Ex.四ノ宮征也
12月30日 3時30分ごろ更新。二話目。
異世界に来てしばらくすると、四ノ宮征也は怯えるようになった。
魔王軍にではない。
村山貴久にである。
貴久は特別な力を何も持たない、ただの一般人だった。
周りもアルスティアもそう言っていたし、貴久自身も認めていた。
召喚された直後に征也は貴久と会話したが、好きではないと思った。
だが、どうでもよかった。
意見の対立こそあったが、貴久が積極的に自分と敵対しようとしなかったからだ。
貴久の方からちょっかいをかけてくるのでなければ特に関わるつもりもない。
征也にとって貴久はその程度の存在だった。
ひっかかる点があるとすれば、ひとつ。
日野祀子が気にかけていたこと。
祀子はあまり他人に興味を示さない。その祀子が自分から話しかけ、笑顔を向けていた。
ざらつく不快感がつのった。
この時点で征也は貴久を嫌っていた。
困っている人がいても助けようとしない。
それどころか潔く滅べと言うようなやつ。
気に入らないことがあれば怒鳴り散らす狭量さ。
必死な人に対しても冷酷な態度をとる人間。
なにより、祀子に手を出すような男。
学年が先輩であっても敬意を払うに値しないと判断した。
それでも貴久を痛めつけようとは考えていなかった。
単なる弱い者いじめになる。それは征也の倫理観でも『正しく』ないことであったし、祀子も許さないだろうから。
手を出すきっかけになったのは貴久が女給たちにきつく当たっていると聞いたこと。
立場を盾にして誰かを傷付けるなんて『正しく』ない。
一度、強く言ってやろう程度に考えたが、すぐに気が変わった。
自分につけられた幼い女給をことさらひどく扱っていると聞いたからだ。
間違っている。最低だ。
その子を助けなければならない。
なぜならそれが『正しい』ことだから。
征也の中で貴久はろくでもない人間だった。
しばらく会わずにイメージは固着、デフォルメされていた。
事実をもとに征也の主観で構築された『村山貴久』は、征也の中では女給を虐待しても不思議はないくらいの悪人になっていた。
征也はアルスティアが持ちかけた懲罰の計画に乗った。
どうせ痛めつけるのであれば、他の部分にも有効活用した方がいい。
そう考える頭の端には、無自覚ながら、自分の正しさを大勢の人に認めてもらいたいという願望があった。
しかし、結果としてアルスティアの計画は失敗した。
貴久は痛めつけられても立ち上がり、牙を剥き、征也を殺す寸前まで来てしまった。
アルスティアの魔法によって事なきを得たが、貴久を庇う少女を見てしまった。
自分が間違っているのではないか、と考えてしまった。
ああ、失敗した。
間違えてしまった。
負けてしまった。
強くなければいけないのに。
正しくなければいけないのに。
間違え負けて失敗する人間なんて、正しくないし強くない。
祀子たちに改めて会うのが怖かった。
征也は部屋に籠った。
アルスティアがたびたび訪れ、征也の抱いた後悔を捻じ曲げた。
結果、貴久への憎しみに変わっていった。
逆恨みの八つ当たり。正当な理由なんてひとつもない理不尽な悪意だと、心のどこかで理解しながら。
二度目の試合で、今度こそ征也は惨敗した。
それでも立ち上がった。
立ち向かった。
正しさはなくしてしまった。
もう一度負けて、強さまでなくしてしまったら。
きっと、見てはもらえない。
自分は強い。
自分が勘違いしたとしても、理由はきっと別な誰かにある。だから自分は間違っていない。
自分に言い聞かせ、ひび割れた強さを砕けた正しさで補強し立ち上がった。
それを、浅野夏輝がいさめた。
夏輝は止めてくれた。
認めてくれた。
間違えても正しく在れると言ってくれた。
弱い部分を知っても見ていてくれた。
試合中に貴久が言っていたことの意味を理解できた気がした。
ため込んでいたいびつな悪意は溶け、征也は自分の負けを認めた。
アルスティアの誘導で生まれた悪意が消えても、貴久のことは嫌いだったが。
その嫌悪はアルスティアとは何ら関わりのない部分で征也自身が作り出したものゆえに、溶けても心にこびりついていた。
やがて、戦争が始まった。
征也は最前線で聖剣を振るった。
たくさんの魔族を倒した。
自分がいなければもっとたくさんの戦死者が出ていただろうと自負していた。
それは正しい。征也が最前線で魔族を減らしていなかったら、魔族の波にのまれる兵士はもっと多かっただろう。
たくさんの兵士に感謝された。
自分は強く、正しく居られていると、安心できた。
しかし、何度か戦いを繰り返すうちに変わっていった。
兵士たちから貴久を認めるような言動が増えたのだ。
魔族に殺されそうになっているところを助けてくれた、とか。
怪我をして動けないところに魔法薬を持ってきてくれた、とか。
ムラヤマタカヒサのおかげで無事に帰ってこれた、とか。
勇者としての地位が揺らぐのを感じた。
祀子も坂上詩穂も貴久がしている何かに協力し、信頼を抱いているようだった。
取り返しのつかない何かを奪われているかのような焦燥感を抱いた。
黒鎧の魔族も征也の心に闇を落としていた。
貴久は単独で黒鎧と戦って、押しとどめていたらしい。
ならば自分もできなければならない。
そう思って挑んだものの、あっさり負けてしまった。
あげく、黒鎧は征也から興味を失ったように去っていった。
お前は弱い、用はない、と言われているような気になった。
みんなに、村山貴久がいればお前はいらないと言われているように思い込んでしまった。
どうすれば挽回できるだろうか。
どうすれば強くなれるだろうか。
どうするのが正しいのだろうか。
そんな真っ当な考えは焦燥感で狂っていった。
どうすれば村山貴久以上の功績を挙げられるだろうか。
どうすれば村山貴久より強くなれるだろうか。
どうすれば四ノ宮征也が正しいとみんなに言わせることができるだろうか。
魔族を倒せばいい。
至った結論はそれだった。
フォルトに攻めてくる魔族を殲滅すれば貴久の出番はなくなる。
自分は特大の功績をあげられる。
誰もが認めてくれる。
きっと、自分を見てくれる。
思いのほか魔族が弱かったことも手伝って、征也は追撃を決行した。
夏輝にも相談していなかったので、とても驚かれた。
やめた方がいいと言いながらも夏輝は征也についてきてくれた。
周りの兵士たちも思う存分魔族に追撃をかけられないことに苛立ちを感じているようだったから、ついてくるように言った。
好きに暴れればいい。自分の討ちもらしを倒してくれるなら一石二鳥だ。
そんなことを考えた征也が、逃げる魔族の背に接触しようとした瞬間。
地面の魔力が蠢いた。
征也は知らないことであるが、戦場となっていた平野の幻素密度は異常に高まっていた。
原因はフォルト軍が蹴散らしていた木偶魔族である。
木偶魔族は単純な動きだけを仕込まれた下級精霊――魔力の塊である。倒された木偶魔族の魔力はその場に滞留。一面に広がっていた。
ビスティは戦場で放たれる無数の魔法を隠れ蓑にして、自分が任意に起動できる魔力を仕込んでいたのである。
征也はとっさに防御魔法を発動した。
次の瞬間には視界が光に埋め尽くされていた。
衝撃が奔る。
即席の防御魔法では防ぎきれず、征也と一部兵士は吹き飛ばされた。
大部分の兵士は征也の魔法の範囲におらず、自ら防ぐ術も持たなかったために粉砕された。
「いったい、なにが……?」
征也は呆然と目の前にそびえる幾本もの光の柱を見上げた。
何がどうなって、結果はどうなったのか。
理解が及ばなかった。
光の柱が消えた時、そこに味方は誰もおらず、無数の敵がいた。
全てが敵で、自分を、自分が生きていることを否定するものだと分かった。
「ひっ――!?」
征也は逃げた。
近寄る魔族を魔法で無理やりに蹴散らし、走った。
離れた場所に飛ばされていた夏輝が自分を見つけ、呼びかけていることに気付いても答えなかった。
逃げることに必死だった。
魔族からも。
決定的に間違えてしまった現状からも。
目を背けてしまいたかった。