98.発動
ふわりと地面に降りたった日野さんに対する反応はさまざまだった。
苦笑いして迎えた俺。俺が助けた時に坂上が感じたやるせなさがちょっと理解できた。あんなに簡単に完膚なきまで状況を打破されたら立つ瀬がない。
坂上はふらついていた。背中を支えた拍子に顔を見てみると、わずかに笑っていた。安堵だろうか。
泣きそうになって喜ぶ治療所の面々。
ひきつった顔で迎える兵士たち。俺と同じような感想を持ったのだろう。あるいは結界があっても遠慮なく魔法を撃ちこまれたことに引いてるのかもしれない。
「日野さん、フォルトの状況は」
「話はあとで。すぐに魔族が集まってくるから」
言って日野さんは俺たち全員を宙に浮かし、それから説明を始める。
「フォルトは今、半壊といったところ。ウェズリーくんが避難するよう伝えるのとほとんど同時に黒鎧の魔族が結界を破壊したんだ。幸い人的被害はないようだけれど、街に入り込んだ連中を倒すのに手間取ったよ」
「じゃあフォルトの中も安全とは……」
「言えないね。今もヨギさんと黒鎧の魔族が戦っているよ。住民は戦場とは反対側の門から外に出た。なんでか魔族は街を囲んだりしてこないからね」
フォルトを包囲してこない。
変な話だ。囲んでしまったほうが攻撃しやすいのに。
考えられるとしたらビスティがフォルトの占拠だけを目的にしている場合くらい。大群で押し寄せ、逃げ道を作ることで住民に立て籠もらせず奪取する、とか。在り得ない話ではないと思う。たぶん。
「……肝心要の城は?」
「無事だよ。普通の魔族は街に深く入り込む前に処理できたし、黒鎧の魔族は城を攻撃することが目的じゃないようだから」
「じゃあ、保険は使えるな」
良かった。要のある城が崩れていたら保険も無駄になるところだ。
「じゃあ、さっそく発動といこうか。張り直した結界は黒鎧に破られたものほど強くないからそう長く魔族を食い止めていられない。村山くんたちの後ろに味方はいないよね?」
「ああ。いても生き延びていないと思う。ゴルドルさんが戦場に残っているかもだけど、あの人ひとりなら回収できる範疇だ。本人からも了承もらってる」
「分かった。それなら」
保険は魔法だ。そのため起動は日野さんか坂上に任せることになる。
日野さんも坂上も、自分たちを殺しに来た魔族ならともかく、フォルトを守ろうと必死になっていた兵士を巻き込みたくはないだろう。俺でもしたくない。
結界をすり抜け、城壁を越え、俺たちはフォルトの街に戻ってきた。
おおお、と帰ってこれたことに兵士たちも声をあげるが、すぐに落ち着いた。
フォルトの街は人気がなくなり、街並みもところどころ壊れている。道に人の死体が転がっていないのは幸いか。
「避難はうまくいったみたいだな。でなきゃ街中血みどろのはずだ」
「……あの、遠くで暴れ回ってるのは?」
「師匠と黒鎧の魔族だな」
人死にがなかったのは幸いか、と見下ろしていると兵士が街の一角を指さした。
師匠と黒鎧がめまぐるしく動き回りながら戦っている。師匠は青っぽい何かを、黒鎧は体から噴き出す黒い霧状のものをまとっている。
ちょくちょく街を壊しているが、住民は避難しているようなので仕方ないで済ませてヨシとする。
眺めているうちに街中にビキッと不吉な音が響き渡った。
フォルトを覆う結界が壊れかけていた。まだ半壊程度だが街に入り込んでくる魔族がいてもおかしくない。急がなくては。
「保険の起動は私がするよ。詩穂は消耗がひどい。魔力はともかくひどく疲れているようだから」
「だな」
保険が発動しても予定通りの効果が出るとは限らない。
大量の魔族相手に有効な力を持っている日野さんには力を温存しておいてもらいたいところだが、坂上には無茶をさせ過ぎている。もう休ませた方がいいだろう。
「……いえ、わたしがやります」
日野さんが来てから眠ったように黙っていた坂上が口を開いた。
「わたしよりリコさんの方が魔族に強いです。なら魔力を残しておいた方がいいです。
保険の起動は要に魔力を流し込むだけですよね? それなら今のわたしでも問題ありません」
「……分かった。じゃあ頼む」
可能であれば些少は無茶でもやってもらいたいのが本音。坂上の言葉に甘えることにした。
その分、俺も坂上のためにできる無茶があれば惜しむつもりはないが。
「日野さん、保険を使う直前に師匠に見えるように氷魔法を撃ってほしい。師匠には保険のことを説明してあるから、それで伝わるはずだ」
「了解だ。急ぐよ!」
俺たちは日野さんに連れられ、要のある城に急行した。
―――
城はもぬけの殻になっていた。ウェズリーがうまいこと誘導してくれたらしい。
「シュラット、俺たちは今から保険を発動させる。チファたちを連れて先に避難してるやつらのところに向かってくれ」
「あいよー。……もうこっからあぶねーことはなしだな?」
「魔族がいないフォルトの街を抜けるだけだ。保険に巻き込まれると危ないから、ちょっと急いでくれればそれでいい」
「分かった。信じたからなー?」
「タカヒサ様、ありがとうございました。ヒノ様も、サカガミ様も、お気をつけて」
シュラットやチファたちを見送って、ダイム先生が要と魔法陣を設置した部屋のある地下に向かう。
設置に使ったのはすでに使われていない地下牢だ。日野さんが捕まえた魔族を拘束するために使われていたが、あいつが処理された今では誰も使う者がいない。
奥の地下牢には魔法陣と簡素な手紙が置いてあった。ダイム先生からのものだ。
『避難誘導と護衛のために私は城を離れます。住民はすべて避難させているため、すぐに発動させても問題ありません。頼まれていた囮は一階の隅に隠してあります』
おそらく全員の誘導を終わらせてから一度城まで戻って来たのだろう。これで住民を巻き込む心配はなくなった。
「……村山くん、囮というのは?」
「ここにあるのと同じ魔法陣をもうひとつ設置しておこうって話になってたんだよ。魔力結晶とつないでいかにも結界の要っぽく装ってあるやつ」
要が壊れたらこの結界は消えてしまう。それを防ぐために身代わりを作ってくれると言っていた。
結界の影響を受けづらいよう加工した魔力結晶を魔法陣に直結。魔力結晶を壊したら魔力が拡散し、破壊した張本人を凍らせる仕組みだ。気休め程度だがないよりいい。隠してあるのは、その方がいかにも本物っぽいからである。ダイム先生ならほどよく見つけづらいところに設置してくれているだろう。
「それじゃあ坂上、頼めるか」
「はい」
疲弊していても魔力は十分に蓄えた坂上が頷き、魔法陣の中心に跪く。
坂上が魔力を通すと魔法陣が青く発光し始めた。
光は一気に強くなり目を焼かんばかりになり、そしてすぐに消えた。
「まさか失敗ですか……?」
「いや、これでいい。……はず」
少しだけ不安になるも、すぐに払拭された。
坂上の足元の魔法陣が一度消え、部屋が明滅し始めた。
日野さんが使っていた、増幅と負担回避の魔法陣に繋がったのだ。
すぐに足元の魔法陣にも再び光が灯り、こちらも不安定に明滅する。
フォルトの魔法陣は日野さんが酷使してきたためか軋むような感覚がある。
「魔力の供給を続けて大丈夫ですか!?」
「構わなくていい。どうせフォルトを奪われたらこの魔法陣だって魔族に使われるんだから、いっそ壊した方がいいくらいだ」
坂上が魔力供給を続けていると、今まで魔力を吸い取るだけだった魔法陣の様子が変わる。
要の魔法陣もフォルトの魔法陣も輝きが安定してきたのだ。
室温が急速に下がっていく。日野さんに至っては服に霜が降りている。
「発動、成功しました! しましたよね!? 先輩とリコさんは早く逃げてください!」
「……そうだね。ここにいたら凍死してしまいそうだ」
「坂上も魔力の供給が終わったら即逃げろよ。危ないと判断したら要も保険もほっぽって逃げていいから」
「あはは、そうします」
俺と日野さんはこちらを振り返り微笑んだ坂上を背に城を出る。
城の外はすでにあちこち凍り付いていた。
余波を受けただけの城の地下ですら相当な低温になっていた。本来の標的である地表があの程度で済んでいるわけがない。
俺たちが仕掛けていた保険。それは俺が対四ノ宮戦で使おうと思っていた魔法の応用だ。
魔法陣の効果範囲内にある魔力を冷気に変える術式。形式を変えて威力を上げ、効果範囲を広げた特別版である。
発動に膨大な魔力を必要とする代わりに一度発動すれば自然にあふれる魔力や範囲内に踏み込んだ生物の魔力を用いて半永久的に作動する大結界。足を踏み入れたものは魔力を持つ限り凍りつく。
俺が作った保険用の術式はもっとチープだったのだが、ダイム先生が手を入れたことでえげつない威力になっていた。
無差別に魔力を凍らせていくので早く逃げないと俺たちも巻き込まれる。
結界は発動後しばらく発動者の魔力で動く。そのため坂上だけは結界の影響を受けないが、それ以外は冷気で凍えてしまう。
「っと、ヤバいな。俺も精霊魔法を使っておかないと巻き込まれる」
体に宿していた下級精霊に生命力を流し込む。それが魔法発動の合図となり、閃光が発生した。
これで俺の体には魔力がない状態になった。結界の中にいても凍る心配はない。
そうこうしている間に日野さんが空に氷魔法を放つ。遠くで戦っていた黒鎧と師匠だが、師匠が黒鎧を弾き飛ばして離脱する。
見る間に凍っていく街。街を覆っていた結界も保険に巻き込まれて凍りつき、魔族がぶつかる衝撃で砕けていく。
きらきらした銀色が降り注ぐ。
幻想的な光景だ。こんな状況でなければ見惚れていたかもしれない。
「村山くん、悪いんだけど、早く逃げよう……?」
「あ、わる……日野さんヤバくないそれ?」
「ヤバい。とてもヤバいから今すぐ逃げたい」
日野さんの顔にまで霜が降りていた。歯が合わずガタガタ震えている。
日野さんの魔力は大きい。保険を仕込む段階で魔力を提供しているので影響は少ないはずだが、このままでは凍死しかねない。
魔力を持たない俺は「とても寒い」程度で済んでいるが、それでも寒いことに変わりはない。さっさと――
「――逃げる前にやんなきゃいけないことがあるよな、俺は」
「村山くん?」
「日野さん、俺に構わず先に行け。俺はやり残したことがちょっとたくさんある」
忘れていてはいけないことがいろいろある。
それを片づけなくては後腐れなくフォルトを捨てられない。
「……うん、手伝った方がいいのかもしれないけれど、ごめん」
「俺ひとりで十分だよ。ていうかそんな顔してる人に手伝えなんて言うつもりもないから。早く外に出なよ」
日野さんの顔はすでに霜だらけ。唇は真っ青。長い睫毛も凍りかけている。今にも凍死しそうな有様だ。手伝えなんて言えるはずがない。
「何をするのか分からないけれど気を付けて。私は先に失礼するよ」
そう言ってものすごい速度で飛んで行った日野さんを見送り、俺は戦場に戻る。
時間が経つにつれて結界の威力は上がり、城門近くにいた魔族は全て氷像になっていた。
体内に貯蔵している魔力にも作用するよう威力を遠慮なくあげた魔法陣だ。仮に動けるものがいても長くはもたない。
やがて俺はゴルドルさんと別れた場所にたどり着く。
おそらくゴルドルさんも凍り付いているだろうが、今すぐ掘り出して外で手当てすれば大丈夫なはず。それほど嫌な予感もしないから死んでいることはないだろう。
――と、甘く考えていた。
別れた場所にゴルドルさんはいなかった。
戦いながら移動したのだろう、と思った。
近くを探してみても見つからない。あるのは凍りついた魔族の像ばかり。ゴルドルさんどころか人族をまったく見かけない。
極寒の中、焦りだけが増していく。
ひたすら走り回って、走り回って、ようやくゴルドルさんの大剣を見つけた。
大剣は刀身を半ばほどで折られた状態で地面に刺さっており、血に塗れていた。
あの白骨魔族を斬っても血はつかない。ということは――
……いや、白骨魔族を倒した後に他の魔族を斬り、その後に折れたのかもしれない。
そう思い剣を中心に探してみたが、ゴルドルさんも、白骨魔族も見当たらなかった。
直感が囁いた。
探しても無駄だと。
もういない、と。
「……くそ」
無力感と後悔が押し寄せてくる。怒りがこみ上げてくる。
やはりあそこで俺も残った方がよかったのではないか。
ふたりで白骨魔族を倒して坂上を助けに行けばもっと良い結果になっていたのではないか。
四ノ宮のバカが余計なことをしなければこんなことになっていなかったのに、と。
最後は八つ当たりが混じっていると自覚している。ゴルドルさんを置いて去った時点でこうなる可能性は想像できていたのだから、怒りの矛先は自分にも向けるべきだと理解している。
けれど四ノ宮のせいというのも一面の事実だ。あいつが兵士を扇動していなければこんなことになっていないはずだ。
「……くそっ!」
もう一度毒を吐いて、せめて折れた大剣だけでも回収して、踵を返す。
魔力がないから凍らないが寒さの影響は受ける。長居して自分が凍死したら本末転倒だ。この保険は俺が自分の身を守るために仕込んだものなのだから。
――ああ、でも。
さっきまで凍えそうだった体はすでに寒さを忘れていた。
再び城に向かう道中。気温はさらに下がっているのに、腹のあたりは熱かった。
煮えくり返っていた。
人を殺さなかったことを後悔する日が来るなんて思ってもいなかった。
―――
城に戻りやるべきことを片付けた俺は、最後の仕事に取り掛かることにした。
「よう、黒鎧。……名前はエメシト、だったか」
城の廊下。目の前に立つのは真っ黒い鎧を着こんだ魔族。
今は鎧も傷だらけ、体のあちこちが氷におおわれている。
こいつが唯一最大の懸念事項だった。
何度か戦う中でこいつが自分の魔力をぶつけることで魔法を無効化していたことは分かっている。
もしも黒鎧が結界の影響を受けないとしたら、せっかく張った保険の結界も壊してしまう危険がある。
実際に見てみると体のあちこちが凍っていた。結界に抵抗はしているようだが無効化まではできていない。
これなら放っておいても大丈夫だろう。
「さんざんお世話になったからな。決着を付けに来たぞ」
――こいつが城に向かっているのでなければ。
黒鎧は俺が城での作業を終えた直後に城に入った。
この結界の要が城にあると感づいて来た可能性がある。
大暴れして城を倒壊させ、要を破壊する可能性がある。
それはさせられない。
この結界の中では俺が圧倒的に有利。魔法は放ったそばから凍っていくし、逃げてるだけでも相手に消耗を強いることができる。
今後、これ以上の好機は来ないだろう。
可能であれば黒鎧を仕留める。
『―――――――――』
黒鎧は無言のまま身構えた。
武器は作らない。作ったそばから凍りつくことを理解しているのだろう。
俺は短い方の剣を抜き、構える。
廊下は天井が高いとはいえそれほど広くない。長物はかえって邪魔になる。
「鍛えてもらっておいて悪いけどさ。俺の安心のために死んでくれ」
注意を俺に引き付けるためわざと強い言葉を使う。
全身凍りつつある、それでもいささかも威圧感を衰えさせない黒鎧は。
俺の言葉が引き金だったかのように、踊りかかってきた。




