挿話.酒は飲んでも
フォルトに戻ると酒宴の準備が始まっていた。
気が早い兵士はまだ料理もできていないのに酒を飲み始めている。
さっきまで目の前で人が死に、自分の手で生き物を殺していたのに、よく飲み食いする気になるものだ。
「だからこそ、よ。今回の戦いでも死者が出たわ。戦友に死なれた人もいる。酒を供えて弔って、自分も飲んで勝利を祝うの。
でないと心が淀む。淀んだ心で怯えていたら、次は自分が死ぬことになるわ」
隣の師匠が教えてくれた。
「そんなものですか」
分からなくはない。
俺自身、フォルトに戻ってくるまでに異臭を嗅ぎ続け、気分が滅入っている。
魔王軍は撤退したのだから、今回の戦いも勝利と言えるはず。
けれど勝利を喜ぶ気になれない。
魔王軍との戦いはまだ続くだろう。それなのに、勝った時にも気分を沈めていては心がもたない。
消耗を防ぐためにも、しっかり勝利を喜ぶべき。
滅入った気分を盛り上げるために酒を飲むのかもしれない。
しらふで喜ぶことが難しい人ほど勝利の美酒が必要なのだろう。
「そんなものよ。じゃ、あたしは報告もあるから行くわね」
そう言った師匠と別れる。
さて、俺はどうするか。
一風呂浴びて寝たいところだが、チファやウェズリー、シュラット、ゴルドルさんの安否も気がかりだ。嫌な予感もしないし、大丈夫だとは思うけれど。
先にフォルトに戻っているはずのチファのところに顔を出すか。おそらくチファのところにウェズリーとシュラットもいる。
救護所の面々も緊急の怪我人の手当をできるだけの人員を残し、フォルトに帰っていた。
フォルトまで戻れるような怪我人なら、わざわざ救護所の備品を使わなくていい。手間を省くためにもフォルト内で手当てされる。魔力感知を使うと坂上も無事に戻っていることが分かった。
フォルト内の救護所を探していると、背中に声がかけられた。
「おう、ハズレの! お前も無事だったか!」
聞きなれない声。誰だよ。
俺は自分をハズレと呼ぶ友人を持った覚えはない。
ふり返ると酒の注がれたグラスを掲げる兵士がいた。
「あ、ヒサ! よかった、無事だったんだね」
「おお、ウェズリーか。ちょうどよかった、探してたんだよ。無事か?」
「おかげ様でね。今回は黒鎧と出くわさなかったし」
「そりゃ何より。……で、そこに転がってるシュラットは?」
ウェズリーに向けていた視線を下げると、丸まって寝ている赤ら顔のシュラットがいた。
寝ている理由はなんとなく分かるので、心配はしないが。
「酔いつぶれてるだけ。心配ないよ」
「潰れるの早いな」
「僕も驚いたよ。水割り二杯でこれだもの」
苦笑する俺にウェズリーも苦笑を返す。どうやらシュラットは酒に弱い性質らしい。
「っと、そうだ。ゴルドルさんを知らないか? 黒鎧にぶっ飛ばされてたからちょっと心配なんだけど」
「無事だよ。大暴れしてたし、さっきは僕らに酒をふるまって、今は偉い人たちの会合に行ってる」
ゴルドルさんも元気、と。よかったよかった。
師匠が報告するってのもその会合かもしれない。
「それじゃあチファは? ちゃんと戻って来てるよな」
「あったりまえだろ? そうでなかったら僕らものんきにしてられないよ。救護所の手伝いで忙しそうにしてたけど」
「そうか。じゃあ今は顔を出さない方がいいな」
チファも無事。
ならばさほど急ぐこともない。後でいくらでも挨拶できる。
日野さんは戦場には出ていないし、レナードさんは先ほど酒宴の準備に駆けまわっているのを見かけた。
戦いに関わった主な知人の安否は確認できた。
遺体を見て悪くなった気分が落ち着くのを待てば、ゆっくり寝られそうだ。
「じゃあ、俺は城に戻ってるよ。ウェズリーもあんまり飲み過ぎるなよ」
「うん。これくらいにしておく」
「なんだよハズレの、お前も飲んでけよ」
帰ろうとしたら酔っぱらいに絡まれた。
赤ら顔の兵士はすでに結構な量を呑んでいるようで、息が酒臭かった。
「俺が勇者としてハズレなのは認めるけど、そう呼ばれて気分がいいもんじゃないんだが」
「じゃあ名前教えてくれよ。おれらァ勇者の一人がハズレだってしか聞いてねェんだよ」
「……村山貴久」
「おう、ムラヤマか。じゃあ飲めムラヤマ」
酔っぱらい兵士がホレ、とコップを差し出す。
どうして俺が飲まなきゃいけないのか。
因果関係が分からないが、酔っぱらいに説明を求めるだけ無駄だろう。
かといって、これを受け取った場合。腰を落ち着けてちびちび飲んでたら絡まれそうだし、一気飲みしたらもう一杯とエンドレスで注がれる未来しか見えない。
どうしたもんか。
ああ、でも酔っぱらえば気分の悪さも緩和されるのか?
なら飲むのも悪くないか。絡まれるのは御免だが。
俺は兵士の差し出したグラスは受け取らず、素通りした。
「ちっ、なんだよ、おれの酒が飲めねー……!?」
そして、兵士の傍らに置いてあった酒瓶を引っ掴み、ラッパ飲みした。
辛い。酒のにおいが鼻に抜けて、鼻に水が入った時みたいになる。舌と喉がひりひりする。喉から頭に熱が上っていくような感覚があって、ひとくち飲むごとに脳ミソがしびれていく。
むせ返りそうになるのを気合いで飲み下し、瓶に半分ほど残っていた酒を飲みほした。
「いただいた。それじゃ俺は戻らせてもらうよ」
「お、おう、気ぃつけてな? ていうか大丈夫か? 強い酒を割らずに一気に飲んで……」
「大丈夫だ。ひっく」
ちょっと顔がカーッと熱くなって、頭がぐわんぐわんして、体に力が入らない程度だ。
ああ、ちょっと気分が上向いてきたかもしれない。わーっとなってぐぎゃーって感じだ。
酔っぱらいたい気持ちがちょっと分かった。
「いや大丈夫じゃねえだろどう見ても! 足元もおぼつかねえし」
「うるさい、大丈夫だって言ってるらろ。酒ら、酒を持ってこい!」
「呂律も回ってねえし……おいウェズリー、魔力に余裕あるか? 水出してくれよ」
「それくらいなら平気ですけど。でも、酒じゃないと怒りだすんじゃ」
「酔っぱらいにまともな味覚なんかねえよ。水と酒なんて区別できんから大丈夫だ」
こんな会話を聞いたような気がするが、いまひとつ判然としない。
翌日。介抱してくれたチファが言うには、
「酔いが回ったらすぐに寝てしまったようです。お酒はきちんと控えめにしてください」
返す言葉もなかった。
それほど強いわけでもないのに一気に酒を煽ったからか。楽しい気分の代償なのか。
翌日は昼過ぎまで胃のむかつきと頭痛に悩まされた。
教訓。酒量をわきまえて楽しく飲もう。
※お酒は二十歳になってから!
この世界では、水より腐りづらい酒を保存のきく水分として確保していることがあり、未成年者の飲酒も法律で制限されていないという設定です。
ですが、経験則で子供のうちから飲酒してるとパーになりやすいと知っているため、未成年者の飲酒は避ける風習があります。