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後編

今日で5日目。

さすがにそろそろ私を抱くだろうという期待を、ものの見事に裏切って、夫はまた健やかな寝息を立てている。

それが恨めしくてたまらない。

何がどうして私がこんなやるせない気持ちにならなきゃいけないのか。

どうして、新婚すぐにセックスレスになるのか。訳が分からない。


混乱する頭を抱えてもんもんとする私の傍、丸まった背中が憎らしい。

のん気に眠っている康仁を見ると、すごくイライラして、何だか加虐心がむくむくと湧き上がって来る。

何でもいいから、この性欲ゼロの夫をその気にさせてみたい。


けれど、女の私から仕掛けなきゃいけないのが癪だ。

それも男性経験の全くない私が仕掛けなきゃいけないなんて最悪だ。

でも、放っておくといつまで経っても進歩しなさそうだった。


「よしっ……」


気合を入れて、腹をくくる。

10センチ近づいてみる。あと少しで触れられる近さ。


左足をそろりと忍ばせ、夫の足に絡めてみた。

温かい。その日向に似た温かさに心が溶けていくようだった。


5日前と同じように背骨のラインを意志を込めてなぞる。

それでも起きない夫に、悪戯心が湧いて、あと10センチ、距離を詰めた。

背中はもう目の前。パジャマの端を握ってみる。そこに鼻を寄せた。

初めて嗅ぐ夫の匂いは何だかとても男くさくて、クスリと笑う。

そういえば、抱きしめられたこともなかったなと何だか他人事のように思った。


シーツと身体の隙間、わき腹を滑るように左手を夫の身体に回す。

背中に頬をくっつけると、そこは温かくて、ひどく安心した。


朧げな記憶を辿って、わさわさと左手を動かす。

鳩尾から拳二つ、へそより上のその部分をくすぐる。

それに身じろぎしたかと思えば、視界がぐるりと反転した。


「え……」

「何するんだ、君は……」


ようやく起きた康仁は、赤く頬を染め、視線を私に合わさない。

その様子はかなり照れているようだった。


「起きてたの?」

「……そりゃあ、足絡められたり、くすぐられたりしたら誰だって起きる」


ぶっきらぼうに言われた言葉に、微笑う。

そんな初期から気づいていたなら、早く声をかけてくれればよかったのだ。

そうすれば、悪戯がそんなに悪化することはなかった。


「寝てるフリをするあなたが悪いんでしょう?」

「……」


都合が悪いのか、康仁は黙り込む。

図星のときは言い返さないってことを私も知っているのに、不器用な人だった。


「ねぇ、それより聞きたいことがあるの」

「……何だ?」

「……どうして、何もしないの?」


見上げる夫はその質問にひどく複雑そうな顔をしていた。

後ろめたいような、傷ついたような、弱々しい表情に追求をやめたくなる。

でも、それは問題を先送りにすることにしかならなくて、仕方なく言葉を紡ぐ。


「私たち、夫婦でしょ? 疲れているのは分かるけど、何にもないのは……正直淋しいわ」

「……すまない」

「謝らないで。理由を教えて?」


聞きたいのは謝罪じゃなくてその理由。

一人で悩んでいるくらいなら、どうか私にもその問題を分けて欲しい。

だって、約束したじゃないか。

『苦労も共に分かち合う』って、神様の前で約束したはずだ。


「……から」

「なに? 聞こえない」

「……怖いんだ」


自嘲気味に笑う瞳は、かすかに震えていて、普段弱みを見せない人だからこそ内心おどろく。

怖いという言葉がその口から出てきたこと自体に耳を疑った。


「……壊しそうで怖いんだ。やっと手に入れたのに、自分が壊しそうで怖い」

「……壊すってどうして?」

「何ていうか……多分、俺は、触ったら止まらなくなるから」


そう言って、康仁は私のパジャマのボタンをひとつずつ開ける。

その拙い動作に、どうしようもなくドキドキさせられる。

全てを開け終わって、あとは前をはだけるだけなのに、康仁はそのまま動かなくなった。


「この7年間の遅れを取り戻そうって、一人で焦って、きっとパニックになると思うから」

「……」

「そんなみっともない姿……結婚初日から見たくないだろ?」


それが答えとでも言うように、康仁は黙りこくる。

首筋に埋められた口元から漏れる吐息が、さらりと肌を撫でていく。

その感覚にぞくりと来る。

触られる前からこんなことでどうするんだろうと自分に呆れた。


顔を隠す康仁の頭を無理やり正面に持ってくる。

目が合うと、照れているのか、康仁は恥ずかしそうに目を伏せた。

その乙女のような動作に鼓動が早まったのは、康仁には内緒だ。


「馬鹿ねぇー」

「え、桃果……?」

「もう、そんな馬鹿なところも好きだからいいけど、そのせいで私が悩んでたと思うと複雑だわ」


なんて優しくて、なんて馬鹿な人だろう。

そんなことで壊れるほど、女の身体は、私の身体は柔じゃないのに。

康仁が思う何倍も私の身体は丈夫に出来ているのだ。

例え、一晩中康仁に愛され続けたとしても、壊れるわけがない。


けれど、そんなことを考えた康仁を愛おしいと思う。

私のためを考えてくれて、かっこ悪い姿をさらしたくないって言ってくれる康仁が大好きだった。


私は笑う。

顔に似合わず繊細な心を持った、ただ一人の愛おしい夫に。


「壊していいわよ。壊れないから」

「……矛盾してるぞ」

「うん、知ってる。でも、大丈夫だから」


康仁の首に腕を回して、無理やり引き寄せる。

そのまま目を見開く康仁の唇に自分のそれを重ねた。

初めてする自分からのキスは、難しくて、息継ぎが上手く出来ない。

強く押し付けた後、どうするか分からず慌てる。


そんな私のゆっくりした動作に焦れたのか、するりと主導権を奪われる。

下唇で慈しむように撫でられて、苦しくなった息をこぽりと零す。

その隙に忍び込んだ舌に上顎をなぞられた瞬間に、鼻から甘い声が抜けた。

それに驚く暇もなく与えられる愛撫に溺れる。


長い長いキスが終わったのは、私の息も絶え絶えになった後だった。

二人の間を透明な糸が結ぶのを霞がかった意識で見ていた。


「いいのか……?」

「優しく、愛してくれる?」


その言葉が引き金となって、ベットが大きく軋んだ。

今度こそはだけられたパジャマが、ベットの下に落ちるのを満ち足りた気持ちで見つめて。

私はまた、自分から唇を合わせた。



2009.01.05


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