1.ことのはじまり
ずこー、と品のない音を立てて紙パックのコーヒー牛乳をすする。
頭上で桜の葉が風に揺れ、こすれる音が耳に心地いい。葉桜もまたいいものだ。
うん、やっぱり天気がいい日の昼は中庭でのんべんだらりと過ごすに限る。
無駄に広い敷地を持つうちの学校には、図書室の他に図書館がある。こちらの蔵書は地域の歴史や資料、専門書が主なので、資料館と呼ばれることが多い。
資料館には学習参考書や小説の類はあまり置いていないので高等部の生徒はあまり利用しない。利用者の多くは大学の学生だ。
高等部生だとたまに受験生が使うくらい。とはいえ図書室の方が学習スペースが充実しているので利用するのは少数派。
時間の限られた昼休みだとなおさらだ。ほとんど人は来ない。
そんな資料館の傍らにはいい感じの林とベンチがある。
資料館との間に林を挟んだこのベンチの周りはとても静かで居心地がいい。
冬になると少し寒いが、五月にもなると木が適度に日光を遮ってくれるおかげで眩しくもなく暗くもない、絶妙な光加減になるのだ。
購買で買ったパンをかじりつつ適当な飲み物を片手に本を読む昼休みは至高。
難点は居心地がよすぎて眠くなってしまうことだ。
今日も今日とて暖かく、授業サボろうかなー、とか本気で考えてしまう。
だから、気が付くのが遅れてしまったのだろう。
いつもは鳥の声や枝のこすれる音しか聞こえないのに、甲高い声が耳をさした。
なんだよやかましい。人の幸せ時間を邪魔しやがって。
声のする方を見ると、見覚えのある四人組がいた。こちらに向かって歩いてきている。
……たしか、四ノ宮征也だったか。
声の中心は一つ下の学年のイケメン野郎。
特別接点があるわけではない。それでも耳に入ってくるくらいには有名だ。
学業優秀眉目秀麗、初心者にも関わらず剣道の有段者を倒しただとか。マンガの登場人物みたいなやつ。髪は教員が突っ込みづらい程度の茶色に染めている。チャラい。
周りを囲むのは三人の美少女。ハーレムか。
ショートカットの見るからに活発そうなのがひとり。小柄で小動物っぽいのがひとり。黒髪ロングの落ちついた物腰のがひとり。
あ、最後のひとりは知ってる。クラスメイトだ。
日野祀子。才色兼備を地で行く人だ。
もっともごくまれに事務的な会話をするくらいしか関わりはないが。
女三人そろえば姦しいというが、そこに一匹男が入るとやかましい。
ったく、リア充様がなんでこんな校舎の端っこに来てんだよ。おとなしく教室の中心にいすわってりゃいいのに。
せっかくいい気分でうとうとしていたのに台無しだ。取り巻きのショート女の声がキンキン響いて微睡が台無しにされた。
あいつ……うぜえな。リア充グループと仲良くなれるとも仲良くなりたいとも思わないが、あれだけは仮に単体でも関わりたくない。
さっさと教室に帰って机で寝るというのもアリだが、ここで引いたらなんか負けた気がする。
いいや、無視無視。一人がクソやかましいだけで他はそうでもない。
眠気は台無しにされてしまったので手元の文庫を開く。
読書に集中していれば雑音も聞こえなくなるだろう。
--ふと、背筋に冷たいものが走った。
あ、超嫌な予感がする。
嫌な予感がして乗らなかった電車が事故ったりするので、俺は自分の直感を信用することにしている。
殊に嫌な予感はよく当たる。さっさと退散するのが吉。
目の前を通る四人から逃げるように、パッと開いたばかりの本を閉じそそくさと教室に戻ろうとする。
立ち上がった瞬間、日野さんと目が合った。
なんで、どうしてこっちを見てんの?
疑問を抱き、ほんの一瞬。動くのが遅れてしまった。
その一瞬が運命を分けたのかもしれない。
「え、ちょ――」
なんだこれ、とまでは言えなかった。
唐突に視界が白一色に埋め尽くされた。
暴力的なまでに強い光が目を焼く。
目を開いていられない。
それは一瞬の出来事だったのだろうか。それともしばらく続いたのだろうか。
わからない。
閃光に包まれたところを最後に、俺の意識は暗闇に沈んでいった。