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101.あとしまつーa

忘れている方がほとんどと思いますので、先に登場人物の紹介をひとつ。

バスク……フルネームはバスク・ゼルネーゼ。アルスティアの護衛騎士であり、四ノ宮征也の指導教官、決闘騒ぎの審判などを務めていた。

 保険の効果範囲を抜け、フォルトの西側。街道周辺。

 そこにはフォルトから避難した人々がいた。

 魔族との戦争が始まって数週間が経っている。すでによその街に逃げた人も多かったのか、フォルトの街の規模に比べたら人数は少ない、と思う。

 避難した人たちは一様に困惑しているようだった。

 彼らは呆然と俺たちが来た方角を見ていた。

 氷に覆われたフォルトの街を。


 呆然とするのも困惑するのも当たり前。断続的に戦闘が発生しているとはいえ戦い自体は終始優勢だったのだ。街にもそう伝えられていたはず。なのに急に避難が始まり、フォルトは氷に閉ざされた。帰ってきた兵士は出陣した数の半分にも満たない。

 現実がどうなっているのか想像できても受け入れたくないという人だっているだろう。

 今も結界が生きていることが救いか。黒鎧を仕留められたか確認せずに逃げてしまったが、結界も城も壊れる気配はないから大丈夫なはず。

 ……生き死にを確認できていない時点で黒鎧が生きてるフラグだが。

 まあ、倒せてなくても結界を維持できていれば問題ない。


「ムラヤマ様! ご無事だったのですね! この惨状はいったい……」


 チファたちの無事を確認しようと、坂上を背負ったまま集団に近寄る。

 するとお姫様が声をあげてこちらに向かってきた。その傍らにはジアさんとバスクが控えている。


「ああ、なんとか無事だよ。今フォルトがどうなってるかはあとで説明する。それより……お」


 辺りを見回すとチファがぶんぶん手を振っていた。その隣にはウェズリーとシュラット、マールさんもいる。

 よかった。万が一にも保険に巻き込まれたりしていなくて。


「お姫様、日野さんは?」

「ヒノ様でしたらダイムと話しておられます。……他に誰かお探しですか?」

「あとは浅野とバ……四ノ宮だな」

「でしたら、あちらに」


 お姫様が手で示した方には四ノ宮が座り込み、浅野がそのそばに立っていた。


「わかった。やるか」

「! ええ、お願いしますわ」

「先輩?」

「坂上が気にすることじゃない。それより歩けるか? チファたちがいるところに治療所の人たちもいるから、無事を伝えてやりなよ」

「……はい」


 どこか釈然としない表情ながらも坂上は俺の背から降りる。預けていた太刀を受け取り、魔法の袋にしまう。坂上がきちんと歩けていることを確認してから四ノ宮がいる方へ早足に歩く。

 お姫様はにやりと笑う。俺を止めたりしなかった。

 こんな状況でも余裕をお持ちのようだ。まあ、おおむねお姫様が予想している通りのことをしに行くんだが。


「四ノ宮」

「あ、村山……あんたも無事だったんだ」

「……村、山?」


 歩きながら声をかけると先に浅野が俺に気付いた。ボロボロではあるが目立った怪我もなかった。

 続いて四ノ宮がこちらを向き、力なく立ち上がった。

 俺は足を速めて駆け寄る。


 そして全力で、四ノ宮の顔面を殴りつけた。


「あっ、がっ!」

「征也!? あんた何を……!」


 四ノ宮が変な声をあげて後ろに倒れ込む。その隙に右拳を戻しがてら四ノ宮が腰に提げていた聖剣の柄を掴む。自然、聖剣は鞘から抜けた。

 転がってしりもちをついた四ノ宮は信じられないものを見る目を俺に向ける。

 ……俺が信じられないのはお前の性根だよ。なんでこの期に及んで被害者みたいなツラができる。

 ぶわっと腹から全身に熱が広がる。怒りと苛立ちが混じりあって殺気になる。

 抗議の声をあげた浅野は無視。俺は抜身の聖剣を掴んだままつかつかと四ノ宮に歩み寄る。


「四ノ宮。お前にほんの少しでも恥じ入る気持ちが、申し訳ないって気持ちがあるなら首を出せ。刎ねてやる」

「な、なんで……!?」

「なんで、じゃねえだろクソ馬鹿が! この惨状を引き起こしたのは誰か、分かってないとは言わせない!」


 怒鳴りつける。

 叱るのではない。こんなバカを叱ったところで矯正なんてできやしない。さっさと間引いてしまうのが世のため俺のためだ。

 俺の大声を聞いてフォルトから避難してきた人々の視線がこちらに集まるのを感じる。


「山ほどの兵士を殺したのも、フォルトを陥落に追い込んだのも、全部お前だろうが!」


 周囲でどよめきが起きる。

 そりゃそうだ。アストリアスを救うために召喚された勇者サマが自分たちを追い込んだなんて聞いたら、普通は驚く。


「お、俺じゃないだろ!? みんなを殺したのは魔族だ! フォルトを守れなかったのだって、俺だけのせいじゃない!」

「……確かに殺したのは魔族で、守れなかったのは俺たち全員だ」

「そ、そうだろ!?」


 自分のしでかした現実からか。周囲の目からか。俺の詰問からか。

 なにから逃げたいのか分からないが、四ノ宮は言い逃れを始めた。

 俺が肯定してやると安堵したように喰いつく。

 この状況で俺がお前を肯定すると思っていることが脳ミソお花畑の証明だ。


「だけど、死なせたのはお前だ」


 もっと早くに俺が察していれば。

 他の兵士が警告を手早く広げていれば。

 兵士の精神のケアが行き届いていれば。

 犠牲者はもっと少なくて済んだかもしれない。そういう意味で俺や生き残った兵士たちは『助けられなかった』。

 兵士たちを直接『殺した』のが魔族と魔物であるのも間違いない。

 だが。


「あのまま追撃せずにいれば、少なくとも今日フォルトが陥落することはなかった。兵士の大半もお前に扇動されていなければ死ななかった。……兵士を死地に追いやって、状況をこれほど悪化させたのはお前だよ、四ノ宮」


 『死なせた』のはこいつだ。

 言って、へたり込んでいる四ノ宮に聖剣の切っ先を向ける。

 四ノ宮がひっと喉を鳴らした。

 なんて情けない。なんて無様。

 これが勇者? は、バカじゃないのか。こいつのどこに勇気がある。

 冷ややかに四ノ宮を見下していると、俺の前に浅野が割り込んできた。


「ちょっと村山!? 怒るのは分かるけど、落ち着いて! 本当に征也を殺す気なの!?」

「殺した方がいいだろうな。こいつのせいでフォルトは落ちてこの人たちは住む場所を失ったんだ。お咎めなしじゃあ収まらないだろ?」

「かもしれないけど……それを決めるのはあんたじゃないでしょ!?」


 浅野の言うことは正論だ。俺に四ノ宮への罰を決める権利はない。

 だが、四ノ宮の行動をいい加減腹に据えかねているのも確かだ。こいつの考えが俺には理解できない。想像して、予想して被害を防ぐのは難しい。

 もうこいつに煩わされるのは勘弁だ。権利がどうとか知ったことか。


 浅野の後ろにいる四ノ宮を見る。

 目があった。

 四ノ宮はとっさに目を逸らしながらも青ざめた顔で俺を見ている。かちかちと歯の鳴る音が聞こえる。

 汚名を返上するとか名誉を挽回するとか考えている人間の顔じゃなかった。

 目の前の失敗とその報いに怯えるだけの、負け犬の顔をしていた。


 ……ああ、これなら理解できる。


 殺すのはやめだ。

 腹に満ちていた殺意が変質する。

 四ノ宮を殺せと燃え盛っていた怒りはどろどろに溶け、冷たい軽蔑によって別なかたちに固まっていく。


 ちらりと周辺を見る。避難してきた人たちはほぼ全員が俺たちを見ていた。

 お姫様と目が合った。にこりと笑って一歩前に出ようとしたので、それを片手で制す。お姫様は怪訝な表情を見せるも俺に考えがあると思ったのか、おとなしく従った。


「その通りだな。決めるのは俺じゃない」


 引き下がり聖剣を魔法の袋にしまった。

 俺が四ノ宮と視線の高さが同じになるようしゃがみこむと、浅野は拍子抜けしたように引き下がった。


「お前をどうするのか決めるのは、お前のせいで父親を、夫を、友達を、きょうだいを亡くし、居場所を奪われた人たちだ。なあ、そうだろう!」


 最後のひと言は周りのみんなに聞こえるよう大きく、視線を集めるよう身振りを交えて言い放った。

 四ノ宮の前からどいてそれまで俺の体が遮っていた視線に晒す。


 視線は十分に集まっている。

 おまえのせいで兵士は死んだと、フォルトは陥落したと、四ノ宮に言い聞かせた。

 おそらく周りの人たちは実際に何が起きたのか理解していない。それらしいことが聞こえたから、大きな声で促されたからこちらを見ているだけだ。

 だが、それで十分だ。


「……っ、ひ……ッ!?」


 同じ光景を目にしてもその時の気分や状況次第で見え方が変わる。

 今この状況。四ノ宮には集まった視線が自分への批難に思えることだろう。

 しりもちをついたままだった四ノ宮が顔を引きつらせる。手足を必死に動かして『みんな』から距離をとる。


「さあ、お前が勇者だって言うなら向き合ってみろよ。お前がもたらしたこの惨状と」


 言われなくても四ノ宮自身わかっているだろう。

 自分が余計なことをしたから大勢死んだ。人々はフォルトから避難しなくてはならなくなった。

 だからこそ憔悴している。

 そこに塩を塗り込む。

 嫌な現実を突きつける。しでかした罪を強調して歌い上げる。


 浅野が立ち塞がる以上殺すのは難しい。

 それでも構わない。俺だって人殺しなんてしたくないし、必ずしも殺す必要はないのだ。

 余計なことをしないでくれればいい。今後、俺に関わらないでくれればいい。

 自尊心が強いやつは徹底的に自尊心を傷つけ、挽回する隙を与えなければ勝手に壊れていく。


 どうせこいつには罪と向き合って立ち直るような、自尊心に見合った心の強さはない。

 少し曲がったら折れてしまうような弱い心しか持ってない。

 だから今、二度と余計なことをしないよう、きちんと心を抉り取る。


「ひっ…………ぁっ!」


 結果として四ノ宮は慌てて立ち上がり、俺に、自分を見ていた周囲の人々に、背を向け駆け出した。

 四ノ宮征也は自分がしでかしたことからも、それを責めるものからも、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。


「これで勇者を気取っていたのかよ。くだらない」


 あまりに無様な結末を鼻で笑う。

 ひと思いに殺されるより、惨めな自滅の方がこいつにふさわしい。

 死ねとは言わない。せいぜい悔いて、苦しんで、何もできず死んだように生きていろ。

 そうすればお前を生かすか殺すか、お前に奪われた人が決めてくれるよ。


「っ! 誰か、追いなさい!」


 後ろでお姫様が四ノ宮を追跡するよう指示を出す。それを聞きながら醜態をさらす背中を眺める。

 無性に溜め息をつきたい気分になった。


「――気が済んだ?」

「うん?」


 静かな声で問いかけられた。


「これで、気が済んだのかって聞いてるのよ。征也を追いこんで、今までの憂さは晴れたのかって」


 浅野だ。こちらを見ずに、もう見えなくなった四ノ宮の背に視線を送りながら語りかけてくる。


「ああ……はは、気持ちは、晴れないな」


 晴れるはずがない。

 自分を守るために力をつけ、四ノ宮を利用しようとした結果がこれなのだ。

 日野さんや坂上に頼らなくては自分の身を守ることすらおぼつかない。利用しようとしていた四ノ宮によってゴルドルさんは死地に放り出された。保険が機能したことが救いだが、アレを実用可能な完成度にしたのは俺じゃない。

 俺の行動は全て無意味だった――とまでは言わないが、結果的に望んだ結果を得られなかった。取りこぼしだらけだ。


 徒労感が強すぎる。

 二度目の決闘の時と同じ。

 前線を維持するために魔族を蹴散らしたり、黒鎧をひきつけたりと結構頑張っていたつもりだが、結局は誰かの行動ひとつで無意味になる。

 それも今度は俺が欲しかった結末とはまるで違った形に変えられてしまった。

 俺の気分を曇らせているのは、努力をしても結果に結び付けられない無力感と、積み上げたものが台無しになった徒労感だ。

 今までに何度も味わった、ここ数年ご無沙汰だった感覚だ。


 四ノ宮を殴ろうが殺そうが壊そうが気が晴れるはずがなかった。

 四ノ宮は気分が曇る要因のひとつであって正体じゃない。攻撃することで四ノ宮への怒りや苛立ちを解消できても、それ以外は消えてくれない。


「そもそも、四ノ宮への復讐とか俺の中ではとっくに折り合いついてたし」

「じゃあ、なんで、何のために、征也をあんなにしたのよ。フォルトが落ちたことを怒ってるんじゃないんでしょ……?」

「なんでも何も……」


 四ノ宮は兵士を扇動し、魔族の罠にかかることでフォルトが陥落する原因を作った。それだけで死刑になってもおかしくない失態だろう。

 四ノ宮のせいで死にかねない状況に追いやられた俺は、現状は四ノ宮のせいだと喧伝し、糾弾した。

 事実の告発だ。正当な報復だ。


 ――ああ、でも。それだけじゃないか。


 やりどころのない感情をぶつける場所を求めた。

 四ノ宮に対する怒り以外のものも、四ノ宮にぶつけた。

 ならばこれは、


「八つ当たり、かな」

「ッ!」


 自分の考えへの答えが出て、それを口からこぼしてしまった。

 浅野が弾けたようにこちらを向き、両手で俺の胸倉を掴む。

 その目にはうっすら涙が滲んでいた。


「魔族を食い止めてる氷の結界を作ったのはあんたなんでしょ」

「俺は発案しただけだよ。実際に式を組んだのは――」

「発案したってことは、こうなることを見越してたんでしょ」

「まあ、ありうるとは思ってたな」


 起きてほしくない可能性のひとつとして予想はしていた。

 陥落した場合に備えておくことで陥落フラグを折ったつもりだったが、逆に保険を使うフラグになっていたとは。

 現実逃避気味にぼんやり考える。


「黒鎧の魔族のこととか、ティアの考えとか、あたしなんかと違ってなんでも分かるのに、どうしてこんな……征也を追い詰めるのよ! もっと別なことが、もっとうまくできたんじゃないの!?」


 浅野は俺に詰め寄るが、俺を見ていない。俺をなじりながらも次第に首は落ちていき、最後には下を向いていた。

 俺に向けた言葉ではあるのだろう。

 俺だけに向けた言葉ではなさそうだが。


「もっと別なことってのは、たとえば……お前と謝りに来た四ノ宮を許して『これからは協力していこう』って声をかけたりか?」

「!」

「そうしていれば四ノ宮は俺の忠告にもっと耳を傾けていたかもしれない。こんな事態を引き起こす前に踏みとどまれていたかもしれない。客観的に見たら、四ノ宮を許して成長するよう促すのが最良だったんだろうな。……ああ、それは分かってた」


 青春ドラマが好きそうな四ノ宮のことだ。顔面を一発殴って「これでおあいこだな。これからは仲良くやろうぜ」とかうそ寒いことを言ったら喜んで受け入れたことだろう。

 素晴らしい先輩ならきっと、後輩の過ちを笑って許して正しい方向に導くのだろう。

 そんな先輩の言葉なら四ノ宮も耳を貸したかもしれない。


「分かってたならどうしてそうしなかったのよ……っ!」


 浅野が再び顔を上げる。真正面から強い視線を浴びせられる。

 俺はそれを一歩遠い場所から眺めているような気になった。浅野がどれだけ熱を込めて怒ってきても、その熱はまるで届かない。


「そうした場合、俺の感情はどうなるんだ?」


 べったりと重い声が出た。

 いつもと違った響きなのに、戸惑うことなくこれが自分の声だと認識できた。


 浅野は目を見開く。

 気付いたのだろう。

 浅野の言い分は浅野の感情だけでできていて、俺の感情をまったく考慮していなかった。


「客観的にはこれが正しいんだろうって道は分かってた」


 甘やかす浅野だけではなくて、厳しく接する俺もいれば四ノ宮は成長しやすかっただろう。もしかするといずれは本当の意味での勇者になれたかもしれない。魔王を倒したかもしれない。

 きっとそれが四ノ宮にとって、フォルトにとって、アストリアスにとって、この世界にとって最良の選択だった。


「けどさ、どうして俺が自分を犠牲にしてまで正しい選択をしなくちゃいけなかったんだ?」


 主観的にはあそこで四ノ宮の謝罪を受け入れるなんてありえないことだった。

 だから謝らせなかった。

 客観的にどれだけ間違っていようが、俺にとっては当然の選択だった。


 俺には四ノ宮のためを考える義務も、この世界の行く末を考える義理もない。

 もちろんチファたちが生きる世界である以上滅んでもらっては困る。だから魔王軍対策として半永久的に機能する足止めを発案した。

 俺がするのはそこまで。チファたちのためなら身を削る選択肢も考慮に入れるが、四ノ宮のためとか人族のために自分を犠牲にするなんて論外だ。

 フォルト防衛に協力したのは俺自身の目的とチファたちの安全のため。これ以上を俺に求めることが筋違い。

 自分に濡れ衣着せてさんざん殴ったやつを許せるほど心が広くない。石と罵声を浴びせかけた人々のために身を粉にするほど人間できてない。できるとしたらもはや聖人君子だ。それすら通り越してドMかもしれない。


「そもそも、なんでもなんて分からないしな。四ノ宮がここまでバカでここまでやらかすと分かっていたら、二回目の試合の時に殺してたよ」


 浅野は何か言いたそうにしていたが、歯を食いしばってぐっと飲みこんだ。

 俺の言い分を理解してくれたのだろう。

 だが、納得はしていない。胸倉を掴んだ手はそのままだ。


「手、放しなよ、夏輝ちゃん」

「……詩穂」


 どうしようかと思っていると、坂上が声をかけてきた。わずかに浅野の手が緩む。


「今回悪かったのは先輩じゃないよ。征也くんの自業自得。みんなの頑張りを全部無駄にしたのは征也くんなんだから、責められて当然だよ。先輩に当たるのは違うと思う」

「詩穂、あんた……!」


 いつになく辛辣な坂上の言葉に浅野の意識が坂上に向く。


「学校じゃ征也に助けてもらってたくせに、あっさり見捨てるじゃない……! 他に強そうな男が見つかったから、今度はそっちに媚を売るってわけ?」

「ひどい言い方。わたしは男の人に媚を売ったことなんてないよ。勝手に寄ってくるだけ」


 浅野は俺の襟首から手を放し坂上に向き直る。

 対面する坂上と夏輝の雰囲気はおそろしく剣呑だ。

 ……もしかして、仲悪いのか?

 そういえば、この二人が二人だけで話している場面に遭遇したことはなかった。浅野は四ノ宮と一緒にいたし、坂上は日野さんと一緒にいた。

 どっちかが日野さんみたいに部屋に籠っていたなら別だが、同学年で仲良い同士だったら、普段から会話くらいするもんじゃないのか?


「それに、征也くんのおかげで助かったことはあるけど、夏輝ちゃんほどじゃないし」

「あんただって征也がいなかったら孤立してたくせに!」

「わたしはべつにひとりでもよかったもの。助かったっていうのも夏輝ちゃんが思ってるのとは別なこと」


 坂上のことは芯のある清らかで可愛い後輩みたいに思ってたけど、認識を改めよう。

 会話の端々から起きたことを想像するしかできないが、どうにもこうにもキナ臭い。

 考えてみれば当たり前のこと。清らかなだけの人間なんているわけない。坂上は見た目が良い分面倒に巻き込まれることも多かっただろうし。

 芯があって可愛いことは変わらないが、綺麗な花には棘があると思っておこう。


「兵士の人たちからも話を聞いたけど、先輩が言ったことは事実みたいじゃない。違うなら征也くんの一番近くにいた夏輝ちゃんが言えばいいんだよ」

「……ぅ」

「わたしだって、怒ってるの。わたし、征也くんのせいで死にかけたの。今まで必死に助けた人が、たくさん、死んじゃったの。少しの感謝なんかじゃ帳消しにできないことをされたの。それなのにわたしが、征也くんに味方するはずないでしょ」


 坂上の言葉から言い知れぬ圧力を感じる。

 実際、坂上は戦場でかなり危うい状況に陥っていた。戦場で大量の兵士が死んだが、その中には坂上が助けた人もいたはずだ。

 努力を台無しにされて命を危険にさらされたら誰だって怒る。

 浅野は言い返さない。少しの間口をもごもごさせ、


「……ごめん。今、関係ないこと言った」


 坂上に小さく頭を下げた。

 それから浅野はちらりとこちらを見て、言った。


「村山も。今八つ当たりしたのはあたしだった」


 浅野は俺と坂上から目を背け、四ノ宮が走り去った方を向いて、走り出す。


「浅野!」


 その背中に声をかける。

 浅野は怪訝な顔をして振り向いた。


「お前はまだ四ノ宮のそばにいてやるのか? あんなクソみたいな偽善者、いい加減見限っていい頃だと思うんだが」


 偽善者という言葉には自分が思った以上に悪意がこもった。

 びくりと坂上が震える気配。それほど怖かっただろうか。


「……村山、あんた、さ」


 だが浅野は俺の問いかけに言葉を濁すだけだった。ただ、言いづらそうにしている。


「誰かに恋したこと、ある?」

「はィ?」


 素っ頓狂な声が出た。

 何をいきなりセンチメンタルというかリリカルというかファンシーというか、この場と状況にそぐわないことを言い出すのか。

 そんな感情をはっきり顔に出した自覚はあるが、浅野は真面目な表情を崩さない。

 俺もきちんと答えるべきか。


「……人並み程度にあると思う」

「じゃあ、それは本気の恋じゃないって思う」


 浅野は間髪入れず否定した。

 まあ、俺がした恋なんて小学生のころにした淡いものだけ。中学以降はろくに考えもしなかったことだから、しょうがないのか?


「だって、少なくともあたしには、恋した相手を見限るなんて発想がないもの」

「あれだけの失態を犯してもか」

「どれだけの失態もあたしが征也を好きな限り、あたしが征也を見限る理由にはならないの」


 即答の断言ときた。

 恋なんて曖昧なものを根拠にした不確かな理由のくせに、これほど強固とは。恐れ入る。

 笑いそうになった。嘲笑ではない。どういった笑いか自分でもよく分からないが、陰性のものでないのは確かだ。

 理解できないし理解したいとも思わない。そんな類のいびつさだが、これもある種の強さだろう。


 俺は魔法の袋に手を入れて、そこからもうひとつの魔法の袋を取り出す。

 浅野に一歩近付き、袋を掴んだ手を突き出す。


「この中には食糧がいくらかと、お前の部屋にあったものがまるごとぶち込んである。やるよ」

「……いいの? あんたがあたしにこんなのくれる理由、ないと思うんだけど」

「確かに。好きか嫌いかで言ったらお前のこと嫌いだしな、俺」


 笑って言うと浅野は顔を引きつらせた。面と向かってあっけらかんと嫌いと言われるのは珍しかろう。

 ここから聞かれたら困る内容が入るので声を抑える。


「けどまあ、嫌いかどちらでもないかって聞かれたらどちらでもないって答えるくらいには見直してる。同じ世界の人間のよしみも合わせて盗品を譲ってやろうって思う程度にな」

「と、盗品」

「気にするな。それと今、その袋には薬を入れた。睡眠薬みたいなものだから四ノ宮が早まったことをしようとしたら飲ませてやれば? あんまり飲むと記憶が混濁する副作用があるらしいから、そこには気を付けてな」


 前にジアさんからお姫様の企みを詳細に聞いたのだが、その時に出てきた薬だ。俺に投与するつもりだったらしいそれは、即効性があって麻酔としても使えるくらい強力な代わりに飲み過ぎると直前の記憶があいまいになるらしい。

 浅野はわずかに眉を顰めながら俺を見る。


「……あたし、あんたのことが嫌いよ。征也を追い込んだことや、いろんなことを見通せるくせに自分のことばっかり考えてるとこが。……あたしが言えたことじゃないけど」

「そうかよ」

「こうして助けてくれたり、あたしが征也を助けられるように手を回してくれることも。……これじゃあ憎むこともできないじゃない」


 浅野は視線を落としながら袋を受け取った。

 表情は暗い。ぎり、と袋を強く握りしめていた。


「……でも、これはありがと」


 それからぼそりと言って、まっすぐ走り始めた。


あと2話+1話で本編終わり。

もしかしたら補足みたいな話とかを入れるかもしれません。

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