向かうということ。
危険の渦中に飛び込むこと。
正気の沙汰じゃない。
魔法を使えるようになって征也と夏輝ははしゃいでいた。詩穂だって魔法を使えると分かり、実際に使ってみて、はしゃいだ。
けれど魔法を使う場所と時と目的をよく考えていなかった。
こんな傷を負いかねない場所で。
ふとした瞬間に死んでしまうかもしれない中で。
傷と向き合い、傷を作るために魔法を使う。
嫌だ、と。
怖い、と。
関わりたくないと。そう思った。
「……やります」
大丈夫です、とは言わなかった。
大丈夫なんかじゃない。
けれど、やらなければならないことだ。
祀子は友人。征也や夏輝もあんなであっても友人みたいなもの。
何かあったら治せるようになっておきたかった。
それに、こんなものを見てしまったら、■■■■■に■■していなければ、■■で■■■■■■■しまう。
最後に無意識のうちに考えたことは忘れ、目の前の傷に集中した。
兵士の傷口は、きちんと塞ぐことができた。
その後、いても立ってもいられなくて、中庭で魔法を使う訓練を始めた。
そこに貴久が現れた。話をした。
印象は変わった。
詩穂と話す時、貴久に粗暴な雰囲気はなかった。
それどころか柔く優しく話しかけ、詩穂の愚痴のような話を聞いてくれた。
共感してくれた。
慰められるより心が軽くなった。
特別関わりがない相手には普通に接するし。
勝手なことをされたら怒るし。
誰かをからかうこともあるし。
怒鳴ることもあるし。
優しいこともするし。
そんな、普通の人。
可愛いと言われることが嫌いだった。
可愛い可愛いとちやほやするくせに、それ以外の価値を認めない。
世間一般には褒め言葉なのだろうが、まるで見下されているように聞こえるようになっていた。
それでも別にいいと思っていたけれど、そのうち可愛いと言われるのが嫌いになっていた。
征也たちと関わるようになって、可愛いだけでは嫌だと思い始めていた。
外見以外に価値が欲しかった。
だから可愛いと言われるたびに二重の意味の屈辱を感じていた。
けれど。貴久に言われる可愛いは、そういう嫌な感じがしなかった。
視線にも嫌なものを感じなかった。
昔からずっと、思春期を迎えてからは特に、周囲の男から気持ち悪いべたつく視線を受けることが増えていたが、貴久からの視線はそういったものを感じなかった。
叢に向けられる目に近い、けれどもっと別な視線。
不思議と心地よかった。
屈辱なはずの「可愛い」にも暖かなものを感じた。
貴久は最後に応援し、詩穂が死ぬのは嫌だと言ってくれた。
わたしもそうだと思った。この先輩がいなくなったら嫌だな、と。
だから怪我をしたら治すと叫んだ。
村山先輩、と背中に呼びかけると貴久はひらひら手を振った。
貴久は弱い部分に寄り添ってくれるけど、べったりくっついたりはしない。
少なくとも詩穂にとっては適温の距離感だった。
物事をしっかり考えることができて、粗暴な部分もあるけどそうじゃない部分もある、いい先輩。
そんなふうに思った。
嫌いじゃなかった。
※わりと勢いで書いてる話です。二章投稿時にはまた改変するかもです。間違っている部分がある可能性も否定しません。