92.戦場へ
黒鎧の戦い方を参考にした技の習得、熟練に時間を費やすこと数日。
三度、魔族が動いたという報せがあった。
「んー…どうしようかな」
それを聞いてちょっと悩んだ。
ゴルドルさんが言うには、トラウマにならないうちに戦いに出た方がいい。
どこかで戦場に出ろと言われたような気もしている。
一方。いざという時に戦うつもりとはいえまた戦場に出るのもちょっと。
戦い自体はわりと平気でも散らばる死体を見るのがきつい。
こないだはすぐに黒鎧戦に集中したためほとんど見ずに済んだが、食われかけの人とか見るのはなかなかこたえる。
「ムラヤマ様が出る必要はございませんわ。もしもまた死んでしまうようなことがあったらどうしますの?」
首をひねっているとやわく責めるように言われた。
「分かってるよ。でも、何もしないってのもちょっとな」
正面に座る金髪のクソ女に適当な言葉を返す。
俺はお姫様の部屋に来ていた。お姫様が手ずから淹れた茶をいただきながら雑談する。
「けれど、もしも、万が一ムラヤマ様が死んでしまったら元も子もありませんわ。あなたが死んだという話を聞いた時、わたくしがどれほど肝を冷やしたか……!」
お姫様の手に握られたカップがきしむ。握力すげえ。
言っていることは確かだ。死んだら元も子もない。危険な気配を避ければそれほど問題ないとは言っても、戦場に出れば当然に危険はつきまとう。
黒鎧の真意を確かめたい気持ちはある。思いついた戦い方を実戦で試してもみたい。
でも、それは命をかけてまでしたいことじゃない。
「……あれ、そういえばどうしてお姫様は俺が死んだことを知ってたんだ?」
「どうしても何も、噂で。兵士を中心に少々広まってますわよ。ハズレの勇者が一度死に、蘇ったと」
「え」
なぜだ。どこから漏れた。
チファとウェズリー、シュラットは口止めされている。レナードさんはウェズリーかシュラットが話を通してくれたはず。ゴルドルさんが知っていたのは実際に死体を見たから。坂上が知っているのは俺を蘇生させた張本人だから。師匠は俺が生き還る前にゴルドルさんから聞いたのだろう。
他の人に話した覚えはない。日野さんにすら秘密にしているのだ。
では、情報の流出はどこから?
「ムラヤマ様。あなたはそれなりに有名なのですよ? 戦場で死に、その場で蘇ったならまだしも、遺体が運び込まれた救護所には兵士が山ほどいたのです。遺体を目にした人全員の口を封じてありますか?」
「……いや、無理だ。俺は死んでたから誰が見てたかなんて分からない。分かっても相当締め付けなきゃ誰かの口から漏れる」
人の口に戸は建てられぬ。
人間、口が堅いやつばかりじゃない。口が堅いやつでも酒を飲んだ拍子にぽろっと秘密を漏らしてしまう、なんてのもありふれた話。
治療所に運び込まれた時点で俺の死体は見られ過ぎたのだ。死んだはずの人間が生きているのを見たら話の種にもするだろう。
特段周りの他人に興味がない人ならまだしも、城内の噂を気にかけている人間を相手に死んだ事実を隠し通せるはずがなかった。
「なあお姫様。噂を流すのって頼める?」
「構いませんが、どんな噂を? 自然に広まるかどうかは内容次第ですわよ」
「俺が死んでない――じゃダメだな。胸ぐちゃーで素人目にも致命傷だったらしいし。それだと……よし。ハズレの勇者村山貴久は、一度だけ蘇る力を持ってたってことにしてくれ」
ハズレとはいえ勇者として呼ばれたひとり。些少の特殊能力があっても不思議には思われない……はず。思われないといいな。
今まで死んでなかったから気付かなかったけれど、いったん死んだことで能力が発動したことにしてもらおう。
「かしこまりました。ですが何のために?」
「……実はな、」
坂上に蘇生してもらえたことを話す。
蘇生の困難さ、条件もきっちりと。嘘を吐く必要がないから楽だ。
戦場で死んだ人を蘇らせるのはほとんどの場合で不可能なこと。蘇生魔法があると知れれば無茶な作戦を立てるやつが出たり、無茶な作戦をさせようとするバカが出かねないこと。これは坂上の方針であること。すべて説明した。
蘇生の詳細について聞いてこなかったのだから、噂なり調査なりで事実を知っている可能性が高い。ならば隠す必要はない。余計な不信感を招きかねない。
勝手に話したことは坂上に謝った方がいいかもしれないが。
「……なるほど。確かに危険ですね。蘇生魔法といっても使い勝手はよくない。でしたら当てにはできませんか」
「ああ。条件満たしてても確実に成功するとは限らないし、使えればラッキー程度に思っておいた方がいい。だから、表向きは俺が自力で復活したことにしておいた方がいいだろ」
話し終わるとお姫様はこくりと頷いた。
お姫様はまるっきりのバカじゃない。きちんと理性的に考えられる。
……その割にはところどころエライ考え違いをしているが。環境か教師が悪かったのかもしれない。
同情しないでもない。恨みが消えるわけでもないけれど。
「まあ、あれだ。俺もまた死にたくはないから積極的に戦うことはしないよ。せいぜい戦場の安全圏をちょろちょろするくらいかな。最悪の場合、保険を発動する合図も出さなきゃいけないし」
脱線していた話を戻す。
嘘ではない。危険の気配が強いところに近付くつもりはない。
保険についても先手を打って話してある。設置のために数日間城の外にいたのだ。お姫様が気付いていない方がおかしい。疑われないためには隠さないが吉。
保険は起動のために膨大な魔力を使い、フォルトの反動を肩代わりしてくれる魔法陣を使い潰すことになる代わりに防御結界を強化、巨大化するものと説明した。これはおおむね事実である。嘘はつくからバレるのだ。誤魔化しているのは保険の内容だけ。まるきり嘘というわけでもないし。
「それならよいのですが……」
「じゃ、俺はそろそろ失礼するよ。ゴルドルさんにも呼ばれてるんだ」
普通は兵士長よりお姫様の相手を優先すべきなのだろうが、知ったこっちゃない。
お姫様が俺に求める役割は『友人』。権力を振りかざして命令することはできない。してしまえば俺はお姫様が望む役割を果たせなくなるからだ。
やや不満げな視線を背に受けながら、俺はお姫様の部屋をあとにした。
―――
「それでゴルドルさん、話というのは?」
お姫様との会話を切り上げてすぐ。俺はゴルドルさんと話していた。
ゴルドルさんはフォルトで接触回数の多い人だが、よく考えれば訓練以外の時間と目的で会ったことなんてほとんどない。たまにすれ違って挨拶するくらいだった。
呼び出されたのはゴルドルさんの執務室。人に聞かれるのは好ましくない話らしい。ゴルドルさんも常の豪快さはなりを潜め、深刻な雰囲気を漂わせている。
端的に言うと、コワい顔でコワい表情をしているので超コワい。怒られるのだろうか。特に悪いことをした覚えはないが。
「ウェズリーやシュラットの話を聞いた。あれは本当か」
「……ああ、そのことですか」
あの二人とは結構話をしているが、ゴルドルさんがこんな顔をするような話となると心当たりは多くない。
すぐに何の話か察することができた。
「大勢の人が死ぬ予感がするって言ったことですね?」
「ああ、そうだ。いざって時にフォルトから逃げる準備も整えておくよう言ってたらしいな。それは、フォルトの陥落を予想してるってことだな?」
「……ウェズリーとシュラットめ。ただの用心ですよ。嫌な予感がするのは事実ですが」
ウェズリーもシュラットもペラペラしゃべりやがって。
あの二人のことだ。何も考えずに触れ回ることはないだろうからまだいいが。
「お前の嫌な予感は洒落にならん」
言って、ゴルドルさんは深いため息をついた。
張り詰めていた空気が弛緩する。自分が守る街が陥落する可能性を示唆されて怒っている可能性もあるかと思ったが、そうでもなかったらしい。怖い顔は疲れた顔になった。
「お前、ドンピシャな瞬間にシュラットを助けたんだってな。性格的に危機を見計らったとも考えづらい。直感持ちってことも考えりゃ偶然とも思えん。直感で助けに入ったんだろ」
「そうですね。討ち漏らしを処分してようと思ったら猛烈に嫌な予感がして、そっちに走ったらシュラットたちが戦ってました」
「だよなあ。だから直感持ちってのは侮れん。……ヨギの攻撃に見当をつけられることといい、お前の勘はかなり精度が高い。無視するのがためらわれるほどにな」
「とは言っても勘ですよ? 具体的な根拠なんて何もない。ていうか自分の身も守りきれない直感ですが」
「黒鎧に殺されたのは嫌な予感がしなかったからじゃなくて、したのに突っ込んだからだろう? それと具体的な根拠がないってのは、裏を返せば前触れのない危険を事前に察知できるってことでもある。探索者の中じゃ直感持ちの警告はかなり重視されんだよ」
なるほど、そういう捉え方もできるのか。
直感というのは培った経験や知識からくる無意識の判断だと聞く。直感スキルというのはその無意識の判断力を強化したものなのか。それともファンタジー的に軽く予知ってるのか。
普通に考えてもたどり着くのが難しい答えにたどり着けるのかもしれない。
ゴルドルさんが言うには俺の直感は高精度らしい。実績もできてしまったから無視できない、と。
「で、わざわざ部屋まで呼んだ要件はなんですか? ウェズリーやシュラットがそんな嘘をつく理由はない。事実確認だけならわざわざ俺を呼び出したりしないでしょう」
「話が早くて助かる。お前に頼みたいことがある。……戦場に出てくれないか」
「戦場に、ですか」
話の流れ的にフォルト壊滅を防ぐ手伝いをしてくれとか、嫌な予感について詳しく教えてくれとか、そんなことだと思ってきた。
斜めからの頼みに少し困惑した。
「ああ。直感は危機が迫るほどに精度が増すと聞く。その高精度の直感で察知した危機を、可能な限り早くおれに伝えてほしい」
心当たりがある。
嫌な予感は次第に強くなっている。シュラットが、自分が死にかけた時には背筋が凍りそうなほど強くなった。
直感も他の感覚と同じ。近付くほどにはっきりとする。
「……本当ならこんなことを頼むべきじゃないのは分かってる。お前たち勇者はこの世界の戦いとは無関係の部外者だ。連れてきたあげくに戦えなんてふざけたことを言っていることも自覚している。。
だが、おれはアストリアスの兵士だ。国を護る義務がある。おれ自身も死ぬつもりはない。おれたちが生き残り、アストリアスを守るために、力を借りたい」
ゴルドルさんは立ちあがり、ぐっと頭を下げた。
「頭を上げて、ひとつ聞かせてください。今までゴルドルさんは勇者を戦わせることに反対していたと聞いています。それがなぜ今になって、それも俺に力を借りたいなんて言うんですか?」
「黒鎧の魔族を見て、お前に戦う意思があると聞いて、認識が変わった。
状況は考えていた以上に悪い。黒鎧を抑えられるヨギと、魔族の数を減らせる勇者。どちらか一方でも欠けていたらフォルトはとっくに陥落していただろう。業腹ながら勇者を召喚したことは戦略として間違っていなかった。
今でも『勇者だから』という理由で誰かを戦わせることには反対だ。
だが、タカヒサは戦う意思があると言っていた。なら勇者ではなく、ムラヤマタカヒサに頼みたい。
おれに、おれたちに力を貸してくれないだろうか」
それは、被害者扱いしないということか。
きっとゴルドルさんにとって勇者というのは、勝手に召喚された被害者だったのだろう。
その認識に間違いはないと思う。選択の余地があって召喚されたならまだしも、俺たちは意思確認されることもなく連れてこられたのだから。
ゆえにゴルドルさんは勇者を戦わせようと考えていなかった。
しかし、四ノ宮はノリノリで、浅野は四ノ宮に追従するかたちで戦う意思を表明した。
日野さんと坂上もそれぞれの理由で参戦すると決めていた。
俺も先日、戦う意思があることを伝えた。
戦う意思があるのなら相応の扱いをするということだろう。
「タカヒサの身の安全は可能な限り保証する。絶対とは言えんが、全力で守らせてもらう」
あ、違った。ゲスト扱いではあるらしい。
少し考えてみる。
ゴルドルさん師匠に次いで強い。率いているのも斬り込み部隊ではない。そのゴルドルさんのそばであればそれなりに安全だろう。
絶対に大丈夫、と言わないのはゴルドルさんなりの誠意。戦争で、予想できなかった事態に対応するために俺を連れて行きたいとのことなのに、絶対に守ると言われていたらかえって不信感が募った。
「心ばかりだが、報酬も用意してある」
「報酬?」
「ああ、これだ」
ゴルドルさんが机の中から取り出したのは紺色の古ぼけた皮袋である。あまり大きくはない。コンビニでちょっとした買い物をした時にもらうビニール袋と同程度である。
魔物の素材がある世界。紺色の皮袋なんて珍しくもない。丈夫そうではあるが、だいぶ年季が入っているように思える。
同じような袋なら街に出れば銀貨一枚も使わずに買えると思うのだが。
そんな内心が表情に出ていたのか、ゴルドルさんは「まあ見てみろ」と袋に手を突っ込んだ。
ん? 突っ込んだ? 前腕の半ばまで袋に入っているけど、袋のサイズ的におかしくないか?
そんな俺の疑問は次の瞬間には吹き飛ばされることになった。
袋から引き抜かれたゴルドルさんの手には、巨大な弓が握られていたのだ。
目を疑った。弓の全長は一メートルをゆうに超える。どれだけ器用に折りたたんでもあの袋に入るサイズではない。
幻覚魔法でも使われたのか。魔力の気配は感じなかったが。
そう思って目をこする俺を見てゴルドルさんは笑った。予想通りの反応だったらしい。
「まあ、こういう袋だ。千年前の遺産のひとつでな。見た目の数百倍の容量がある」
四次元ポケットか。
喉まで出かかった突っ込みはなんとかこらえた。
お姫様の話にもたまに出てきた千年前の文明。原初の魔王によって滅ぼされ、今の世界が取り戻そうとしている技術体系。
むべなるかな。この袋を見れば、新たな技術を発展させるより過去の遺産を復活させようとする気持ちも分かる。
おそらく今のアストリアスの文明は産業革命以前の地球レベル。魔法があるぶん一概には言えないが、少なくとも近現代の地球に追いつくほどの技術力はない。
にも関わらず現代の地球の技術でも再現できない道具があるのである。科学と魔法で得意分野の違いはあるだろうが、オーパーツみたいなものだ。もしも再現できるのならばまともに発展するよりよほど早く文明を再建できるだろう。勇者召喚も千年前にできた魔法だとか。
……それを滅ぼしかけたとか、魔王が強すぎる気もするが。初代魔王は初代勇者によって討たれたそうなので、当代の魔王は別人のはずだが。今の魔王が初代魔王より弱いことを祈ろう。真剣に。
「おれ自身の所有物ってわけじゃねえからこの場でやるとは言えんが、預けておこうと思う。お前はいざって時にフォルトを捨てて帰る方法を探す心づもりなんだろう? 旅をするのにこれ以上の道具はないぞ」
どうだ、とこちらを伺うゴルドルさん。ぽいっと袋をこちらに投げた。袋は机の上、俺のそばぎりぎりに落ちた。
必要なら逃げると考えていることは見透かされているらしい。まあ、いざって時に逃げる準備をしておくようチファたちに言った俺が逃げることを考えていない方が不自然か。
……にしても、だ。
「いいんですか、先に渡してしまって。持ち逃げするためにあえて危険を教えなくなるかもしれませんよ」
不用心が過ぎる。メリットだけ先渡しにしたら債務を果たさなくなる可能性を考えるべきだ。
するとゴルドルさんは呆れ顔。
「お前がそんな悪たれとも、アホとも思ってねえよ。フォルトが陥落しない方が帰れる率は高いだろ。あの魔法陣でも使わなきゃ異世界召喚なんて魔法は使えん。王都の魔法陣がいつ使えるかも分からんしな。何より、フォルトが陥落すればチファたちまで危険な目に遭うことになる。保険はかけているようだが、お前はあの子らが危険にさらされることを良しとするか?」
「……仰る通りです。フォルトが無事な方が俺にとっても都合がいい。保険は最悪の場合に備えてるだけ。報復と自分やチファたちの安全が同じ天秤に乗ったら、そりゃ安全に傾きますよ」
「だろ? なら前渡しでも問題ねえ。お前がそれを持ってくような事態にならないために力を借りるんだしな」
歳の功と言うべきか、俺が分かりやすいのか。何の疑いも持っていないようだった。
俺は小さくため息をついて袋を掴んだ。
「わかりました。俺も戦場に出ます」
「……そうか。恩に着る」
「着なくていいんで、そのかわり無謀な突撃とかはやめてくださいよ。あんまり無茶をするようなら俺は袋を持ってさっさと逃げますから」
「ああ、そうしろ。お前が逃げたら相当ヤバいって分かるからちょうどいい」
なぜだか、また黒鎧に会った方がいい気もしている。
かくして俺はもう一度戦場に出ることになった。