9.ミネアの考察。夜のダンジョンへ
ぐつぐつと煮立つ鍋の様子を見守ること二十分。二階からは相変わらず賑やかな声が聞こえてくる。少々意外だと思うのが、その声の中にアキハの声も混じっていることだ。ついさっきまで黙々と、それこそ正に至近距離で爆発が起きても気が付かないだろうと思わせる程の集中力で本を読んでいたアキハの声が、アイツ等に混じって聞こえてくるのは意外だ。
二回言ったのは、とりあえずオレがどれ程意外だと思っているのかを伝えようと思ってだな……別に良いか。やっぱ女は笑っている方が良いしな。
一時間程前、突然オレの部屋にアキハ、マートル、キリエを連れたメリアがやってきた。マートルは初めてオレ達の部屋に来たからか興味津々と言った様子で部屋を見ていたが、アキハのベッドとオレのベッドで眠っているフーリアを見て一瞬動きが止まり、背後から何か黒いモノが溢れ出て来た。だが、どうやらその理由を他の奴らは分かっていたらしく、苦笑いするばかりでオレには何も教えてくれず、このまま部屋に居るのは何か危険だと本能で察知したオレはそそくさと退散、夕食の準備を始め今に至る。
いや、マジで危険だったぞ、あれは。腰の鞭に手を伸ばし掛けてたからな……あんな所で鞭振り回されたらフーリアが起きてしまっていただろう。まあ、そのフーリアも今はあのガールズトークに混じっているが。
鍋の蓋を開け、中を少しお玉で混ぜまた閉じる。今日の晩飯はカレーだ。アキハからのリクエストでチキュウにいた頃から好きだから久しぶりに食べたいということらしい。それとフーリアからのリクエストで、オムレツも作ることになっている。
夕食をキリエ達も食べるのか聞きたいが、今あそこに戻るとまたマートルから黒いモノが出るかも知れんしな……自分の部屋に入ることに対して恐怖を抱く日が来ようとは思っても見なかった。
「――ねぇ、貴方女の子に興味無いの?」
「いきなり出て来て何を聞いているんだ、お前は?」
また鍋の様子を見守っていると、隣に突然紫のローブを着、首にはこの前プレゼントしたネックレスを提げたミネアが現れ同時にそんなことを尋ねてきた。
聞き返すと「良いから堪えて頂戴」と返される。
「興味が無い訳ないだろ? 健全な男子だからな。異性に興味を持つのは当たり前のことだ」
「あら、てっきり『ある訳ないだろ』とか言うと思っていたのに」
「ふむ、その理由は?」
少し聞いてみたい気もする。普段コイツが――コイツらがオレをどの様に見ているのか。
「だって貴方、誰かと付き合うとかそういう事が一切無いんだもの。かと言って男に興味がある風にも見えなかったし」
「人を勝手に同性愛者にするな」
「まあ、それは冗談なんだけれど」
冗談には聞こえなかったぞ……。
「貴方、誰かと一緒にいる時は高確率で女の子でしょ?」
「…………」
言われて少し考える。
学校では、昼飯を食う時など理事長室でメリアと食べるか、食堂に行った場合は何故か高い確率で遭遇するキリエ。教室にいる場合にはマートル。外では何かと暗殺しようとしてくるハーベストに、偶に目の前にいるミネア。それに今は、フーリアとアキハも同居している。
考えてみると確かにそうだ。
誰かと行動している時は、相手は全て女子になっている。
そんなオレを見て、ミネアは思い当たったことを察したのか「ね?」と短く尋ねてきた。頷く。
「それに、みんな可愛い、もしくは綺麗な娘でしょ? そんな女の子達に囲まれていたら、普通の男はすぐにでも浮かれて、色んな娘に手を出したりしそうだし……でも、貴方は全然そんな事無い。いつもいつも、良くも悪くも自然体。――例え相手が神様でも」
様々な属性の魔術の力を掌や指先に小さな塊として浮かび上げ、ソレを弄りながらミネアは言った。何か別のことをしながら、魔術を操るには相当な年月が掛かる。例えその魔術がどれだけ低位の物であっても。
そんなことを簡単にやってのける彼女は、最後の言葉を言うと同時に掌大の雷の塊を握る。それは辺りを紫電の光で照らし、パチパチと音を立てて消えた。
「貴方に好意を抱いている女の子は大勢いる。少なくとも、今この家にいる娘はみんなそう。それが恋愛感情であっても、友情であっても、『好意』と言うことには変わりが無い。あたしも含めてね。それに、この先もきっと貴方に惹かれる娘が出てくるわ」
あくまで、あくまで淡々とミネアは言葉を紡ぐ。
「『相手が神様でも』って言ったでしょ? そこにはメリアだけじゃ無くて、ナナや〈エルフィ〉、〈ミルミ〉〈メニル〉〈パルテナ〉も含まれてる。後の二人は、今は置いておくとしましょう」
可哀想だな、〈アポロヌス〉と〈ボルス〉。
「みんな神様とか、王様とか、色々やっているからあまり貴方の所に来ることはできない。特にナナはね」
以前にも少し触れたが、ナナは獣人の国・ビストリアを建国し、そこの王を務めている。いや、務めていると言うよりは、務めざるを得ないと言った方が正しいか。獣神であるナナは、周囲にそのことを隠しているが、やはり神だからだろうか?
圧倒的なカリスマ性という物を持っている。
それはナナ本人の意思に関係なく周囲の獣人を引き寄せ、惹き寄せる。そして、いつの間にか中心となってしまい、今はまともに身動きがとれない状態であり、頭を悩ませている原因の一つでもある。
「それでも、貴方に対する思いは変わらない。いいえ、変わるわね。きっと大きくなっているわ。貴方が、あの人達にしたことは、それだけのことだから。それを教えてくれた時、貴方は『大した事じゃない』と言ったけれど、それはあくまで貴方の尺度。してもらった側からすれば、それは十分『大したこと』だと思う。聞いただけのあたしでも、そう思ったんだから。でも、同時に『酷く鈍い』とも思った」
つい最近も同じことを言われたな。同じ相手に。
「他にも色々言いたいこと、聞きたいことはあるけれど、結局今のあたしが貴方に聞きたかったのは、さっきの事だけ。だからとりあえずは安心したわ。『興味を持ってくれているんだなぁ』って……例えそれが、あたし個人に向けられている物でないと分かっていても、女の子としては嬉しいから。あの娘たちも、同じ筈よ?」
「?」
口元に笑みをたたえながら、後ろを指すミネア。
それと同時にドタバタ、ガシャンやら、「貴女の所為で気付かれたじゃない!」とか「キリエが気配を隠せてなかったからでしょ!?」とか聞こえる。主に聞こえたのは、そのキリエとハーベストの声だったが、足音から考えると恐らく全員が聞いていただろう。今は既に居ないが、倒れた椅子がそこに誰かが居たことを如実に物語っている。
「多分、みんなも何処かで不安に思っていたと思う。さっき言った様に、貴女は誰に対しても自然体だから。それは、同時に『誰にでも優しい』ってことでもある」
「そんなことを言われてもな……」
「分かってる。あたし達が、勝手にそう思ってるだけなの。少なくとも、あたしは『自分だけに優しくして欲しい』って思ってる。……只でさえ、魅力的な娘たちばかりだもの……あまり貴方の側に居ないあたしは、どうしても少し遅れてしまうわ。だからね? レスト」
ミネアは、真っ直ぐにオレを見る。
その紅い瞳は、酷く綺麗な輝きを放っていた。
本当に、宝石と見紛う様な輝きを。
「――これからあたしは、ずっと貴方の側に居る。って、なんだかこの台詞、プロポーズみたいね?」
くすり、と見た目とは裏腹に大人びた笑みを浮かべながらミネアは言った。
「全くだ」
オレも笑う。
「あら、もしかして満更でも無いのかしら?」
「そうだな。お前のことは嫌いじゃねえし、どっちかと言うと好きだからな」
「っ! い、いきなりは卑怯よ!」
言った途端赤くなるミネア。
「ハハ、まあ、とりあえずあれだな? オレの側に居るってんなら、学園にはちゃんと来ないとな?」
丁度頼みたいこともあるし。
「う……問題はそこなのよね……今更学ぶことなんてないし、どうしようかしら」
「ああ、さっき『普通の男はすぐにでも浮かれて』って言ったよな?」
「え? ええ」
「多分オレだってそうだ。心の何処かでは、きっと浮かれてる。自覚してないだけでな……」
「そうだとしても、あたしは――あたし達は、貴方を好きでい続ける。これだけは、断言できるわ」
「……そうか。ありがとな?」
礼と同時にミネアの頭を撫でて、オレはまた夕食の準備を再開した。
本当に、良い奴ばかりだよ。
∞
「可笑しいと思う」
「は?」
「ふわぁ……」
皆が帰った後、フーリアと共に入浴を済ませ、ベッドに腰掛けてフーリアの髪を乾かしていると、突然アキハが目の前に仁王立ちしながら言った。
腰に手まで当てている所を見ると、もしかして怒っているのだろうか?
オレはそんな怒られる様なことをした覚えは無いが……何かしたのか? オレ。
自分に問いかけてみるが、全く心当たりがない。フーリアは温熱発生機で暖められ眠くなってきたのか欠伸をしている。明日からの授業中に寝ないか心配だが、オレも授業は殆ど寝て過ごしているからな……。
まあ、フーリアには「授業は寝て過ごす物だ」と教えておこう。
「聞いてる?」
「ああ、聞いてるぞ。で、何が可笑しいんだ?」
「今の状況」
状況……言われて確認する。今の状況は、ベッドに腰掛け、開いた足の間にフーリアが座っている。オレはフーリアの髪を温熱発生機で乾かしていて、目の前には仁王立ちしているアキハ。確認終了。
「どこも可笑しな所は「ある!」せめて最後まで言わせてくれよ……」
アキハが声を張り上げたことは驚きだが、それ以上に最後まで言わせて欲しかった。
「そんなことはどうでもいいの。それより、レストはいつもフーリアと一緒にお風呂に入っているの?」
「ああ」
どうでもいい発言はちと傷ついたが、これくらいじゃやられはせんさ。
「可笑しいと思わないの?」
「思わないな。それに、フーリアはまだ一人で風呂に入ると危ないし。さっきだって、危うく眠りそうになったんだぞ?」
体を洗い、浴槽に浸かったほんの数分後、フーリアは舟を漕ぎ始めもう少しで眠ってしまうと言う段階まで来ていた。抱き留めなんとかそうならないようにしたが、マジで危なかった。明日からはもっと気を付けないといけない。
「それは…………じゃあ、それは仕方無いとする。けど、一緒に寝るのは可笑しい。仮にもレストは男でフーリアは女なんだから」
そう言えば、アキハは出会った当初、その声に抑揚は全くと言って良い程無かったと言うのに、今は明らかに感情が込められている。気付くのが遅すぎたかも知れないが、今朝もそうだった。
おはようと言った時は怒っていたし、目玉焼きを焦がしてしまった時は泣いていた。本来は感情豊かな奴だったんだろうが、何故か最初はそれが無かった。まあ、考えても理由は分から無いが……。
オルディスに来て何か変わりでもしたのか? 良いことに変わりはないから、別にいいか。
「女つっても、フーリアはまだ子どもだぞ? お前が来る前の日、オレ達は別々に寝たが、起きたらフーリアはオレの方に潜り込んでいたしな。一人で寝るのはまだ無理だ」
「わたしは二歳の頃から一人で寝てた」
「オレは五歳までメリアと寝てた」
「わたしの勝ち」
「いや、勝負じゃねえよ」
右手を軽く握りガッツポーズを取るアキハに言う。
こいつも可愛い所あるな。
「くぅ……くぅ……」
小さな寝息が聞こえ、目線を下に降ろすとフーリアがオレに寄りかかりながら眠っていた。
「今日は寝ちまったんだから、いいだろ?」
「……わかった。でも、一緒に寝るとしても五歳になったら一人で寝かせること」
小声で言うと、アキハも小声で返してくる。とりあえずそういう形で話し合いは終わり、オレはフーリアを起こさない様にそっとベッドに寝かせた。布団を肩まで掛け、頭をそっと撫でる。
「ん……んぅ」
「おやすみ、フーリア。アキハ、隣に居てやってくれ。オレは今から調査に行ってくる」
驚きの声を上げそうになるアキハに向かって人差し指を口に持って行くと、意味を理解し咄嗟に口を押さえる。
「どうして? もうすぐ完全に陽が落ちるよ?」
「夜にしか出ないダンジョンがあるんだ。今から行けば、丁度良い時間帯になる」
行こうと思っているのは一ツ星ダンジョン〈空の道〉だ。ダンジョン自体に不可視の効果がある結界が張られており、夜、月が現れてから一時間だけその姿を現す。一度入ってしまえば、大丈夫だが、その前に入れなければ次の日の夜まで待たなければ行けなくなってしまうからな。
まあ、実際は忘れていただけなんだが……。
さっきフーリアを寝かせた時、視界の端に月が入って思い出した。
「……それなら仕方ないけど……大丈夫なの?」
サムズアップして言外に「大丈夫だ」と言い、攻略時の服と武器達を抱えて部屋を出ようとする。と、タッと軽い音がし、服の裾を摘まれたのを感じて振り返る。そこにはアキハがいた。
「貴方が強いのは知っている。でも、本当に無茶はしないで」
その言葉に一瞬面食らう。
まさかここまで心配してくれる程になっているとは思わなかった。
「ん」
だが、心配してくれるのは素直に嬉しい。だから、その礼、って訳じゃ無いが頭に手をポンと乗せる。そして撫で回す。わしゃわしゃと撫で回す。
「ん、ちょ、んや」
手を離すと、アキハの髪はボサボサになり至る所が撥ねていた。涙目でオレを睨んでくる。
「……心配して損した」
明らかに不機嫌な様子で言うアキハ。
「ありがとな? 大丈夫。怪我一つ無く帰ってくるさ。何なら賭けても良いぞ?」
「……ふん。負ける勝負はしないもん」
ぷいと、頬を膨らませそっぽを向くアキハ。
「そうかい」
オレはその頬をぷにと突いて部屋を出た。